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夏の香りと甘党の神様  作者: うさぎ荘
18/22

第17話 「真実の過去」

十五年前の八月十五日。


その日はいつもより暑い猛暑日だった。


私はお母さんにお願いしていた浴衣を虫干ししてもらっていた。


「お母さん、浴衣着させてー。」


今日のお祭りは両親と行く予定だった。


元々、体が弱くて学校も休みがちだった私には、一緒にお祭りへ誘える人なんて誰もいなかった。


それを気遣って私の両親は、いつも毎年このお祭りに私を連れて行ってくれた。


去年よりも少しだけ身長が伸びた私の寸法を測り、毎年ぴったりの浴衣を仕立て直してくれるお母さんはいつも優しくて大好きだった。


お祭りのある神社までは家からそんなに遠い距離ではないけど、父さんに運転してもらう車で向かった。


田舎とはいえ、特別なこの日の神社横にある駐車場は満車で、別の空き地まで走らせてから神社へと向かった。


やはり考えは皆同じなようで、普段は草しか生えていないような場所でも今日だけは特別で、どの空き地も寿司詰め状態だった。


神社の近辺をぐるぐる回ってようやく止められる場所を見つけ、車を降りて鳥居へと歩き出した。


今日は今朝見た天気予報がぴたりと当たり、

実際にもここ最近で一番暑いと感じる程の暑さで、私は目眩がしそうだった。


いつもと少し違う体調を気にする間も無く、私達親子三人は境内へと向かうお祭りの見物客の中に紛れていった。


まずは一通りの出店を見回ってから何を買いたいか、食べたいかを考える事にした。


と、言っても私の中で順番が決まっていて、まずは一番のお気に入りであるあんず飴を食べた。


私はべっこうの部分を舐めながら次のお店を目指してブラブラと歩いていた。


いつの頃からか恒例になっているあんず飴を舐めつつ、花火が始まるまでの時間が、私にとっては一年で一番嬉しくて楽しい幸せな時間になっていた。


でも、今年は少し様子が違っていた。


私は知り合いの子を何人か見かけた。


それは、友達同士でお祭りに来ている同じクラスの女の子達だった。


彼女達は私の姿に気付いたのか、気付いていないのか、目は合ったものの、特に話しかけてくるでもなく遠くの出店の方へと行ってしまった。


私は、なぜだかとても恥ずかしい気持ちになってしまった。


楽しそうにはしゃぐ姿を羨ましくも思ったし、私も出来る事ならさっきの子達と一緒に遊びたい、と思った。


急に今まで、楽しかったお祭りが楽しいとは思えなくなってしまった。


私は急にとぼとぼ歩き出した。


「美菜、どうしたの?体調悪いの?」


「ううん。そんな事ない…。」


私はあまりお母さんと話したくなかった。


一緒に話してるのを見られたくないからだった。


お母さんは少し困った様子だったけど、気にせずにお父さんと二人で私の前を歩き始めた。

どこかぼーっとしながら歩いていた。


両親の足元が他の見物客に紛れて見えたり見えなかったりしてきた。


私は迷子にならないよう一度顔を上げた。


すると一瞬、目の前が真っ暗になった。


立ちくらみかと目を擦るが何事もなく、安心したのも束の間、私の目の前には不思議なお店があった。


さっき一回りした時にはなかったお店だったのに、しかも、今までこんなお店見た事もない。


【運気あっぷ!’石ころコロちゃん!!】


それはとても変わったお店の名前で、お店の前にはいくつもの光る大小の石が置いてあった。


石の大きさによって値段が違うらしく安い物で三百円、高いと千円を超える物まであった。


やる気があるのかないのかわからないようなだるさを感じる声で売り込みをしていた。


「あー…、安いよぉ…お得だよぉ…、運気がガンガン上がるって評判だよぉ…。」


そんな風にして売っているお店の人は帽子を深くかぶっていて、どんな人なのかはわからなかった。


でも、とても綺麗なツヤのある白髪で藍色に染まる甚平がとても印象的だった。


そのお店の人が私の存在に気付くと少し驚いたような感じに顎を引き、問いかけてきた。


「あぁ?お前人間かぁ?どうやって来たんだぁ?」


「えっ?…ここへは車で…。」


「そぉじゃねぇよ。『こっち』にだよ。あぁ、そういや、さっきも別のやつが来てたよなぁ。迷い込んできちまったのかよぉ、面倒臭ぇ。」


私は何を言われているのか理解できず、少し困惑していた。


「お前も何かあったのかぁ?親とはぐれた、友達と喧嘩した、待ち合わせしたのに誰も来い…。とかよぉ。今日は『そっち』が祭りだからよぉ、色んな悩み持ってくるやつが迷って来ちまうからよぉ、大変なんだよなぁ。」


「わ、私、大人になりたいんです!」


「あぁ?もうすぐなれんだろぉ

?」


「い、いえ、いずれはなれると思いますけど、もっと、大人になりたいんです。」


お店のおじさんは手を顎の下へと持って行き、何事かを考えてから話してくれた。


「別に、急ぐ理由もねぇとは思うけどよぉ。じゃあ、お前のいう大人ってのはどんなんだぁ?」


「え、えーと、うーん…、何かかっこいい感じ?」


「何だそりゃ!?全然わかんねぇぞぉ!」


「え、じゃあ、友達と一緒にお祭り来たりとか好きな男の子と…とか…。」


「ふーん。まぁ、ガキのいう大人なんてそんなもんだよなぁ。」


「わ、私、ガキじゃないです!浴衣着こなしてるし、髪だっていつもと違って結い上げてるし…。」


「かぁーーーーっ!そんなんじゃ大人なんて言えねぇなぁ。大人って言ったらよぉ、こぉ一人で行動出来るとか、理屈・理論立てて物事考えられるロジカルシンキングっうの?だったり、自分の事をしっかり主張出来るような奴だぜぇ?あぁ、あと、それと…イカした女との色恋ロマァンスとかなぁ。まぁ、俺みたいな大人なら幾人もの…。」


私の胸は急にドキドキが止まらなくなった。


まだ恋なんてした事のない私にとって、とても興味と憧れの強い話題だった。


「ど、どうしたら…その…あの…恋って出来るんですか?」


「恋なんてそのうち自然とするようになんだから気にすんな。まぁ、でも恋するには行動しねぇといけねぇなぁ。女なら…そうだなぁ…毎回会う度に髪型違うとかすげぇ受けが良いぞぉ。」


「そ、そうなんですか?やってみます!そしたら髪型を毎回変えれば恋が出来るんですね?」


「いや、そういう訳じゃねぇんだけどよぉ…。何て説明すればいいんだかなぁ…とにかく好きになったやつが好きで、それが恋なんだけどよぉ。」


「え…、じゃあどうしたら好きになるんですか?」


「あぁ、何て説明すればいいんだかよぉ…んーとだなぁ…、あっ!そ、そうだ!恋をするにはなぁ、『恋の形』ってのがあってよぉ、それがねぇと恋が出来ねぇんだよぉ。」


「えぇ?そうなんですかぁ?どんな形をした物なんですか?」


「それがこの石よぉ。どぉだ?綺麗だろぉ?今なら安くしとくぜぇ。」


「え…でも、私…お金持ってないから…。」


「そうななのかぁ?金持ってねぇのにこんな営業しちまうなんて、今日は損な日だぜぇ。それじゃぁ…。」


と、おじさんは奥の方からゴソゴソと何かを取り出した。


「さっき拾ったやつなんだけどよぉ、こりゃぁまだ原石なんだけどなぁ、これを磨いたらちゃんと『恋の形』になるぜぇ。」


おじさんはその石を私に手渡してくれた。


その石は軽いような重いような感じのする不思議な石で、白っぽい石灰のような石の中に所々きらめくように光る部分が見えた。


「これはまだ『不完全』な石だ。効力はここにある他の光っている石とは変わんねぇんだけどなぁ、光るとこもあれば光らねぇとこもある、丁度お前みたいな石だなぁ?これやるよぉ、これなら無料だぜぇ?」


私は何とも言えない気分だったけど、他のと効果が変わらないのなら…と受け取る事にした。


よく見ると、光っている部分は他の石よりも強く輝いている気がした。


「なぁ、不思議だよなぁ。どっちも同じなのに、そっちの方が輝いてるように見えんだからよぉ。」


私は持っている石と、下に置いてある石とを見比べてみた。


でもやっぱり、どう見ても私の持っている石の方がより輝いていて綺麗だった。






「輝けない部分が多いからこそ輝きてぇんだろうなぁ。」



「私もそんな気がする…。」


私は、ずっと石の中の光る部分だけに見取れていた。


だから、周りの変化には気が付かなかった。


「あぁ、それとよぉ、もし、その石を綺麗に磨きたいんだったら、きっとあいつがやってくれるぜぇ。『瀧』って名前だったような気がするが…忘れちまったなぁ…。」


「…そうなんですかぁ。」


私はうっとりしていて、そのおじさんの言う言葉を半分くらい聞き流していた。


だから、急にまた視界が暗くなった事も石のお店がなくなっていた事にも全く気が付いていなかった。


私はきょろきょろと周りを見渡した。


でもやっぱりさっきのあの不思議なお店はどこにも見当たらなかった。


「美菜?どうしたの?迷子になっちゃうから一緒に歩きましょ。」


さっきまで少し前を歩いていたお母さんが振り向いて近付いてきた。


私はさっきからかずっとお店の前で立ち止まっていたのにお母さんとはほんの数歩しか離れていなかった事に何か違和感を感じたけど、その頃には私の中であるある感情がすくすくと育っていた。


「お母さん、ごめんなさい。ちょっと用事思い出したから行ってくる!花火が始まる前には戻るから!」


「ちょっ、ちょ、用事って…。」


私はお母さんの呼びかけも答えずに走り出していた。


何でこんなにドキドキしているんだろう。


どうしてこんなに何かを期待してしまっているのだろう。


よくわからないけど、私はあの人に会いたくて走り出した。


あのおじさんに言われた「瀧」という人に。


その人に会えばわかるんだよね。


どうすれば会えるのかわからないし、顔だって見た事もないのに…。


とにかく、この町のどこかにいる。


私はそう信じて神社の近隣の表札を見て回った。


もう何件、いや何十件見ただろうか。


表札に「瀧」という苗字は全くない。


きっと遠くの家なのかもしれない。


私はずっと走りながら「瀧」と書いてある表札を探し続けた。


さっきまで表札を探して走っていた。


走っていた筈だったのに…。


気が付けば空を見上げていた。


空に浮かぶ雲はゆっくりと流れ、右に旋回していく。




実際は空や雲が回っていたのではない。


道に倒れていたのは私の方で、倒れたまま空を見つめていたのだった。


ここ最近、体調が悪くてあまり外に出ていなかった事と、この猛暑の中を急にこれだけ走った自分への天からの戒めなのだろう。


起き上がる事さえ出来なかった。


「あら!あなた、どうしたの!?大丈夫?」


優しくもとても心配そうに声をかけてきてくれた人がいた。


私は急に安心したからか、意識が薄くなってきた。


そこからの記憶はあまりない。


気が付くと知らない家の中で私は布団の上に寝かされていた。


周りを見渡すと、さっき声をかけてくれた女の人が心配そうにこちらの様子を覗いていた。

「良かったぁ、目を覚ましたよぉ!瀧くぅーん!」


「えっ?『瀧』って…。」


「あら?瀧君知ってるの?はっ!もしかしてあなた第二夫人の座を狙ってるクチね?」


「ぇぇ?そんな事…。私、ある人から聞いたんです。『瀧』って人を探してみろって…。」


「ふんっ、どーだか。最初は皆そう言うのよねぇ。」


「おい真帆、そんな事言って女の子からかうなよ。あっ、はじめましてだね。で、僕の事は誰から聞いたの?」


「えぇっと、出店で石のお店やってた人なんだけど…。」


「うーん、誰だろう…。お祭りでテキ屋やってる人に瀧君、知り合いいたかしら?」


「いや、いないなぁ。それに僕達もさっきお祭りに行ったけど、石を売ってる店なんてなかったよな…。」


「確かにそうね、私も見なかったなぁ…。」


「えっ…、でもさっき確かにあのおじさんから…。」


私は身の回りの荷物を探してみた。


でもあのおじさんからもらった石はどこにもなかった。


「えっ?ちょっとどうしたのガール?って、話聞く前に名前教えてもらわないとあなたの事、『ガール』って呼ばないといけないから、ひとまず名前教えてもらえる?あっ、私達もまだだったわよね、私は東暖真帆。で、彼が瀧男君です。」


「あ、ごめんなさい。香園美菜って言います。」


「あぁ!どこかで見た事あると思ったら、香園さんとこの娘さん?」


「はい、そうです。それで、さっきの話なんですけど、神社のお祭りに行った時、ふと、石屋さんがあったんです。帽子を深く被ってて顔はよくわからなかったんだけど、甚平を着た長い白髪のおじさんで…。」


「え?し、白髪…?」


「ちなみにお店の名前は、【運気あっぷ!!石ころコロちゃん!!】

っていうお店なんですけど…。」


と、言った瞬間、真帆さんは頭を右手で抱えて大きくため息をついた。


「はぁー、やっぱり…、あの人のやりそうな事ねぇ。って、もしかして、あなた『あっち』に行っちゃったの!?」


「え?『あっち』って…。」



「まぁ、説明しにくいんだけどねぇ…。で、そのおっさんに何を売りつけられたの?」


「いえ、何にも買ってはいないんですけど…その…『大人になるために必要な物』をくれたんです。」


その時、真帆さんが急に立ち上がった。


「あの野郎!!年端もいかない女の子に何させようとしてくれてんじゃい!!その色ボケじじいに何かされたりしなかった!?」


「い…いえ、されてはいないんですけど、そのくれた物が見当たらなくて…夢だったのかもしれないです。」


「まぁ、そう考えた方が良いわね…で、その夢の中でもらった物はどんなのだったの?」


「そ…それが…こ…。」


「こ?」

「こ?」


真帆さんと瀧さんが同時に聞いてきたので驚いたけど、私は恥ずかしさを抑えて言葉を続けた。


「こ、恋をするのに必要な物だったんです。それをもっていないと恋が出来ないって…。」


「えっ?恋なんてしたけりゃすれば…。」


何か言おうとした真帆さんを遮って瀧さんが私に質問をした。


「そっかぁ、じゃ、君はそれがないと恋が出来ないと思うんだね?」


「はい、私も最初は信じられなかったんですけど、そう思います。だって、私、まだ恋した事がないし、どうしたら恋が出来るようになるのかわからないし…、きっと恋をするにはそういうのが必要なんだと思います。そっちの方が説明つくと思うんです。私、ロジカルシンキングなんで。」


「ん?そうか、君は理論派なんだね。」


瀧さんは私に優しくて、穏やかに話を聞いてくれた。


だから、その後に話してくれた事もすんなり納得する事が出来た。


「でも、僕と真帆はそのおじさんから何ももらってなくても恋をしたんだよ。もしかしたらおじさんからそれをもらわなくても恋が出来るかもしれないよ?」


「そうなんですか?じゃあ、どうしたら『恋』って出来るんですか?」


「んー、恋ってしようと思って出来るって訳じゃないしなぁ…。そうだなぁ、丁度レーダーみたいな感じで、自分の頭の上に自分だけしか持っていない周波数の電波を送るレーダーみたいのがあって、それを同じ周波数の電波を拾ってくれる人がいると、その人に…。」


「何それ?瀧君、物凄くわかりづらいよ?全然わからないし、小学生にしても理解出来ないよ?だって、大人の私も理解出来ないんだから…って、誰が馬鹿よ!?」


「何も言ってないだろ。だって、たかが恋ってったて説明難しいんだぞ?」


真帆さんは軽く咳払いをしながら私にわかりやすく説明してくれた。


「んんっ、恋っていうのはね、皆の頭の上に大きな水玉が浮かんでるのよ。で、その水玉が下りてくるととても心地よくなってフワフワしてきて、とても幸せな気持ちになるのね。それが恋をするって事なのよ。」


「じゃ、じゃあ、どうしたらその水玉が下りてくるんですか?」


真帆さんは背中を反らして、腰に手を当てながら誇らしげに答えた。


「ふふんっ、それはね、『勇気』と『支え』かしらね。この子に何かしてあげたい、とか力になりたい、とかあなたが楽しい時や悲しい時に一緒にいてくれるとか…、そんな人と一緒にいると下りてくるから、その時は女の子だって勇気を出すのよ!私のようにね!」


真帆さんはウインクをしながらそう言ってくれた。


その後は瀧さんとあーじゃない、こーじゃない、とか議論をしていたけど、私はそんな姿を見てとても憧れてしまった。


「じゃ、じゃ、じゃあ、お二人は今でも…その…こ、恋をしてるんですか?」


私は恥ずかしさで自分の顔が熱くなっていくのを感じた。


二人は突然の事で少し驚いていたけど、顔を見合わせてから同時に息ぴったりに答えてくれた。


「当たり前じゃない!」

「いや、さすがにこの歳で恋っていうのは…。」


真帆さんの顔はみるみる形相を変え、般若のお面を付けたかのように怒っていた。


「キィー!悔しい!!私とは結局ただの遊びだったのね!子供まで作っておいて!信じられない。もうこうなったら死んでやる!瀧君を道ずれにして死んでやる。」


真帆さんは瀧さんの首を掴みにかかる。


私はあたふたしながら、それを見ているしかなかった。


「ちょ、ちょっとやめろ!最後まで話聞けって。俺達のはもう恋じゃあなくなってるだろ?もっと深くて強い別の感情になってるだろ!」


「え?」


「だって、俺達もう子供もいて、家族なんだぞ。恋だけじゃあなくなってるだろ?」


「…どういう事?恋じゃなければ何なの?」


「わ、わからないけど…愛情…とか?」


途端に真帆さんの顔が明るくなっていくのがわかる。


「そ、そうよね、私達もう大人だものね…。」


少しうっとりしながら真帆さんは瀧さんを見つめた。


ゆっくり目を閉じ始める真帆さん。


顔を赤くする瀧さん。


「ちょっ、馬鹿。やめろって。」


「わぁ!瀧君、顔赤くなってるぅ。」


真帆さんは瀧さんを散々からかって満足したようだった。


「て事だから、私が恋の形について答えられるのはこのくらいかな。」


「そうなんですか。じゃあ、石がなくても恋が出来るんですね?」


「石?」

「石?」


二人は声を合わせてそう質問した。


「あのおじさんがくれたんですけど、起きた時にはもうなくて…。でもあの石がなくても恋が出来るのなら良かったです。安心しました。」


「あっ!ちょっと待ってて。」


瀧さんは立ち上がるとしばらく姿を見せなかった。


「これ?」


瀧さんが戻ってくると、見慣れない物を持ってきた。


それは細いチェーンのネックレスで何か光る物がぶら下がっていた。


それはとても綺麗に輝き、その石から光が出ているのだと思えてしまうくらいに眩しい光を放っていた。


「君が持っていた石なんだけど、道で倒れているのを見つけた時に君が、『これを…磨いて。』ってうわ言のように言ってたから、ちょっと削って中の光る部分だけ取り出してみたんだ。


取り外し出来るけど、ネックレスにしてみたんだが、まずかった?」


私はしばらくそれを黙って見つめていた。


瀧さんの質問には全く答えていなかったので少し不安になったのだろう、もう一度心配そうに聞いてくる。


「あ、い、いえ、大丈夫です。いえ、むしろ凄く綺麗になって、こんな風にしてくれて嬉しいんです!」


私はそう言うとまたうっとりしながら見つめていた。


「良かった。気に入ってくれて。もしかしたら、余計な事しちゃったかな?って不安になったよ。」


「まぁ…瀧君、ネックレス好きだもんねぇ…。」


ニヤニヤ笑いをしながら真帆さんがそう言うと、瀧さんは怒っているのか、顔を真っ赤にいていた。


「あっ、そうだ!この石、恋をしたらその子にあげるってのはどう?結構石も大きめだし、男の子が付けた方が似合うんじゃない?瀧君、ちょっと付けてみてよ?」


「まぁ、男子でも似合うだろうね。」


「ねぇ、付けてみてったらぁ。」


しぶしぶ瀧さんはネックレスを付ける。


それを見て、また真帆さんがニヤニヤし始めた。


「あれぇ?瀧君、ネックレス付けるの速くなったんじゃない?」


瀧さんはとうとう我慢が出来なくなったのか、真帆さんを追いかけ始めた。


その時、玄関先から真帆さんを呼ぶ声がした。


お母さんだった。


「あぁ!香園さんじゃない。久しぶりねぇ。さ、入って入って!」


嬉しそうな真帆さんをよそにお母さんは心配そうな顔をして私の方を見た。


私がいくらか元気そうで安心したのと同時に少し怒っていた。


きっと、後でたっぷり絞られるんだろうな。


私は今日の夜の事を考えるととても憂鬱な気分になった。


お母さんは真帆さんにお礼を言うと車に乗っているお父さんの元へ向かっていった。


「真帆、いつの間に呼んだんだ?」


「お祭りの主催者と知合いだから連絡して、お祭り会場内に呼びかけてもらったの。」


私は真帆さんにお礼を言うと帰る支度をした。


「あっ、そうだ。これ忘れないでね。」


瀧さんはネックレスを外して私にそれを優しく差し出してくれた。


私はお礼を言いながらそれを首に巻いて玄関先の方へ向かった。


ネックレスを付けるというだけで何だか大人に近付けたような気がして嬉しかった。


「あっ、そうだ。そのネックレスを男の子にあげる時はね…。」


真帆さんは私の耳元でいくらかささやくと、私の顔は一瞬で紅潮した。


「え…、そんな事…恥ずかしいです…。」


「大丈夫よ。絶対喜ぶわよ。イチコロなんだから!」


「イチコロ?」


「そう。イチコロよ。」


「イチコロってどういう…。」


イチコロの意味について聞こうと、答えを待つ間もなく、お父さんとお母さんが戻ってきた。


私は最後に真帆さんの方を見たけど、真帆さんはウインクをするばかりだった。


夜、案の定私はこってりと絞られた。


お父さんにも、お母さんにもたっぷり一時間ずつ。


両親の話が終わる頃にはぐったりしてお風呂にも入らず寝室へと向かった。


暗く静かな廊下を歩いていると縁側の方から涼し気な風鈴の音色が聞こえてきた。


沢山怒られて重くどんよりした私の心にはとても軽すぎる音だった。


でも、この音色がまた心を落ち着かせて穏やかな気持ちにもしてくれた。


吸い寄せられるように風鈴の元へ向かうと何かいつもと違う雰囲気が漂っていた。


それは甘くも頭がふんわりとしてくるような香りが漂ってきた。


私はこの香りに誘われるように縁側に向かうと、より一層強い匂いがしてきて、更に私の頭はくらくらと揺れ動くのを感じた。


何だか、さっきまでの事がどうでもよくなりぼんやりしてきたせいか、何かを考える事が面倒になっていった。


そのうちに縁側からでなく、もっと近い距離でこの匂いを嗅いでみたいという好奇心が沸き起こり、縁側から玄関先へと進み始めた。


無意識のうちに玄関から出る事を避け、縁側の雨戸が空いている所の下にサンダルを落とし、私はそこから家を出て、庭中の匂いを嗅いでみた。


でも、こんな所に、しかも夜に咲いて強い香りを放つ花など今まで聞いた事がない。


それでも私の気持ちはこの香りを嗅ぎたくて、仕方がなかったので、半ば朦朧とし始めている意識の中で探し続けた。


ようやく匂いの大元に辿り着き、私はそこで一輪の花を見つけた。


きっとこの花だ。


私はそう思い、花に顔を近付けて匂いを一気に鼻孔の奥まで吸い込んだ。



すると、何とも言えない香りが頭の奥の方にまで到達し、私のさっきまでの落ち込んでいた心は嘘のように軽くなっていった。


体も宙に浮いているかのように軽やかで、足元はきっとフワフワしていたかもしれない。


私の思考はほぼ止まってしまった。


どんな事を考えればいいのかさえわからなくなっていた。


気が付けば今までの記憶がなくなっていた。


なぜだか体も心も凄く軽い。


さっきの事がどうでもよく感じてしまう。


…さっきの事?


私は今日、何をしてどんな事が起こっていたのだろう。


今日の出来事も思い出せないのだ。


当然、昨日以前の事だって思い出せずにいた。

百歩譲ってもそれだけならまだ良かった。


自分がどこの誰で、どこに住んでいて、今自分が何をしているのかさえわかってはいない。


なぜ私は他人の家の庭に入り、この花を眺めているのだろうか。


家に帰りたい。


でも自分の家が思い出せない。


自分の名前を思い出せないのに探せる訳がない。


この、右を見ても左を見ても初めての風景の中で、一体私はどうすればいいのか途方に暮れてしまった。


暗いし、家に帰ろう。


でもその家がわからない。


ただ、ここを彷徨っている訳にはいかない。


私はこの家の外に出て周囲を見回した。


でもやっぱりこの辺りに見覚えはなかった。


私はただフラフラと道を歩いた。


行き先も知っている場所もない。


だけど、ただ歩くしかない。


何か手がかりを見つけなければ大変な事になってしまう。


どういう事になるのかわからないけど、とにかく私は何かを心配していて、ずっと焦っていた。


程なくして私は堰を見つけた。


もちろん見覚えはない。


夜の堰はどことなく不気味さを感じながら私は土手を上り、堰を少し上からの景色で見てみた。


街灯は少なく町も堰も殆ど真っ暗な上に、ガマガエルやセミ、知らない虫や鳥の鳴き声がこだましてくるのが余計に恐怖を覚えた。


でも、何かを探そうと必死で暗がりの中を見渡した。


少し目が慣れてきて周りの風景がわかるようになってきた。


でも、何を見ても私にはよく知らないし、わからなかった。


どこへ行けばいいのかわからない。


どうすればいいのか…。


私はもう泣きそうな顔になりながら考えた。


どうすればいいの?


私は何でこんな知らない場所にいるのだろう。


今日はひとまずどこかの木の陰で一夜をやり過ごして明日また考えよう。


そう思ってどこか寝るのに良さそうな場所を探そうとした。


その時、水面が何か光っているような気がした。



首を伸ばして水面をよく見てみたけど、何も起こってはいない。


確かにさっき、何か薄っすらと青白い光の玉のようなのが光っていた気がする。


しばらく水面を見つめていると、風も吹いていないのに水面が揺れ始めた。


私は一瞬のうちに恐怖に呑み込まれた。


足がすくんで逃げる事が出来ない。


あまりの驚きで息を吸う事も出来ず、声を出す事も出来ないくらいの酷い恐怖に襲われていた。


全身が震え出し、体の芯から冷えていくのを感じた。


私はもう何も考える事が出来ず、ただただ堰の中心辺りにいる白くて大きな蛇を見つめるしかなかった


私の何十倍も大きく一口で食べられてしまいそうなくらいの口には私の腕くらいの長さがある牙をむき出しにしていた。


体の表面ににに濡れた白い鱗が月光に反射して青白く不気味な光を放っていた。

その蛇の目は敵意に溢れていて何かを憎んでいるかのような深い悲しみや苦しみを抱えたような目をしていた。


蛇は先程からずっと私を睨んでいる。


それが私には恐ろし過ぎて目から涙が溢れ出した。


「た、助けて…。」


蚊の鳴くような細い声しか出す事が出来なかった。


もちろん周りに聞こえる訳がないし、誰も外にはいないので私の姿に気付く人もいない。


次の瞬間には何が起こるのだろうか。


蛇が近付いてきて私を一呑みしてしまうのだろうか。


あれだけ睨まれておいて静かに水の中へ戻るとは思えない。


私は逃げる事も出来ず、ただその場に震えながら立ち尽くしていた。


白い大蛇は更に水面から上がってきた。


ここからだと多少距離はある。


水面から上がり更に巨大に見える白大蛇を私は首を真上にして見上げていた。


白大蛇は少し上に登ってきたけど、特に何かをする訳でもない。


私はしばらくあの大きい白蛇を見つめているしかなかった。


その白大蛇を見ているふちにふと、何か周りがおかしい事に気付いた。


風が吹いてもいないし、私自身、目の前の大蛇が怖くて微動だにしていない。


なのに私の髪がゆっくりと同じ方向にゆらゆらと靡いていた。


そして、もう一つ不思議な出来事が起こり始めた。


空には雲一つなく、お月様だってあんなに丸く大きく眩しいくらいに輝いていた。


それなのにいつからかじっとりした不快な雨が降り始めてきた。


こんな変わった事が続くと自分自身の感覚もおかしくなっていくような気がした。


蛇があんなに遠くにいるのに、なぜかすぐそこまで迫ってきているかのように、息遣いすら感じるような近さに感じていた。


私は何か底知れない恐怖に囚われていった。


しかし、そんな心に溜まっていた恐怖心も段々と薄らいでいった。


蛇は水面へと戻っていったのだ。


それだけで私の心は落ち着き始めていた。


こんなに安心したのはどれくらいぶりだろうか。


さっきの他人の家の庭にいた時からずっと落ち着く事なんて出来なかった。


自分が誰でどこから来て、何をしていたのかさえ全くわからない状態だったのに、今はこんなに穏やかな気持ちになっていた。


今日の寝床だってまだ探せていない。


だけど、そんな事すらも気にならないくらいにとても心地良い気分だった。


私はしばらくその場でぼーっとした気分でこの安息感に浸っていた。


ふと、私の足の裏が何かを踏んだように痛み出した。


私はハッとした。


私は何も気付く事が出来なかった。


いつの間にか、私はサンダルを脱いで下半身まで水にどっぷりと浸かっていた。


足にはきっと鋭い石でもあったのだろう、切り傷が出来て鋭い痛みがあった。


私は幻でも見ていたのだろうか。


私は堰の淵に立っていたと思ったのに、堰の中に入っていた。


今が幻なんじゃないだろうか、なんて思いながら私はとにかく水から這い出ようと後へ引き返した。


焦りと恐怖で水の中から這い出るまでは何も覚えていない。


恐ろしすぎる。私はこの恐ろしい状況といつ水の中へ入ったのかも思い出せない状態に思考と感情が追いつかず、錯乱していた。


気が付けば胸にぶら下がっているネックレスを握りしめていた。


ネックレスには透明で綺麗な石が付いている。

よくは思い出せないけど、これを握ると何か安心するのかもしれない。


きっとこれがなかったら私の心はとっくに壊れていたかもしれない。


どんな小さな物にでもすがりたくなるくらいに恐怖を感じていた。


何とか水の中から這い出すと強い風が吹いてきた。


雷が鳴り響き、周りが見えなくなるくらい大粒の雨も降り注いできた。


水面には渦が巻き、私は再び水の中引き戻されそうになった。


私は必死に地面へしがみついた。


風は更に強さを増して私を堰の中心へと押していった。

雨で地面が濡れて滑りやすくなっていった。


私は地面に少しだけ出ていた木の根っこを掴み、飛ばされないようにしがみつく。


渦も大きくなっていき、堰の中が全て渦巻いていき、もし落ちたら最後…中心にいる白大蛇の方へと引き込まれ呑み込まれるだろう。


風は益々強く、一瞬でも力を抜いたら木の葉のように軽く飛ばされてしまうだろう。


私はしがみつきながらずっと助けを求めた。


『誰か…誰か…助けて!」


激しく降る雨と轟音を響かせる暴風の音で、私の声など簡単に搔き消されてしまった。


どんなに泣き叫んでも近隣の家々には全く届くはずもない。


また更に雨も激しくなっていき、堰の水も増していった。


このままここにいてもいつかは堰の中に呑み込まれてしまう。


かといって今この根っこを離れる事は出来ないし、放したらそれこそ蛇のお腹の中へ一瞬で収まってしまう。


もう何をしても手遅れだと思った。



これが記憶を失くし、何も得る事の出来なかった私の寂しい最後だ。


自分が何者かもわからず、なぜこんなとこにいるのかもわからないまま、私の人生は終わっていく。


悲しいけど、もう諦めるしかない。


せめて…せめてもう少し楽しいと思える事がしたかった。


もっと大人になりたかった。


そう思った時、何かを思い出した気がした。


人が沢山いる賑やかな場所で、私は誰かに出会った。


その時、私は何かを願って何かをもらった。


そうだ!私は凄く大人になりたかった。


そして、出来れば…恋をしてみたいと思った。


そのために必要な物があって、私はそれを欲しがった。


それをくれたのは…二人の仲の良い…。


断片的にだけど、何かを思い出せた。


そこだけでも思い出したい。


全てが終わってしまう前に…。


強風は暴風へと変わり、暴風はもはや爆風と呼べる程の激しさになっていた。


近くの太い大木が倒れる音がした。


地面に叩きつけるように強く大きい雨粒も地面に大分浸透し、土が軟らかくなっていった。


掴んでいた根っこが少しずつ盛り上がり、私の濡れた手で掴んでいた根っこは滑りやすくなってきた。


とうとう耐えられなくなったのか木の根は地面から露出し、その勢いで私は手から根っこを放してしまった。


私の体は軽々と宙に浮き、水面に向かって落下し始めた。


私は心の中でずっと願い続けていた。


どうか、奇跡が起きますように。


せめて私の魂だけでも助け、来世にでもこの、断片的に思い出した願いを叶えてあげてください。


飛ばされながらも私は無意識にネックレスに付いていた石へ願っていた。


その時、突如その願いを込めていた石が光出した。


それはどんな光よりも強く輝いていて、私はその光に包まれていった。


光の中は風も雨も当たらずとても温かかった。


そして心の奥底から安息に満たされていった。


私の周りだけ時間が止まっているみたいで、とても静かで穏やかだった。


私はさっきまでの疲労が一気に押し寄せてきて眠気に誘われていった。


そして、私は長く深い眠りについた。


堰には私のサンダルが残り、水中に小さな石の付いたネックレスだけが落ちていった。

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