過去の本棚
その夜、皆が寝静まったのを見計らって、リビングに侵入した影があった。
瑠璃だ。
瑠璃は魔道具のペンライトのような灯りを口に咥えて、本棚を漁る。
(ここの事でいいのかしら?)
遊緋からヒントを貰った時にはもうここは悠一のものになっていて、瑠璃は此処に来ると決まっていた。
その事を考えれば、遊緋のヒントがここに隠されているかも知れなかったからだ。
悠一から本棚は元々置かれていたという確認は取ってある。
当の悠一は、調度品が丸々残っていたせいで、何も疑いなんて持っていないようだったが。
本棚の中身なのか、はたまた何かカラクリがあるのか、全く検討違いでここの事ではないのかも知れないが、ヒントを貰った以上探さない訳にはいかない。
…若干、踊らされている事に腹が立たない訳ではないが。
ざっと背表紙に目を通す。
この屋敷と同じだ。
劣化しないように魔法が掛かったそれは、背表紙だけ見たところでいつのものなのかがさっぱり分からない。
尤も、本当に100年間開かずの屋敷だったというなら、相応の古い物なのだろう。
瑠璃は一通り本棚を調べて、分からないことが分かると適当に本を引っ張り出して何気なく開いた。
「!?」
思わずペンライトを床に転がし、慌てて拾い上げる。
「…これ、魔術書だわ」
それも、直筆でかなり高度な。
もう、今は無い魔法の本だ。
瑠璃は魔法の研究をしていた時に立てた仮説の中に、こんなものがあった。
今の魔法はまだ生まれたばかりの赤ん坊のようなものなのではないか、というものだ。
そして、本当に失われた魔法があることを瑠璃はスピカに会って確信した。
瑠璃が全く知らない魔法。
悠一は自らが変わった魔法しか使わないために違和感を持っていないようだが、スピカが見せた魔法は革命的だ。
自らを媒体に、大気に満ちる力を魔力に変換して魔法を使う。
恐らく、種族で秘匿されてきた魔法だろう。
この世界にはもっとそういう魔法があるのかもしれない。
いや、あるに決まっている。
ならば何故、という思いが込み上げる。
何故、魔法は失われてしまったんだろう。
瑠璃は一度その本を元の位置に戻して、記録の魔道具ーーつまりカメラのようなものーーで位置を記録し、他の本も次々引き出した。
どれも、貴重な本ばかりだった。
作者の名前はどれも同じで、裏面に書いてあった。
流麗な字体が却って読みづらいが、辛うじて読み取れるものを探す。
“利人”
なんと読めばいいのか分からない。
りひと?としひと?それとも他に読み方が?
瑠璃はその中から、一冊だけ取り出して鞄にしまいこんだ。
遊緋のヒントは分からなかった。
しかし、この本だけで収穫があったと言えるだろう。
瑠璃が選んだのは、本の中に1つだけ混ざっていた日記。
表紙に不思議な絵が描いてある。
まるで…四頭のドラコンがじゃれあっているような、そんな絵。
読み方は分からないが、利人という人が書いたもののようだ。
中身は公用語ではなく、直ぐに読解するのは無理だろう。
瑠璃は静かにリビングを後にした。
しかし、瑠璃が引き当てたこの日記こそが奇しくも遊緋に与えられたヒントであり、伝えるべきそのものだった。
瑠璃がそれを解読した時、悠一はこの世界に干渉することになる。
翌朝は綺麗な青空だった。
外に出られないのがものすごく惜しい。
新しく迎えた奴隷達との対面はとりあえずお預けになっていた。
何故なら、今の悠一には服従の魔水晶を取り出すことが出来ない…とは言わないが、やれば既にお冠な二人が飛んでくること請け合いだ。
影響だって受けかねない。
ということで、今日も今日とて、こんなに晴れているというのに、悠一は魔力回復に努めて寝るようにという達しを受けていた。
エリス達は再調査に早々と出ていった。
護衛でラウル、感知担当でスピカを連れていったので、下手なことは起こらないと思う。
一方、瑠璃は朝から部屋に引きこもっている。
研究職の彼女のことなので、あまり心配はしていないが、何なのか少しだけ気になる所だ。
大人しく部屋で寝ていた悠一は、階下の騒音で目を覚ました。
「…?」
軽く欠伸をして降りて行くと、今にも倒れそうな青ざめたエリスをフリッツが支えて玄関口に佇んでいる。
「…どうしたの?」
眉間に皺を寄せて呟いた悠一を皆が見上げる。
え?何?
ラウルが重々しく口を開いた。
「エリスの…家族が、いないんだ」
「え…?」
一気に寝惚けていた頭が覚醒する。
話を聞くために、悠一はリビングに皆を集めた。
エリスの、家族。
今まで話に出てこなかったせいで、その事を失念していた。
話に聞くと、エリスはおかしくなってしまった父の他に、魔力は高いが体の弱い母親と、まだ幼い双子の弟妹がいるのだという。
「…旅に出るまでは、無事だったのですが」
ハーブティを飲んで幾分落ち着いたエリスが、まだ青い顔でそう呟いた。
旅に出るまで。
エリス達がリリアスを飛び出したのは、凡そ10日ほど前の事だ。
「こんな短時間で状況が変わるなんて…」
いつもは明るいモーリスも表情が暗い。
昨日はそこまで確認しなかったのだという。
半数の騎士に加えて、家族までが行方不明。
おまけに生まれ育った街は荒れ放題。
悠一は沈痛な面持ちの面々を無言で見ていた。
魔法が使えたって、俺は神様じゃないから、こんな状況を打開するような力は持っていない。
分かりやすく、街が乗っ取られているなら、まだ手を打つ術はあっただろうが、敵は尻尾も掴ませてくれてない。
もう探ってる時間はないな。
そう判断した悠一は、半ば強引な手段を取ることにした。
悠一はため息を堪えて、口を開く。
「エリス。親父さんはまだ城にいるんだな?」
エリスは怪訝な顔をしながら、おずおずと頷いた。
悠一はそれを見届けると、よっこらせと立ち上がる。
なら仕方ない。
もう、乗り込むしかないだろう。
どこまで操られているのか分からないが、当人が戦況を知っている可能性もあるし、何より城に誰かがいる可能性はもっと高い。
「悠一様…?」
レグルスが訝しげに呼んだ。
お、名前で呼ばれた。
悠一は周りを安心させるように、わざとにっと口角を吊り上げて言った。
「ん、とりあえず親父さんだけ確保してくる。ちょっと荒っぽいやり方になるかも知れないけど、アザくらいは許してね」
そう言って、悠一は誰に口を挟む間も与えず転移した。
「あっ…!」
見てた周りは立ち上がる。
が、もう悠一の姿はない。
「あんな体で…何をする気なんです…!」
悠一は空を駆けていた。
昨日は矢鱈めったら落ち込んでいたが、今日は反対に心が波打って落ち着かない。
確かに魔力は不足してるんだろう。
が、別にゼロになっている訳でもない。
何より、原因が分かっているなら最早問題はない。
逆境で戦えなくなる。
そんな柔な鍛え方を、悠一はされていないから。
鞄から錠剤を取り出してがぶ飲みする。
日頃余った魔力を入れているカプセルのようなものだ。
とりあえず魔力を回復させ、虚ろな眼で襲いかかってくる門番をためらいなく蹴り飛ばして悠一は門をくぐった。
敷地が広いのも考えものだな。
そう思いながら、悠一は魔力を節約するために最低限の身体強化を付与して、ハンマーを手に取る。
エリスは城に家族の波を感じなかったのだと言った。
直接いないのを確認した訳ではないのだ。
万が一、手遅れなことも予想される。
モーリスは貴族が狙いなのではないかと言った。
そうなのかもしれない。
違うのかもしれない。
行方不明の騎士も気になる所だ。
魔力が高いものを連れていったと言うなら、無差別な可能性も高い。
話をよく聞けば、全員が貴族だった訳ではないからだ。
実際、残っている者が全員平民なのは確かだが、連れていかれた中にも平民は混ざっている。
悠一は頭を働かせるが、考えたって分かるわけがない。
血は出来れば見たくないな。
そんな事を宣いながら、凶悪なトゲが無数に飛び出したハンマーを無表情に片手に持ち、悠一は城内に侵入した。
モーリスが言ったように、城内に人気は薄い。
集中して気配を探りながら、悠一は城を駆けていた。
途中何人か騎士に出会したが、鳩尾を蹴り飛ばして意識を刈り取る。
無駄に殺す必要はない。
気配を探り、階段を駆け、悠一がたどり着いたのは広いバルコニーに面した広い部屋だった。
本来は茶会か何かに使われる場所だろう。
そこに、ぼうっとした様子で佇んでいる影があった。
「…ラスフルール辺境伯、ですか?」
そろそろと、悠一を振り返った影は、眼がとてつもなく落ち窪んでいて、まるで死人のようだった。
それほど年ではないだろうに、落ち窪んだ眼窩と干からびた唇、乾いた肌が。
残バラに散る白髪混じりの黒髪が、彼を実年齢より遥かに年老いて見せていた。
悠一は目を眇める。
これは、厳しい。
彼の命の灯火は、いつ消えてもおかしくないほど弱々しかった。
彼の魔力は殆ど感じられない。
この世界において、魔力の枯渇は死に直結する。
いつからだ。
いつから、彼はーーー傀儡にされていたのだろう。
これはこの世界の悠一が知る魔法ではなかった。
服従の魔水晶より質が悪い。
随分劣化しているが、眷族契約に似ている。
この枯渇状態を見るに、もう長いこと魔力を配給されていないのだろう。
何故?
悠一は1つ息を吐いて、考える。
これを、やった奴は。
何が、したかったんだ?
悠一が静かに彼に一歩よると、後ろでカツン…と音が響いた。




