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夏の香りと甘党の神様  作者: うさぎ荘
22/22

最終話 「最後の再会」

僕は車の中から窓を開けて、真帆ちゃんさんにお礼を言った。


「短い間でしたけど、ありがとyうございました。」


「どお?あの方とはお話出来た?」


「はい。沢山出来ました。意外と神様って寂しがり屋なんですね。」


「そうなのよねぇ。結構去勢張ってる割に…ね。」



僕達はくすくすと笑い合ってからお別れの挨拶をして、父さんは車を出発させた。


窓が閉まったので、真帆ちゃんさんが何を言っているのか、わからなかったけど、きっと「ありがとう。」と言ってくれていたのかもしれない。


その後、すぐに真帆ちゃんさんが後ろを振り向いて袖を顔に当てた。


僕は少しうるっとしながら、父さんに悟られないように平静を装った。


車は自宅まで戻らず、一旦祖父の入院している病院へと向かった。


真帆ちゃんさんの家を離れ、病院へはしばらくは長い田んぼ道を走り続ける事になる。


冷房の効いた車内で父さんは僕に話しけてきた。


「小学校最後の夏休みだったのに、今回は悪かったなぁ。折角じいちゃんのとこで遊びたかっただろうに。来年からは部活であんまり長く居られなくなるだろうし…。」


「ううん。楽しかったよ。毎日笑ってた。それに色んな経験出来たし。」


「へぇ、どんな経験出来たんだ?」


「んー、多分言っても理解出来ないから内緒。」


「えー、寂しい事言うなよ。父さんに教えてくれてもいいじゃないか?」


「和服で甘党の神様と会って色んな話をしたり、三十体くらいの妖怪に追いかけられたり、豆天狗の妖精に光の粉撒いてもらったり、オカマに命狙われたりした。って言ったら…信じる?」


「おぉ!結構面白そうな本だな、ちょっと詰め込み過ぎ感あるけど…。で、何て題名の本なんだ?父さんも読んでみたいな。」


「題名?んー、そうだな、『夏の香りと甘党の神様』ってとこかな。」


「ふーん、聞いた事ないなぁ。確かに題名だけじゃどんな内容かわからないなぁ。」


「確かに!」


笑いながらそう言った後、僕は窓の外を眺めながら無意識に呟やいていた。


「…きっとわからないよ…きっと僕にしかわからない事だから。」


こんな他愛もない会話をしているだけでも車酔いが紛れていった。


病院までもつといいな、と思いながら窓の外に広がる見事に実っている稲田を眺め、僕が着てからのこの数週間でよくこんなにせいちょうしたもんだ、と密かに驚いていた。


きっと、今年は豊作だな。


そう思いながら、ふと前方に何かがちらついたので無意識に目を細めて焦点を合わせた。


それは見た事もないのに、どこかきおく記憶が勘違いをしているのではないかと思うような懐かしい感覚だった。


もう少し近付いてくるとそれが女性だという事がわかり、また、真帆ちゃんさんでもない事がわかると余計に懐かしいと感じるのがおかしいと感じた。


その人は僕達と同じ方向に進んでいて、日傘によって、上半身は腰が細いくらいしかわからない。


白地に青い花の模様をちりばめたスカートからすらりと伸びる白くて真っ直ぐな足がとても女性らしさを強調し、僕の心をドキドキさせた。


ゆっくりとした歩幅なのか、僕達の乗る車はすぐに追い付いてきた。


近付いてくる度に僕の心は緊張感を増していった。


真帆ちゃんさんとずっと一緒にいたからか大人の女性に目覚めてしまったのがろうか。


美菜ちゃんがいなくなってからまだ日も浅いのに、僕はなんて浅はかな人間なのだろうか、と自分が嫌いになりそうだった。



ついに車はその女性を追い越していった。


とは言っても後ろ姿だけでは本当に女性なのか判断は出来ない。


鎌田さんの件があるのだから。


そんな事を思いながらもなぜか僕のドキドキは治まる事を知らず、どんどん強さを増していく。


気が付けば僕は窓の視線だけでなく、顔面ごとその人を追っていた。


きっと父さんに何か言われるだろうな、と思いながらもこの行動だけはどうしても止める事が出来なかった。


その女性を追い抜く瞬間というのはほんの一瞬だった。


でも、僕が見た景色は全てがスローモーションに動いていて、ほとんど静止画に近い状態

見えていた。


だから、その追い抜く瞬間ですら、僕はその女性をハッキリと認識する事が出来た。


「…美菜…ちゃん?」


日傘の中から見えるその人はまさに大人の女性だった。


年は二十代半ばくらいだろうか。


手足はすらりとして、僕の四肢の倍はあるのではないかと思えるくらい長い。


顔もあどけなさはないし、くっきりはっきりとした目鼻立ちで、頬骨も主張しすぎない程度見えているところが色気を感じさせているような気がする。


きっと僕が大人になったらこういう人を好きになりそうだ、と思うような美人だ。


でも、そんな中にも面影がある。


あの、柔らかくておっとりした、少し垂れ気味の目に宿る常に好奇心に満ちた瞳は当時のままだし、広くてツヤツヤのおでこも全く変わっていない。


でもそれだけではない。


彼女と目が合った時、彼女は少し驚いた表情をしたけど、その後すぐに少しだけ微笑んでくれた。


その笑顔を見た瞬間、僕は一点の曇りもなくはっきりと確信をした。


あの人は、きっと…いや、絶対に美菜ちゃんだ。


そう感じるやいなや、次の瞬間にはもうシートベルトを外し、車から降りる準備をしていた。


「ちょっと停めてもらえる?」


「えっ?何だ?急に…、さっきの女性にナンパでもする気…。」


「凄い昔の知り合いなんだ。多分…。」


「え?知り合いなのか知らないのか、どっちなんだ?」


「い、いいからお願い!」


「あ、あぁ。わかった。」


僕の勢いに押されてか、父さんは車を停めてくれた。


僕はドアを開けると数十メートル後ろを歩いている女性のところまで全力で走っていった。

女性は少し驚いた顔をしたので、僕は手を振って「すみませーん!」


と呼びかけた。


ようやく、女性の前まで来た僕は膝に手をついて呼吸が治まるのを待った。


ようやく声がしっかり出せるようになった頃、僕はその大人の女性に尋ねた。


「す、すみません。もしかして美菜ちゃ…香園美菜さんですか?」


目の前に立っている僕より顔二つ分高い女性は、ぽかん、とした顔をしていたけど、そのうち表情が曇っていくのがわかった。


「…ごめんなさい。私、あなたの事知らないわ。」


「そ、そうですよね。知る訳ないですよね。」

人違いだった事に気付き、僕は顔がどんどん赤くなっていくのを感じた。


「でも、どうして君は私の名前を知っているの?」


「えっ?」


「私、あなたが言った通りの名前よ?あなたが知ってるって事は昔にどこかで会ってるって事よね…。どこでだったっけ?うーん…。」


やっぱり、この人は美菜ちゃんだった!!


僕はどんな形であれ、もう一度美菜ちゃんと会えた事がとても嬉しくなって、危うく本人の前でガッツポーズをするところだった。


その気持ちを抑えて落ち着いてくると、ようやく僕は気付いた。


あの十五年前のお祭り後から未来が変わり、『美菜ちゃんのいない世界』から『美菜ちゃんの生きている世界』へと変わっていったのだ。


その事で世界の何が変わったのかはわからない。


なぜなら僕の記憶だけはなぜか周りの人達とは違っていたからだった。


だから、数日前のお祭りの前と後で真帆ちゃんさんや神様達との会話に食い違いがあったのだ。



僕は『美菜ちゃんの生きている世界』へと変わった事で嬉しさのあまりつい尋ねてしまった。


「ぼ、僕、八坂勇人なんですけど、覚えて…ますか?」


「…ごめんなさい。いつくらいにお会いしたかしら?」


「えっ…多分…十五年前くらい…。」


僕はまた会えた事が本当に嬉しくてそんな風に返されるなんて予想も覚悟もしていなかった。


僕は何とか答えながらも、現実というどん底へ落とされたような気分で一杯になった。


実際には会っていない訳だし、そもそも世界が変わったのだから、僕の事を全く覚えていない事に何も不思議な事なんてない。


当然といえば当然だろう。


美菜ちゃんが今までとどれだけ違う人生を送ってきたのか、僕だって知らない。


もしかしたら彼女の人生の中に僕は登場してはいけないのかもしれない。


そんな気持ちもあったからなのか、さっきの問いには「たぶん…」とあやふやに答えてしまった。


しかもどう見ても小学生にしか見えない僕が十五年前に会ったなんて、ふざけてるとしか思われないのに…。


すると、大人な美菜ちゃんは突然笑い出した。


「面白い。十五年前だと、まだ君、生まれてないわよね?真面目な顔で言うからつい…。」


涙が出るくらいおかしかったらしい。


時同じく、僕の事を名乗ったのに「君」としか言ってもらえない事に傷付き、僕も涙が出そうだった。


「あっ!でも思い出した!私ね、昔君みたいな子に会って好きになった事あるの。どこで会ったのか、名前だって思い出せないんだけど、その子、メガネをかけててカメラを下げてて、凄く真直ぐな眼差しを向けてくれるかっこいい男の子だったなぁ。」


僕は、なんだかさっき受けた傷が嘘のように癒えていき、嵐のように荒れていた心の中も雲風一つない晴天へと変わっていた。


そして、大人の女性からそんな事を言われるとこんなにもドキドキするのだという事に驚きっぱなしだった。



その好きになった人はもしかしたら人違いかもしれない。


でも、僕はきっと彼女の中には、ほんの少しだけ僕との記憶が残っているのだと信じた。


「あ、あの、一つ確認したいというか…聞きたい事があるんですけど…。」


「ん?」


左手で前に降りてきた髪の毛を耳にかける仕草に大人っぽさを感じながら僕は思い切った質問をした。


「十五年前のお祭りの夜、ご両親に怒られた後に…外に出たりしましたか?」


何だか変な質問になってしまった。


でも、きっと彼女の『分岐点』はそこなのだ。


その『分岐点』で、美菜ちゃんが果たしてどんな行動を取ったのか聞きたかったのだけど、当時生まれてもいない僕がその質問をする事自体おかしかった。


それを踏まえると今の僕にはどんな言葉で聞くのが良いのかなんてわからなかったからそのまま思った事を聞いてみる事にしてしまった。


「凄い!私ってそんな有名人だったっけ?よくそんな細かい事知ってるのね。誰から聞いたの?」


「そ、それは風といいますか、妖精と言いますか…。」


「風の噂って言いたいのね。まぁ、ここ田舎だもんねぇ。」


くすっと笑いながら美菜ちゃんは当時の事を教えてくれた。


「私ね、あの日、母と一緒にお祭りに行ってね、途中で気になるお店があってそこに気を取られてたらはぐれちゃって…。その夜、母だけじゃなくて、関係のない父にも怒られたのよ。その日は不貞腐れながら夜十時には寝ちゃったから、外には行ってないのよ。」


「そうなんですか。」と、答えつつ、僕は彼女の言っていた「気になるお店」がどこなのか気になった。


もしかしたら神様には会っていたのかもしれない、と僕は迅る気持ちを抑えきれずに直接聞いてみた。


「ところで、その気になるお店って、石屋さん…でしたか?」


「ううん。おみくじ屋さんだったの。赤い蝶の絵柄の付いたおみくじがあって、引いてたらはぐれちゃって…。」


僕はそのあたりから少しずつ、僕の見てきた世界とは変わっていったのだと理解した。


それじゃあ、僕の持っているこの石のネックレスは誰がどうやって作ったのだろうか。


そう思うと、急にこれが価値のないような物に思えてきてしまった。


そして、更に追い討ちをかける事実を僕は知ってしまった。


「あぁ、でもお祭りかぁ。懐かしいなぁ。今年は…と思って、お盆に夏休みを合わせたのに、式場の打ち合わせで一日間に合わなかったのよね。今回逃したらもうしばらくは帰ってこれなそうだし。」


「え?式場?」


「そう、私ね、来月結婚するの。それで、来年から数年間アメリカに彼が転勤になっちゃって。それに付いていく事にしたから…その前にこっちのお祭りに行っておこう、と思ったんだけど…ね。大体、彼の海外赴任が急に決まったものだから、結婚式だって急にってなって、もう本当にこのところ時間がなくてバタバタで…。」


僕の心は凄く傷んだ。


最後まで話を聞く余裕なんてなかった。


「ズキズキ」という音が外にまで聞こえてきているような気さえした。


別にこ、れだけの歳の差がある今の美菜ちゃんと仲良くなれるとは思わない。


でも、つい数日前までは同じ年で一緒に遊び回っていたのに、一緒にお祭りだって行ったのに…。


何か言葉に出来ない程の痛みが僕を襲った。


こんな時、大人なら「おめでとう。」と、祝福するのだろう。


でも子供の僕にはそんな事を言える程の余裕すらなかった。


僕の事なんて、全く覚えていないし、僕よりずっと早く大人になって、僕の前から消えていってしまった…。


僕が彼女のためにしてきた事って何だったんだろう。


無駄だったのかもしれないし、そもそも会わない方が良かったのかもしれない。


僕は今までの美菜ちゃんとの思い出が頭の中をを次々と駆け巡っていった。


あまりに目まぐるしくて走馬灯かと思った。


え?僕死ぬの?

死ぬのならせめて美菜ちゃんと会えなくてもいいからもう一度話だけでもしたかった…。


そんな事を思いながら僕は自暴自棄になっていった。


心に傷がパックリ開いたままの僕はそのまま何も言わずに帰ろうとした。


大人な美菜ちゃんは僕を心配してくれて僕に何か言葉をかけてくれているようだたけど、僕は周りの音なんて何一つ聞こえなかった。


僕は彼女に背を向けて何も言わずに帰り始めた。


僕の心臓のあたりがとても痛くて熱い。


とにかく痛くて熱かった。


熱い。


物凄く熱い。


「熱い!?」


僕は思わず胸に手を当てた。


熱いのは僕の心臓ではなく、ネックレスだった。


僕はすぐさま首にかけていたネックレスを外して、それにぶら下がっている石が光って震えているのがわかった。


よくわからないけど、手で石を掴むと熱くはなく、代わりに何か音が聞こえてきた。


「お…こ…か?」


僕は恐る恐る耳を近付けて、どんな音が聞こえているのか聞いてみる事にした。


「おい!聞こえるかぁ?勇人ぉ!?」


「えっ?もしかして…神様?」


「あぁ、俺だぁ。ようやく話せるぜぇ。お前の聞きたかった事だけどなぁ、あの光が消えていく時に、なぜか美菜も消えちまったんだよ!それで、まぁそれだけなら良かったんだけどなぁ、それが何でか、あいつお前達の世界で生きてたんだよぉ。しかもあの日からちゃんと年取ってんだぜぇ!なぁ?不思議だろぉ?」



「は、はぁ…。」


「おい!何だよぉ、その反応!?驚かねぇのかよぉ!?お前、聞きたがってたじゃねぇかよぉ?」


「いえ、今あんまりそんな気分じゃないんで…。」


「どうしたんだよぉ?まぁいぃんだけどよぉ。まぁ、もし、あいつに会う事があるかもしれねぇからこれだけは言っておくぜぇ。」


僕は心がもう何も受け付けようとはしていなかった。


でも神様が何かを伝えようとしてくれていた。


きっとあの神様の事だから、下らない事だろうけど。


まぁ、気晴らしに聞いてみよう。


そんな気持ちで神様からの言葉を聞いていた。

「もし、偶然あいつに会った時、お前はショックを受けるかもしれねぇけどよぉ、あんまり気にすんなぁ。て言っても、お前と遊んでた時の記憶は無ぇし、全く別の人生歩んでるからお前なんて相手にされねぇかもしれねぇけどなぁ。」


僕は今、傷口に塩を塗られる気分というのがどんなものか痛いほど理解出来た。


もう少しで真帆ちゃんさん家に戻って、祠に一生消えない落書きをしてやろう、と思ったくらいだ。


でも、その考えはすぐに訂正をした。

「とは言ってもよぉ、だからってお前が落ち込む事なんて絶対ぇねぇからなぁ!お前が一生懸命やってきた努力は一滴も無駄じゃねぇし、意味なんて大ありだぜぇ!世界の誰もお前を評価しなくても俺だけはお前を高く評価してやる。だからよぉ、もし、言いたい事があるなら、言えなかった事があるんなら言っておけよぉ。

きっともう二度会う事はねぇんだからよぉ。

偶然てのはあっても必然はねぇんだ。

それが『例外』なんだからよぉ!

だから後悔しないように今から心の準備しとけよぉ!」


「…ごめんなさい。」


「あぁ!?」


「だって、神様、下らない事しか言わないのかと思ってたから…嬉しくて…途中ムカついたけど…。」


僕はほんのり心が温かくなって、ちょっぴり大粒の涙を流して泣いた。


こんなに神様からの言葉が嬉しかった事はない。


「…それと…。」


「あぁん!?」


「もう会っちゃってるんですぅ…。」


「は…はぁ!?」


「神様ぁ!今すぐこっちに来て助けてもらえませんかぁ?いえ、側にいてくれるだけでいいんです。僕、もう不安で不安で…。」


「えっ?…あぁ、それなんだけどよぉ、行けねぇんだ…。」


「えっ?どうしたんですか?甘いのとか冷たいのとか食べ過ぎてお腹壊しちゃったんですか!?だからあれ程…。」


「いや、お前が与え過ぎてたんだろ。そういうのじゃなくてよぉ。お前、この家から離れたから効力消えかかってんだよぉ。もうすぐこの声すら聞こえなくなるぞぉ。」


「えぇ!?そんな…。」


「まぁ、落ち込む事はねぇよ。元々見えちゃいけねぇ存在なんだしよぉ。」


「そりゃそうですけど…、はぁ、僕は同時に二人も大切な人を失うなんて…。」


「そりゃあまぁなぁ…まぁまたこっちに来れば会えるかもなぁ。だから、姿は見せられねぇけど、頑張れよぉ。お前なら出来るぜぇ。勇人!」


「…わかりました。僕、美菜ちゃんに伝えてみます!」


それから神様からの返事は二度となかった。


でも、僕は神様からの最後の一言だけで十分だった。


僕は大人美菜ちゃんの方へ向き直り、意を決した。


「あ、あの!最後にお願いを聞いてもらえないですか?」


「んっ?」


とてもお姉さんな美菜ちゃんは腰をかがめて僕の顔を覗き込んだ。


胸元に見えるピンクのヒラヒラした布地が目に入り、大きい音を立てて唾を飲み込みつつ、僕は続けた。


「僕、ずっと美菜ちゃん…さん

に言いたかった事があるんだ。

いえ、言えなかった事があるから、それを言わせて!言えなくて後悔してた事!」


僕は一度下がって大きく息を吸った。


「今まで、一緒に遊んでくれてありがとう!楽しい思い出を一緒に作ってくれてありがとう!きっと、きっとまた会おう!いつかまた…一緒に…じゃあね!」


僕はそのまま美菜ちゃんに背中を向けて車に向かった。


こんな泣いてる姿、見られたくはなかった。


僕はようやく伝えられた安堵の気持ちもあったのだけど、それと同じくらい全くの他人に伝えている気もして、心の底から喜べる心境ではなかった。


でも、これで良かったのかもしれない。

美菜ちゃんにもう一度会える事が出来たのだから。


何より、生きていたのだから。


…そして、幸せなのだから。


それを知る事が出来ただけでも十分だった。



「せ…世界中で…誰も君の事が…見えなくたって…。」


「えっ!?」


僕は一瞬、突然の事に驚き後ろを振り向いてしまうところだった。


でも、こんな泣き面を見せたくなくて、そのまま去ろうとしたけど、無意識に僕の足は止まっていた。



「………勇人君…?」


僕は、その一言で全ての理性が吹っ飛んだ。


泣き顔も大人美菜ちゃんにどう思われたかもどうだっていい。いや、今の声は明らかに大人美菜ちゃんのそれではなかった。


いつもの聞き慣れたあの可愛らしくて無邪気なあの声た。



僕は、今後ろにいるのがどっちの美菜ちゃんなのか知りたくて、振り向こうとした。


でも、なぜか体が固くて動く事が出来なかった。


気付けばまた石が光っていた。


「勇人君、私の方こそありがとう。私ね、勇人君に出会えて、本当に嬉しかったの。私のために一生懸命走ってくれたり、一緒に考えて探してくれたり、何回お礼を言っても足りないくらい。


私の方こそ最後にお礼もさよならも言えなくてずっと後悔してたの。だから今、言えなかった事を言うね。」


僕は美菜ちゃんの姿を一目見たかった。


でも、体が全く言う事を聞いてくれなくて、微動だにする事すら出来なかった。


さっきまでは会えなくてもいいから…なんて思ってたのに随分身勝手だと思う。


「私の今の姿見て…驚いちゃったよね。私、勇人君と別れた後、気付いたらあの日の夜に戻ってたの。それからは勇人君に出会わない人生を送ってきたから今こうやって会えても全く記憶が無くて、きっと勇人君には嫌な思いをさせちゃってるよね。でも、 きっと大人になった私の記憶にもきっと、勇人君の記憶が刻まれてると思うの…だって…あんなに楽しかった思い出…消せる訳ないもの…私はもうこんなに大人になっちゃったから勇人君とは遊べないけど、勇人君も別の人と遊んだり…好きになったり…恋をして…。」


「美菜ちゃーーーん!!僕、君以外の子を好きになるなんて出来ないよ!ずっと…ずっと忘れないからぁ!!」


僕はさっきまでのこの金縛り状態を何とか破り美菜ちゃんの声がする後ろへと振り向いた。

後ろもまた石のように光っていて眩しかったけど、その光の中には確かに今まで一緒に遊んでいた時のままの姿の美菜ちゃんがいた。

僕を見て、少し驚いた表情をしたけど、またすぐ笑顔になった。


「勇人君…大好き。」


美菜ちゃんは照れ臭そうに笑いながら僕に手を振っていた。


その瞬間に光は消え、美菜ちゃんの姿も同時にいなくなっていた。


僕は、ふと我に返ると目の前にいたのは大人の美菜ちゃんだった。


大人美菜ちゃんには今の僕の声が聞こえていたのだろうか。


初対面の人間に好きとか忘れられないと言われたら、結構困ってしまいそうだ。と思いながら、大人美菜ちゃんの表情を見た。


それは明らかに困惑と言って良い顔だった。


やっぱり聞かれてしまったんだ。


僕は気まずさもあって、すぐその場から逃げようとして、また車の方へ足を向けた。


でも、彼女から返ってきた言葉は意外だった。


「もしかして…あなただったの?」


「えっ?僕、ストーカーならしてませんけど?」と、危うく答えてしまうところだった。

ストーカーされててもおかしくないくらい綺麗だし、声の様子がさっきまでと違ってあまりに深刻な感じだったので、ついそう思ってしまったのだった。


「…な、何の事ですか?」



「私、昔よく同じ夢を見たの。私が子供の頃の夢で、いつも私一人で暗くて心細て…大きい蛇に食べられそうになったり…いつも涙流して汗びっしょりになって朝起きるから、両親はずっと心配してたの。」


「でも、ある時、一人の男の子と夢の中で出会うの。それからは凄く楽しくていつも笑ってて、あんなに怖かった夢がむしろ楽しみになるくらいに。




「それで、どういう意味だったかはわからないんだけど、その子が私に向かってそう言ってくれるの。凄く輝いている光の中で…。それがあまりに現実っぽくて、いつも朝起きると今が夢なんじゃないか、って思うくらいに区別がつかなくなってたの。そして、その後に二人で浴衣を着て花火を見たのよ。夢なのにあんなにドキドキしたの初めてで…。楽しかったんだけど、なぜかそれからその夢を見なくなって、あの男の子にも会えなくなっちゃったの。年齢は今の君と同じくらいなんだけど、君、何か知ってるの?

夢の話なのに君を見てたら何だか、偶然じゃないような気がして…。」


僕は立ち止まってずっと大人美菜ちゃんの話を聴いていた。


美菜ちゃんもきっと、心の奥に何かが詰まっているのを感じていたのかもしれない。


そして、やっぱり、頭の片隅にほんの少しでも僕の記憶が残っていた事がわかれて良かった。


もうそれだけで十分だ。


僕は振り向いておどけながら答えた。


「それは単なる夢だよ。現実とは何の関わりもないよ。夢は記憶を整理してくれる役目があるから、会った事もない人が夢に出てくるなんてありえないよ。きっと、その子は学校でうっすら見かけた事がある程度の人とかじゃないかな。え?何でわかるのかって?

だって僕、ロジカルシンキングだからね!」


僕は小芝居を入れながら無理やり笑いつつ、車の方へと走って向かい、滑り込むように車へ乗り込んだ。


「お待たせ。さ、車出して。早くしないとじいちゃんの面会時間終わっちゃう…。」



「お、おい、泣いてるみたいだけど、大丈夫か?ていうかあの人知ってる人じゃなかったのか?」


「とにかく早く行こう。」


「もしかして、ナンパして全く相手に…。」


「知り合いだったんだよ。十五年前の…。」


父さんは不思議そうな顔をしてたけど、それ以上は何も話しかけてはこなかった。


きっと、僕に複雑な事情があるのだろう、と察してくれたのだろう。


いや、振られた傷口をこれ以上広げてやるまい、と変に気を使ってくれているのかもしれないけど…。


とにかく、父さんはため息をつくと、ハンドルをしっかりと握りしめて、ギアを上げていった。


僕は成長したのだろうか。


一学期、僕のクラスの子達は日を追うごとに大人っぽくなっているのを感じて、僕は取り残された気がして、この夏休みを通してぐっと大人になろうと目論んでいた。


今までの僕は、自己主張も出来ず、密かにこっちへ来たら友達を作ろうと計画を立てていたのに、結局一人も出来なかった。


そして、もうすぐ中学生になるのだし、泣くのをやめよう、と思ったけど、相変わらず泣いてばかりだ。


来る前はあんなにも意気揚々とエチケット袋を抱えてやってくるのに、帰る頃にはボクシングでコテンパンに打ちのめされた選手のように同じ袋を抱え意気消沈している。


結局のところ、僕は何も変わってなどいなかった。


僕は、さっきの父さんに見習って深いため息をついた。


「父さん、窓開けていい?僕、車のエアコン苦手なんだ。」


父さんからは何の返事も返っては来なかった。


いつもなら何か小言言ってくるのに、って、それは真帆ちゃんさんか…と勘違いを頭の中で修正していた。


でも父さんにそんな事言った事あったっけ?とぼんやり考えながら運転席の方を見ると、父さんがなぜか嬉しそうにニコニコしながらハンドルを握っていた。


僕は不思議に思ったけど、父さんは黙ったままエアコンの電源をオフにした。


車はまだまだ長い一本道を走っていく。


やっぱり風は自然の風が一番気持ち良い。


僕は助手席の窓を全開にして、左腕と少しだけ顔を出して田舎の空気を肺へ満杯になるまで吸い込んだ。



これなら車酔いしなくて済みそうだ、と安心しながら窓の外を見た。


窓の外にあるミラー越しに後ろへ過ぎていった大人美菜ちゃんの姿を確認したけど、かなり後ろへ遠ざかったからなのか、その姿はどこにもなかった。


しかし、車はそんな事を全く気にも止めず、真夏の湿気混じりの熱風を切り裂き、左右の稲穂を揺らしながら高く澄み切った青空へ突進していくようにしながらこの長い長い田舎の一本道を走り続けていった。



おわり

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