ある大人は護れなかった。
俺は美代子さんに向かう2人の手を掴んだ。美代子さんは座り込み口に手を当てて溢れ出る血で服が真っ赤になっていた。たった数十秒前まで歩けたのにもう座るのさえ辛い程に衰弱していた。
「勇人…悠里…2人ともお兄さんに着いて行きなさい……。お母さん……ちょっと具合悪いから先に行ってて……うぅ……」
「そんな……美代子さん……頑張って下さいよ……」
「死ぬ前に……この子達に合わせて…くれてありがとね……」
2人を連れて美代子さんに近寄る。
当然2人は血塗れの母親を見て飛び付き泣きじゃくる。だが俺はこのあと美代子さんがどうなってしまうか知っている。早く2人を安全な場所まで逃がさなければならない。
「あ"ぁぁぁぁぁぁ!!」
気づかなかった。俺のすぐ後ろに奴らが2体、今にも飛びかかってきそうになっていた。だが俺は助かった。
美代子さんが最後の力を振り絞り俺の身代わりに前に出たのだ。
首と左肩に噛み付かれそのまま押し倒される美代子さん。
「あ、あぁ……そ……そんな……なんで……」
そんなセリフを吐いた所でもう美代子さんから返事は帰って来ない。子供は腰を抜かしてただ喰われる母親を見ていた。
俺は無言で銃の引き金を2回引いた。
パァァァァンッッッ!!!! パァァァァンッッッ!!!!
「お母さぁぁぁん!! うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!! あぁぁぁぁぁっ!!」
「ねぇ、起きてよ! お母さん起ぎで!! おぎでよぉ!!」
「ゴメン……ゴメンな……」
死体をどけ血塗れの母親に抱きつく子供達。俺は方針状態になりかけていた。妻は無事だろうか。
なんでいつも大事な時にそばにいてやれないんだ俺は……
人一人の命すら護れない。
今は、早くここを離れよう。
「お母さぁぁぁん!! お母さっっっ……」
「おか、あさん…? 何してるの?」
美代子さんは変わり果てた姿になり、あろう事か自分の娘の首に噛み付いた。すると次は近くにいた勇人くんに襲いかかる。
「お母さんやめてよ!!!! 痛い痛い痛いっ!! やめてよ…やめ……や…」
「あ"ぁぁぁぁ」
俺は一歩も動けなかった。たった1歩、たった1m。すぐに動けば2人とも助かったかもしれない。だが俺は1歩後ろに下がった。
信じられなかった。
優しいお母さんだった美代子さん、最期まで子供達を守ろうとし僕の身代わりになって死んだ。
だが今、命を落としてまで守った子供達を喰らい命を奪ったのも美代子さんだ。いや、もう違うか……
「美代子さん……ごめんなさい」
パァァァァンッッッ!!!!
「あ"ぁぁぁぁ……」
「あ"ぁぁぁぁ!」
勇人くんと悠里ちゃんが動き出した。俺は勇人くんを撃った。
パァァァァンッッッ!!!!
残るは悠里ちゃんのみ。俺に噛み付こうと近寄ってくる。俺は迷わず引き金を引いた。
カチャッ……カチャカチャカチャカチャ……
「おいおいおいおいおいおいおいおいっ!! 弾切れかよ……こんな時にっ、クソッ!!」
ここに来るまで余りに色々な事があった所為で弾切れを気にしていなかった。
どうする、このまま逃げるか、それとも悠里ちゃんを殺すか……
「あ"ぁぁぁぁぁぁ!!」
悠里ちゃんが俺の手首を掴んだ。
「やめてくれ……なぁ……何でだよ……元に戻ってくれよ……」
俺は悠里ちゃんを引き剥がし無言で近くの教室の掃除用具入れから木のほうきを取り出し、ほうきの先を折って棒にした。
悠里ちゃんが教室に入って来た。もう目が普通じゃない。
俺は構えた。
そしてほうきを悠里ちゃんに振り下ろした。だが途中でブレーキをかけてしまった。美代子さんの言葉が頭によぎったのだ。「勇人…悠里…2人ともお兄さんに着いて行きなさい……」と俺に2人を任せた。任されたのに俺は護れなかった。
絶望と後悔、何と表現したら良いか分からない感情に心が埋め尽くされ、俺はもう一度悠里ちゃん目掛けて今度はほうきを突き刺した。
悠里ちゃんは右目から脳にほうきの尖った先が達したのだろう。倒れて動かなくなった。
俺の腕には大量の返り血が付いていた。
トイレに行き手を洗った。顔も洗った。
鏡を見るとそこには、人殺しの顔があった。警察? 刑事? そんなの今じゃ関係無い。俺は既に7人殺した。小さい頃は蟻も殺せなかったのに。人が極限状態に追い詰められると簡単に人殺しをすると聞いた事があるが、どうやら本当らしいな。
「フフッ……ハハハハッ……アッハハハハハッ! アッハハハハハハハハッ!! ……ハァ……ぁぁ……うあ"ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!!」
俺はしばらく頭をを抱え、訳もわからず叫んでいた。
1階は既に連中に占領されていた。ので、2階から非常階段で降り学校から脱出した。先ほどまで逃げ惑う人で溢れていた小さな裏門も今は死体で埋め尽くされている。あいつらも時期に動き出すのだろう。
俺は本来の目的通り、妻の待つ家に向かった。
時刻は4時頃だろうか、家に着くと鍵が閉まっていた。鍵を開け中に入ると、いつもある妻のスニーカーが無かった。台所に行くと、置き手紙があった。
『ちょっと出かけて来ます。夜までには必ず帰ります!』
俺はすぐさま家を飛び出した。怖くて仕方が無かった。もう夕陽で空がオレンジ色になっていた。夏が終わり暗くなる時間が早くなるこの微妙な季節。あのスニーカーを履く時は自転車を使って遠出する時だ。自転車を使えば襲われる心配は無いだろう。だが心配だった。
家の周りを走り周ったが妻は見つからない。いつしかボロボロに泣き崩れていた。その姿はもう大人では無く、親と剥ぐれて泣いている子供の様だっただろう。涙が出なくなるまで泣き、走り、気付けば周りは真っ暗になっていた。
それから何日か妻の行そうな場所を探し回った。
だが見つからない。
それどころか日に日に人に出会わなくなってきた。
もうこの辺りには俺しかいないんじゃないか。そう思った。
だが何日か経った夜、修学旅行に行く様な荷物を持った女子高生が1人で走っているのを見かけた。
心身共にが衰弱していた俺は最初、幻だと思ったが幻しては妙にリアルだと思い後をつけた。もしかしたら妻を見かけてたかもしれない。
だが途中で見失ってしまった。なんて足が速いんだあの子は。
次の日も見失った辺りを探したがやはりいない。
空には自衛隊のヘリが何機か飛んでいる。
もう何日も何も食べていない。頭がおかしくなりそうだ。
結局歩き回り朝を迎えた。一体何日寝てないのだろうか。足もボロボロだ。
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!!!」
「!? 今のは……」
声のする方へ走った。するとまた聞こえてきた。
「ぶっっふふふふっそれあはははははっ!!」
微かにしか聞こえないが、笑い声? だろうか。
どんどん近づいて来たが、それ以降は聞こえなくなった。
辺りを見渡し声の出た家を探した。そして見つけた。1階の窓が全て何かで塞がれ、微かにだが声が聞こえる。
俺は中にいる人達が良い人である事を祈りつつ窓を叩いた。




