気付かない心
今は何時くらいなんだろう。光など入らない暗く冷たい牢獄は時間の感覚が全くしなかった。ポツリ落ちる水は頬にあたり私は手でそれを拭う。
はい。手錠は解いてもらいました。足も手も自由です。別にレンズが解いてくれたわけではなく、壁にもたれかかりながらこちらを睨んでる人にーー。
胸(人工物)が豊かな美人のーー男。
凹むわ!!
「……ええと、どうして捕まったの? おーーウェルまで……」
王子とはーーもちろんアホとは言えず、取り敢えず言い慣れない名前を呼ぶ。なんか気恥ずかしい。
「こっちのセリフだ。ーーっか、お前を心配してワザと捕まったっていうことは考えられねぇのかよ?」
低い声。先程まで声を高くしていたのだけれど見張りが居なくなったのを確認すると声を元に戻していた。その姿にその声は酷く違和感がある。
「……え? だからどうして?」
心配って何?
大体、カルちゃんに引き取ってもらい、とっくに城を後にしているはずか、部屋に引きこもっていると思っていた。
それにわざわざ捕まる必要など無い気がする。踏み込めばいいんじゃないでしょうか?
捕まえてください。国家権力で。
じっと恨めしそうな輝きが私を見つめる。
「お前、忘れてないか?」
「……何が?」
「俺の嫁じゃ無かったか?」
恥ずかし気もなく、嫁いうな。それに偽物なんですが。ともかくそれがなんの関係語あるのか分からない。首を傾げると睨まれた……気がした。
もう、いいや。突っ込むのが面倒。
「ーーだからって自ら一緒に捕まらなくも」
「大立ち回りする気はねぇよーーまだな。そんな事より。俺の質問が残ってんだけど? 大体、抜け出すってーー自覚も、危機感も足らないからこういうことになる。アホか? ーーそもそも、なんで抜け出したんだよ? お前は」
……なんか、ここ最近『アホ』だの『馬鹿』だのーー不細工だの胸がないだの、ちっこいとか、地味とか、能力なしとかーーさんざん言われている気がする。
否定できないところが辛いけど、やっぱりムカつく。私は歯をギリギリさせて軽くうめいた。
「だってーー出してくれないし」
私悪くないです。そんなことを含ませてみたが理解は得られないようです。
「それは今までも、だっただろうが。なんで? どうやって出た?」
身体ごと迫ってきているのがわかった。発せられるのは威圧感。何となく尋問を受けているようで私は身体を縮こませた。
ち、近いんですが。触れる肩。顔を捻れば息がかかりそうだった。内心慌てるが、それを表に出せば意識している。そう思われるのも癪なのであくまでも平静を装いつつ私は少しだけ奴との間を身体ごと空ける。
「どうやって、って。普通に。見張り番ってある時間になると交代に入るからそこをーー」
なんか都合よく一斉に交代してた気がするけど。そう付け加えると難しい顔して考え込むーー美女。スカートから見えている太腿は細く白い。ただ引き締まった筋肉がついていた。
腕も骨っぽいし。よく見ると男性と言う事がよくわかるんだけど、全大敵に見ると女性っぽいという事はどういうことなんだろうか。
「最近ーー住み込みである女官やメイドが城内から消える事案が発生してたんだがーー。なるほどねぇ。一応警備体制を強化してたんだけどーーこれで……」
「?」
「まぁ、いいや。さ、なんで抜け出した? ーーまったく、今日に限って」
言え。つけ加える言葉は拒否など許さない。そう言っている気もした。けれど、言うべきなのだろうか?
こんな時間。公爵に会いにーーなんて。下手したら多大な誤解を生む気がする。
も、勿論朝になるまで何処かの宿屋で潜伏はするつもりだったんだけど。流石に真夜中訪ねる勇気はないからねーー。
言いあぐねているとその前に王子が口を開いた。半ば何処か呆れたように。諦めたように。
「……サイか?」
肯定するよりも早く表情に出ていたらしい。王子はクックと喉を鳴らせてみせた。
それは、私を見て楽しんでいるのでもなく、なんだか自嘲気味の笑みのようにも感じられる。
「あーーあの」
「会えたなーーで?」
なにが? ーーと言うより冷気がする。なに? なんの冷気? 笑顔が怖いです!!
浮気とかじゃないよ? てか、それ以前の問題だしーー。あの、いや。
ん? あれ?
「そういえば、何で怒ってるの? ……だいたい、私の事は好きって言うわけでもないしーー」
多分。レンズが言うようにその辺の女よりもこの男の中では低いと思ってるんだけど。
ふと見た顔は困惑したように目を見開いたあと舌打ち一つして私から目を逸らした。
かなり不服そうだけど。何? 整った眉がハチの字になってる。それでも憂いを含んだ美女なんだよね。どう見ても。
「……お前さ。サイと会ってどうするつもりだった?」
「あーーレンズの事を聞こうと思って。あ、幼馴染なんだけど。さっきまでそこにいたーー。でも、あんな酷い人になってるとは思わなかったわ。ーーきっと、サイ様もあいつに捕まってるんだよね。あの通りそっくりだし、入れ替わって好き勝手にしてるんだ」
あの時。追い掛けていればこんな事にはならなかったのかもしれない。そう思っても後の祭りだし、ここから出なければ公爵を助けることができない。考えながら息をついた。
一拍。沈黙の後で口を開いたのは王子だ。声は小さくけれど響くようにして私の耳に届いた。
「……そう、か。じゃあさ、マテリア」
一瞬心臓が跳ねる。名前を呼ばれたからだろうか。それとも。
床に置いた手に重ねられるのは温かくて大きな手。王子はこちらに視線を移す事なく何もない空間を見つめていた。
「ここを出たらあいつを助けに?」
「ーー助けられるものなら助けたいわ」
私は何も持ってないけれど。繋がりさえ持っていない。でも、と、友達だと勝手に思ってる。ベッキーちゃんだって泣かせたくないし。
ともかくリディに頼んで情報を集めてーーそれから。
考えていると重ねられた手に力が入って私は顔を上げた。
「お前さ、俺が囚われてもそんなに考えてくれるの?」
何言い出すんだよ? アホ王子。期待の眼差しで見てるけど。
子供か? それに、アンタ国家レベル過ぎて私には手に負えないとーーぐ。期待の眼差しが眩し……。犬? 犬なの?
「た、多分ーー死んだらそれなりに悲しいし」
これは本音。別に期待に沿ったわけではないんだからね。こんなのって一般論だし。
特別という訳ではーー。と私は誰かに言い訳しながら絶句していた。
だって。なんか弾けるような笑顔が。暗いのに太陽に照らされているような笑顔が……。
「ーーえ?」
気付いたら顔に人工物が押し付けられているんですけど。なんか本物のような弾力がある何かーー。いいなぁ、何で作ってあるんだろう。
……。
じゃ無くて!
「なにっ!? な?」
暗いからなのかなんなのかいつもなら少しは抑制が聞いていて言い聞かせるのも可能だったが、顔が茹でだこのように染まるのを感じていた。
心臓が早鐘の様に鳴っている。
聞かれたくなくて身じろぎをすると尚更胸に押し付けられた。
「ーーつ!」
なーー! どうした? ついになにか壊れたか!?
「放しーー!」
「聞いてたか? サイ!」
は? なんでそこで公爵の名前が出るのだろうか?
ふと見上げた視線の先。勝ち誇った顔のアホ王子の視線をたどると、私達が降りてきた冷たい階段に一人の影が座っていた。
暗いため顔はよく見えない。かすかに入り口から入る光で髪が金髪だど言うことは分かった。
影はゆるゆると立つとこちらに向かって歩いてくる。
「……はいはい。聞いてたよ。ヨカッタですねーーそんな事より、リア。ご心配かけていたみたいでーー」
聞き慣れた温かな声だ。レンズとは違うそれには柔らかさが伴っていた。
弾けるようにして私は王子を押しのけるとその人に目を向けた。安心感で自然と溢れるように笑顔が漏れる。
「サイ様! 良かった! ご無事だったんですね! よかった!!」
本当にーー。死んでない。ーー生きてる。
なにかがこみ上げそうになって私は俯いていた。
よかったーー。
「……すいません。リア」
「話は後。ともかくだ」
ぽんっと軽く頭に手を置いたのはアホ王子だった。杖ーーではなく慰めているつもりなのだろうか。
なんだか温かい。
「処理はどうなってる? お前がここにいるってことは、ほとんど終わったんだろ?」
言うと、公爵は肩を軽く竦めたようだった。
えと。処理ってなんですか? なにか、知らない事が進んでませんか?
「……まぁね。人員の配置は殆ど終了。取引相手も確認してあるーー予定とはすこし違ったけど仕方ないよね」
予定ってなんですか?
「じゃ、明日決行か。予定通り」
だからーー。
でも口を挟む雰囲気ではなくて、私は二人の会話を見守るしか無かった。
「……はい。では全員集合した時に踏み込むということで」
言うと一瞬考えるようにして沈黙が落ちる。ふと思いついたように王子は顔を上げた。
「お前はどうするんだ? ーーサイ」
「ーーさぁ? 考えてませんよ」
なにか伺うように言う王子。それに対して公爵はふわりと笑った気がした。どこか悲しそうにーー。然しながらそれ以上何も言うことなど彼はない様で、くるりと踵を返すと牢獄を後にする。
「……ねぇ、あのーー」
何をいいたかったのだろうか。よくわからない。整理しなければならない聞きたいことが沢山合ってまず何を聞くべきかわからないまま、私は王子に目を向けていた。
……。あ。
満面の笑みでロープの組み合わせ良くないです。なんかのプレイかと思われるでしょうが!
「また、拘束……」
うんざりしたように言うと王子は苦笑を浮かべた。
「痛くないようにするさ。俺の技術で」
……。
足を差し出すと手馴れた手付きで縛っていく。確かに痛くない。痛くないけど、触られている足が熱を持って嫌だーー。
一瞬見上げた王子と目があって慌ててそらしてしまう。
違うから! これでは意識しているみたいじゃないか!
早く終われと念を送っていると不意に声をかけられた。
「お前はーーあのレンズのためにも泣くのか?」
真っ直ぐに向けられたダークグレーの双眸。そこに浮かんでいるのは強い意志と僅かな悲しみのようなそんな気がした。




