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その2  不思議な女

「ね?行ってみよっ」

「あ、おい、待てって」


その女、ソアンは、絡めた腕を放すと手首をつかみ、ぐんぐん引っ張るようにして湖に向かって行った。

「凍ってる湖とか初めて見たっ。あ、TVでは見たことあるけどねっ」

待てと言っている声はまったく耳に入っていないようだ。

「な、お前わかってる?」

「何がっ?あ、見てっ。ライトでキラキラしてる、きれいっ」

「はぁ」

「何ため息ついちゃってるのよっ。ほらほら、落ち込むのはもうやめてさぁ」



----落ち込んでるんじゃねぇよ。


そう言いたかったけれど、それを言うより先に、

「ま、待てって。おい、危険だろーがっ」

「え?」


手首を握ったままの女の手を、今度は逆の手で握り返した。


----こいつはマジだったのか?



「凍ってるって言ってもな、どこも同じ具合に凍ってるんじゃないんだぞ」

「うん」

「うんって、もしこのまま歩いててバリって氷が割れたらどうする?」

「真ん中までいくわけじゃないよぉ」

「そういう問題じゃなくって」

「うん」


「....ったく」


ヒッチハイクのことといい、湖のことといい。

もう少し考えてから動けよ、お前、女だろっ、と。そんな言葉が喉まで出かかっていた。

しかし、相手は初対面の女だ。

出会ってすぐの女とドライブしている自分にも驚いたが、出会ったばかりの女に、こう何度も説教たれる気になってしまう自分自身にはますます驚いた。

どちらかといえば、仕事以外で他人のことに首を突っ込むタイプではない、と。そう思っていたから。

いや、けれど。


今回の場合、問題が大きすぎるのだ。


「命にかかわることだろうがっ」

「.... 」


そうして再び驚くことになる。

その手首を強く掴み、踏みとどまらせた先のこいつの顔。

唇をぎゅっと噛んでチラっと見上げるその瞳。

----ぅっ

きっと妹がいたらこんな感じなんだろうな、と。ふとそんな思いが過る。

それがまた不思議だった。

「なんだよ、その顔」

「だって」

「何?」

「だって、あなたが落ち込んでる、からさ」

「は?」

----俺のせい?

「どうして」

「だって、さっきからため息とかばっか、ヒッチハイクで余計な女拾っちまった、的な」

「は?」

----そこか?

「それに、いきなりあんなこと言ったから、私」

「だから何....」

「車のドアのこと、知らなかったんでしょ?大切にしてる車ならさ...気がつかないままのほうが良かったかも。っていうか、自分で気がついてればここまでその」

「違うよ。バカ」

だいたい言いたいことがわかった。

その先を遮るようにそう言って、掴んだ手の力を緩める。


「車の傷ぐらいで凹んだりしないし。で、俺の落ち込みようを復活させるのに、湖がどう関係するわけ?」

「う---ん、例えば」

「例えば?」

半ば呆れた声でそう聞き返す。

暗闇の中だけれど、女の瞳が輝いた気がした。

「例えばね、ほら、氷の上にゴロンってしてみたり、とか」

「マジでバカだろ」

「ぅ------」


猫のように低い声で唸る。

嘘や冗談ではなく、真面目にそう考えていたというのか。


「俺はいい大人だから、そういう危ない遊びはしないんだ。どうせ遊ぶならスキーかスノボのほうがよっぽどストレス解消になるしな」

今度は、その瞳が胡散臭いものを見るような色に変わった気配を感じる。

----なんでだ?

「じゃぁ----行けばよかったんじゃない」

「ちっ」

思わず舌打ちをした。

「行こうと思ったらおまえがいたんだろ」

細い手首を掴んだ手を放し、ついでに目の前の女を指さすようにして言った。

----お前がいたからだろ、と。

「あ、そういうことか」

----何なんだ、こいつ。

そうでしたね、と今更納得したのか、女が数回頷いて見せる。

そんな態度に、ヨンファは呆れたように短い息をついた。

「そういうことだ」

「----ごめんね」


「----」





本当に不思議だった。




学生の頃ならまだしも。

社会人になって、こんな風に仕事以外の場面で初対面の、しかも女と二人きり。

『紳士的なヨンファさん』

社内で評判の「あいつ」はどこに行ったのか。

いつもならこのぐらいのこと、軽く流して。こんな風に言い合いになったりしないはずなのに。



「なんだかさ」

「ん?」


湖を歩くという計画はあきらめたのか、

ボソっと呟いた。

「なんだか、ちょっと不思議な感じ」

「.... 」

「初めて会った感じ、しないんだもん」

どうやら同じことを考えていたらしい。

バサッ

足元の枯れ葉が大きな音を立てた。

そうして、女がくるっとこっちを振り返って発した声は少し明るかった。

「ね?もしかしてさ、私たちどこかで」

「会いましたか?とか、昔のナンパか、おまえ」

「ふふっ」







ただ。


学生の頃と違うのは、こうしたことだけではない。

この年になると色々と面倒なことも多い。



「寝るか?普通」



ヒッチハイクで拾った時、どこまで?と問えば、海か山とそう言った。

スキー場に行くには都合がいいと思って「じゃぁ、スキー場までな」と言いかけて、ふと。

手荷物がないもないことに気がついた。聞けば財布もないという。

それじゃぁ、スキー場は無理だろう、と。

けれども海も寒くて勘弁してほしい。そうしたこともあって車で小一時間、南怡島ナミソムまで来たっていうのに。


「寝るかな、こういう時」


チラチラ視線を向けた先には、こてっと首を倒して寝入った女がいる。

その胸元は規則正しく上下していた。

「襲うぞ、おい」

わざとそう声をかけたのだが、起きる気配もない。

「ったく」




マジで面倒な女を拾った。

こんなことなら、さっさとスキー場に行って、こいつはその辺に放り投げておけばよかったのかもしれない。

そんな考えも浮かんでくるわけで。


「ったく」


ムカつきながらもさっきこの女が言い残した住所に向けて車を走らせた。








「起きろよ、いい加減っ」


「んんんっ」




指示された住所には、説明通りの四階建ての古いアパートがあった。

アパートの前の駐車場に車を停める。

「電柱のところの階段、って言ってたよな」

アパートの前に、一本だけ電柱が立っていて、それを目印に駐車した。




人生の中で、出会う人数は決まっていて、

その出会いには、何らかの理由があるとかないとか。

そんなことを何かの本で読んだことがあるけれど。


助手席で寝入ったままの「女」に目をやった。


「出会い?」


この「女」---ソアンととの出会いは、どういう意味を持つのか。

「はぁ」

いや、今は考えまい。何かの意味があったとしても、こういう軽い女は趣味じゃないし。

とにかく面倒に巻き込まれるのも嫌だしな。

じっと見つめたまま、そろそろ本気で起こすか、と。シートベルトをはずして身を乗り出した。

「....な、おい」

肩を揺すってみたが、う----ん、と一つ唸るような低い声をあげたっきり、まったく起きる気配はない。

「ったく、おい、こら」

頬を僅かにぺしっと叩く。冷たいけれど、柔らかな感触がした。




コンコン 


「.... 」



車の窓を叩く音がして、

頬をぴたぴたと軽く叩いて起こしていたヨンファの目に飛び込んできたのは、黒いフードの男だった。

「警察?」

一瞬、こんな夜更けに車の窓を叩くのは警察か不審者ぐらいしか浮かばず。

ついさっき、面倒に巻き込まれるのは嫌だ。そう思ったばかりなのに、と。

----別にやましいことはやってませんよ。

何食わぬ顔をしながらも、一応、細く窓を開けた。

警察の尋問なら対応しないとケチをつけられる。かと言って、不審者なら厄介だ。

「はい?」

黒いフードの男が窓に鼻をくっつけるぐらいの勢いで中を覗き込む。

----何だよ、こいつ。

ヨンファはゾクっとするような嫌気を感じた。

「あ、いや、大丈夫かな?と思いまして」

「は?」

「そちらの、女性」

男が助手席の女の方へと視線を向けた。

「車がずっと止まったまま、あぁ、いや、中にどなたか乗っていたら、この寒さなんでね。無事かな?と、ついそう思いまして」

「あぁ-----はい。大丈夫です。ただ、起きないんですよ彼女。このアパートに住んでるらしいんですが」

「らしい、ってことは」

「あぁ、実はよくわからなくて困ってたんです」

「は?わからない?」

「----ふぁぁ」


男二人の会話にようやく目が覚めたのか、両手を突き上げるように伸びをした。

「ふぁぁぁ、ごめんなさい。寝ちゃった」

「ったく、マジで困った女」

「ふぇ?」

「あぁ、起きたんでもう.....あれ?」


窓は開いたまま。けれど、そこにいたはずの黒いフードの男の姿は消えていた。


「どうしたの?」

「ん?あ、あぁ、いや」


もう一度振り返ってみたが、やはり姿はどこにもない。

起きたとわかって他の場所の見回りに行ったのか。

その時はそれぐらいにしか思っていなかった。



しかし。


また、その男に出会うことになろうとは。

しかも。



すぐ翌日に。











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