糞親父の罪
柚にも渚にもこの糞親父の血が流れてます。
今後の渚の性長にご期待ください。
「ちょっと、伸一。あんまり大きな声出すとご近所迷惑でしょ!」
俺はリビングに飛び込むと、母さんのお小言に耳を貸さずターゲットを探す。
すぐに、優雅にソファーへ座りワインを嗜んでる姿を確認した。
「おい、父さん! ちょっと表出ろ!」
「そんなに鼻息荒くして、どうした伸一? ついにキャッチボールでもしたくなったか!?」
「あんたはこの状況で、なんでそう思えるんだ!?」
「だって俺、息子ができたらキャッチボールするのがずっと夢だったんだ……」
「意味わかんねえよ!! ってか、そんなことで泣いてんじゃねえよ!!」
……やっぱ、この父にしてあの娘ありだわ。
同居して二週間くらい経つと、いろいろと相手のことが見えてくるものなのかね?
「わ、わかったから! 今度暇なときいくらでも付き合ってやるから、泣き止んでくれ」
「よっしゃー! 約束だぞー」
「こんの糞親父! 息子に対して泣いたふりなんてしてんじゃねえ!!」
やっぱり、とりあえず一発殴っちまうか?
「お兄ちゃん! なにこぶしなんて握って臨戦態勢突入してるの!?」
「放せ柚! 男にはこぶしで語らなきゃいけない時があるんだよ!」
「お兄ちゃん。約束したよね?」
いつの間にか追いついていた柚が、俺の左腕をぐいぐいと力強く引っ張る。その表情は、ちょっとだけ不機嫌そうだ。
「いや、でもな――」
「約束、したよね?」
「……わかったよ」
正直まったく納得できないが、抑揚のない声からこれ以上は許さないという意思を感じ取り、しぶしぶ頷く。
「ごめんねお父さん。お兄ちゃんと遊んでたら、勢い余っちゃって。なんか荒れたくなったみたいなの」
いや、その言い訳はさすがに無理だろ。
「そうかあ。本当に仲良さそうで何よりだ!」
なんなんだよこの親子は!?
聞いて驚け、俺の家族だよ!!
「とにかく、ほら行くよ。お兄ちゃん」
「あ、ああ」
「伸一! キャッチボールの約束、忘れるなよ」
無視無視無視無視。
「ねえ。お兄ちゃんは瞬間湯沸かし器かなにかなの? 怒らないって約束したよね」
「ごめん。でも、俺は柚を守るって約束したから。なのにおまえをこんなふうにしちまったのが父さんだって聞いたら、頭に血が上っちまって」
「守ってくれるのはうれしいけど、こんなふうって!? わたし、もしかして酷いこと言われてる?」
「べつに酷くねえよ。妥当だよ」
「なんか、お兄ちゃんの扱いが雑になってる」
「首にしゃぶりついといて、それまでと同じ感じでいられるとかねえから!」
「あのくらいで何言ってるの? まだまだ器がちっちゃいね。もっと大きな男になろうよ」
「余計なお世話だ!」
そんな会話をしながら、また俺がベッドの上、柚がその前の床にそれぞれ座る。
妹はふぅと息を一つつく。
「で、今度こそ落ち着いて聞ける?」
「内容によるな」
「あのね、きっかけはお父さんだけど、お父さんはなにも悪くないの。そもそも、お父さんが変なことするような人じゃないって、お兄ちゃんもわかるでしょ」
「……ま、まあな」
俺もこれまでの付き合いで、父さんは信頼できる最高の父親だって思ってた。
過去形にしたのは、今日のことでちょっと揺らいだからだ。
でもやっぱり母さんを任せた相手を、俺はできれば信じたい。
「わかった。とりあえず最後まで聞くよ。それで判断する」
「お兄ちゃん、顔つきが変わったね。なんかさっきよりも、どっしりとした」
「自分ではよくわからんけど。もしそうなら、覚悟が決まったからかな」
「うん、そっか。じゃあ、さっそく話すね」
「ああ、どんなきっかけだったんだ?」
「えっとね、去年の十月のことなんだけど」
「うんうん。十月に」
「簡潔に言うと、わたしがお父さんたちのセックスに遭遇しただけなの」
「よし、殺す!!」
よーし。約束通り今度はちゃんと最後まで聞いたし、殺しに行っても大丈夫だよな。
誰がどう判断しても有罪! ギルティ! 死刑確定!!
娘とセックス中に遭遇するとか、まじでありえねえだろ!
そのせいで、純情可憐な柚がこんなサキュバスみたいな存在に……。
……ん? セックス? お父さん……たち? 嫌な予感が……。
「な、なあ。その時の父さんの相手って……」
「もちろん今のお母さんに決まってるでしょ――って、お兄ちゃん大丈夫!? なんか上半身が軟体動物みたいにぐにゃっと倒れてるけど!?」
……マジで最悪だ。じつの母親のセックスに関する話ってだけでも最低の気分なのに、娘になるかもしれない小学生の女の子の前でやっちまってるとか。
心から知りたくなかったよこんなこと。
ああ、神様。女手一つで俺をここまで育ててくれた、この世で一番尊敬してた母親像を返してください……。
「なに死んだ魚の目みたいになってるの!? あ、安心して! お母さんはなにも悪くないから!」
「…………本当か?」
「ほんと、ほんと! だから、はやく体起こして。 ね?」
「……うん」
果たして、この後の柚の話で俺の母親像は元に戻るのだろうか?
い、いや、期待するなよ俺。今日これまで、いったいこういう展開で何回裏切られてきた!?
「あのね、遭遇したといってもお父さんたちには何も落ち度はないの。むしろ、わたしが悪いというか」
「柚が?」
「うん。えっとね。わたしがお父さんの寝室のクローゼットの中で寝ちゃって、気づいたらもう始まっちゃってて」
「いやいやいやいや、ちょっと待て! 普通に考えて家でおっぱじめるなら、誰もいないかちゃんと確認すんだろ!?」
「たぶん私の部屋とかリビングとか確認して、いなかったから留守だと思ったんだと思う」
「だって、玄関に靴あれば……あ」
「気づいた? 佐々木家は靴箱にしまうから」
「だって、二人もその時しまったはずじゃ」
「お客さん用はべつだから。ほら、うちの玄関に私たちが使ってないやつ置いてあるでしょ? きっと、あれに二人でしまったんじゃないかな」
「それは落ち度だろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
完璧に佐々木家の方針裏目じゃねえか!!
どう考えても慎重に慎重を重ねるべきシチュエーションだろうが!!
完全にやることしか考えてなくて、足元おろそかになってんじゃねえか糞親父!!
「で、でもほら。靴を見つけてても、クローゼットにいるなんて思い当たらなきゃ、サンダルかなにかで出かけたかもって思ったかもしれないし」
「たしかにやることに頭いっぱいなら、そうやって解釈してたかもしれないな。とにかく、はやくやりたいから」
「お兄ちゃん、とげがすごいよ」
「そうか? 足りないくらいだろ」
「でもさ、これでわかったでしょ。もしもわたしに気づかなかったことが落ち度だとしても、二人もわざとわたしに聞かせようとしたわけじゃない。偶然に偶然が重なった、しかたない出来事だったんだって」
「ま、まあな」
たしかに、それだけは少し俺も救われた。
尊敬してる母親と、信頼してた父親。
二人がわざと娘にセックスを見せつけるような、最低ド変態ではなかったのだから。
「とにかくわかった。二人は故意ではなかったし、柚も見てしまったわけでもないと」
「うん。声とか音とかはばっちり聞こえたし、衝撃的過ぎて脳裏に焼き付いちゃったけどね。なんかこう、逆に見えないと妄想力掻き立てられるというか。今の音何だったんだろうとか、今何してんだろうとか」
「……そう表現されると、見せてなくてもギルティだな」
「でも、二人ともわたしがいるなんて思ってもみなかったから。ね? べつに怒るようなことじゃなかったでしょ?」
いや、わざとじゃなかったことには安堵したけど、かなり俺怒ってるけどね。
殺すまではいかないけどマジで十発ぶん殴ってやりてえよ。
だって、実の娘に確実に生々しいだろう声とか聞かせちまってんだぞ!?
冷静に行動してれば、柚が家にいることに気付けただろうによ!
なに発情に任せて穴だらけの確認作業してんだよって!
穴入れる前にちゃんと穴埋めろってな! って、何言わせてんだよ糞親父!!
「それにね、お父さんたちが家でしたのは私たちのためでもあるの」
「……ん?」
なんとか父さんたちの株を上げようとしているのか、柚がなにか続けて口に出そうとしている。
ふふ、俺知ってるよ。
この後待ってるのは、株の上昇じゃなくて暴落だって。
「だって、お父さん言ってたもん! 『こ、これで、ホテル代節約できたから、今度、五人で会う時は、ちょっと高めのファミレスに、い、こ、うっ!? ……ふぅ』って」
「な、なあ。まさかそれって……」
「十月に行ったよね? スぺホ」
『スぺホ』。正式名称『スペシャルホスト』。いちおうファミリーレストランというくくりの中にあるが、お値段お高め。高校生以下は気軽に入ることができない。
ちなみに、『スぺホ』の対角地点となっているのが『ゴスト』というファミレスだ。こちらは破格の値段設定で、貧乏学生御用達となっている。
「……てことは、あの時食べたハンバーグは」
「うん! ある意味ラブホテルの生まれ変わりだね」
「いいやああああああああああああああああああああああああああ!?」
もう、俺のライフはゼロよ。
「やっぱ、スぺホのハンバーグは美味いなあ。さすがちょっとお高めなだけはある」
「違うよ伸一君。そのハンバーグが美味く感じるのは、五人で食べてるからだ」
「でも巌さん、こないだのゴストの時も五人だったじゃん! あの時よりも美味しいっすよ?」
「それはね、伸一君」
「なんですか?」
「この間よりも今日のほうが、五人の距離が近くなったからだよ」
「い、巌さん」
っていう、あの時に俺が感じた感動を返してくれええええええええええええええええええええ!!
初めて父親という存在を意識した瞬間。そんな俺の美しい思い出を返してくれえええええええええええええええええええええええええええ!!
もうこれからは、「違うよ伸一君。そのラブホテルが美味く感じるのは、五人で食べてるからだ」って記憶が上書きされちまいそうだ。完全に狂気じゃねえかこの文章。
「お兄ちゃん!? なに頭抱えて奇声上げてんの? あの時ちゃんと教えてあげたでしょ!」
「……なにがだよ?」
「『今日なんでスぺホ?』って聞かれたから、お父さんたちのおかげだよって」
「そんなん、親が働いてるおかげだよって読み取るわ!!」
「ちなみに、一月に行った旅行もラブホ代節約したおかげだからね」
「なんとなくそんな気がしてたよこんちくしょー」
あの時もたしかに、「楽しい旅行だね! お父さんたちのおかげで」みたいなことを言ってたからな!!
心から楽しかった五人での初旅行の思い出が、すでに完全にラブホテルとリンクされちゃったね。あの旅行を思い出すたびに、あれは両親がラブホ代節約したおかげで行けたんだよなーなんてどうよこの状況!?
「もう! お兄ちゃんがなにを悩んでるのか、わたしには全然わかんないよ。お父さんたちがわたしたちに美味しいもの食べさせたり旅行に連れていくために、自分たちで使えるお金を節約したことは事実でしょ? それが遊びとか趣味に使うお金だろうとラブホ代だろうと、感じ方に差があっちゃだめだと思う」
「……ま、まあそうかもしれねえけど」
言われてみれば、これが外でお酒飲んだ回数減らしてとかなら『お父さん、ありがとう!』って思えていたんだろう。これが外でセックスする回数減らしてってだけで嫌悪感を感じてしまうのは、差別ってことなのかも……。
「たしかに十一月のころには、『娘がいきなり帰ってくるかもしれないと思うと、ドキドキする。ふおおおお』みたいなこと言ってたけど、それでも節約してた事実は――」
「それ完全に節約目的じゃなくて、単に自分の欲望優先させただけじゃねえか!! というか、おまえ何回両親の情事に遭遇してんだよ!?」
「一回目の時に嵌っちゃって。お姉ちゃんが出かける予定の週末に、わたしも遊びに行くって伝えといたらほとんど来てたよ。もちろん二回目以降は靴も持って隠れてたから完璧!」
「そんな裏事情は興味ねえよ!」
もう父さんのことは諦めたけど、俺は本気で妹の未来が心配だよ。
いつか本当の仲良し兄弟になれると信じていたけど、自分から両親のセックス盗み聞きしに行く小学生女児とかもう手遅れじゃね? 最初の一回目はしょうがないにしても……。
「そういや、柚はなんでクローゼットなんかで眠っちまってたんだ?」
「っ!?」
それまで俺のことをからかうように笑っていた柚の表情が一変。
一瞬目を見開いたかと思うと、哀しそうにうつむきつぶやく。
「……ひ、秘密」
「秘密?」
「うん。せめてわたしが卒業できるまでは秘密」
卒業? 小学校を卒業した時に言うってことだろうか?
そんな思案にふけっていると、今度は笑顔で急に頭を上げる。
笑顔なんだけど、どこか作られたような痛々しいものだった。
「柚――」
「そんなことより、さっきの話だけど。お母さんも十二月のころには『わたしもこういうシチュエーション、なんか癖になってきたかも』って」
「それだけは聞きたくなかったあああああああああああああああああああああああああ!!」
「お、お兄ちゃん!? そんなに頭ぶつけたら壁に穴が開いちゃうよ!!」
そっか。死んだ柚のお母さんになんか関係することなんだな。
おまえがそんな作り笑いするときは、いつだってそうだった。
わかったよ。そんなにまだ柚が話したくないってんなら、俺も今日は道化になって付き合うよ。
おまえが言ってた『卒業』を迎えるまで、俺もできるだけおまえがそんな顔しなくていいように、寂しさを感じないように頑張るから。今日は足りなかったけど、もっともっと頑張るから。
だからその『卒業』をしたときには、ちゃんと話してくれよな。
まあ、実の母親のそんな性癖聞きたくなかったのも本当だけどな。
次、たぶん伸一の友達出ます。