鶏とたまご
「卵が先か鶏が先か、か…」
古い色褪せたマントを靡かせ、男は静かにそう呟いた。
最早懐かしい言葉だった。
しかし、これ以上この世界の現状に相応しい言葉はない。
人の負の感情がある者を生み、その者が人の心を負に落とす。
誰も気付かない。
ドラグーンの人の闇は、そんな輪の中にあるから脱することが出来ないのだと。
この世界に戻ってきて17年。
彼はずっと探し物をしていた。
どうしても捨てられないものがあった。
忘れられないものがあった。
だから、帰ってきた。
せっかく得たものを手放して。
大切な人を悲しませても、彼は帰ってこなくてはならなかった。
彼が持つものは、一振りの刀だけ。
唯一、事情を知る妻の父から譲り受けた異界の業物。
魔素と人の心の闇から生まれた者がいた。
彼は人とも、精霊とも言えない者。
彼は人の心の機微に酷く振り回される性質を持っていた。
そして、彼は人の負の感情を逆撫で、引き立たせる力を持っていた。
「父さん、貴方はどうして…」
あの人を側に置いたんだ。
かつて兄と呼んだ、男よりずっと小さな影を思い出す。
男はずっと探し物をしていた。
闇を断ち切る術を。
貴方が守ろうとしたもの。
貴方が犠牲にしたもの。
「今日も、誰かが貴方のせいで泣いているよ」
だから。
「けじめをつけるのは、俺の仕事なんでしょう?」
カチリと、手の中で刀が鳴った。
野放しにはしておけない。
ならば。
殺すしか、ない。
悠一は今、いつもの黒ずくめの装束でオークションの席に着いていた。
先日の成金スタイルはいい勉強になった。
やはり黒が好きだ。
なんと言っても安心感が違う。
そう噛み締める悠一があんな格好をする日は二度と来ないだろう。
屋敷に帰った後の事は、取り立てて言うほどのことは何もない。
エリスが伯にすがり付いて泣いたこと、その事に安堵の息を漏らしていたらレグルスとラウルにこっぴどく叱られたこと、スピカにへそを曲げられたこと、土下座をする勢いで悠一が謝り倒したこと、翌朝には悠一の魔力が戻ったこと、眠っていたラスフルール辺境伯が目を覚ましたこと。
予想はしていたが、ラスフルール辺境伯は何も覚えていなかった。
悠一は何も前進しなかったことにため息を吐く。
様々な禍根を残したまま、この怪事件は幕を下ろすしかないらしい。
魔力が戻った後、レグルスにまた小言を言われながら付近一帯を調査したが、何も見つけることは出来なかった。
悠一の探知能力なんて巳夏に言わせれば枠みたいなもの。
曰く、何も拾えない。
そんなことを言われるような感知能力はあまり宛にならないのだが、その巳夏に貰った地図にも何も映らないのだから、本当に手がかりなど何もないのだと思うしかないだろう。
一つ分かったことと言えば、やはりアルダスという国は怪しいということ。
悠一がいない間、言われてみれば当然だが、レグルス達は大人しく待っていたりはしなかった。
「脇役だって主役がいない所で、何もしていない訳じゃないんですよ?」、とはレグルスの言葉だ。
意味が分からないが、最近身に染みる。
レグルスは過保護過ぎる執事っぽい。
それでいて少し怖い。
頼りにはなるし、それはそれでいいんだけど。
自分よりアルダスへの滞在時間が長かった彼ら…つまりアルダスの商人から購入した奴隷達だが…なら、何か知っているのではないかと話を聞いたらしい。
そもそも、浅瀬にいるような亜人でなかったことも訝しんだ理由の一つだそうだ。
序盤は中々話が進まなかったという。
アルダスの奴隷達には服従の魔水晶が入れられている。
そのせいで、話を制限されていたのだ。
その魔水晶は、試行錯誤の結果メリエルにより破壊された。
彼らの話は興味深かった。
その話から分かったのは、亜人狩りが行われているのは何も浅瀬に限らないこと。
そして、ラスフルール領に起こったことはアルダスの常習手段らしいということだ。
彼らの内の一人は、他の奴隷達と経緯が違った。
まず、自分がアルダスの奴隷にされた自覚がなかったらしい。
彼…ドワーフであるポロアーズが住んでいたのは西大陸中部にある鉱山近くだという。
ドワーフは武器を作る才に長けるその能力から人間や亜人との交流が多い。
必然と集落は大きくなり、一つの街のような形を築いていた。
が、リリアスと同じような事が起こったのだ。
あまりの酷さに暴動を起こした集団の中にポロアーズはいたという。
過剰な武器の生産を強要され、馬車馬のごとく働かされた。
酒は飲めない、休むことは許されない、作った武器は安価で奪われてゆく…そして、何だかもう一生こうやって生きていくしかないのか、とすら思ったのだという。
スピカを見ると、同じことを考えていたらしい。
例の瘴気だ。
そして、ポロアーズは暴動中に捕らえられ、気づけば檻の中にいた。
全てが予想通りとは言えないだろうが、やはりアルダスは奴隷を大量捕獲する手段としてこのやり方を常用しているようだ。
トップを傀儡として内政を乱し、民衆の不満と不安を煽る。
しかし、そうなるとヴェルガルドの思惑はよく分からない。
彼は復讐だと言った。
誰に?
ラスフルールに逆恨みしていたのだとしても、ドワーフ達には恨みなどないだろうに。
結局の所、全ては分からないままだ。
一つ、ため息を落として悠一は昨日の事を思い出していた。
ラスフルール辺境伯が回復し、悠一は彼と向き合っていた。
「うちのゴタゴタに巻き込んでしまったようで、本当に申し訳なかった」
頭を下げるラスフルール辺境伯は、普通のおじさんだった。
白髪混じりの黒髪に、痩せこけた頬。
彼を助け出した頃程目は落ち窪んでいないものの、彼の表情はけして明るいものではない。
無理はない。
失ったものは多く、問題の大半は解決していない。
これから解決していかなくてはならない事を思えば、彼は死んでいた方が楽だったと思っているのかもしれない。
が、悠一はそれを許すつもりはなかった。
何はともあれ、やったことは彼の責任なのだから、後始末は彼がして然るべきものだ。
何より、彼はエリスの唯一になってしまった肉親なのだから。
尤も、悠一が一番許せないのは自分だ。
エリスに話を聞いて直ぐにリリアスへ向かえば、エリスの家族は無事だったのかもしれない。
もっと早く遊緋に疑問をぶつけていれば、話は早かったのかもしれない。
もっと…。
全てが、たらればの空論だ。
悠一が直ぐに動いていた所で、リリアスは救われなかった可能性の方が大きい。
しかし、今回悠一が助けられなかった者達は、非常に大きな罪悪感となって悠一を蝕んでいた。
保身に走りすぎた。
自分の咎を悠一はそう断定した。
遊緋もこんな想いをしたことがあったのだろうか。
だから、あんな風に人の為に戦い続けているのだろうか。
そんなことは何も分からないが、ここに来て悠一は一つ自分に誓った。
もう、出し惜しみはしない。
元から、出し惜しむほどの力なんて持っていないのだ。
何を思い上がっていたのだろう。
悠一が異端扱いされた所で、何を失うというのだ。
出し惜しんだからこそ今回はこれほどの犠牲を払った。
悠一が誓ったこと。
もう、迷わない。
「にしても、ラスフルール領の再建をするなんて言い出した時は流石に唖然としましたよ」
隣にいるのはレグルス一人だ。
悠一は無言で苦笑した。
ラスフルール領は大荒れだ。
何せ騎士は減り、仕事の大半がストップ状態、民衆は減る一方。
何より痛いのは陪臣貴族の信頼を失った事だろう。
早期に税を引き下げ、騎士の増員を募集にかけてはいるが、集まりは芳しくない。
瘴気による暗さは無くなっても、辺境伯への不信感は無くならない。
今は何も言ってこない陪臣貴族も、いつまでも黙ってはいないだろう。
何せ、騎士として働いていた息子を失った者は少なくないのだから。
税を引き下げたことにより、不信感は置いておいても民の生活は多少ましになったようだが、目に見えた変化はない。
集めた金が何処へ行ったのかも、何も分かっていなかった。
その為、オークションの件は据え置きだ。
開催者がアルダスの者ではないので、人を集めるためにもあまり綺麗事は言っていられなくなっていた。
因みに、手を切ろうとして訪れたら奴隷商人はもういなかった。
どうやら奴隷が売れてすぐ街を出たらしい。
都合はいいが、単に売れないから切りのいい所で諦めたのか、やはり商人も一連の騒動に関与していたのかが不透明ですっきりしない。
とりあえず悠一はラスフルール領を支援することに決めた。
これは罪悪感でも何でもない。
この街は悠一がどうこうしなくても破綻していただろうし、そこに義理はない。
迷わないと決めたから、出来ることなら全部やることにしたのだ。
「いい奴隷がいるといいですね」
「…そうだな」
悠一とレグルスがオークションに出向いてきた理由は単純だ。
騎士の代わりに、ラスフルール領を守る人材を得るため。
既に先日アルダスの商人から引き受けた内の23名…つまりポロアーズ以外の者は主権をエリスに託してある。
ポロアーズは戦いには不向きだったことと、鍛冶が得意だということから瑠璃が近くにいてもらいたいと主張した為、手元に残した。
ドワーフの集落が根こそぎ奪われたという話が本当なら現在は相当数いるような気もするが、今までの観点からいくとドワーフの奴隷はものすごく稀少なので有り難い。
ラスフルール辺境伯自身の魔力は低い。
主には不適だったのでエリスに任せたのだが、陪臣貴族への意志を見せる為にも、爵位をエリスに譲渡するまで言い出し、周りを困惑させた。
それは良いことなのか悠一には判断がつかない。
何せ、この先は茨の道だ。
陪臣貴族がそれでよしとするとも思えない。
そもそも、爵位の譲渡は国王の御前でやらねばならないものなので、直ぐに行うのは実質的に不可能だ。
ということで、若干とは言えない波風はあるだろうが、ラスフルール辺境伯には頑張ってもらわねばならない。
悠一が先回りして王都へ行き、転移魔法を使うという手がないわけではないが、そうしたって日数はそれなりに掛かる。
ある程度領地が落ち着き、余裕が出来てからとなると随分先の事になるだろう。
このオークションが済めば、予定を多少変更することになるが、一番近いレギトの迷宮に潜るつもりでいた。
立て直すには金がいる。
今の悠一の所持金は個人が持つには途方もない財だが、街を作るとなれば足しになるかどうかという程度のものだ。
遊緋の言った変な魔物も気になる。
ラウルは早く迷宮に行きたいだろうし、無理に有名な迷宮で初陣を迎えることはないだろうということで話は纏まった。
そんな訳で、この先の悠一達は別れて行動することになった。
悠一とラウル、レグルス、メリエル、満月は迷宮へ。
スピカ、瑠璃、ポロアーズには拠点の充実化を図ってもらうことになった。
とはいえ、戦力外のポロアーズは兎も角、二人はことあれば連れていくことになるとは思うが。
メイド達は言わずもがな待機である。
屋敷も拠点もかなり広いので、それだけでかなりの重労働だ。
新入りとなったポロアーズにも鍛冶場を作り、拠点近くの山や迷宮から出た鉱石で武器を作ってもらうことにした。
拠点と屋敷は転移魔法陣により繋いだ。
往き来出来るのは、悠一の魔力が付与された何かを持っている者だけに絞る。
今更屋敷に研究室や鍛冶場は設けられないので、魔術書を調べたい瑠璃や掃除に来なくてはならないメイド達には拠点と屋敷を往き来して貰うことになるだろう。
「悠一様」
「ん?」
突然呼ばれて悠一がレグルスを見ると、レグルスは困ったような顔をしていた。
「眉間に皺が寄っていますよ。ここのところずっと。…そんなに悔しかったんですか。ラスフルール家を救えなかったことが」
「あー…」
考え込んでただけなんだけどなぁ。
そう思いながらも、確かに最近一人で考え込んでいることが多かったな、と苦笑いする。
悔しかったか、か。
結論は直ぐに出る。
ああ、悔しかったよ。
だって、
「…人より魔力が強くたって、守れないものの方が多いよな」
ぽつりとそう言った悠一に、レグルスは困ったように微笑した。
「当たり前ではありませんか。悠一様は、神様じゃないんですから」
ポンポンと、頭を撫でられ、子供に返ったようだと苦笑を深める。
しかし、レグルスの言葉は思いがけず悠一の肩から力を抜いてくれた。
ふと思う。
だから、あの人も創造主と名乗るのかもしれない。
神に一番近い。
でもそう名乗らないのにはそれなりの理由があるのだろう。
なら、仕方ない。
悠一は人で、少し力があるからって全てをどうこう出来る訳じゃない。
「だよな。…これも、思い上がりか」
本当に色々なものを守りたいなら、助けたいなら。
もっと必死に足掻かなくてはいけないのだろう。
「私達もいますから」
静かに決意を固める悠一の手に、レグルスは自分の手を重ねた。
「貴方にしか出来ないことの方が多いのは確かです。でも、私達にしか出来ないこともある」
私達が、貴方の手足になりますから。
「…ありがとう」
悠一は頷いて、その気持ちに純粋に感謝した。
皆で、出来ない事を減らしていけばいいのだ。
「はい。…ああ、始まりますね」
チラリと舞台上を見たレグルスにつられて悠一も舞台上を見下ろした。
何だか気分が高揚してくる。
これはあれだ。
「あー…なんだろ、緊張するな」
一瞬、言葉の意味を考えたのだろうレグルスは固まる。
「…悠一様は緊張する場所も変わってますよね」
レグルス、もって言ったな。
「いや、こういうの恥ずかしいだろ」
気分はおばちゃんに混ざってバーゲンに参加する感じなんだけど。
な?恥ずかしいだろ?
欲しいものに札を上げて主張しないといけないなんてかなりの勇気が必要だ。
「よく分かりません」
呆れたようにそう言われる。
しかし、始まったオークションの熱気に悠一の意識は完全に持っていかれていた。
会場はかなり大きい。
何処から来たのか、かなりの人数で席はほぼ埋まっている。
リリアスが荒れているせいで、他の場所に泊まっていたのだろう。
客を早く呼び戻す必要があるな、と思う。
オークションを無くさず、名物にしてしまった方が得だというのは間違っていないようだ。
会場はサーカスみたいな巨大な簡易テントで、入場料は一人金貨一枚掛かる。
が、これは何かを買えば還元されるので、本当に買いたい者だけが集まるようにというふるい落としのようなものだ。
レグルスと悠一は揃いの黒いスーツを着ていた。
シャツまで黒なのは悠一的にはいつものことだが、レグルスまで黒一色だと、上背があることもあり、迫力がまるでマフィアのようだ。
心なし周りに避けられている。
二人は全く気にしていなかったが。
「レディースエーンジェントルメーン!!ようこそお越しくださいました!第9回リリアス開催のオークション、いざ始まります!」
高らかに歌い上げるように言い切った男は、奇抜な配色のスーツのような服を着ていた。
そして、顔はふざけた無機質な表情の白いマスクに覆われている。
手に握り締めているのは、マイクのような形の魔道具だ。
拡声効果があるようだが、珍しいのではないだろうか。
そこかしこに介入されただろう痕跡が散らばっている。
ここまでくると何となく思う。
ファミリーの面々が地球の文化を使ったのって、考えるのめんどくさかったからなんじゃ…いやまあ、百年も前からこんな文化が地球にあったのかとか知らないけどさ。
適当だったからそこかしこなんかおかしいんだな、多分。
考えている間にもオークションはどんどん進む。
今のところ、秘薬や魔道具、珍しい魔法が付与された服や武器などが多い。
奴隷やアーティファクト、目玉賞品は後ろの方だ。
かなり盛況しているが、魔道具や服、武器にはあまり興味がない。
自分で出来るものも多いし、瑠璃とポロアーズに頼めば作れるだろうものが大半だからかもしれない。
秘薬は気になる所だが、口に入れるものなので何となく気が引けて止めておいた。
一つ、遺跡から見つかった書物一式は気になったので競り落としておいた。
貴重な文献だろうに、読める者がいないせいで出品されたようだ。
無論読めないのだから、内容など分かるわけがなく紹介されることはなかった。
瑠璃の土産にすれば、その内解読してくれるかもしれない。
生憎俺は研究をしたい訳ではないので、途方もない数があるこの世界の過去の字を覚える気など更々ないのだ。
そして、中盤に入り、奴隷のオークションが始まった。
当初の予定通り、人気の女奴隷や美しい奴隷は避け、迷宮で破産し奴隷落ちした元冒険者の男を片っ端から競り落としてゆく。
元々欲しがる人間が少ないようで、それほど金も労力も払わずに落とすことが出来た。
言わずもがな、元冒険者を狙うのは即戦力になるからだ。
計12名で出費はたったの白金貨4枚弱だった。
働き盛りの男の平均金額は金貨3~5枚なのだという。
そう考えるとレグルスは高かったんだなと染々する。
いい人選だったと当時の俺を褒めてやろう。
終盤になるとアーティファクトや珍しい奴隷などが出てくる為、会場はますますヒートアップしていたが目的を果たした悠一は眠くて仕方がなかった。
アーティファクトは確かに貴重な物らしい。
今回の出品は一つだけ。
しかし、あまりの高さに誰も手を出さなかった。
アルダスの商人の姿はある。
彼らは揃いも揃って、アルダスの民族衣装なのだろう体を覆い隠すような褪せた白の服と帽子を被っている為一目で分かるのだ。
が、お目当ての品ではなかったのか全く興味を示さなかった。
アーティファクトというのはこういう物らしい。
何せ何が出るか分からない。
アーティファクトだから高値が付くのは当たり前だが、その有用性を見出だす人に出会えなければ売れない為、長々出品されていることも珍しくないようだ。
その噂を聞き付けて買いに来るものもいるらしいので、一度出品すれば売れるまでそこに出品され続けるものらしい。
誰も札を上げないことを確認した司会は直ぐにアーティファクトを引っ込め、物欲しげに舞台上を眺める者たちの目から隠した。
何でも、アーティファクト見たさに金貨一枚を払って通いつめている人までいるらしい。
よく分からない世界だと悠一は苦笑した。
そうしてオークションは終わり、悠一は競り落とした彼らを伴い帰路に着いた。




