名前
少ないしシリアスだし。リアは痛い娘だし。謝ることしかできないです。
侘びしい。
無一文って侘びしいね。乾いた笑みが漏れてしまう。
取り敢えず私は一応治安隊の事務所に行って被害届を出したけど、私の目に余る馬鹿さ加減に爆笑を招いてしまった。なんだか永遠に語り継がれそうで、いやだ。
ぐやしい。おまえら、仕事しろよ!
ともかく、見つからないんで諦めろと一人の男が言ったので腹いせに足を踏んでやった。
『ごめんあさせ〜』と慣れないおかしな言葉付きで。
少しだけスッキリしたわ。お陰様で。ざま見ろ。
「ーーまぁ、署長に全力を出すように指示はしておいたからだいじょうぶなんじやないかな?」
町の隅に在るカフェ。窓からは淡い光が降り注ぐ古びたカフェにはベッキーも含めて私達と数人の客しかいない。
ここは知らなかったけど、こういう所って良いよねぇ。落ち着くし。大抵こういう所ってお菓子や紅茶が美味しいんだよね。
でも、
私に与えられているのは、水。ガラスの向こう側が見えて素敵! じゃ無くて一文無しで何も買えなかったんだよお!
『奢る』と勝ち誇っだ笑顔で言われたら断りたくなるよね!
でもさ、テーブルには色とりどりのケーキを初めお菓子が密集……何かの嫌がらせ? しかもふかふかのスポンジには手なんて付けられてないし。生クリームは時間が命なんだよ? 食べる気配なく紅茶をゆったり口に含んでるけどーー食べないならくれないかな?
ああ、ベッキーちゃんの食べてるアップルパイーー美味しそう。口いっぱいに含んで満足げな笑みが羨ましいーー。
よ、涎がーー。頼んでみようか? いやいやいや。
欲しがりません。負けたくないので。
「そうですか? 仕事をするとは思えません。だいたい、貴族だからって指示に従ってくれるわけじゃないでしょう?」
どちらかというと反発が大きい気がする。だいたい庶民って特権階級嫌いだからね。
「うーん。でもないぜ? だってこいつ、治安隊本部を統括する治安府長の補佐だから。ま、下か知らないのは無理ないけどな」
は?
ニコニコと口元に紅茶を運ぶ公爵。クッキーを空中に飛ばしてパクついているアホ王子。子供か?
一枚くれーーではなくて。なに? それ。そんな身分の高い仕事をしてるのにーーこんな所で。
なにしてるの?
「凄いでしょ? こんな若くて、実力なんですよ?」
ふふふと自慢げなのはベッキーちゃんだ。その横で公爵にジロリと不服そうに睨まれる。
「……まさか、とは思いますがーー王子と同類だとか頭の中で考えてませんでした? いつも、私は暇だと?」
え?
ゴメンナサイ。
思ってました。だってなんとなく、セットに見えるし。静と動というか。いや、公爵まで遊び歩いてるとは思ってないけどーー。
心の中でつらつらと言い訳をしても仕方ないけどさ。とにかく、消え入りそうな声でゴメンナサイ。そう言うと嬉しそうに満面の笑みを浮かべる。
……。
心臓が跳ねたのは不可抗力だと思うのよ。
「え? なんか俺がダメな人間みたいじゃん?」
「え?……違うの?」
誰も否定しないところが悲しいねえ。悲しい。王子は不貞腐れたように窓に視線を向ける。
「そういえば昔、お前『捜し物』するために治安隊に入ったって言ってたよな? 見つかったのか?」
あ、帰ってきた。立ち直り早。あんまり気にも止めてなさそうだなあ。もう少し気に止めようよ?
えっと。治安隊って無くしもの落とし物まで探してくれるところだっけ? 犯罪に関わるものだけ扱ってたと思う。ーー私と同じように財布でも無くしたのかな? だとしたらすごい執念だけど。
聞かれたくないのか苦々しく笑う公爵。
やっぱり財布? 執念ありすぎて聞かれたくないのかもしれない。貴族でも、金持ちでも無くすのは嫌なんだね〜。恥ずかしいよね。やっぱり。
「まぁ、そうですね。見たかったと言えばーー」
カタンとカップをソーサに置く音が軽く響き軽く息をついた。なんだかいつもより憂いを帯びてるためかカッコよさが跳ね上がっている気がーー。
み、見とれてなんて無いです。
「へぇ、何探されてたんです?」
うわぁ。興味津々だよ。目が輝いちゃってる。それとは対照的に嫌そうだな。公爵は。財布だもんねリ恥ずかしいもんね。言いたくないよね。矜持だってあるし。
私が考えながら覗き見る公爵は少し困ったような笑みを開かべて口を開く。
あくまでも表情は柔らかい。けれどその目には『拒絶』が浮かんでるような気がした。
「良いんですよ。ーーもうべつに。さ、早く食べてください。私はもう帰りまーー?」
一瞬。柔らかな表情が氷ついた。窓の外に視線を写したままぴくりと動かなくなった公爵。瞬きをしなければ。まるで作り物のように見えた。
「サイ様?」
恐る恐る窓の外に視線を向けてみると、そこには歪に口端だけを歪めた青年が立っていた。
まるでーー公爵の鏡のように。
私は思わず息を呑んで瞠目する。なにか見間違えなのかとも思って目を擦ったか、そうでもないようだった。
目はおかしくない。うん、いつもと一緒。
「?」
すべて、そういってもいい。金の髪色も緑の双眸もなにもかも。すっと通った鼻筋も切れ長の双眸も。浅く日に焼けた肌と衣服がなければ見分けはつかない程に。
本人も気付いて無いような上ずった声がかすかに響いた。
「……レンズーーやっぱり。なん……で」
レンズ=フリオニール。
一瞬にして私の頭の中にその名前が過った。よく遊んだーーあの子。
木の指輪をくれたあの子供の名前だ。大切な思い出ーー。
あの人はあの子供なのだろうか? 整った横顔に視線を向けるとかすかに口元が揺れているのが分かった。
「なんでサイ様がレンズをーー? あの人はレンズなの? どうしてーー」
そっくりなの?
ようやく、失態に気付いたのだろう。弾けるようにして公爵は私に目を向けた。その後で。王子。婚約者へと視線を巡らす。今にも倒れそうな蒼白な顔をして。
「……サイ様?」
聞きたい事は沢山あるけれど公爵はそれに答えることはなくぐっと口元を結んだ。少し泣き出しそうに見えたのは気のせいだったのかもしれない。
「つーーすまない!」
消え入りそうな言葉だけを残して立ち去る公爵。その謝罪は私なのかベッキーちゃんなのかどちらに言ったのか分からないものだった。もしくは両方なのかーー意味すらわからず立ち尽くすベッキーちゃん。私は暫く呆けてしまったが、我に返ると慌てて上着を手に持っていた。
追いかけないとーー。自信過剰と笑われてもいい。きっとこれは私に関係ある気がしたんだ。
放っておく事なんてできない。
けれど。
私の身体は動く事はないーー。しっかりと腕が掴まれていたのだ。かすかに熱を持った骨っぽい掌。その先には王子の顔がある。
真っ直ぐに私を見るのはかつて焦がれたダークグレーの双眸から私は目を外すことができなかった。
「マテリア。行くなーー頼む」
初めて私の名前をまともに呼んだ瞬間だった。