その7 クリスマスの夜に
今、この男、ソアンの部屋まで送るとか言わなかったか?
はっきりとは聞こえなかったが、
確かにそんな風なことを。
ヨンファの後頭部がドクドクと音を立てる。
頭に血が上るというのは、こういうことか。
「......」
咄嗟に助手席の小さな花束を手にしてドアを開けた。
この時のヨンファには、いけ好かないイングという男が
-----失恋したソアンの傷につけ入ろうとしている。
そうとしか思えなかったのだ。
しかし、
慌てて駐車場へ降り立ったものの。
ヨンファの体は、目の前の二人の会話に、凍りついたかのように動けなくなった。
-------ソアン?
「イングさん、もういいですってば。私、子供じゃありませんし」
「あ、いやそれはもう十分な大人だとは思うけどね」
こいつ--------気持ちわりぃ
耳に届いたイングの言葉にヨンファは身震いした。
十分な大人?おい、お前、今ソアンのどこ見てそう言った?いやらしいこと考えんなよっ
「ソ.....」
ソアン、そいつから離れろ、と。
漸く呪縛がとけたかのように、ヨンファが大股で一歩踏み出し、そう言いかけたが、
その言葉はソアン自身の言葉に打ち消された。
「じゃぁ、イングさん、ここで。ありがとうございましたっ....ひゃっ」
ソアンがそう言ってイングを振り切り、クルリと向き直った拍子にヨンファとぶつかりそうになったのだ。
「ひゃぁ----す、すみませんでしたっ。気がつかなくって」
「....え?」
それはまるで、見知らぬ男に対して詫びているような態度だった。
慌ててイングが手を伸ばし、ソアンの肩を掴んだ。
「あぁ-----っ、大丈夫かい?ソアンちゃん。ほら、言っただろ。だから部屋の前まで送るって」
「ちょ。ぶつかりそうになっただけじゃないですかっ。親じゃないんだし、過保護すぎますって。っていうか、いい加減にしないと怒りますよっ。.......あ、ほら、他人が見てるじゃないですかっ。もぉ、ここでいいですからっ。イングさん、ストーカーと思われちゃいますよっ」
----今、
「ストーカーって、それはないだろぉ」
----他人って
「だって。あ、すみません。夜更けに大声で」
「え?あ、あぁ」
何が起こっているのか理解できず。
目の前の二人のやり取りをただ黙って見ていたヨンファに、ソアンが再び詫びを入れた。
一体どういうことだ?
ソアンは何のためにこんな。何かの罰ゲームか?これは。
頭の中がグルグル回りながらも、答えはみつからない。
会いたかったはずのソアンが目の前にいるというのに。
ついさっきまでいろいろと考えを巡らせていたはずだったのに。
「....それ」
「......っ」
あぁ、そうだ。
ソアンがヨンファの手にする小さな花束に気がついた。
と同時に、ヨンファの思考が戻る。そうだった。花束を、と。
-----ソアンが好きな白いバラ。
「綺麗ですねっ。あ、そうかぁ!」
花束を掴んだ手に、ぎゅっと力を込めた時だった。
ソアンが急に声をあげて、と同時に、はにかんだような笑みを見せたのだ。
ヨンファの胸がドキっと跳ねる。
「えっと、........メリークリスマス!よいクリスマスの夜を!」
「....え?」
笑みを浮かべたままそう言ったソアンが、ぺこりと頭をさげてヨンファの横を通り過ぎた。
「......っ」
「あ、ちょっとソアンちゃん!」
鼓動が、さっきとは違う意味で速くなる。
なにか言葉をかけなければ、と。
そう思うヨンファを差し置くように、
あとを追ったのはイングだった。
横を通り過ぎる時、チラっとヨンファに向けたその視線は、
陰湿な、それでいて、どこか勝ち誇ったような。
「.....」
何が、
どうなってんだ?
走馬灯のようにソアンとの記憶が蘇る。
----最後にソアンと交わした会話は何だっただろう。
あぁ、そうか。
「クリスマス、カイジになにを贈るんだ?って」
あれはまだ二人が、決別の前。
カイジの様子がおかしいと、心配そうに話すソアンに、急な転勤でカイジも戸惑ってるんだろう、と。そう慰めた。
そうして、少しでも気が紛れるならと思ってクリスマスの話題をふったのだ。
----二人の初めてのクリスマスだもんね、って。目を輝かせてはいなかったか。
なのに、どうして。
----もぉ、いいですって。
----じゃ、そこの階段までね。
----ほんとですよっ。
カンカン カンカン
----あぁ、そういえば、プレゼントがあるんだ。
----え?あ、イングさん?
「........雪?」
気がつけば、ちらちらと白いものが舞っている。
さっきまで聞こえていた声はいつしか消えていて。
階段をあがっていく足音も、二人の気配もなかった。
「ソアン?」
「.....まさか、だよな」
ゆっくり見上げた先、三階の窓には灯りがともっている。
「ソアン?」
窓を見上げたまま、
手のひらが痛くなるぐらいに、強く両手の拳を握り締めていた。