森の主
冒険者ギルドの二階は厳かな雰囲気に包まれていた。
白に限りなく近いグレーのスーツを纏った女、遊緋だけが退屈そうに欠伸をしている。
「ギルドマスター、会議中です」
難色を示したのはぱっとしないがそこそこ容姿の整った上背のある青年。
名をセヴラン。
元Bランクの楯使いのギルド職員だ。
遊緋は肩を竦めた。
「会議?もう終わっただろう?いつも通り、私が片付けて終わりだ」
面倒くさそうに椅子の背に凭れ掛かる。
「マスター、それでは冒険者が育ちませんよ」
呆れたように苦言を呈すのはプシュケ。
紫の三角帽を被り、黒のローブを纏った幼い姿の魔術師だ。
低い位置で二つに結われた白金髪がくるくると渦巻いている。
「無駄に死なすよりはいいだろう?無理に討伐させると死んで終わりだぞ」
「ハルシオンを出た冒険者の殆どは一年以内に死んでいます。守るだけではなく成長を促さないと」
プシュケはそう言いながらも、それは自分に問題があると分かっていた。
プシュケは副ギルドマスターであり、ギルドマスターである遊緋の部下で従者。
一年の内二月分もハルシオンにいない遊緋に代わって、冒険者を育成するのはプシュケの役割だ。
「…とりあえず、一度休憩挟みますよ」
終わらない議論に溜め息を吐きながらそう言ったセヴランは、一先ず周りを解散させて一人だけ会議室に残った。
プシュケだけは気掛かりな様子を見せて去る。
会議の議題は当然ながら、ヒメジオンの森で惨殺された冒険者の事だ。
昼頃には魔術師ギルドに回していた魔水晶の検証も終わり、魔物の特定が出来た。
ギルドマスターである遊緋が著名な魔術師であり、乞われて魔術師ギルドの名誉会員として名を連ねているおかげで、他部の冒険者ギルドと比べて魔術師ギルドとの繋がりは相当に深い。
その為、こんな鑑識染みたことも引き受けて貰えるのだ。
検証の結果、魔水晶から割り出されたのはワイバーンという土気色のドラゴンだった。
ワイバーンは、ドラゴンの中では下位の存在にあたるが腐っても竜。
Aランクは堅い魔物だ。
何故、ハルシオンに姿を見せたのかは謎だが、魔物というのは一所に留まっているものではない。
気紛れに飛んでくる事もよくある話なのだ。
近年はそれが増加傾向にあり、冒険者ギルドの主力たる遊緋は何時も走り回らさせられているのだが。
何はともあれ、遊緋の不在中に死者が一人しか出なかったのは不幸中の幸いだった。
二人きりになったセヴランは、改めて遊緋に向き合う。
「マスター。何時まで貴女はこの世界の“神様”をやるつもりなんですか」
マスター。
内容は兎も角、その呼び名には紛れもない敬愛が含まれていた。
セヴラン・ヴィクトル。
表向きは遊緋に引き抜かれてギルドの職員をやっているという事になっているが、実情は違う。
彼はプシュケと同じく、遊緋の従者だ。
その為、全てではないが多少込み入った事情も知っている。
そんな彼にとって、死んだ冒険者などどうでも良い事だった。
彼にとって重要なのは、ドラグーンという世界が荒れているせいで彼の主が休む間もなく働かされている事。
(ワイバーンの討伐、か…)
他の冒険者がやればいいものを。
そうは思うが、それが現実的でない事くらいはセヴランとて承知している。
本当なら自分がやりたいのだ。
しかし、防御力ばかり高いセヴランでは歯牙が立たない。
現在、Aランク級の冒険者なんて殆どいないのだ。
一つ上のSランクが最高、しかも一人しかいないという現状は、歴史を省みると過去最低と言っていい。
冒険者不作の年が続いていた。
戦争が無くなったせいなのか、150年前の禍根なのか。
少なくとも、今のハルシオンにはCランクの冒険者は一名しかおらず、本来なら宛にする対象にならない筈のDランクの冒険者ですら手薄という始末。
遊緋が片付けるしかない状況なのは確かだった。
ぼうっと外を眺めるだけで、何も答えない遊緋に焦れたセヴランが問いを重ねる。
「彼はどうなんです」
「彼?」
いきなり質問がすっ飛んだ自覚はあったが、セヴランは歯噛みする。
本当なら人に頼りたくなどないのに。
「名足悠一です。えらく気にかけているでしょう」
ああ、と合点がいったように遊緋はふっと笑った。
「あいつか。あれはウチの末っ子だからな。まあ、直接会ったのは昨日が初めてだが」
セヴランは遊緋の楽しそうな顔を見ながら拳を握り締めた。
そんなことをやらせる気はない。
彼女の笑みはそう言っていた。
(…そんなに大切ですか)
セヴランは胸中で問う。
名足悠一。
この冒険者ギルドに加入して、半月と少しの日数で既にDランクに手を掛けようとしている謎の魔術師。
そして、主の“家族”。
セヴランが、なりたくてもなれないもの。
「…何時行かれるんですか?」
「今晩にでも。明日には本部に戻らなくてはならん」
そう言って遊緋は軽く息を吐いた。
セヴランはその横顔を見つめる。
(…痩せたな)
元々遊緋は痩せ型だが、それに輪に掛けて細くなった。
働きすぎだ。
どうして自分はこの人の役に立てないんだろう。
多少の事情を知っていても、セヴランには遊緋の事が半分も理解できていない。
重荷を背負うことすら出来ない。
「…用意してきます」
黙って礼をして出ていくセヴランの胸中を遊緋が知ることはない。
「全く。最近は本当にどうかしてるよ」
溜め息を吐きながら、ローブに着替える。
その夜、我が物顔でヒメジオンの森の奥地にいたワイバーンは肉塊に変わり、最強の名を誇るハルシオンのギルドマスターは本部にとんぼ返りしていった。
しかし、話はそう簡単には終わらない。
奥地からワイバーン追い立てられてきた獣が、今度はヒメジオンの森の浅瀬に姿を現したのだ。
あれから数日。
ヒメジオンの森に潜んでいたのはワイバーンというドラゴンであったと発表があった。
その際には、街を上げての大混乱になったものだが、今は随分落ち着いている。
既に討伐された事も一緒に広まったからだ。
(化け物みたいな人もいるもんだな)
まさかそれが自らの“家族”の仕業であるとは露とも思わぬ悠一は呑気なものだった。
こんな事があったのに、悠一は機嫌が良かった。
何故なら、死者が出たことで葬式のような空気に包まれた冒険者ギルドに顔を出すのが面倒で、魔術師ギルドに詰めていた結果、風呂の魔道具を手にいれる目処が付いたからだ。
五日で、15万K。
貯金と合わせれば26万Kだ。
今のところ、宿を出る気はないので必要はないのだが、何時でも買うだけの用意が出来たというのは嬉しい。
お陰で“待ち”だった魔道具は一掃され、暫く仕事はなさそうだがこれだけ稼げたのだから文句はない。
それにその内また仕事は回ってくる。
心踊らせる悠一の気分に水を差したのは、やはり冒険者ギルドだった。
「え?また死んだんですか?」
悠一がひさしぶりに冒険者ギルドに顔を出すと、またしてもギルド内は騒然としていた。
ミレーネは疲れたように頷く。
「えぇと、ワイバーンは倒したんですよね?」
「ええ、ワイバーンは倒しましたよ…ただ、ワイバーンに追いやられた魔物が多くて。中には、奥地に住んでいた主級の魔物が混ざってるんですよ。あー…マスターがいる時に出てきたんだったら良かったのに…!」
珍しくミレーネが取り乱している。
主級とはAランク級。
ワイバーンとランク自体は変わらないのだが、年期の差か地力の差か、追いやられて浅瀬に出てきてしまっているのが実情だ。
「…それってどうなるんですか?」
恐る恐る聞くと、ミレーネが溜め息を吐くように言った。
「通常通り依頼に出すか、軍を借りるか、森を閉鎖するかしかないですね。ウチのマスターは次帰ってくる時期未定なので」
それでいいのか、ギルドマスター。
結論から言うと、森は閉鎖された。
通常業務で依頼を出そうにも倒せる人間がおらず、ヒメジオンの森が領外である事と、死んだのがハルシオンの民ではなく冒険者である事を笠に軍は動かなかったからだ。
本当に世知辛いな。
行ったことがないので何とも言えないが、ヒメジオンの森は元々この辺りでは一番と言っていい魔物の巣窟。
その主と言えば、ハルシオンの人間なら皆知っているらしい。
ブラッドタイガーというAランク級の魔物だ。
主クラスだと、豊富に獲物を食らってきているので相当に凶悪なものらしい。
その数値はAランクオーバーを推定させるが、実値は不明。
何せ今まで奥から出てくる事がなかったので、討伐対象になったことがないのだ。
不思議だが、ポイント毎に生まれやすい魔物は決まっている。
例えば、ブラッドタイガーが主であるヒメジオンの森なら、ブラッドタイガーより凶悪な魔物が生まれる事は滅多にない。
今回のように、強い魔物に奇襲を掛けられて追い出されるような事例の方がまだよく見られるのだ。
例え、ブラッドタイガーが狩られたとしても、時間が経てば新たなブラッドタイガーが生まれるのは殆ど確定的だ。
その対処は二派に意見が別れる。
永続的に若い魔物を狩り続けるか、主級が増えない事を裏手に取って統治させようとするか。
どちらも一長一短があるので何とも言いがたいが、今までブラッドタイガーは放置されてきた後者の魔物だったのだ。
出来るならば、奥地に戻らせたい。
そんなハルシオンの住人の思いと裏腹に、ブラッドタイガーによる犠牲者は早々に退治されたワイバーンの比ではなくなっていった。
あれから、ギルドはバタバタしている。
今の所、森からブラッドタイガーが出てくる気配はない。
しかし、禁止区域に設定されても勝手に入る人間が後を立たず、死人は更に数を増やしていたのだ。
どうも、ブラッドタイガーの強さが未知である事から、ワイバーンは無理でもそのくらいなら…と思ってしまう人間が多いらしい。
危ないって言われているのに何故。
平和ボケした、とまでは言わないが、ハルシオンの冒険者は本当に強い魔物や冒険者をみる機会が非常に少ない為、実力を見誤りやすい傾向にある。
その点、悠一は完全に安全牌を取る男だった。
寧ろお前はもう少し戦っておけと人に言われておかしくないほど、安全第一に行動を取っていた。
安全を取るというよりは、周りに埋没していたいだけだったりするのだけれど。
それが訓練だと背をどつかれれば行かざるを得ないのだが、一人だとどうにも悩みあぐねてしまう。
「まぁ、元が優柔不断だからな」
特に守りたいものがないのでは尚更だった。
「名足さん」
バイト帰りに声を掛けられ、振り替えるとよく見る冴えない男性が立っていた。
彼は、冒険者ギルドの職員だ。
悠一も何度か話した事がある。
「変な話なら聞きたくないんですけど」
彼はろくな話を持ってこないように思う。
結果オーライだが、魔術師ギルドの行方不明話からのバイト斡旋も彼から聞いたのだった、そう言えば。
そう思いながら言葉を返す。
「変な話の基準は分かりませんけど、ギルドの話です」
「他に何があるんですか…?」
思わず突っ込んでしまう。
「それもそうですね。で、話の内容なんですけど…」
話を聞いて帰った悠一は、夕食を摂って風呂に入った後ベッドに横になっていた。
今日はステーキとシチューだった。
食卓の食事は馴染みぶかいメニューで、すごく美味しいので本当に助かる。
何の肉なのかは知らないけど。
「面倒くさいなぁ…」
どうやら冒険者ギルドで隊を編成し、ヒメジオンの森を調査しに行くそうだ。
つまりは、ミレーネが言っていた集団討伐。
悠一もそのメンバーに選ばれたらしい。
言っておくが、オーク以外の実績なんて悠一は持っていない。
それなのに選抜された理由は悠一が魔術師だからだ。
(どんだけ魔術師貴重なんだよ)
いずれにせよ、戦えと命じられているなら従うだけ。
悠一は英雄にはなれないし、なりたくもないその他大勢の駒なのだから。
恐らく、普通でありたいという思いが、自分なら何とか出来るという意識を遠ざけていた。
その意識はあまりにも傲慢で英雄的な、普通ではない物の見方だからだ。
(修行だ、修行)
積極的に修行するならば、悠一は山籠りでもするだろう。
ただただ魔物を狩って、フラりと売りにくればいい。
それをしないのは、恐らく巳夏の言った修行”の意味が普通と違ったからだ。
恐らく、あの言葉の真意は、人と関わる事に慣れてこいと、リハビリしてきなさいと、そう言っていた。
山に篭って魔物を狩っていても、巳夏は悠一を呼び戻そうとはしない筈だ。
日に日に周りとの関わりを絶とうとする悠一を、誰より苦々しげに見ていたのが彼だったから。
だからこそ、この仕事は断る訳にいかない。
自分から動かなくても、足並みを揃えるくらいはするべきだ。
悠一は壁に掛かった時計を見て身を起こすと、外に出た。
出掛けた先は冒険者ギルド。
二十時からギルドの会議室で作戦会議なのだ。
「すみません、調査隊に選抜された名足ですけど」
職員に話し掛けると、カウンターの裏にある会議室のような場所に通された。
中には既に数名の男たちがいる。
女性の冒険者がいない訳ではないが、今回は選ばれていないらしい。
「座ってください」
悠一は一番ドアに近い端の席を選んで腰かける。
二十時まで十五分ほど。
まだ席は埋まっていない。
その後、数名が駆け込んできて、会議は始まった。
「では、明日の朝南門に集合願います」
セヴランがそう締めくくる。
彼は元Bランクの盾使いで、現在はハルシオンのギルド職員として働いているそうだ。
(冴えないとか思っててごめん)
そんなに凄い人だとは正直思っていなかった。
ハルシオンの冒険者ギルドでの最高ランクがCランク。
その冒険者は不在だが、言わばハルシオントップの男よりも強いらしいセヴランに物申す人間はいなかった。
集められたのは、悠一の他に今年迷宮に挑むと豪語しているハルシオンのトップチーム三つ。
ちらほら出発していた中には入っていなかったのが幸いだ。
仰々しい名前が付いていたようだが、正直覚えていない。
「アンタが今回唯一の魔術師?」
悠一が振り向くと、厳つい顔の男が立っていた。
呼ばれていたチームの一人のようだが、知らない男だ。
「多分そうですね」
「へぇ、幾つ?えらい若いのな」
気さくにそう言ってくる彼は、厳つい容姿と不釣り合いに明るかった。
「いや、童顔なだけですよ多分。もう十九ですから」
「え?そうなのか?悪い、十五くらいなのかと思ってた」
ケラケラと彼は笑う。
だと思った、と悠一も苦笑した。
日本人らしく、悠一も西洋人と比べれば童顔だ。
この世界は西洋系の顔立ちが多いので無理もない。
尤も、顔立ちの整った人間が妙に多い気がするが。
「いや、気にしないでください。ええと」
「あ、俺ウォルター。歳は二十一で“紫電の騎士団”のリーダーだ」
「よろしくお願いします、ウォルターさん。俺は名足です」
「よろしくなー」
その後は適当に話をして別れた。
(装備は…まあいいか)
特に用意をするものはない。
今更慣れてない装備なんて邪魔なだけだろう。
明日何があっても何時もと変わらない。
そう思ってみても、何故だか気分は落ち着かなかった。
その夜、悠一は初めて夜の蝶を買った。




