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冒険者の手合わせ

 冒険者がパーティを組むときに重要視されることは何であろうか?


 個々の能力?

 個々の職業?

 個々の種族?

 個々の性格?

 個々の性別?

 個々の年齢?


 いくつか意味のない内容が列挙されたようにも思えるが、実のところ言えばどれも並列して重要で、外す事の出来ない内容である。


 例えば、幼年の魔術士が壮年の戦士と共にパーティを組んでいたらどうであろうか。普通の一般人でこの組み合わせであれば、それを見た人々はなんと考えるであろうか。

 家族?親戚?友人?師とその弟子?

 例えその能力がパーティを組むに足るバランスを取っていたところで、人がまず判断材料とするのは外見である。もし組み合わせが男女の別であったら、余り外聞の良くない想像がされるかもしれない。それは唯でさえ「職業」としてよい印象を得られない場合の多い「冒険者」としては、望まれる事態とはいえない。

 種族でによる組み合わせを考えた場合、例えば、アールブとドワーフ「のみ」の多人数の組み合わせなどは余りにも有り得なさ過ぎて要らない詮索を呼び起こすかもしれない。単純に注目を浴び「まくる」ことになるであろう。


 職業は言うまでもない。一般人からすれば、ひとくくりに「冒険者」で済んでしまうわけであるが、「パーティ」として考えた場合、戦士のみの冒険者パーティは有り得ないし、レンジャーのみの冒険者パーティも効率が悪い。神職のみが修行・修練を主目的として、複数人が寄り集まって旅をすることはあるが、それらは「旅」自体が目的であってその「旅」に付随する、つまり「修行の一環として」冒険者の宿で依頼を受けたりすることはあっても、冒険者そのものであるとは言いがたい。「冒険者の宿」等で依頼を受けるにあたっては、冒険者として登録してもらうことが進められる訳ではあるが、それを嫌がる者もいる訳で、そういった者は、市井で個人の足を使って依頼を探すこととなる。それすらも「修行」の一環であるといえばそれまでだが、職業「冒険者」でまとめられない問題がある部分といえる。そういった「冒険者」で無い者が「冒険者」に対する依頼を受ける事が「ありうる」というのは若干、問題を複雑化している側面はある。


 能力に関しては難しい。剣を握れない人間が戦士であるなどと言うのは論外であるが、玄人と素人の組み合わせが一概に悪いとも言いがたい。少人数の組み合わせでは問題が顕在化しやすいが、通常、最低でも五人あたりから組まれる「冒険者パーティ」の場合、リーダーさえ確たる能力を持っていれば「冒険者パーティ」としては一角の能力を発揮できる場合が多いのである。

 これは戦力二乗の法則とかが関わってくる部分があるのだが、最低限「冒険者の試練場」を「卒業」出来る程度の能力を持った「人間」であるならば、冒険者としては人数を唯集めただけにとどまらない能力を発揮できるので、戦力バランスさえ整っているならば、ベテランの冒険者であっても駆け出しを馬鹿にしたりはしない理由でもある。冒険者とは基本的に集団であることが冒険者たる由来であり、個人ではいかに優れた能力を持とうとも単に「戦士」であり「レンジャー」であり或いは「魔導士」に過ぎない。集団を組めない「冒険者」は冒険者とは言えないのだ。


 ただ、いくら個々の能力が重視されないとはいえ、まったくの赤の他人が、じゃあ今日から仲間なのでヨロシクとは言えないのも冒険者の特殊性ゆえだろう。商人見習いが商家で仕事を始めるにあたって、上司や先輩が「素人」たる立場の人間が犯す失敗のフォローを行うのは当然ではあるが、冒険者の場合、始めの失敗がそのまま永の別れとなる事態は当たり前であるので、能力不詳の仲間等は危なくて使えたものではない。冒険者が一度組み上げたパーティを生涯にわたって維持しようとしがちであるのも能力の見極めと個々の相性というものがあり、それは能力の優劣ではなくて、互いが補い合えるかとか、そういった部分が重視されがちなのである。

 とはいえ、依頼などを得た場合、自分たちのパーティに足らない能力が要求されることは間々あることであるし、あるいは、壊滅したパーティの生き残りを受け入れたり、新人に実戦能力を与えるためにパーティが初心者を組み入れることは普通に有り得るわけであり、場合によっては自らが所属していたパーティが、自分ひとりを残して全滅して、明日の糧を得るための消極的選択肢として、急遽、他のパーティに加わることすらあるかもしれない。そうした場合にそうした「新人」をパーティが如何に扱い、戦力として数えるかの判断材料が必要となる。

 冒険者が冒険者としてそうした能力を測る手っ取り早い方法としては、いかにも冒険者らしい手段としか言えない方法として、手合わせをすることが普通であり、要は拳で語れ、ということである。





 「コロシアム」に移動したルカ達が、戦闘準備をしているのはそういった理由であり、ルカたちだけではなく、冒険者の試練場で腕を振るう「先生」達が集まっているのも、「新人」の能力を測るためである。

 

 「エリックとやりあって、どうだった?」


 オレネゴルに尋ねながら戦闘準備を進めるのがルカ。軽いものではあったが、ポートからの足取りはある種の「旅」であったことは否めず、それなり以上の準備と装備を整えた姿は戦場に立つにはいささか不釣合いであり、本気で試合うためにはそれなりの準備というものが必要である。

 旅装束から戦闘に不要な装具を剥ぎ取りつつあるルカを横目にオレネゴルが首をひねる。


 「ん……、どう、かな。それなり、と言っていい、かな」


 鞘、というよりカバーといったほうがいい物を留める紐を緩めながら、バスター・ソードを引き抜き、左右に揺らす。刃先に視線をやり、ゆっくりと視線を柄に移し、軽く振るう。右手で体躯の前に左右方向へ線を描いて、左手に持ち直し、上下に振るう。片手剣と言うには大きすぎる獲物が軽やかに輝きを散らす姿に一年ほどのブランクは見えない。


 「んーそういうのは逆に困るな。欠点とか、すごい必殺技とかあると判り易いんだけどなー」


 ルカの言葉に苦笑するオレネゴル。それには頷ける部分があるのだろう。


 一応、緩やかな立場でルカをリーダーとするパーティはルカを含めた七人(・・)で十分にバランスの取れた冒険者パーティであった。別に気恥ずかしい二つ名が冠せられるようなパーティでもなかったが、中堅どころとしてそれなりには頼りにされる程度には能力も実力もあるパーティであったという自負がルカにはある。そうした均整の取れた集団に新規に人間が入り込むのは存外難しい事で、能力値が近似していれば単純に重複するだけであり、それはそれで戦術の幅が広がっていいことではあるが、効率の面でどうかという部分がある。

 軍隊等で言うところの「部隊」というのは能力が高かろうと低かろうと関係なく鋳型にはめて集団として無理やり均整を取る物であり、軍事上の要請である一定の人数枠で戦闘力の整合性を採るものだから、能力が低い者は強引に水準値まで能力を引き出される事になるし、能力が高い者は逆に水準値まで能力をセーブされることになる。飛びぬけて能力が高い者は、高い者同士で組ませて飛びぬけて面倒な仕事を任せられる部隊を作ってしまえば良いわけで、軍隊というものはある意味究極の凡人集団であることが求められる。

 戦闘力が高い、練度が高い軍隊というのは、緊急時に、或いは想定の範囲外の事態が発生した場合に、そういった鋳型の外にはみ出た者が、鋳型の中でもがいているのを引っ張ることが出来るかどうかで見えてくるものであり、凡人が凡人のまま非常事態を如何に少ない被害で潜り抜けられるかにかかってくるが、そういった部分は冒険者とは直接的に比べられない。


 冒険者パーティというものは軍隊とは似て非なるもので、実のところ百鬼夜行な部分があるのでひとくくりに出来ないのであるが、例えば、フィールド・トレジャーに特化したパーティもあるし、洞窟探検を主に据える者たちもいる。シティ・アドベンチャーが大好きな奴等もいるし、やたらと癖のある依頼を好んでこなしてトラブルに首を突っ込むようなパーティもある。

 前衛が分厚くて、能力的にどうということはない後衛を据えて困らないパーティもあるし、前衛は盾と割り切って強力な後衛をそろえたパーティもある。レンジャーだらけで、戦士は緊急時の要員というか用心棒的扱いに済ましているパーティもあるし、前衛後衛まとめて殴り合いのケンカなら百戦百勝という色物パーティもある。


 前衛職にせよ後衛職にせよ割合は「こう」でなくてはならない決まりがある訳でもなく「ルカのパーティ」で求められる「冒険者」の能力は、前衛戦士職が二人であり、三人目が加わることで何かが変わるわけでもないという問題があった。悪くなるわけではないが何かが改善される訳でなく、能力的に重複するのであれば気心の知れた仲間で十分という話である。必殺技云々という話題は突出した能力があれば、パーティとして組むにあたり説得力が増すわけで、それは新人をパーティになじませる強力な武器になる。凡百の能力しかなければいてもいなくても変わらないということで、それならば個人の能力とは関係なく付き合いの長さで必要性に優劣がついてしまうので、エリックには受け入れがたい現実であろう。お荷物として見られてしまってはエリックの立つ瀬がないであろうし、それならばまったくの新人素人であったほうが遣り様はあるのだが、エリックは青年というに相応しい体格であって、一度パーティを組んで「冒険者」として見られたならば「新人」という立場に置いて甘やかすわけにもいかず、ルカとしてはこめかみを痙攣させる材料ということになってしまう。


 ルルピンたちは一塊になって三々五々と好き勝手に会話をしているが、ルカにとっては若干の緊張感を匂わせて剣を握るエリックの扱いは難しいものがあった。

 ……実のところルカとそれ以外の者たちが持つ認識には彼ら自身が気づき様ないところで大きな齟齬があったがその部分に理解をもて得る人間は胡散臭い笑みがトレードマークのリョース・アールブ以外にはいなかった。

 ルカ以外の「ルカのパーティ」とそれを見やる者たちが持つルカの困った表情の原因は、エリックの能力的な問題とそれを受け入れなければいけない立場のルカ自身の問題に視線が向いていたが、ルカ自身の持つ問題意識はイサクラルパドル世界に生きる人間にとっては想像の埒外にあった。


 戦闘準備を整えつつ、身体を解しているルカの表情が曇るのは、ルカにとってこの世界が現実であるという理解がほんの一年ほど前に得られた物であるという点で、実際問題としてβ世界という「ゲーム」のなかで架空の存在であったキャラクターたちと実際に戦うということに関していまだに現実感が乏しいという現実があった。

 β世界のアバターとして、ルカにはそれなりに豊富な戦闘経験があり、彼自身の剣捌きにはそれなりに大したものがあったが、別に彼自身が「現実」に剣技に優れた能力があるというわけでもないという事実は思った以上にルカにプレッシャーを与えていた。

 それなりに長い付き合いであったパーティ・メンバーがゲームのキャラクターとしてではなく現実の存在として目の前に湧き上がってきた事実は、彼自身、先ほどの再会で十二分に理解できていたつもりではあったが、だからこそなお、彼らと共にルカが血なまぐさい「冒険」で「他を殺す」戦いの仲間であったという「現実」に対する理解を阻む壁になっていた。

 「人間くさい」仕草が特徴のβ世界のNPC達が戦いにあたっては何のためらいもなく敵を倒すという事実は「ゲーム」のキャラクターだからで済まされてきた部分から急に現実に突きつけられた事実であり、現実世界の「仕事」のなかで「職業」として他を殺さざるを得ない中でも、苦しい思いをしてきたルカには殺すことが日常の「冒険者」に対して、現実として相対したときに嫌悪感を抱かざるを得なかったのである。


 それがこのイサクラルパドル世界の常識であり、それがこの世界で生きる道であるというのはルカも理解していた。そういう世界であり、ゲームではなく事実、そこにある現実なのである。

 モンスターと相対して呆けていれば次に自らの身に降りかかるのは自身の死であり、或いはモンスターの餌として咀嚼される刹那の未来であるが、β世界であっては、そこで戦い、経験を得て報酬を手にするのが「ルール」であり、実際にそこでゲームをプレイするプレイヤーとしてはどれほどまでにリアルな表現がなされていようとも、どこまでもフィクションの世界でしかなかった。


 ところが、現実である。


 幾ら醜悪で敵意に満ち溢れたモンスターであっても、どことなく「人間」の姿を連想させる「亜人間種」と相対したときにはたしてルカ自身が躊躇いなく殺意を持って剣を振るうことが出来るか?現実に存在するはずもない巨躯をふるって必殺の攻撃を放つ幻想種等に対抗できるのか?それよりも何よりも、β世界と同じくしてルカ自身の能力がこの世界に通用するのか?ゲームとしてのβ世界での立ち振る舞いがイサクラルパドルに対して通用するのか?

 これは怖気を振るわせる底知れない恐怖であった。この「仕事」にあたってルカが求められる任務の中には「そういった部分」すら含まれているのは「合意」の上であったが、ただ剣を交えて実力を見合うだけの「試合」にあたってさえ、自身の心を冷たく切り刻む恐怖が荒れ狂う事態に、ルカには「納得」がいかなかった。大したこととはいえない、手合わせ程度の児戯にも等しいこの世界の常識に、改めてルカの常識が崩れ去る現実に「ようやく」気がつかされていた。



 「……はじめようか」


 傍目に見ても過剰とも思える緊張感を漲らせて、ルカがバスター・ソードを構えた。その仕草に対する周囲の者たちの感想は様々であったが、それに相対したエリックは表情を引き締めて彼の獲物であるバスター・ソードを構えた。

 ルカのアジリ・アーキテクチャが彼の動きに合せて世話しなく彼の身体にマナを送り込む。スターチュア・イニティジフィによって強化された身体は一見しただけでは変化を見ることが出来ない。しかしイサクラルパドルで生を得た者としてそれを視界に捉えた場合、視界の揺らぎのような違和感として「見る」事になる。

 ルカと肩を並べて戦闘を見る機会の多かったオレネゴルにはその姿に違和感が強い。必要以上に強化がされているように見える揺らぎは、何かを試すようにルカの身体を巡り、彼の身体を痛めつけている。

 観戦する「先生」たちにとっては、ルカが随分と力んでいる様に見える。

 事実、ルカに漲る緊張は、ルカの表情を、本人のみに知らず、限界まで引き攣らせていた。ルカ自身はまったくの無意識であったが、突如として現れた「真剣勝負」は、ルカの思考を掻き乱していた。

 身体に刻まれた……、いや、この場合、ゲーム・プレイヤーとして精神に刻まれた経験が、エリックを右利きであると判断し、自身、右利きであることから、自然と始まりの距離を取りながらルカの身体を左に流していく。

 ルカの視線の中でエリックは、躊躇いも戸惑いも無く、身体を廻して、ルカとの正対を維持しようとする。つまりそれは(高度なフェイントで無い限り)ルカの最初の見立てどおり、エリックが右利きであるという証左で、立ち会い初頭の必要な情報としては必要にして十分な事であった。


 恐怖、或いは戸惑いの中で混乱というより、混沌にとらわれた思考のルカは、そうではあっても、ゲーム・プレイヤーとしての経験、或いは、スターチュア・イニティジフィの経験により、流れるように駆け出した。

 一瞬と言うには遅く、走り寄ったというには速すぎる動作で、左手でリカッソを強く握りつつ、柄を軽く握った右手を調整しながら剣先を左右に振る。

 「普通の」人間では捕らえることが不可能な速さで動く情景の中で、エリックの視線、或いは身体の動き、一挙手一挙動を逃すまいと、ルカの視線が漲る。

 ただ(・・)の立会いである以上、周辺に対する気配りは不要であり、ルカの五感すべてがエリックに注がれた。


 ルカのバッシュにエリックが反応して身体を左にひねると、左右に振られていた剣先の流れにあわせて左腕の力でバッソがエリックを追いかける。

 エリックがひねりの動作からつなげて半歩下がりつつ、エリックの何の変哲も無い、だがルカのものよりは随分短く見えるバッソを斜めに傾ぎつつ、剣の腹で身を守りながら、ルカのバッソを待つ。

 やや強引な軌道変更で当初の勢いをなくしたバッソをそのままエリックに打ち込みながら……つまり、剣と剣がぶつかり火花を散らした瞬間に、ルカは左腕に力を込めた。

 その瞬間に、剣のぶつかり合いによる衝撃を利用して間合いを取ろうとしてエリックに、身体を寄せ付けたまま、ルカがエリックの身体を更に押しのける。

 衝撃から続く圧迫に、予想外の驚きを覚えながらエリックは間合いを取ろうと下がる。

 ルカはかまわず更に押し込む。

 ひたすら押し込んでくるルカに更なる驚愕を覚えながら、エリックはルカを弾き飛ばそうと力を込めるが、その刹那の瞬間を狙って、ルカの左足がエリックの右足を払おうとする。

 無論、そうした攻撃を一つの可能性として「知っていた」エリックは、即座に身体を反応させつつ、ルカの左足を小さく飛び越えながら右側に(ルカの左側に)回ろうとする。

 そこからの流れはエリックにはまったく想像すら出来ない攻撃であった。これは実のところエリックに限らず、プレイヤー・キャラクターとの付き合いが無い「人間」にとっては妄想の中ですら到達し得ない攻撃であった。


 エリックの身体が慣性の法則のみに従う「空中」に浮き上がった僅かな瞬間に、ルカはエリックの右足を狙ってそれた左足を強引に地に戻して力を入れつつ、腹筋と背筋を使って左足を軸に身体を跳ねさせて、右足で前に大きく振り上げてエリックの顎を狙った協力な蹴り、詰まるところのサマーソルトをブチかました。

 そのような攻撃方法等思いもよらないエリックは、自身に何が起きたかを理解することも出来ぬまま、強烈な衝撃と共に身体を進む方向を強引に直上へと変更させられて、首と背骨を軋ませた。

 狼人特有の長く突き出た顎は蹴りの標的としては存外に大きく、よって、ルカの蹴りの衝撃は十二分にエリックの脳みそを揺さぶる結果となった。


 混乱して、次の行動の方向性すら決められないまま刹那の空中遊泳を強制させられるエリックの身体の前で、その顎を振りぬいた勢いのまま、一回転を決めたルカは、その勢いのまま身を沈め、その反動を利用してリカッソから離した左腕を瞬時に直上にかざして跳ね跳んだ。

 緩やかな回転を持って、空中から地面への軌道の頂点を極めたエリックの身体の腹を、真下から打ち抜いたパンチが嫌な音を立てさせる。

 視界に激しく星を飛ばしたエリックの身体が軌道を再度、強制変更させて後ろに飛び跳ねさせて、地面を目指す。

 激しく土煙を上げながら地面を転がるエリックに、周囲の人間があっけに取られる中、ルカはまったく途切れることなく更なる攻撃をつなげようとしていた。

 が、前傾からジャンプへとうつろうとするルカの右頬を、緑色の拳が「遮った」。

 パンチとも言う。

 よって、ルカの身体も軌道を強制変更させられて左に向かって吹っ飛んだ。ルカの右手からバッソが離れて大きく飛ぶ。


 「やりすぎやりすぎやりすぎぃぃぃぃいいい!!!」


 叫ぶのはケイン・フックを振り回すエレノア。

 ほんの数瞬前までルカの身体があったところに身を割り込ませて、荒い息と充血した眼を怒らせて、右腕を突き出すのはルルピン。

 あっけに取られた表情を、ついで強ばらせたのはオレネゴル。

 地面に伏したエリックの下に自分のポケットをまさぐりながらあわてて駆け寄るガー。

 身体を硬直させて棒立ちになるレイン。

 

 派手に鼻血を噴出して眼を廻すエリックの身体を一度上に向けて、出血の程を見て取ってから横に向ける。両手を使ってエリックの口を開くと、案の定、血の泡と、砕けた歯の破片が地面に落ちる。

 エリックの肩の幅分だけ宙に浮いた顔を地面に垂らして、ガーが痙攣するエリックの背をさする。驚愕に固まる身体を跳ねさせてエルエがエリックに駆け寄る。側付は眼を見開いて今にも卒倒しそうであった。

 オレネゴルは随分離れた地面に落ちたルカのバッソを手に取りながら、見学者たちに声をかけて、応援を呼ぶ。オレネゴルとしてはガーの能力に関して思うところは無いが、冒険の前のこの段階ではたしてガーが十分に治療するに足る道具を取り揃えているかに関して大いなる疑問があった。


 地面に大の字になった状態から、のろのろと上半身を起こしたルカは人の集まるエリックに無表情に視線をやって、ついで同じく無表情のまま近くに歩み寄ったオレネゴルを見上げる。

 そうした仕草を無感動に眺めたままオレネゴルは小さく嗤って、ついでルカの剣を持たぬ左腕を大きく振り上げた。


 「やりすぎ」


 下に振りぬいた彼の腕はルカの脳天を的確に捕らえた。

 ルカは倒れた。






 あれこれと治療を受けながら冒険者の試練場の人々の手によりタンカに載せられて運ばれるエリック。駆けつけたヒーラーが何くれと手を出して応急の処置を施す。

 地面に置かれたり、或いは飛び散った装具を慌しくかき集めるオレネゴルとルルピン。

 エリックの後を付き添いながら頭をかきむしるガー。

 驚愕のまま身体を強ばらせて、のろのろとルカとエリックに視線を交互に送るレイン。

 冒険者の試練場にいた冒険者たちの手によって、エリックと同じくタンカに載せられるルカ。

 その顔を遠慮会釈無くばしばしと叩くエレノア。


 冒険者として、戦士としてエリックの安全がとりあえず図られた上に、その後に関して自身の及ぶところが無い事実に気がついていたエルエは、自分の側付であるワイアンドトの介抱に専念する。

 今は存在しない国家の騎士として、その後の傭兵として、そして冒険者として、戦友であり友人でありよき理解者として、エルエの側で永く勤めてきた初老の金狼人にしても、エルエやその妻であるルーシアと共に成長を見守ってきたエリックに降りかかった事態は、あまりにも衝撃的な光景であったようだ。

 エルエがワイアンドトの人事不詳の姿を見る経験はここ数十年来眼にしたことの無い希少な事態であって、無論そのことも、そしてエリックに降りかかった事態そのことにも、大きな驚きを覚えていた。


 その驚くべき状況を作った片方の当事者であるルカを殴り飽きたのか、大きく肩を怒らせて、憤懣やるかたない表情でタンカを見送るエレノアが此方に視線をやって、刹那に、顔を紅くし、ついで青褪めて、ギクシャクした仕草でエルエに近寄る。

 エルエ、ワイアンドト、エレノアの三者を残して騒がしい集団が混乱と共に試練場の本部に立ち去る。その集団から離れたところを小走りにレインが追いすがる。

 エルエたちの集団とも騒がしい集団とも離れた場所に、無表情に立つのはガンダールヴル。

 エルエがエレノアからガンダールヴルに一瞬視線をやると、どうとでも取れる小さな笑顔を返して、小さく肩をすくめて彼は、試練場の本部建物へと足を向けた。

 立ち去るその姿を無感動に眺めて、右腕に抱えたワイアンドトに視線を向け、彼が正気になっていないことを確認してからエルエは、酷く取り乱した表情を浮かべるエレノアに視線を合わせた。

 口から泡でも飛ばしそうな勢いを持って、エレノアが喚く。


 「あのっ、あのっ、すいません!そのっ、あのっ、息子さんを、そのっ!」


 手を振り頭を振り乱して、その小さな身体に焦燥の念を飛び散らせるエルフを、エルエはやわらかい仕草で左手を向けて落ち着かせた。


 「いや。あなたのせいではないでしょう。……無論、ルカ殿が悪いわけでもない」


 えっ……と小さく戦慄くエレノアに、壮年の金狼人は、長い歴史の中で多くの誤解を招いた微笑を送って一人ごちる。


 「ガンダールヴル殿から、皆さんが、その……冒険から身を引いていたことは聞いていたのですよ」


 んっ?と首を捻るエルフに小さく笑いかけて、呟くように応える。


 「正直、自分も無茶なことを頼みました。冒険と無縁の一年。おそらく、平和な一年だったのでしょう。ルカ殿も随分緊張していたようだった……」


 苦りきった表情に顔を歪ませる。


 「止めるべきだった」


 疑問顔を数瞬続けて、小さな驚きに歪めた表情を晒して、両手を小さな身体の前で左右に振りながら、エレノアは意味の繋がらない弁解じみた声を張り上げた。


 「いえいえいえ、いや、それはおかしいですって!いや、それは……いえ!ルカがおかしくて、いえっ、そうではなくて、あいつもベテランだし、そうじゃなくってですね」


 見方によっては微笑ましい仕草を見やりながら、その言葉をエルエは遮った。


 「時間の多少ではないのですよ。自分にも経験はあった。空白時期の経験が……そのときの平和が如何に身を緩ませるか。

 どういった類の空白の経験かで、どうとでも技術は緩む。そしてそれを自覚するのは難しい」


 眼を細めながら空を見上げる。


 「身のこなし。纏う空気。彼は確かに冒険者だったが、やはり空けた一年は大きかった。当然、考慮すべきことだ」


 エルエやルカの「もともとの仲間」たちがルカに等しく感じた違和感をエルエはそう理解していた。どれほどに身体が覚えていてもそれ以上にそれを緩ませる精神状態が、身体の動きを拘束する。

 それは、身体の動きを悪くする方向にだけ作用するわけではなく、時に、過去の経験が、冷静さを欠いた状況で、強すぎる力を伴って自身の統制を受け付けないまま過剰に発露される方向に現れることもある。

 ルカとエリックの間に起きたことは、そういう方向性の暴力であったとエルエは理解していた。


 その経緯に関しては大きな誤解があったが、その結果に対しては実のところ大きな差異はなかった。


 ルカは最初から最後まで冷静になるところを知らぬまま、ただ身体が覚えていた経験のみを頼りに戦いを進めてしまっていた。そして、そこに一切の手加減は無く、ルルピンによる手出しが無ければエリックに追撃をかけていたことは疑いようが無かった。


 経緯はどうあれ、エルエの騎士としての経歴の中で経験した記憶に、戦場に立ち、そこから遠く離れ、日々のルーチンワークの中から戦場に戻った際に、同じように冷静さを欠いて身の動くままに戦場で戦った過去は、今あった出来事に適合した。

 そして、結局、戦士として身を引いて、妻を娶り、エリックという子をなして、それを育て、一角の戦士として育て上げる「つもり」の中で結局のところ自身が「戦士」としても「騎士」としても遠くに身を引いていた事実を突きつけられていた訳である。

 どこまでも誤解ではあったが、そうではあっても、彼自身の理解の中では引き起こされた結果に対して事前に対応できなくは無い可能性があったわけであり、他人ではなく、息子であり、そして実のところその「仲間」である人々の気をもませる結果を見逃した事実は、エルエにとっては重かった。




 

 後々を引きずりかねない問題の発生源となったルカにとっては、自身の起こした現実が直視し難い。

 身体はβ世界のゲームそのままに動いた。ルカ自身、正直言って、考えながら動いていたならば、あの動きの一割も再現できないであろうという動きであった。

 まったく馬鹿馬鹿しい話ではあるが、彼自身が発生させた行動であるという認識を取ることはどうしても出来ないほどであった。

 どだい、現実の世界でどのような修練を積んだところでたどり着くことの出来ない技が、ただ、反射的に湧き出たのである。鉛筆を握って文字を書くかの如く。或いは箸をもってミート・ボールをつまむが如く。


 信じられなかった。

 タンカの上で揺られるルカには、興味からか心配からか様々な声がかけられているが、まったく彼自身に届いていなかった。彼の精神は半ば、彼の身体から外れかかっていた。それほどの衝撃だった。

 VTG全盛の「現代」にあっても、それほどの設備も時間も必要としない類の、純粋に暇つぶし的な娯楽としての2Dゲームというのは存在する。その手のゲームで前世紀から根強い人気が続いているジャンルに「格闘ゲーム」という物がある。

 ルカが無意識下で繰り出した攻撃は、そういった類の「ありえない世界」で繰り広げられる「普通の攻撃」を再現したものであった。

 VTGのプレイヤーである一定以上のプレイ時間を費やした者特有の遊び方に、そういった自分たちがプレイしているゲーム空間で、非現実的な行為を如何に再現するかという行為がある。

 これは場合によってはMOD行為になりかねない訳で、さりはとて、誰もが思い描く事態でもあり、なかなかに線引きが難しい。β世界ではスターチュア・イニティジフィという相当に融通の利く「システム」があるゆえに、飛び道具系以外のトンでも技は意外と何でもかんでも再現できた。

 身体を鋼鉄のように硬くする、筋肉の盛り上がりでキャスト・オフする。髪の毛を逆立てる。腕や足を(ある程度)伸ばす。

 質量の増減を伴った行為はさすがに難しかったが、魔法と併用することで、身体の巨大化すら成功させたプレイヤーがいるのであるから相当なものである。

 ルカ自身、そういった行為に手を出すのは当たり前であったし、自分が幼い頃に見た漫画やアニメで主人公が繰り出したかっこいい技にあこがれるのは男としてはある種当然であり、そしてそれを再現できるかもしれない場が提供されるとなれば、再現しないわけが無い、ということである。

 そういった「必殺技」をいくつも持っているのはプレイヤー・キャラとしてはβ世界では「常識的」な部分に収まっていたが、ここで問題になるのは自信がβ世界のアバターではないという事実である。

 今のルカはイサクラルパドル世界にやってきたルカであり、現実世界の延長線上で「現実」にβ世界の技を、現実の身体で繰り出したのである。

 β世界がゲームであったという認識が極めて強固にこびりついている状況下で、ゲームでしか出来ない非現実的な行動を現実になしてしまった。この事実はルカ自身の存在を揺らがせるほどの衝撃であった。ルカにとっては恐ろしいことが起きてしまったのである。


 ぼんやりした思考に沈んでいくルカの視線にガンダールヴルのすまし顔が割り込んでくる。

 仕事として割り切ったつもりではあったがその実、想像を絶する困難や苦難を背負い込んだのかもしれないという危惧がルカの心にわきあがってきた。

 (しかし、それでも)

 もう抜け出せない世界で、生き続けなければならないという納得を得て、とりあえず意識を手放した。


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