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その1   夜の湖

「さぁ----むっ」



思わずぶるぶるっと肩を震わせた。

そんなヨンファにクスッと笑って見せた女。

しかし、彼女の口元から出る息も、真っ白な霧になって消えていく。


「今更何言ってるの?2月のソウルが寒いのは、当たり前のことだしっ」

「いや、それはそうだけどさ。今年の冬は異常だろ」

「っていうか、こんな寒い2月の夜に、こんな場所にいるのが間違いじゃ?」


真っ白な息を吐きつつ、女がマフラーに顔をうずめた。

そう。

その通りだ。






もう10年も前だろうか、とあるドラマでこの湖がロケ地になって。

海外からの観光客が押し寄せるようになってから、足が遠のいてしまったのだが。


------南怡島ナミソム


そこへ、

2月のくそ寒いこんな夜に車を飛ばしてくるなんて。

しかも、


「ね、まだ落ち込んでるの?」

「あ?」

高く長く続く並木道。

ぽつぽつとオレンジ色に灯る照明をバックに、女が顔を覗き込んできた。

「車のこと。あの傷、気にしてるんでしょ?」

「.... 」


そう言われると素直にうん、と答えづらいものがある。

不機嫌に口元をゆがめ、プイっと顔をそむけるようにして湖を見つめた。


愛車の異変に気がついたのは、彼女に指摘された時だった。

今朝早くに家を出て愛車で仕事場へ向かった時にその傷があったのか、定かではない。

助手席側のドアの大きな傷。

正確に言えば、何かにぶつかったようなへこみと、そのまま擦ったような大きな傷が二本走っていた。


「あなたがつけた傷じゃないんでしょ?」

「あぁ、たぶんな」

「だったらさ、仕方ないじゃない。駐車場に停めてる間に誰かにやられちゃったのかも知れないし」

「駐車場?」

湖を見つめたままそう呟いた。

「そう、駐車場よ、きっと」

その言葉になんとなくそういうものか、と。

そうやって自分を納得させるしかないものか、と。

「だな、きっと」

「そう」


いつの間にか、彼女が隣に立っていて、

そっと腕を絡めてきた。

触れ合う腕の温かさが心を落ち着かせてくれる。

「ね?湖、凍ってるよね?」

「あ?うん」

「行ってみない?」

「は?」

見下ろすと、暗い中でもその瞳がまん丸になっているのがわかった。

まったくこいつときたら、無鉄砲って言葉がぴったりな女だ。

「ね?行ってみよっ」

「あ、おい、待てって」


絡めた腕は一瞬にして手首をつかみ、ぐんぐん引っ張るようにして湖に向かって行った。







仕事帰り、そのままスキーにでも行くか、と。

今日、契約書を無事先方から受け取れば、去年からずっと取り掛かっていた大きな仕事にもけりがつく。

それを見越してしばらく休みを申請していた。

明日から数日、スキーでもスノボでも好きなことをして過ごそう。

そう思って、昨夜から準備していたのだ。

高速に乗る手前、コンビニにでも寄ろうかと、チラッと歩道に目を向けた時だった。


「.... 」



この先にある信号の少し手前。

左手でニット帽をおさえ、右手を前に突き出している女の姿が目に入った。

----まさかだろ。

一旦はウィンカーをあげたものの。

なんとなく、その女の顔が見てみたくなり、カチカチいっているウィンカーをおろすとそのまま直進した。

まだ、高速の入り口までは距離があるし、コンビニも確かもう一軒ある。


「マジか、よ」


そろそろ信号が赤に変わるというタイミングもあって、車は徐行する。

スルスルとヒッチハイカーの横を通り過ぎ、信号で停車した。

すぐ斜め後ろの歩道に、その女がいる。

ミラーに映るヒッチハイカーは、ニット帽からようやくはみ出る程度の黒髪の「女」だった。


「バカか」


こんな夕暮れ時に、しかもこんなに寒い日に。

ヒッチハイク?

乗せてくれる車など、そう簡単につかまるもんじゃない。


しかし、

「は?」

そう思った矢先、車間距離をおいていた後ろの車が「女」の前で止まったのだ。


「おいおい、乗るつもりかよ」


ミラーでじっと窺えば、ヒッチカイカーのその女は車の運転手と何やら言葉を交わしている。

ただ、その車には数人の若い男が乗っているようだ。チラチラと影が動いている。

「いい餌みつけたって?」

どっちが餌なのかわかったもんじゃないけどな。

そう考えれば、新手のナンパに近いものがあるんだろう。合意の上なら何でもアリか?

ハンドルを握った手に顎を乗せた。

そうやってミラーから視線を外してみたものの。


「.... 」


なにか気にかかるのだ。

それが、ヒッチハイカーのその女のことなのか、それとも、あの車に乗ったあとに起こるであろう出来事が気にかかるのか。そこがはっきりとしないまま。

ただモヤモヤとするものを感じて。

信号に目を向け、もう少しあるか、と確認をした。


バタン


「どこまで?」

「え?」

いよいよ車から姿を現そうとしていた後方の男たち。

それを遮るように大声をあげた。

「どこまでか、って聞いてるんだ。乗るなら、こっち、いいよ。....俺、一人だし」

「あなた一人?」

「うん」


はぁ----?とか、なんだよ、邪魔すんな、とか。

窓が開いて複数の男どもの声がしたけれど。

その女はバタバタとこっちに向かって走ってきた。

少しは身の危険を感じていたってことだろうか。

「はぁ、助かった。ありがとう。えっと、私はソアン。イ・ソアンっていうの」

「あぁ、乗って」

「うん」




「ね?ドア、ぶつけちゃったの?」

「は?」





それが、ソアンとの出会いだった。



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