変わる意識
この時、漸く悠一はドラグーンの歴史の一端に触れる。
強いものしか生きられない。
その過酷な世界を形成した歴史に。
レグルスの生まれ故郷は、亜人が多く暮らす大陸の西側。
その中にある狼牙族の集落で生まれ、その他と同じように戦士として育てられた。
狼牙族は亜人種の中でも戦闘能力に秀でた種族だ。
ルーツが狼であることもあり、俊敏で身体能力に優れている。
そんな戦闘に優れた一族の中でもレグルスは優秀だった。
13歳にして、獣化も使いこなす天才。
周りはそう持て囃したが、自分より強い者など幾らでもいることを知るレグルスには戯れ言でしかなかった。
強くなりたいというよりは、強くならなくてはならなかったあの頃。
少年だったレグルスの未来を手折ったのは、人間との戦争だった。
亜人と人間の間には、随分前に停戦の条約が結ばれている。
その前に争っていたとは思えないほど、今の人間と亜人の関係は普通だ。
現在、少ないとは言えない人数の人と亜人が大陸を行き来しているのは確かな事実だ。
しかし、時折戦争が起こるのは何故なのか。
それは、その条約に同意していない幾つかの国があるせいだ。
人間と一括りに言っても、一枚岩ではけしてない。
国は大きなものだけで五つあり、細々したものを数えれば両手両足の指には収まらない。
全国一致の条約を結ぶことは出来なかったのだ。
しかし、そんな不完全な条約でも、亜人側は受けざるを得なかった。
人は亜人と纏めて呼び、人と同じくらい人数がいるように思っている節があるが、亜人という言葉はそもそも各種族を一纏めに指す言葉がなかったために、人が作り出した総称だ。
今でこそ誰もがその言葉を使うようになったものの、亜人の内情は変わらない。
亜人と呼ばれようが、名乗ろうが、亜人同士は決して仲が良い訳ではない。
種族同士の小競り合いが絶えない中、人と争うのは無理だった。
そんなこともあり、条約が締結された後も戦争は度々起こる。
寄りによって、条約を締結に反旗した一国が国境の大部分を接した国なのだ。
アルダスという大国の一つに当たる人間国家は、非常に好戦的な人間が多い。
そのせいか、アルダスは他の国とあまり仲がよくない。
人にとっても、亜人にとっても邪魔な国。
以前の終戦から20年の時が経った頃、レグルスが17歳の冬、戦争は再び始まった。
戦争とは言っても実質は蹂躙だ。
アルダスが戦を嗾ける理由は一つ。
敗戦奴隷を捕獲するためだ。
殺し、殺され、捕まれば売り払われる。
その度に各種族から戦士は集められた。
個々では強い筈の亜人は団体戦では酷く無力だった。
条約が結ばれた頃、他国では亜人の奴隷を買い取らなかった。
戦をしないと言っておきながら、奴隷は買い取っていたのでは亜人との関係に歪みが生じるからだ。
他国は徹底的にその行為を無視していた。
事情が変わったのは最近だ。
レグルスはそんなアルダスという国との争いの中で捕まり、奴隷として売られた。
捕まった亜人の中でも明確な区分分けがされる。
どういう対象に売りたいか、ということだ。
見目が良い者は大国の貴族宛にそういう目的で出品される。
不器量な者は時間を使わず売り払うため、最低金で出品され、殆どが短期間で使い潰される。
悠一が認識している金貨6枚が最低金というのは、ファーレンの比較的大きな都市においての金額だ。
人を買う金としては安いかもしれない。
しかし、幾らでも補充の宛も代えも効くこの世界において、奴隷の価値は所詮“物”。
せいぜいが、贅沢品扱いなのだ。
そんな中、レグルスは貴族向けの商品として大国に送られた内の一人だ。
ファーレンに辿り着くまでに、相当な時間を要したこともあり、レグルスは男にしては異様に金額が高かった。
売りに出されるまでに掛かった費用は基本上乗せされている。
悠一がポン、と軽く出した白金貨一枚という金は、大凡一般人が出せる金額ではない。
月に金貨一枚あれば、普通の家族は裕福な暮らしが出来る。
そういう金額だ。
レグルスはファーレンの中でも大都市にあたるハルシオンの奴隷商館に卸され、買われるのを待つ、という身の上だった。
理想は、戦闘奴隷として買われることだろう。
冒険者が奴隷を買う理由の殆どは使い勝手のいい盾として、という意味合いが大きい。
しかし、レグルスには戦闘には多少なりの自信がある。
使い潰されるほど柔ではない。
そうは思ってみたものの、内心は虚ろなままだった。
レグルスはずっと生きている気がしなかった。
それこそ、生まれてから此処に来るまでの道は決まっていたことだからだ。
レグルスは戦わされるために生まれた。
戦いを教えられ、日々鍛練に明け暮れたのも自分意思や大切な何かを守るため、何ていう陳腐なものですらない。
家畜が食われるために肥やされることと同様に。
レグルスはいつしか来るアルダスとの戦争において、戦って殺されるために鍛練させられていたのだ。
そのことに気付いたのはいつからか。
そのことに抵抗しようと力を求めたのはいつからか。
結局、レグルスはその運命に抗えずにこんな所にいて。
今度は誰かに買われるために飼われている。
レグルスの人生に光はなかった。
今度戦うなら、せめてこの人のために死にたいと思える人の元で。
それを望むのはそんなに愚かなことだろうか?
レグルスは無気力に生きていた。
奴隷は何もせずに一日を終える訳ではない。
亜人の中には公用語を話せない者もいたし、礼儀を知らない者に関してはもっと多い。
顧客に不興を買うような奴隷では困るのだろう。
奴隷には教養を受ける時間というものがある。
中には意味を考えると吐きそうになる内容まである。
そんな所に買われるくらいならこのまま死なせてくれればいいのに。
そう考えると、服従の魔水晶は容赦なくレグルスに苦痛を与えた。
もう考えたくない。
そうやって奴隷達は自我を失って行く。
他はどうか知らないが、ハルシオンの奴隷商館は呼び出し制だ。
顧客が希望を伝えると、商人が何人かを見繕って連れていく。
レグルスは幸か不幸か、呼ばれたことは一度もなかった。
そうこうしている内に半年の時は流れ、入れ替わりの激しい部屋の中でレグルスはすっかり古株だった。
それほど自分不良物件だったのだろうかと心配になるほどに。
転機は訪れた。
レグルスのいる部屋に、一人の少年が訪れたのだ。
今までそんな客は居なかっただけに、他の檻の奴も興味を示しているのが印象的だった。
彼は、濡れからすのような黒髪で、涼やかな変わった顔立ちをしていた。
つまらなそうにゲージを眺め、商人に何かを耳打ちする。
とんでもないとばかりに手を振る商人に、彼はわざとらしく溜め息を吐くと、商人に何かを握らせた。
たぶん金だ。
渋々、という様子で頷いた商人を見届けた彼は、ふっと悪戯っぽく笑って出ていった。
残された商人が顎に手を充てて檻を眺める。
「出るんだ、レグルス」
正直話を交わしたのは初めてだった気がする。
曖昧に頷き、部屋に入ると商人は戻っていった。
それが何度か続き、十数名のものが集められると、彼は徐に口を開いた。
「とりあえず全員掛かってきてくれる?」
面食らった者が殆どだろう。
戸惑ったレグルスは無意識に商人を見た。
こんなに細い彼に襲いかかっていいのか?と。
商人は、やれ、というように顎を振った。
部屋に集められた者は皆分かった筈だ。
ここに集められたのは、戦闘能力に秀でていると自負している者達だと。
躊躇いはあったが、それが命ならば従うほかに道はない。
服従の魔水晶にはどうせ抗えないのだから。
圧倒だった。
転ばされ、蹴り飛ばされ、空を舞う。
十数名の者が地に伏せる中、彼の他に立っていたのはレグルスと黒豹族の男、飛族の男の三人だけだ。
決定的な違いは、彼は先程と変わらなくて、レグルス達は肩で息をしていることか。
この人は、凄い。
レグルスは初めて人の戦いを見て焦燥以外の何かを感じた。
それと同時に落胆する。
彼は自分など必要としないだろう、と。
それを自覚すると、今までになく気持ちが落ち込んで行く。
「…な。とりあえず戻ってもらっていいですか?ありがとう」
最初の言葉は聞き取れなかった。
そして、レグルス達は一度檻に返された。
その後、レグルスは再び檻から出された。
商人について行くと、部屋の前には既に五人が集まっていた。
先程の二人と、神経質そうな顔立ちのエルフの男、恐ろしく美しい女…恐らくヴィーラだろう…、人形のような小柄な少女は膝を抱えて座り込んで唇をきゅっと引き締めていた。
呼ばれた判断基準や何人買うつもりなのかは分からないが、彼女らがレグルスと同様に真剣な目をしていることは分かる。
面接の内容な単純なものだった。
名前、年、種族、他にも色々あったが、とりとめのないやり取りだったように思う。
彼自身もそれ自体には対して関心がないように思えた。
彼が真剣な顔をして聞いたのは一つだけ。
付いて来る気はあるのか、という問いだ。
光が、見えた気がした。
レグルスは迷わず答えた。
“勿論です”
と。
レグルスは決めた。
彼を最後の主にしよう。
種族の長のように、ただ義務で使い回されるのではなく。
次の主はない。
彼を亡くす時、レグルスは既に死んでいる。
そういう関係を何故か彼となら築ける気がしたのだ。
話を聞いていて、強く思ったことがある。
彼の、想いに応えたい。
悠一は、根本的に甘い。
人にも、自分にも。
日本で生まれ、生きていけるならばそれで良かったものが、ここに来て否定されていた。
この世界では、いや、恐らく地球以外の世界では、誰かを守るために人を傷付ける事が往々にして行われる。
悠一は今まで、人を傷付けたことがなかった。
無論、口喧嘩やちょっとした取っ組み合いをしたことがない訳ではない。
そのまま言ってしまえば、人を殺めたことも、殺めたいと思ったこともない。
日本人なら当たり前の感性だろう。
その為、この世界の情勢を知っていて尚、悠一は誰かを傷付ける気がなかった。
甘ったれた根性だろう。
魔物は殺すのにと言われるかもしれない。
そして何より、いつかそのせいで足元を救われるかもしれない危険な事なのだろう。
人を言い訳に使うなんて褒められたことではない。
が、悠一は彼らを守る為、彼の期待に応えるためなら、それも仕方ないだろうと今決意を固めた。
この世界で、彼らと生きていくために必要な事だ。
人をだしに使った、やはり甘い決断だが、悠一にとっては確かな一歩だった。
悠一は日本という地球においても、平和な国に生まれた。
人の死因の殆どは事故死か、病死か老衰で、他者に理不尽な死をもたらされることは殆どない。
そして致命的なほどの挫折というものもそれほどない。
殆どの人間がそれなりに学び、育ち、何となく生きていく。
それが許される穏やかな国だ。
逆に他の世界において、何となく生きていくなんていう選択肢は殆どない。
常に死がまとわり付いた世界で、人は自分にあった戦い方を覚えてゆく。
ドラグーンはそんな世界達の中でもそれが顕著な星だ。
悠一はどの世界に行くかを選ぶ段階で、幾つかの世界の知識を与えられていた。
勿論一から十まで教えてもらった訳ではない。
どんなものが住んでいて、どういう文化を築いているか。
学んでいく中で、ドラグーンが変わっている、と思ったことは一度じゃなかった。
日本語を公用語とすることから、最初から強い関心はあった。
一番気になったのは、死亡率50%弱、平均寿命が40歳未満という有り得ない数字だ。
二人に一人が死に、おおよその者が孫を手に抱くまで生きることが出来ない。
文面通りの意味なら理解出来ても、その実情を推し測るのは難しい。
そのことについて、巳夏に助言を乞うたのは一度や二度じゃない。
そして、その問いにまともに答えをもらったことは一度もない。
放任主義に見えて、巳夏は面倒見がいい。
そんな巳夏が答えをくれないことには理由があると、悠一は知っていた。
大抵は、自分で考えなくてはならない問題と直面した時だ。
だから、このことは自分で考えて知らなくてはならないことなのだと悠一は理解した。
こんな数字を弾き出す世界だ。
まともな訳がない。
悠一が持つ知識の中ではドラグーンは普通だった。
人が異常に死んでいるという実態以外は。
面倒くさい匂いがぷんぷんしていた。
迷いがない訳ではない。
しかし、ここを乗り越えたなら悠一は成長出来るのだろうことを思えば行かないという選択肢はないような気がした。
悠一は強さを求めていた。
単なる戦闘力だけではない、心の強さが欲しかった。
誰かが言った。
人は傷付いた分人に優しくなれると。
誰かは歌った。
哀しみの涙が人を強くすると。
悠一が共感したことはない。
泣いたって強くはならなかった。
傷付いた悠一は心を閉ざすばかりだった。
それでも、優しさも、強さも。
悠一は何時だって欲していた。
レグルスは、傷付いて強くなった人だと思う。
傷付いて、それでも光を求めた強さに感服する。
俺も。
もう一度、足掻いてみよう。
そう、思った。
巳夏が提示した世界には共通点があった。
どの世界も、ファミリーに一度、干渉を受けた世界だということだ。
一言で言えば、一筋縄ではいかない世界を敢えて用意し、選ばせた。
理由は簡単だ。
彼の、成長を望むから。
ドラグーンの死因の大半は魔物にある。
というのは最近の話だ。
亜人と人間は長根敵対しており、死因の殆どは戦死である。
それから随分経った今も根本的な解決には至っていない。
戦争がほぼ無くなったのに死ぬ人間が減らないなんて難儀な世界だ。
ドラグーンという世界は本当に易しくない。
易しい世界にどっぷり浸かった悠一を奮起させるにはちょうどいいかも知れないが。
死人が減らないのは、ドラグーンで人の命が安いせいだ。
傭兵業が立ち行かなくなったあぶれものは、冒険者に転職するか、盗賊に身を落としたものが大半だった。
戦うしか脳がない彼らはそういう道しかないのかもしれない。
が、そのせいで戦争ばかりやっていた頃は、閑散としていた冒険者が今一番人気の職業だとは笑えない話だ。
元々冒険者が人気がなかったのは、人を殺すより魔物を殺す方が難しいからだ。
人は弱い。
気のきいた武器もない。
戦争で死んでいた人間が、今度は冒険者になって死ぬようになった。
一攫千金を狙わず、懇々と働くということがこの世界の人間には難しいことらしい。
巳夏は敢えて悠一にそのことを教えなかった。
ドラグーンの情勢だけを教えたのは自分で学ばせる為だ。
悠一は弟子であり、巳夏の庇護対象ではない。
巳夏が促すべきは“成長”、その一点のみだ。
その酷さ故に、一度停戦させる為“ファミリー”が介入している。
そんな歴史を巳夏は語らない。
それでも、ファミリーが干渉したことにより他国より情勢がかなり良いファーレンに行かせたのは師としての温情だ。
自分で知って、成長してこい。
巳夏は自分が存外心配症であることを忘れていた。
ドラグーンに行くことを決めて以来、やきもきする巳夏に代わってドラグーンに赴いた恋人には頭が上がらない。
仕事もあるからちょうどいいだろうと笑った姿を思い出す。
そして思う。
恋人に手を焼かせたら後でしばく、と。
そんな親心を働かせる巳夏も知らない歴史があることを、まだ干渉が終わってなどいないということを、この時の二人は全く知らなかった。
2月17日 一部言葉の誤用がありましたので、訂正しております。
ご指摘ありがとうございました…!




