その4 ソアンとカイジ
-----どうしてあの男と?
はっきりとしたことは言えないが。
多分、あの男はあの黒いフードの男。
細く開けた窓。邪魔だと言わんばかりに鼻先を窓にペタリとつけて、車内を覗き込んだあの顔。
----見覚えがある。
オレンジの車内灯に照らされたその顔は、フードのせいか細面に見えた。
ギョロっとした目と、高い頬骨の下のくぼみに影ができていて。
それがやけに印象的だった。
店の中で彼女に話しかけている男は、彼女と同じ白いシャツに黒いエプロンを身につけている。店の従業員なのか。
昨夜と違い、頭には黒いキャップをかぶっている。
男がふいに横を向いた。
----やっぱり。
雰囲気は全く違うが、あの目とあの頬骨は、昨夜の黒いフードの男だ。
「.... 」
その黒いフードの男が、彼女の肩に手を置いて、何やら話し込んでいる。
話しの内容まではわからないが、その顔がパッと明るくなったのがここからも見て取れた。
そんな二人にイラっとするのはなぜか。
「何だよ、ったく」
あいつらは、
----恋人、いや、
----夫婦?
ただの同僚かもしれないけれど。
あの時間、彼女が住んでいるアパートの敷地内にいたんだ。
一緒に住んでいるか、一緒に時間を過ごすはずだったのか。
「彼女、大丈夫ですか?って」
すぐに姿を消してしまったからなんとも思わなかったが、確かにあの時あの黒いフードの男はそう言ったのではなかったか。
ただの顔見知り、ただの同じアパートの住人、だとすれば。
「.... 」
刹那、ヒッチハイクで見知らぬ男どもの車を止めた彼女の姿が浮かんだ。
あの時も今と同じように、屈託のない笑みを浮かべていなかったか。
「ヤリマンか?」
そう思えば、そう見えないわけでもない。
パリッとした白いシャツに、黒いバリスタエプロン。店の制服だろうが、昨夜とは違って薄着のシャツのせいか体のラインが強調される。
丸いトレイで胸元を隠している間はいいが、
「ぁ、おい」
客に呼ばれたのか、店の真ん中に立っていた彼女が、足早に窓際のテーブル席へ向かう。
ピンっと張ったシャツの胸元。
遠目でも、二つの膨らみが揺れているのがわかる。
席についていた若い男性客がチラチラと視線をやって、背筋を真っ直ぐに座り直したのにはムカついた。
----覗くなボケっ
----っていうか、気がつけよおまえもっ
気がつけば、ヨンファ自身、心の中でそう呟いていた。
その客と向かいの客。
オーダーでもとったのか、頷いた彼女が顔をあげた瞬間、その瞳がヨンファの姿を捉えた。
「----ぁっ」
店の外に佇んだままのヨンファに向かって、
確かに、その口元が、そう動いたんだ。
・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・
「な?ほんとに別れたのか?」
会社のエントランスを出て、すぐに着信履歴を確認するとリダイアルを押した。
そうやって、話し始めて数分。
ついつい、声が大きくなってしまったらしい。
通り過ぎる人の中には、会社の同僚の顔もあった。
『声デカイって、お前今どこで喋ってんだ?』
「....会社の前だ」
『前だって。.....おいおい、やめてくれよ。色々噂になるのは嫌だからな』
「あぁ、すまん」
電話の向こうのカイジの声に、自然と頭が下がる。
ヨンファは僅かに背中を丸くして、耳にあてたままのスマホを片手で隠すようにした。
『で、その確認。もう何度目だ?いい加減しつこいぞ』
「ぁ、すまん。でもっ」
スマホが熱を持っている。
こいつの言うとおり、もう何度確認しただろう。
けれど、その言葉を何度耳にしても、信じることができなかった。
----ソアンとこいつが 別れた?
『まぁな、お前が言いたいことは俺もわかってる。だからさ、今から言うこと、ちゃんと聞いてろよ。もう何度も同じこと言うのは嫌だからな。あいつのこと。---ソアンのこと、お前に頼んでもいいか?---ヨンファ』
「は?」
----お前に頼んでもいいか?---ヨンファ
「何を、俺に-------頼む、って?」
『だから----っ』
「っていうか、カイジ?それ、他人に頼めるようなものか?いや、モノじゃねーーーだろうがっ」
----あいつの、ソアンの気持ちはっ
『ヨンファっ、怒鳴るなって』
「.....っ」
ハッとして振り返れば、ビルのエントランスから出てきた同僚の驚いたような表情が目に入った。
中には、クスクス笑う女子社員もいる。
「と、とにかくっ、あとでまた電話する」
そう言い残して電話を切る。
----ソアンとカイジが別れた
この会社の同期で、親友と言ってもいい存在だったカイジ。
そのカイジが、とあるカフェで出会って一目惚れし、口説き落としたのがソアンだった。
----ただ
ソアンと出会ったのは、カイジよりも早かった。
住んでる場所を聞き出したのも、カイジより先だった。
ソアンは、落ち込んだ時、海とか山とか、辺鄙な場所に行きたがる。そんなことを知っているのも。
「----なんでだよ」
それでも、二人の心が通い始めたのを知って、
色んなことを諦めて。
色んなことを認めて。
「あいつらのことだって」
もしかして二人がこのまま夫婦になって
もしかして二人がこのまま親になったとしても。
それでも、
「なんでだよっ」
手にしたスマホに向かって、一度怒鳴りつけた。
そうでもしないと、これまでの自分のやってきたことが全て無駄になってしまう気がして。
「...... なんで、だよ.......ソアン?」
ソアンは。
ソアンは大丈夫だろうか。