第20話 「思い出になる写真」
僕が家に戻ってくると、真帆ちゃんさんが外に出て僕の帰りを待っていたのか、手を振って出迎えてくれた。
「新入りー!今お父さんから電話があって、少し早く着けるかもしれないから、って。荷物だけでもまとめておきなさいなー。」
「わ、わかりましたー。」
僕は紙封筒の中に入っている写真を早くあの方に見せたい一心だったけど、その気持ちを抑えて家の中に入り荷まとめを始めた。
荷物を今までにない速さで片付けながら写真の入った封筒に目をやり、ひと休憩…と自分に言い訳をしながら封筒の中に指を滑り込ませた。
この、奇跡とも言える一枚の写真を見惚れながら鑑賞をしていると、きっと僕は鼻の下を思いっきり伸ばしていたのだろう。
「わぁー。懐かしい写真ねー。」
と言いながら気持ち悪い物を見るかのような目で真帆ちゃんさんが僕を見ていた事に気付いた。
「あーーー!!何ですか!?きゅ、急に入って来ないでくださいよ!この年で心筋梗塞になったらどうすんですか!?」
「あら、失礼ね。ノックもしたし、声もかけたのに何も返事がないから入ってきたんじゃない。」
「な、何か用ですか?」
「そんな煙たい態度取らなくてもいいじゃない。どうしたのよ?急に思春期になっちゃった?お茶沸かしてるから飲むかなぁ、と思って来ただけなのに…そんな邪険に扱われたら真帆ちゃん悲しい…グスン…グージュルチーン。」
「そんなにかわい子ぶらないでくださいよ。百歩譲って途中までは可愛いですけど、最後の鼻かむのはどうなんですかねぇ?あっ、お茶いただきます。」
「ちょっと!譲りすぎでしょーー!!大人になると涙腺緩むんだから仕方ないでしょ!そりゃ鼻汁の一つだって出るわよ。あなただって、ここに来た時はまだあどけない顔して可愛いかったのに、もう立派な大人のつもり?全然可愛くない!単なるお茶好きなおっさんじゃない!了解ー。お茶用意しときまーす。」
「僕だって年相応なの好きですよ!砂糖沢山の炭酸ジュースとか飲んだ後口の中がどろっとする白い乳酸飲料とか大好きなのに、体に悪いっていうからお茶飲んでるんじゃないんですか?付き合いで飲んでるんじゃないですか。お茶お願いしまーす。」
「あなた、私の事口説ききってもいないのに付き合ってる気でいるの?バッカじゃないの!?とんだ勘違い野郎ね!」
「べ、別にそんな事言ってませんよ。僕にだって好きな人くらい…。」
僕がそう言った瞬間、真帆ちゃんさんがニヤリとしたところで、罠にかかった事に気付いた。
「へぇー、じゃあそれが新入りの好きな人なんだぁ。ニタニタ。」
僕は手を被せて写真を隠そうとしたけど、時既にに遅く、真帆ちゃんさんに取り上げられていた。
「へぇ、叶わぬ恋になりそうだけど…それにしても綺麗に保存されてるのね、こんな写真撮ったかしら?どこから掘り出してきたの?」
「えっ…つい先日撮影したばかりですけど…。」
「えー、何言ってんの?だって美菜ちゃん今…あっ!いけない、お湯沸かしてたんだった。」
汽笛のようで、どこか暴力的に鳴り始めたやかんの火を止めに走って台所の方へ行ってしまった。
僕は真帆ちゃんさんが何を言いたいのか大体想像はついた。
そりゃあ亡くなった人の事を口にするというのは悪い冗談に聞こえてしまう。
それでも、真帆ちゃんさんなら昨日会ってはいるのだし、理解してくれるだろう、とは思っていた。
でも、現実はやっぱり何か違うのかもしれない。
僕は光の速さで荷まとめを終えると、真帆ちゃんさんが床に落とした写真を拾って祠へと向かった。
祠の横に腰をかけられるくらいの平たい石の上に神様はいた。
神様は僕から背中を向けるようにして座っていた。
「神様ー!」
「あぁ!?」
何か機嫌が悪そうだったので、僕は手短に伝える事にした。
「ありがとうございます!こ、これ、神様の仕業ですよね?」
僕は写真を掲げて神様の方へ向けた。
「あぁ、それか。そうだな、俺の仕業だぁ。良かったなぁ、良い思い出が出来てよぉ。」
「はい!神様には本当に感謝しています!それで、そのこれ…お礼の品です。良かったら…これ、他の神様も好きみたいで、もしかしたら神様も好きかなって…。」
神様はちら、とこちらを片目で見やるとまた向き直った。
そしてその後、すぐさま体ごと向きを変えてこちらにずんずんと近付いてきた。
「な、何だよぉ、これはぁ!」
「はい、あんみつです。そのあんみつの上にたっぷりと皮を剥いたみかんをどっさりと…。」
「言え。」
「えっ?」
「願いを言え。何でも叶えてやる。」
「じゃあ、美菜ちゃんを生き返らせて…。」
「出来る訳ねぇだろ。」
「何でも、って言ったじゃないですかぁ!」
「うるせぇ、次だ次ぃ。」
「まぁいいですよ。別に本気じゃないし。本当は僕、美菜ちゃんにちゃんとお別れが言いたかったんです。今までに起きた事は僕の人生の中で本当に奇跡と言えるくらい凄くて、幸せで、これ以上ないくらい満足した日々でした。だから、後悔はしてないし、もう一度なんて思ってはいないです。でも、だからこそ最後に挨拶が出来なかった事だけが…それだけが心残りで…。」
「それ、採用!」
「え?何か軽くないですか?」
「いいだろうぅ。俺が採用って言ったら採用なんだよ。」
「はぁ。わかりました。で、この前の話なんですけど…、」
神様は全く話も聞かずにみかんたっぷりあんみつに没頭していた。
「神様?」
「あぁ!?」
口の周りにいっぱいあんこを付けた神様が、餌を横取りされないように威嚇する犬のようにこちらを睨みながら返事をした。
でも僕は気にせず、質問の続きをした。
「この前の話の続き、教えてくださいよ!あの後美菜ちゃんが…。って話。」
「あぁ、あの話な、あれはだな…あっ!おい!七輪!てめぇ俺へのお供えなんだぞ!盗み食いしてんじゃねぇ!今口に入れたもん全部出せやぁ!ってぇ!嚙みつきやがって!おい待てぇこらぁ!!」
突然現れた七輪という白くモコモコした羊のような牛のような動物はあんみつに顔をうずめた後、口の周りにあんこをくっつけながら山の上の方へと走り去ってしまった。
その七輪を追って神様も山の方へ行ってしまった。
残されたのは僕と、白い着物を着た面長のイタチのような動物…。
「動物!?って、いつから?」
「何よ、その驚きっぷり。失礼しちゃうわね。これでも私この周辺の土地神なんだけど。」
そのおネェっぽい口調の妖怪動物は、何か異様な雰囲気を醸し出していた。
顔も袖から伸びている腕も、草履を履いている足も皆動物そのものなのに、直立だし、着物を完璧に着こなしている。
そして、何か裏のあるような気がするような目つきで僕を舐め回すようにジロジロと見てきた。
「はぁーあ。残念ね。あなたがあと十年くらい年を取っていたら、私の好みだったのに。」
「えっ…。」
意味深な事を言われ、戸惑っていると、急にその動物人間は話しかけてきた。
「あぁ、申し遅れたわね。私の名前は蒲田って言うの。鎌イタチの鎌田よ。よろしくね。」
「あ、あぁオカマじゃなくて鎌イタチのって意味で…。」
「オカマって言ったわね?あんた殺すわよ。」
僕は一歩も動けなかった。
数メートル離れていた位置にいた鎌田さんはその一瞬で僕の前にいて、その持っている鋭い鎌が僕の顎の下にピタリとくっつき止まっていた。
あまりの恐怖でおもらしするところだったけど、何とか堪える事に成功したくらいだ。
「す、すみません。」
僕は声にならない声を出して必死に謝った。
鎌田さんは持っていた鎌を腰にまで戻しながら「わかりゃあいいのよ。」と不機嫌そうにこぼしていた。
「そういえば僕、鎌田さんの事、この前のお祭りの時に見た気がするんですけど…。」
「あぁ、会ってたわね。あの時、丁度下見してたのよ。」
「下見ですか?」
「そう、あの後のフィナーレのために、ね。」
「フィナーレ…?」
「えぇ、神ちゃんが急にやってみたい事があるって言うから、この辺の低俗な奴ら集めて催したって訳。」
「えぇ!?もしかして、あの色んな化け物に襲われたり、妖精みたいなのが来たり…っていうの、あれ全部茶番だったんですか?」
「まぁ…茶番って言い方悪いけど、そういう事になるわね。」
「あれ、本当に びっくりしましたよ。あんな大剣振り下ろされて、死ぬかと思ったし…。」
「あぁ、あの梶原ね、あの狸強いわよ。それにロリコン趣味だから、私情もあって、結構迫力があったのかもしれないわね。」
「確かに凄い気迫でしたもん…。でもあの時の妖精のはとても綺麗でしたね。」
「あれは妖精じゃなくて豆天狗の磯村姉妹よ。神ちゃんのお気に入りだからね。まぁ私の方が魅力あるけど…。」
「そうなんですね。確かにその姉妹、可愛らしかったですからね。」
「あっ!あの時巻いた花びらあるでしょ?あれが『記憶の花』って言ってあの子の記憶を消す原因になったのよ。だから、あの花を刈り取ると座れた記憶が戻るんだけど、光の粉に混ぜて可愛い磯っちに撒いてもらったの。まぁ私の方が魅力は十分に…。」
「じゃああのネックレスはどこで見付けたんですか?」
「あれは堰の中からカッパの田中が拾ってきてくれたの。かなり奥底にあって、見つけるの相当大変だったみたいだけど。それをあの可愛い磯っちに届けさせてね。まぁ、私の方が…。」
「そうなんですかぁ。その後の花火みたいのも中々幻想的で…。」
「あんたぁ!無視してんじゃないわよ!!私の方が魅力的でしょおよ!?そうでしょお?神ちゃんは私の方が好きに決まってるのよ!だってこんなに魅力的なのよ!」
「自分で言わないでくださいよ。しょうがないじゃないですか。だって鎌田さんオカ…あぁっ、鎌振り回さないでくださいったら。」
鎌田さんは全身の毛を逆立てながら怒っていた。
その怒っている姿は妙に可愛かったけど、それを言うと調子に乗りそうだったので、言わない事にした。
「ふんっ、まぁいいわ。あの光玉はね、本当はやるつもりなかったんだけど、神ちゃんが段々高ぶってきちゃってね…うちの可愛い舎弟達を飛ばしたのよ。」
「飛ばした…って?」
「あの光り玉持たせて空に飛ばしやがったのよ!ったく、土地の者に何させてんだか。ちょっと自分に力があるからって…。」
このままだと鎌田さんの愚痴で終わってしまいそうだったので、僕はあの時の事を早急に思い出して質問をした。
「あ、あっ!あの光の下に布みたいのがヒラヒラしてたのって、その飛ばされた方の衣服だったんですね…。」
「そうよ。必死でしがみついてないと落っこちて死ぬぞって脅されてたから皆必死ってもんじゃあなかったわよ。しかもあれ、光を全部放出しないと落ちていかないからそりゃあもう大変で…。」
ついには鎌田さんが泣き始めたので、ここはどう声をかけたら良いものかと悩んでいると、
「まぁ、あんたに話してもどうしようもないわよね。いいのよ。誰かに聞いてほしかっただけなんだから。」
と、自己解決してくれたので、助かった。
「こちらこそ、僕達のためにありがとうございます。何かそんな裏事情聞いちゃうとすごく申し訳ないですけど…。」
「そんな事ないわよ。こっちこそあんたに感謝してるのよ。あの『記憶の花』を早い段階で刈り取れたんだもの。被害が大きくならなくて良かったわ。」
「えっ、でも僕、何もしてないですけど…。」
「確かに直接はしてないけど、あなた以前山に登った時の事真帆ちゃんに話してたでしょ?あの後、真帆ちゃん、神ちゃんにその話を伝えてくれてたのよ。確証はないけど山の上が怪しいって。だから真帆ちゃんにもお礼言っておいてちょうだいね。」
「そうなんですか。やっぱりあの人は凄いですね。」
「えぇ、凄いのよ。あの子は…。それに神ちゃんもね、表には見せないけど、裏ではいつも頑張ってるんだから、あの最後の光玉だて…。」
「そうですよ!最後の光り玉は他のとは違いましたよね?」
「あれはね、皆のを見てたら自分もやりたくなっちゃって特大のを打ち上げたのよ、神ちゃんがね。ほら、あの人って羽根付いてるじゃない?だからゆっくり高く上がれたのよ。」
「羽根付いてるじゃない?」と言われても僕には初耳だったので「そうですか。」としか答える事が出来なかった。
そこで話がひと段落したので、僕は思い切って核心の部分に触れてみる事にした。
「それで…あの後美菜ちゃんはどうなったんですか?その話をしたら神様が何だか難しそうな顔をしてたから…。」
「あぁそれ!それなのよ。あんな事は今までになかったのよねぇ。本当不思議だわぁ。」
「えっ?どんな事が起こったんですか?」
「それがね、あの子ったら突然…。」
「新入りー!!お父さんの車来たわよー。」
肝心なところで真帆ちゃんさんが僕を呼ぶ声がして、また話を聞く事が出来なかった。
「すみませーん!あと三分したら行きまーす!」
僕は何としてでも話を聞きたかった。
いつもならこんな口答えをしようものなら真帆ちゃんさんからご飯の時間中ずっと小言を言われるに違いない。
でも、今日は帰る日だ。
少しくらい反抗したって構わないだろうと思ってついそう言ってしまった。
「あっ、すみません。続きをお願いします。」
「続き?私があの風を起こしてあの子の鼻緒だけを切ったところね?あれは中々難しい技術なのよねぇ。習得するのに…。」
「巻き戻り過ぎですよ!美菜ちゃんがあの後どうなったかってとこからですよ。お願いします!」
「あぁ、あそこもねぇ、私が風を起こしたのよ。そろそろ時間だから、神ちゃんが風を起こせって言ってきたから風を吹かせたんだけど、あんたたち中々離れないから大変だったのよ。あれだけの風を起こすのにどれだけの技術、労力が必要か…。」
「それはわかりましたから!その風が吹いた後に美菜ちゃんがどうなったのか聞きたいんですよ!時間がないから早く教えてください!」
「あぁ、そうね。あんた達私らに比べたら寿命短いものね。じゃあ、端的に言うわ。あの子ね、消えちゃったのよ。」
「えっ?」
「だからぁ、消えちゃったのよ。」
「どこにですか?」
「どこにってそりゃあその場からよ。」
「その場からどこに消えたかって聞いてんだよ!このオカマ!こっちは時間ないんだよ!ちゃんと質問に答えろ!」
後で思えば、あの時の僕はあまりに焦っていた。
真帆ちゃんさんに口答えをしたら全く返事が返ってこない。つまり真帆ちゃんさんは尋常でなく怒っている。
三分を一秒でも過ぎたらどうなるのだろう。
だから、急ぐあまりこんな口調になる自分が信じられなかった。
「あんたゃー!オカマって言ったわね!?殺す!絶対に殺してやる!!」
鎌田さんは泣きながら鎌を振り回し僕はそれを死ぬ覚悟で避け続けた。
もう話の続きを聞く事が出来ない。
避けながら、僕は最後の質問をした。
「お、落ち着いてください!それじゃあ美菜ちゃんは今どこに…。」
「勇人くーん?もう二分四十五秒だけど、遅れないわよね?お父さん待ってるわよー。」
僕は日中三十五度を越すこの猛暑の真っ只中に背中がゾッとする程の寒気を感じた。
「た、ただ今まいりまーす!」
僕は一目散に鎌田さんから逃れて真帆ちゃんさんの所へ走っていった。
意外にも真帆ちゃんさんは父さんにお世辞を言われてウキウキ顏だった。
僕はこのチャンスを逃さないよう、すぐさま平謝りした。
機嫌の良い真帆ちゃんさんは今ならどんな失礼な事を言っても許してくれそうな勢いだった。
僕はどっと疲れを感じながらもまとめた荷物を車のトランクに入れて助手席へと乗り込んだ。