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その6  曇りガラスの向こう

車内が温まり始めると、運転席の横のガラス窓がじわじわと溶けるように視界を取り戻した。



「....っ、冷たっ」


ただ、

二人を遮る壁だと言わんばかりに、フロントガラスにはまだ邪魔な白い曇りが残っている。

ヨンファは手を伸ばし、フロントガラスの曇りを手の甲で拭い取った。

ジンジンするような冷気。

オレンジの街灯に照らされたそこに、ソアンの姿はまだ見えない。

どうやら残業らしい。

「はぁ----まいったな」

冷たくなった右手の甲に、はぁ、っと息を吹きかけ摩擦する。

そうして、一度、両手でハンドルをぎゅっと強く掴むと、曇りの取れた丸い隙間から空を見上げた。

雪はやんでいるものの、いつまた降り始めるかわからない。

分厚い雲がそこにあることは、暗い車内からも容易に想像できる。再び降り始めたら、あっという間に積もるだろう。

ここからヨンファの住んでいるアパートまで、車で20分ほど。

ただ、橋を渡ることを考えれば、

雪が積もってしまうと、ちょっと厄介だ。


チラッと時計に目をやって、短い息をついた。

「ったく、まさかどこかで飲んでるってことはないよな」

そう呟いた声も、真っ白な煙になって散っていく。




バイト先のカフェにも、ソアン狙いの男どもがやってくる。「彼氏持ちだってわかってても、だぞ」と、カイジがぼやいていたことを思い出した。

「......」

もしも、この二週間で、ソアンが恋人と別れた、という事実が発覚していたら。

いや、客とそういう個人的な会話を交わすとは思えないけれど。

でも、万が一、そんなことになっていたら。

雪の降るイブの夜は、男と女が親しくなる最高のシチュエーション。放っておく手はない。

「....ちっ」

そう思えば胸がムカムカしてくる。

とは言うものの、


助手席に置かれたソレは、まさしくたった今、ヨンファ自身が頭に浮かべた「男と女が親しくなる」ためのアイテムそのものではないか。


「白いバラにシャンパンって」


もう本当に、自分でも呆れるしかないのだが。

こんなことでためらうぐらいなら、どうしてあの時。

カイジがカフェで出会った女に一目惚れした、とそう告げて来たあの日に。

その相手が、ソアンだと知ったあの日に、どうして自分自身の気持ちを伝えておかなかったのか。

----ソアンと先に出会ったのは、俺だ。

----ソアンのことは、俺が先に好きになったんだ。


今更後悔したってどうしようもないとわかっていながらも、

「はぁ」

ヨンファはこの日、何度目かもわからないため息をまた一つ。






「.....ぁ」




そんなことを何度か繰り返し、再びフロントガラスが曇り始めた頃、

途方に暮れながらぼんやり見つめていたその曇りガラスの先に、影が動いた気がした。

ハッとして瞬きを数回。

しかし、

僅かな隙間から見えた光景に、ヨンファの体が固まった。

「....ぇ?どういう、こと?」

そこには、時折微笑み合いながら歩く二人の姿があった。

「ソアン?......ご、ごほっ」

そう囁いた自身の声の掠れ具合に、咳払いを一つ。



「.....」




「髪、切ったんだ」

黒いニット帽の端から見える髪は、確か肘ぐらいまであって、明るいブラウンだったはずが。

オレンジの光のせいか、今は赤く光って見えるその髪は、肩口あたりで揺れている。

----失恋で髪を切る。

女性はそうやって気分転換するんだ、と。聞いたこともあったが。

「ソアン」

曇りガラスの向こうのソアンに向かってそう囁いた。

「....っ」


何だろう。


ソアンに会うために、会って慰めるために。いや、あわよくば気持ちだって伝えてしまおうと。

そう計画していたはずが、

車のすぐそばで二人が立ち止まっただけなのに、胸がドキっと跳ねるのだ。


----これじゃ俺、ストーカーかなにかみたいじゃないか。


ヨンファの存在を知ってか知らずか、

まるで関係を見せつけるかのごとく、二人が立ち止まった。

そうして、男が彼女の髪を隠すように、その首元の赤いマフラーを巻き直してやったのだ。

横顔しか見えないけれど、彼女の口元に笑みが浮かんでいることは、ここからもわかる。

「な、ソアン?」

ヨンファは自身の目を疑った。

一瞬、その男がカイジに見えたのだが、それは勘違いだったようだ。

「どうして、そいつと」

そんな問いかけは二人に届くことはなく。


ソアンとお揃いにも見える黒いニット帽。

紺色のダウンコート。足元にはブラウンのサイドゴアブーツ。

目の前の男のそれは、ソアンの元恋人、カイジを思わせる出で立ちだった。

しかし、そこにいるのは、カイジではなく、--------カフェの店長だ。


「あいつ、名まえ.....」


あぁ、そうだ。

「イング、だ」

チェ・イング。細身で頬骨の高い、目のギョロッとした。

カイジが胡散臭いやつなんだ、とそう言って嫌っていた男だ。


----どうしてここに?





「もうここでいいですから」

「あぁ、いいよ。ソアンちゃん、部屋の前まで送るから」

「いいですって」

「でもさ、変な奴が多いからさ、最近」

「えぇ?」


----なんだ?今の。


その男がチラっとこっちに視線を向けたような気がした。

自身の呟く声と重なるように耳に届いた男女の会話。

男の視線。

「.....」

首の後ろを、ザザッと音をたてて大量の血が流れ始めた。











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