最終試験
この次元に無数に存在する世界は、地球をモデルに作られている。
ある世界は宇宙空間ごと、ある世界はドームの中に存在する箱庭のように。
世界の形態は、創造主たるリオの気紛れと遊び心、そして世界を創るのに必要な魔素がどれだけ貯まっているかにより決まる。
ドラグーンと呼ばれる世界は、地球が存在する宇宙空間のミニチュア版だ。
数ある世界の中でも、最も地球に近い世界の一つ。
動植物から天体まで、昔の地球と今の地球を掛け合わせたように酷似している。
その世界は、ドラゴンのような形の大陸に因んで名付けられた。
しかし、今のドラグーンにその面影はない。
凡そ百年ほど前、魔素溜まりにより大陸の一部が消し飛んだためだ。
独特の進化を遂げた世界。
幾つもの問題を抱えた世界に、また一人の魔術師が姿を現した。
「…お見事に何にもないな」
色褪せた外套をはためかせた青年が呟く。
遠くに山が見えるが、現在地は白い岩と砂以外は何もない。
枯れた、土地。
そんな言葉が頭を過る。
暑くもないのに砂漠のようだ。
草一本生えておらず、人どころか、動物も、虫も、魔物一匹すらも見当たらないそこは、全ての生き物に避けられているかのように思える。
いや、実際そうなのだろう。
しかし、青年は気にしていなかった。
廃墟などが醸す独特の不気味さに慣れてしまったせいもあるが、転移する先というのは余程手慣れていない限りは、こういった場所が理想なのだ。
そして、青年は紛れもなく熟練者とは程遠い。
青年…名足悠一は辺りを見回す。
生き物がいない地。
ここはさしずめ死の砂漠と呼ぶに相応しい所だ。
自分に魔力があることを知ったあの日から三年。
高校を無事卒業した悠一は、比較的新しい世界で“ドラグーン”と呼ばれる若い星がある世界に降り立った。
異世界の指定地点へ単独転移する事が、試験の最終科目なのだ。
三年前、何処と無く幼さを残していた悠一の容姿は、青年らしいものへと変わっていた。
背も随分伸びたし、顔立ちも大人びた。
かといって男臭さは全くない。
自覚はないが、悠一は美人だ。
絶世の美男子という訳ではないが、そつなく整った顔立ちをしている。
切れた雰囲気を纏った和美人。
それが周りの悠一への評価だった。
艶のある漆黒の髪と切れ長の瞳が冷たそうに見えるせいか、面と向かって悠一にそんな事を言う人間はいなかったけれど。
そんな悠一の服装は、シンプルなものだ。
白い無地の半袖Tシャツに黒いジーンズ。
茶の太いベルトを通してナイフを数本ぶらさげ、肩には黒のショルダーバッグを掛けている。
足元をゴツい黒の編み上げブーツで固め、全体を覆うようにフード付きの分厚い外套を羽織っていた。
「…しっかし、何処なんだ此処は」
そう呟いた悠一は、改めて辺りを見回した。
見渡す限り砂、砂、砂。
時折吹く風に舞う砂煙が目に痛い。
遠くの木のない山は鉱山か何かなのだろうか。
その茶の大きな山に、うっすら所ではない量の雪が積もっているように見える。
幾ら山の雪が溶けにくいとは言え、まさか夏ではないだろう。
今は外套のお陰で寒くはないが、夜になればもう何枚か着込む必要があるかもしれない。
少なくとも日本は四月半ば。
都内近郊の地元に雪は全く残っていなかった。
勿論、季節だけでなく気候の差もあるのだろうし、一概に推し量る事は難しい。
悠一は溜め息を吐き、手近な岩に凭れて試験官である巳夏の到着を待つ。
悠一は結局、ファミリーの末席に身を置くことを決めた。
この世界に来たのは、その最終関門たる試験を受ける為だ。
尤も大半の試験は既に終わっており、この異界を跨ぐ転移魔法に問題がなければ、晴れてファミリーの一員となる。
そうなれば、暫くこの世界で自由に旅をしながら修行することになっていた。
期間は師たる巳夏に呼び戻されるまで。
それは一ヶ月かもしれないし、数年後かもしれない。
期間不明の自習研修という訳だ。
悠一は軽く息を吐いた。
時間が経つにつれ、非常に落ち着かない気持ちになってくる。
何故、と聞かれれば理由は一つしかない。
今頃試験官たる巳夏に粗捜しをされているだろう、転移魔法の事だ。
直ぐに来るのだと思っていたが、意外と時間が掛かっているのが気掛かりだった。
何か失敗していたとでも言うのだろうか。
渾身の転移だっただけに、万が一、失敗していたらと思うと気が気でない。
落ち着かない悠一はとうとう岩の上に腰を下ろすと、魔物一匹見当たらない砂地をぼんやりと見つめる。
こうして一人佇んでいると、三年前が昨日のように思えるから不思議だ。
悠一はそっと目を伏せ、過去に記憶を馳せた。
あの日自宅に戻った悠一は、倫子と二人向かい合ってこの先について話し合った。
父の事があったからだろうが、巳夏が倫子に先に話を通してくれていたお陰で助かった面は多い。
倫子が全く知らないままだったなら、悠一が自分から話すことは恐らくなかっただろう。
最悪、失踪。
そんな事になっていたかもしれない。
色々な選択肢を吟味した上で、悠一は高校を卒業したら異世界へ行くという意思を固めた。
選択肢の中には、このまま日本で暮らしていくというものもあったが、それに対して悠一は頑なだった。
周りの人間の寿命の件が大きいが、他にも躓いた所は多かった。
あれからの遅めの成長期を迎えた悠一の魔力は、体の成長に伴い増加の一途を辿り、現在は巳夏と同量程度か少し多いくらいの量だ。
今まで魔力を持っていることすら知らなかった悠一に、魔力制御なんて器用な真似が出来る筈もなく、日に日に増していく魔力を垂れ流していた悠一は、弊害にぶち当たった。
魔力を垂れ流していると起こる弊害が幾つかある。
体を覆う魔力により強化され、身体能力が上がること。
対人関係が破綻すること。
前者に関しては文字通りだが、後者は以前悠一が巳夏に覚えた不快感のような感覚を人に与えてしまうせいだ。
尤も、悠一の周りは不快に思うというよりは怖がっていた。
魔力に慣れない地球の人間というのは、他の世界の人間に比べるとその感覚は鈍いらしいのだが、全く抑えられていない魔力となると話は別だ。
悠一の周りはまるで悠一が凶悪犯か何かのように悠一を怖がったし、悠一はそれにうんざりして孤立する事が多くなった。
他にも弊害は色々あったが、悠一に「無理」だと思い知らせたのはこの二つだ。
以来、巳夏に制御装置のようなものを借りて事なきを得ていたが、制御装置には反動があって常用する訳にはいかなかった。
制御装置にもリミットがあって、それを越えると壊れてしまう。
そして、その瞬間ものすごい魔力が吹き出すのだ。
下手すれば、周りの人間を全て昏倒させることになる。
単体テロリスト。
危なくて、人がいる所では外せたものではない。
それが、悠一に地球で暮らすことを決定的に諦めさせた理由だった。
魔力が当たり前にある世界では、そういった問題が起こることはまずない。
当たり前のものとしてそれが馴染んでいるせいだ。
その事実は、生きるべき世界が違うのだと悠一に理解させるには充分なものだった。
無論、たまには帰ってきなさいという倫子の言葉通り、何かあれば日本の実家に帰省するつもりではいるが。
魔力の増加、これも説明するべきだろう。
巳夏が悠一に接触し出したのは、悠一が中学二年生の終わり頃、つまり十四歳の時だ。
見つかるにしろ、接触するにしろ、些か遅すぎると思わないだろうか。
その事にも、ちゃんとした二つの理由がある。
一つ目は、探知能力の稀少さ。
強大な魔術師だからといって、何でも出来るかと言えばそうではない。
人によっては得手不得手が当然のようにあり、悠一も含め強大な魔術師というのは他者の力に疎い傾向にある。
自分の力に埋もれて周りが見えなくなるせいではないかと言われている。
その為、人の魔力を探知するには、それなりの魔法を行使するのが普通だ。
元々視る事に特化した人間というのも存在するようだが、ものすごく少ない。
そしてその魔法での捜索というのは、特に問題が起こらなければ、数十年単位で行わないことも多いそうだ。
そのせいで発見が遅れたということ。
二つ目は、悠一の魔力が発展途上であったこと。
魔力というのはとある臓器で魔素が作られ、変換され、蓄積される。
その為、体が成長するにつれ魔力は大きいものになっていくのが一般的だ。
悠一は凡そ七歳の頃、偶々地球に来ていた魔術師により発見された。
しかし、その頃はこれ程の魔力を持つようになるとは予測されていなかったらしい。
この辺りは恐らく、悠一が小柄で病弱だったからだと思われる。
本来、強い魔力を持つ者総てにファミリーから声が掛かる訳ではない。
基本的にファミリーは既に出来上がっている組織なので、新たな人材は必要としていないのだ。
しかし、悠一はイレギュラーな存在だった。
地球人なのに、魔力持ち。
当時、見つかったばかりの悠一をどうするべきかという案は幾つかあったようだ。
他の世界へ連れていく(誘拐)、放っておく、ファミリーの魔術師が身近で指導を行う。
一つ目は酷い話だ。
勿論、倫理的な理由で却下されたらしい。
二つ目は放っておけないほど悠一の魔力が成長した為に断念された。
もし二つ目が選択された場合は、悠一に家族が出来ないように操作される手筈だったという。
一つ目に負けず劣らず酷い話だ。
そして、二つ目が不可能だと分かった段階で三つ目の案が実行された。
悠一が思うのは一つだけ。
最初から三つ目にして貰いたかった。
巳夏は派遣されることになるまで、そんなことが起きてることすら知らなかったそうだ。
魔素の研究家でもある巳夏は魔素が充満している他の世界にはかなり詳しいが、唯一魔素がない地球への関心はものすごく薄い。
それを思えば、知らないのもごく自然なことだろう。
その巳夏は、今でも悠一の父の足取りと魔力の残痕を頼りに調べ進めてくれている。
勿論、悠一の為ではないのだが。
修行を始めて一年程で、悠一はファミリーに入る事を考え始めた。
自由な組織だし、自分の力をもて余すのも嫌だった。
そして何より、自分の同類が沢山いることが魅力だった。
それを巳夏に相談して以来、普通の学生生活を送りながら、悠一はあらゆる世界を奔走していた。
平日は修行の一貫で地球中を飛び回っていたし、たまにの休日は異界で色々な仕事を請け負った。
何故各地を飛び回ることになったかと言えば、悠一の師達の居場所が点在していたせいなのだが。
ファミリーの人間は、意外と地球に紛れ込んでいる。
その理由は仕事だったり、遊びに来ていたりと様々だ。
中には堂々と国政に携わっていたり、俳優業を営んでいる強者もいる。
その力があれば、地球で牛耳るくらいは容易いものだ。
宣言通り、巳夏はいい先生だったが、いい師匠ではなかった。
殆ど一見さん扱いの生徒と違い、よくも悪くも身内同然の弟子の扱いは酷いものだ。
座学は、資料を投げつけられ課題を出されて終わり。
実技は、魔力の操作の仕方から様々な武器の扱い方に至るまで、殆どを他人に丸投げされたため直に教えられた記憶がない。
例外は転移魔法だけだ。
繊細な魔力操作を得意とする巳夏は、魔法で大抵のことが片付くせいでそもそものやる気がない。
彼の真骨頂たる魔力操作に至っては、悠一の筋が悪いという理由で早々に匙を投げられ、二度と教わる事はなかった。
最早師弟関係にあるのか怪しい二人ですらある。
君って本当にセンスないよね。
とは、魔力操作を教えて貰い始めて一時間後の巳夏の台詞である。
悠一も思った。
巳夏さんは意外と堪え性がない、と。
寛容だった受験シーズンが嘘のような気の短さを見せる巳夏と、それに引く悠一。
これが二人の全貌を表すに相応しいやり取りだ。
巳夏の教育方針は、「短所はとりあえず放っておけ、長所だけを片っ端から伸ばせ!」という類いものだ。
非効率な事はしない。
実に頭脳派の巳夏らしい教育方針である。
しかし、弊害はあった。
そのお陰で、悠一は未だに魔法の扱いが苦手なままなのだ。
悠一が例外というわけではない。
寧ろ例外は巳夏の方で、元々魔力が大きい人間というのは総じて魔力操作が雑な者が多いのだ。
ファミリーの総人口でも研究職に就いている人間は珍しいらしい。
一番多いのは、魔力でごり押しの戦闘狂タイプだという。
魔法は大まかに二種類で、魔法陣を使うものと、魔力をイメージにより具現化するものがある。
攻撃系の魔法や結界系の魔法というのは魔力が過分でも作動しやすく、そのせいで魔力をもて余した魔術師達は気にしない。
精密な魔力操作が必要になってくるのは、どちらかと言えば補助系の魔法に多い。
例を上げるなら探知魔法や魔道具の製作といった所だろうか。
間近でそれらの魔法の有用性を見て育った悠一は、出来るものならきちんとした魔力操作を身に付けたいと常々思っている。
しかし哀しいかな。
悠一の魔力操作は先人達に負けず劣らず雑なものなのだ。
現在、地球の実家では悠一と瓜二つの自律思考可能なゴーレムが我が物顔で暮らしている。
周りへのカモフラージュだ。
流石に死んだと偽ったり、元々存在しなかったように見せ掛ける程には割りきれなかった。
ゴーレムは、巳夏が言う先生こと創造主リオから送られてきたもので、姿形から言動まで悠一にそっくり過ぎて怖い代物だ。
メンテナンスは巳夏がやってくれている。
そんなこんなで準備は整い、向こうで言えば四月半ばの今日、悠一は地球を旅立った。
「転移魔法に問題はないね。最初のセンス皆無な転移からみれば、別人のような成長ぶりだよ、悠一君」
回想中でぼんやりしていた所に声を掛けられ、悠一は思い切り肩を揺すって振り返った。
後ろの岩に、いつの間にか巳夏が座っている。
悠一は向き直りながら肩を落とした。
「…巳夏さん、脅かさないで下さいよ」
「何を今更」
呆れたように言われる。
巳夏の転移魔法は非常に優秀で、気配が全くない。
(見よ、これが完璧な魔力操作による転移魔法だ)
胸中でそんなことを宣ってみる。
言われた内容を噛み砕き、漸く合格したらしいことを理解した悠一胸を撫で下ろす。
「そう言えば、巳夏さん何かしてたんですか?」
随分時間掛かってましたよね。
そう言った悠一に、巳夏は何でもないように言った。
「ああ、上司に報告に行っていたから」
悠一は首を傾げた。
「俺がファミリーに入ったって事をですか?」
「そう」
「俺、挨拶とか行かなくて平気なんですかね…」
巳夏は肩を竦める。
「会えばでいいよ。挨拶回りなんてしてたら、十数年は軽く掛かる」
そういうものなんだろうか。
悠一は首を傾げながらも頷いた。
悠一は何だかんだで、修行をつけてもらった人物以外と接触していない。
創造主の顔を知らない上、ファミリーに所属する総人員すら定かでないのだ。
それにしても、失敗していなくて本当に良かったと思う。
万が一にもしくじっていたなら、再度血反吐を吐く羽目になっていただろう。
巳夏のスパルタが再度炸裂したのが、転移魔法の訓練時だった。
唯一、巳夏が他人に押し付けられなかった魔法でもある。
転移魔法とは、空間に穴を開けて強制的に繋げるという荒業だ。
これだけはちゃんと身に付けないと命に関わるということで、それこそ血反吐を吐くほどしごかれた。
本当に血を見たのは一度や二度じゃない。
怖い話がバラけたこともある。
体が。
イタリアに飛ぼうとしたのに、北極の海に落ちたり。
違う世界に行こうとしたのに、大気圏に飛ばされたり。
そのまま物凄い距離を落下したり。
思い起こせば、本当に他のどんな訓練より辛かった。
「これで晴れて君はファミリーの一員だ。突然仕事が入るかもしれないけど、まあ気楽に旅してきなよ」
巳夏の語る内容は、一般的な意味合いとは大分違う。
上記の意味合いは、遊んでもいいけど、きちんとやることやらないと仕事を投げ飛ばすからね、という事だ。
「はい、巳夏さん。今まで本当に有り難う御座いました」
きっちり深々とお辞儀をした悠一と対称的に、巳夏はしれっとした表情で言った。
「礼には及ばないよ。僕は上司の命に従ったまでだ」
悠一は苦笑する。
「ああ、そうだ。これを君に渡しておくよ」
そう言って渡されたのは、麻の袋だ。
「?これ、何ですか?」
「僕からの餞別品及び色々な人に押しつけられた君への贈り物、かな」
悠一が覗き込むと、中はかなりの量だった。
(げ、これ空間拡張魔法付きだ)
悠一は無言で袋を閉じる。
「ありがとうございます」
悠一は再度深々と頭を下げた。
巳夏はあくまでも素っ気なく頷く。
「じゃあ、僕は帰るけど。ここは安全な世界じゃない。油断したら死にかねないってことを忘れないようにね」
もう用は済んだとばかりに、巳夏は転移魔法を行使する。
僕の三年間を無駄にするなよ。
そんな副音が聞こえたような気がして、悠一は苦笑しながら頷いた。
音もなく巳夏は消える。
巳夏を見送った悠一は、今度こそ一人だと背伸びをした。
「とりあえず街を探さないとな」
悠一はポケットから音楽プレイヤーを取り出し、イヤホンを右耳にだけ差し込み…ふとある事に思い至って、イヤホンを放ると岩の上に座り直した。
「中身確認してから行こう」
時限式の魔法が仕掛けられていても困る。
そういった事に関しての各先生方への信頼は、悠一の中で無に近かった。




