β世界-03
2012・0615。
改定。
β世界中部。通称、デルタ・スノーと呼ばれる、パンジェルシマン平原は混乱と混沌の坩堝と化していた。
「いよーう!いよういよういよーう!」
平原南東部、平らな土地に忽然と姿を現す不自然な丘。正式な地名が着いていない丘に、三〇人ほどの姿かたち種族も違う人間たちがのんきな声を上げながら、登ってくる。
各々が完全武装の剣呑な姿なので、集団が歩くその光景だけ見ると恐ろしげであったが、彼らのかもし出す雰囲気は周辺で展開される状況に比べれば長閑、とでも形容の仕様がない状態であった。
「祭りは始まったばかりかー!」
丘の上で仁王立ちになって、眼下の状況を注視していたプレイヤー・キャラクターでへヴィ・ファイターのモカは難しい表情を顔に貼り付けたままそれに応えた。
「んー。今始まったとこ」
その横でプリースト・ファイターのブルマンが補足するように後を引き継ぐ。
「主力部隊同士のぶつかりあいが始まったのは、ほんの三〇分前でしたよ」
その応えに満足そうに頷きながら、三〇人ほどの集団たちの先頭で先ほどの声を上げた、セイ・ダモスは笑みを浮かべた。リーダーという訳ではないが、ゲーム内のレベル的にも、ゲームのプレイ時間的にもなんとなく集団のリーダーのような立場になっていた彼は、楽しそうに周囲の者たちと軽口を交わしながら、丘の上に自分の場所を決めて腰を下ろした。平原全体を覆い尽くすほどの一大スペクタクルを眺めていた集団は丘の上で好き勝手な体勢で傍観者を決め込んで、眼下の戦争に適当な感想を喚きあう。することもなく適当に集まった彼らは、映画でも見るかのような気楽さで眼下の血なまぐさい闘争を眺めていた。しかし平原で行われている事態はそんな空気からは程遠い。
雪煙に霞む平原は、数え切れない人間の集団が激突する死の饗宴の場であった。
そのイベントを最初に察知したプレイヤーが誰であったかはよくわからない。
β世界のイベントは告知されることが少ない。β世界開設○周年記念等のメタ・イベントでもない限り、プレイヤーたちが自分たちで得た情報をつき合わせて、プレイヤーたち自身が察知しなければならないというのがβ世界の理である。
一緒にパーティを組んでいるプレイヤーたちが直接情報交換するでもない限りは、β世界内で情報をやり取りすることは難しい。ゲーム内でのチャット機能などと言った便利機能が実装されておらず、将来的にも実装されることがなさそうなこのゲームでは、遠く離れた場所で冒険する人々に情報を伝達する手段は乏しい。
β世界内での出来事に対するアンテナが低い者たちはイベントに気がつくことさえ出来ない場合があった。
しかしβ世界はあまりにも広大であった。β世界全体に情報網を張り巡らすこと等不可能事であり、よほどの大規模イベントでもない限りはプレイヤーたちが多数動員される事態は少なかった。
ゲームとしてそれはどうかという問題はあったし、運営会社の方針を疑わせるような状況がそこここで現出したが、β世界で冒険する者たちは、まあβ世界であるからそんなものなんだろうという認識であった。
現在進行形であるデルタ・スノーの戦争は「よほどの大規模イベント」であった。
ROW実装直後から「β世界」内で剣呑となってきた中原の国家間紛争は拗れ、捩れ、いつ爆発するかわからない一触即発の状況が続いていた。そういう演出や、そういうイベントが繰り返し起こっていたから、よほど迂闊なプレイヤーでもない限りは何かがおきそうだという認識が広がっていた。
政治状況ガーとか、外交状況ガーとか、経済状況ガーとかを云々するプレイヤーは余程の暇人であって大多数のプレイヤーは「そういう空気」があると感じていただけだったが、プレイヤーという立場を考えるならば「大規模イベントのフラグktkr」は大多数が想像していたようであった。
そういった状況分析を後押しするような依頼が冒険者たちにも多く舞い込んでいたから、いやでも最終的解決手段が近いことを冒険者たちに対して認識させていた。
「運営の気が狂った」といわれて、当初、参加者が悲しいほどまでに少なかったROWサービスが実装後、極僅かな期間を経て想像以上のプレイヤーが参加することになった原因は、ひとえにこの中原を覆う暗雲とその状況に引きずられて発生したと思しきなかなかに複雑なクエストの多発が原因であった。
本当の決定的瞬間がいつになるかまではわからない。まさか廃人プレーヤーのごとく、β世界に張り付く訳にも行かない。冒険者たちも、中原に集中してしまったら自分たちのβ世界上での生活が成り立たない。依頼があって、報酬がなければ金は手に入らない。依頼なしで冒険者が能動的に報酬を得られる遺跡探索で手に入る金はたいてい大きなものだが、何十万という冒険者たちを全員養えるほどでもない。
しかしいくらβ世界内での情報伝達手段が限られているとしても、あくまで「β世界」という「ひとつ」の閉じた世界系の電子情報世界の話であって、その外側で行われる情報のやり取りまでが規制されているわけではない。
β世界の「冒険者たち」はβ世界「外」で、情報をやりとりしつつβ世界「内」の情勢を注視していた。運営の思惑がどうであれ、「世界」の情報伝達手段を絶つこと等出来ないのだから。
電話、メール、掲示板、チャット等でやり取りされた情報は外部の有志たちによって分析され「冒険者たち」に伝えられた。状況が先鋭化される中で、多くの者達が「最終解決手段」の発生を予測し、各々がそれに従ってβ世界各地で網を張った。
その結果が彼らの眼前で展開されている。
「コーヒー・タイムはどっちにつくんだ?」
コレットという名のレンジャーがうさ耳を身体に寄せながらモカに尋ねる。氷点下に近いだろう体感温度の中では、トール・バニーの表面積の広い耳はつらそうだった。
傷だらけの一見しただけで年季の入っていることがわかる鎧に金属音を立てながらモカは頭を振る。
「依頼を取り逃したんだ……。正直、参加していいかどうかすらわかんない」
盛大に白い息を吐きながら頭をひねる。丘の上は大勢の人間が噴出す息によって噴火でもしているかのように白く染まった空気が上空に吹き上がっている。
戦争イベントは過去にも「旧サービス」で確認されている。国家間の武力衝突は「事変」「紛争」「事件」などという修飾をどれほどしたところで、当事者でないものにとっても、あるいはそれ自体に実際に身を投じる当事者にとっても、互いに剣を交えたという事実が発生した時点で「戦争」だった。
しかし、プレイヤーたちがそれにかかわるのは、「基本的には」あくまでも国家からの依頼、つまり「傭兵」としての参加依頼があった場合のみである。通常の冒険依頼に比べればはるかに大規模な依頼といっても、あくまでも「傭兵」であるしNPC冒険者たちもそれに参加することを考えれば、プレイヤーたちが参加する人数もおのずと限られる。過去最大の動員数となって、β世界内における戦争イベントを強く認識させることになった「ルーン・マータ統一戦争」でも、参加者は一三〇〇〇人といったところであった。
戦争という状況自体もプレイヤーたちを拒絶する材料となった。戦争当事国すべてが傭兵を募る中で、プレイヤーたちがホームにしている国家の依頼を優先させるのは当然のことであるし、当事国と無関係なプレイヤーたちは、報酬であったり、条件であったり、前提状況から勝ちが見えている国家を好んで参加するものもあれば、「英雄」を目指して、旗色の悪い陣営へ身を投じる場合すらあった。
と、なれば、冒険者同士の戦い。つまりはプレイヤーたちの戦闘。PKが発生することは眼に見えていた。
β世界はルール上PKを禁止していない。冒険依頼の内容によっては積極的にPKの発生が促されてしまう場合すらある。複数の依頼が遺跡の調査を出せば、冒険者のバッティングは仕方がないものであるし、例えば、街の一部を不法占拠する違法居留民を排除せよという依頼で冒険者が向かったところ、居留民と仲のいいプレイヤーたちがいて対決状態になるような状況も、ままあった。そうした状況で双方が納得できる状況へ話を持っていくこともまたゲームの醍醐味であり、そこで発生する駆け引きを自由に演出できるのがβ世界の奥の深さでもある。
無論すべてを無視して問答無用に流血沙汰にしてしまってもよい。双方に納得できる理由があり、双方に奉じるべき正義があって、それが交錯することがないというならば、戦闘も止むを得ない。勿論、妥協点がないことを理由に片方が引いてしまうのもありだろう。一方的敗北ではあるが、先の例えで言えば、追い出された居留民たちを守って新天地を目指すのも、冒険としてはありである。
違法PKとは、メタな行為。つまり、装備品を狙った強盗まがいの事件等である。これは厳しく断罪される。即座に運営の介入が入る。ゲームのシステム上、明白な「犯罪者」という職業にプレイヤーたちが就くことは出来ない。依頼の遂行の途中、結果として「お尋ね者」になってしまったり、依頼のミスによって「犯罪者」的な状況に陥ってしまう場合があるがそれらはある意味受動的な二次イベントであって、能動的な犯罪者ではない。対応のミスによっては「β世界」での悪人として名前をとどろかせてしまうこともありうるが、それもまた「キャンペーン・シナリオ」の一形態として納得するしかない。それもまたβ世界の醍醐味である。
戦争は違う。大規模なPKというだけの話ではない。「ゲーム」としていうならば、明白に「プレイヤー」として区別され特別扱いされるべき存在である人間が十把一絡げになってしまう。特別が特別でなくなってしまう。NPCのみならず、プレイヤーたちの命も一山幾らで勘定されてしまう。
これはプレイヤーたちのモチベーションを急降下させてしまう。
一〇人のNPCを粉砕できるプレイヤー・キャラクターでも、一〇〇人相手では難しい。全員が雑兵というのならば対処の仕様もあろうが、遠距離武器や、魔宝具、治療補助等も加わったチーム・バトル、つまり、パーティ同士のぶつかり合いになると話は変わってくる。軍隊における諸兵科連合の部隊とはまさに「冒険者パーティ」の一形態に他ならず、となれば総合的な戦闘力の差異がよほど隔絶している状態でもなければ、勝利は怪しくなる。よしんば一部隊を退けたところで、後続を繰り出されれば力が続くかどうか怪しい。一所の戦闘に拘泥して、戦闘に勝ちましたが、戦争に負けましたでは報酬がない。
冒険者たちは戦闘を見渡す能力に優れていても、戦場を見通す能力はない。そういった立場は冒険者のものではない。そういった指揮監督に従えば、軍隊における単なる一部隊にまで地位が下がってしまう。「強い兵士」ではあっても「冒険者」としての評価は得られない。
冒険者が遊撃部隊としてゲリラ戦闘を好むのは必然である。冒険者のスキルの優劣が直接、戦闘評価になる戦いは冒険者たちの望むところであるしそれこそが冒険者達の存在意義である。補給段列を叩いたり、橋を落としたり、敵後背策源地たる町の安全を脅かしたり。
しかし、そういった行為を行ってNPCから得られる評価は「卑怯者」である。これではたまらない。モチベーションが高まるわけがない。
戦場であまりに目立つ功績を挙げれば、後々面倒な事態を招くこともある。軍人の妬みを買って、襲撃イベントを発生させかねない。話がもっと上の面倒ごとを引き寄せることもあるかもしれない。そうでなくとも、対抗する軍隊の双方に「冒険者部隊」がいて、活躍すれば次に来る命令は明白となる。
「あそこに手ごわい敵がいるので、何とかしてもらえないか?なに。高い金を出して雇った君たちだ。腕は理解している。君たちに任せれば問題ないだろう」
そうして戦場のど真ん中でPKという事態に陥る。
これは非常に面倒くさい事態である。戦争に勇んで飛び込むプレイヤーであるならばプレイヤー・キャラクターのレベルは水準以上となるのは間違いない。初心者プレイヤーが日銭を稼ぐのに、雑兵として参加する場合もありうるが、それは傭兵ではなく動員兵である。そのパターンでは戦争ではなく、モンスター討伐イベントの一形態程度でしかない。戦場で好き勝手にこき使われて走り回されるのを好むプレイヤー等いない。現実の逃避の結果としてのゲームで現実の延長を望む者はほとんどいない。
戦争イベントにおいて冒険者部隊どうしの戦闘は、戦闘の中核を担うレベルの玄人が集まったパーティとなれば各所で頻発する。相手が強ければ強い相手をぶつければよい。勝ち負けは関係ない。イレギュラーな存在である部隊が拘束されれば、戦争は兵士のものとなる。
かくして、冒険者集団が戦争に紛れてしまえば、その相手は冒険者となる。
広い戦場で、冒険者同士がぶつかり合うからくりにプレイヤーたち気がついた時、プレイヤーたちは、戦争イベントを禁忌し始めた。パーティごと冒険者を傭兵として雇いたいという依頼は、裏を返せば敵に同じような冒険者パーティがいることを想定してのことであり、それは高確率でプレイヤー・キャラクターなのである。
そういったことすら楽しんでしまう者もいる訳で、例外のない法則はない訳ではあるが、一般的なプレイヤーたちは戦争イベントを嫌うようになった。傭兵依頼は不人気となる。戦争直前に敵の情勢を探ってくれ、敵の集結地の町にある穀物貯蔵庫を襲ってくれ、調停者の護衛をしてくれetc……といった依頼にはそれなりに引き受けるものが出たが、通常の冒険依頼に比べてはるかに高額な依頼料あっての話であり、あまり数が出る依頼ではないから引き受けてがあるだけの話である。ほとんどのプレイヤーが手を出すことはない。
もっと単純な理由もある。むしろ、そちらが本当の理由かもしれない。
「ルーン・マータ統一戦争」ではβ世界始まって以来という前代未聞の大規模PKが発生した結果としてザーバーが「トンだ」。これに巻き込まれたプレイヤーは全世界で十万人はくだらないといわれている。VRゲームでVirtual Trip中の外的要因事故というのは、Virtual Trip Systemの提供メーカーが推奨する対策やゲームの運営会社による対応ソフト等を利用していない場合、深刻な事態を招来する場合がある。
どれほど技術が発展し、サービスが充実したところで突発的事態というのはありうるし、また、それを理解したうえで、対応策は考えられている。そういった事態に対するインフォメーションはしつこいほどに周知の努力がなされているが……。残念ながらどれほどの努力がなされようともそれらを無視してしまう「人間」はゼロにならない。
案の定、「ルーン・マータ統一戦争」で発生した障害では四桁に達するプレイヤーに「想定外の問題」が発生してその後のゲーム運用に少なからずの影響が出た。それによる不便を強いられたプレイヤーも少なくない。その経験が単純に「大規模イベント」である戦争を禁忌させているのかもしれない。
デルタ・スノーで発生しつつある戦争はそういったことに関する例外であった。
今までの戦争に比べてはるかに規模が大きかったこともあるし、ROWサービス始まって以後、連綿と続いたイベントの最終解決に繋がる状況であろうと推測される事も、一躍注目度を挙げる理由となった。大部分のプレイヤーにとって名前を聞くだけであった「皇帝」とか言う職種のNPCが戦場に出張ってくるという噂もプレイヤーたちの後を押した。物見遊山で出てくる冒険者も現れた。過去にない大規模依頼はギルドにプレイヤー・キャラクターの参加を懇願させる事態になったし、依頼料の高騰もプレイヤーの参加意欲を引き付けた。
それ以外の要因として、β世界外でのβ世界関連の情報網が一応の充実を持って初の大規模イベントであるというタイミングも、作用した点は否めない。その手の情報に触れたβ世界プレイヤー以外のものたちが大量ににわか冒険者としてβ世界になだれ込んだのも一つの要因である。「現実世界」における社会情勢の伸張が、サービス開始直後に危ぶまれたROWの特異性を吹き飛ばした面も影響している。
それ以外の要因が別途発生したのは誰にとっても予想外であったろうが。
戦場は派手な魔法の乱舞となっていた。
よほどの高威力魔宝具を投入しない限り「シールド」系の魔宝具を突き破ることは難しい。哀れにも最前列となった兵士たちは、魔宝具の加護も空しく、糸の切れた人形のごとくばたばたと倒れていくが、彼らを屠った魔法は彼ら自身が「シールド」となって後続の盾になる。
何重もの兵士の横隊を一直線に突き破るような大威力魔宝具は数が限られるし、当然敵も持っているからおいそれと投入できない。決定的な瞬間を待って、投入時期を探るしかない。大威力魔宝具で眼前の敵を一網打尽にしたところで側腹を別働隊に突かれましたでは意味がない。しかしパイクの槍衾と後方からの矢の雨を崩すには魔法の威力に頼るしかない。
互いに探りあいの戦闘で、短時間で大規模な戦果を得ようとすれば冒険者たちに出番を譲るしかない。戦場では、冒険者同士のぶつかりあいが頻発した。当然のようにプレイヤー同士のPKもかつてない規模で頻発する。
「すげーナ。あんなの見たことないぜ」
呆れたような声は誰の発したものであったか。
多くの冒険者を戦場に引き付ける情報が、「世界」で囁かれた。
「ドロップ・アイテム」という。
モンスターを倒すと、モンスター自身の遺体と言う形でドロップ・アイテムが出る。例えば、龍の角や骨、鱗はそれぞれに強力な武器や防具の材料となる。ある種のワーム等はその死体を乾燥させると秘薬の材料になることが知られている。
別にそういったモノでなくとも、単純に「肉」として口に入れられるモノも多い。
それ以外には、モンスターたちが「持っている」宝、というパターンもある。
「トリ系」モンスターの中には「光るモノ」を好んで収拾する種類がある。鉱脈が発見されていない貴重な鉱物を巣に溜め込んでいるモノがいたりする。ゴブリンやコボルトのように「人間」を好んで襲うモンスターの場合は「人間」が持っていた物をとりあえずは溜め込んでいるような場合もある。
そういった「報酬」が得られるのもモンスター退治醍醐味である。
それ以外で、戦場で「ドロップ・アイテム」が出るのは当然のことである。兵士たちは装備を固め、武器を持ち、そして戦場に向かうまでと、帰る間の小銭……というには大きい額をもって、戦場に立つ。過去の戦争では、敵を倒すことが忙しくて、その手のドロップ・アイテムに眼を向けるものは少なかった。火事場泥棒的にそれらを狙う冒険者がいなかった訳ではないが、労力に見合うものではなくてあくまで片手間であった。専門的に火事場泥棒を行うプレイヤーもいたがきわめて少数派である。
今回の戦争はあらゆる意味で規模が違った。五つの国家が互いに連合して、二つの陣営に別れ、内三つの国家から三人の「皇帝」が戦場に立つ戦いである。これは国家の命運を分けるレベルの決戦であった。
それが招来するであろう先の結果にプレイヤーたちが気がついたそのとき、多数のプレイヤー・キャラクターたちがかつてない規模で傭兵として戦場に走った。
この戦場で発生する勝敗は国家規模での征途になることは必死で、後に続くであろうキャンペーン・イベントは短期間に連続した大規模なものになることは確実視された。ROWサービス開始後としても、β世界成立後、おそらく空前の大規模キャンペーンが予想される。
戦場での略奪や収奪は当然のことであり、それの多少はプレイヤー自身の良心に頼むところが大きい。ゲームとして割り切るならば、多数の兵士がドロップするであろう物品は相当なものになるであろうし、死んだ兵士が裸に剥かれるのは当然の結果なので、それほど眼を背けるものでもない。
戦争イベントでNPCたちが勝敗の如何にかかわらず大略奪祭りを敢行するのは当たり前で、それらを撃退するようなイベントも過去には幾度となくあったわけだから、立場を異にすれば、それの当事者として収入を得る可能性もある。
そしてなんといっても「皇帝」である。かれらが参加する本隊を破ることが可能であると仮定すれば、得られる栄光も収入も破格であろう。彼らの「首級」そのものがある種の「ドロップ・アイテム」といえなくもない。彼らを逃したとしても、追撃戦イベントとなれば冒険者にとってのチャンスは逆に大きくなる。なんとも冒険者魂を揺さぶる事態である。
自分たちの属する陣営の敗北というリスクは当然ある。しかし一敗地にまみれて逃走する部隊のしんがりに立って奮闘する戦い。なんともロマン溢れる話である。敗残兵に紛れた皇帝に影と付きまとって、敵を退けつつ臥薪嘗胆等となれば、すばらしい冒険譚の始まりである。心躍るではないか!
「どっちがやばそうかナ?」
「やっぱり、負けそうなほうにつくのケ?」
モカが仲間たちと顔を付き合わせる。
「パーティ・コーヒー・タイムは逆転劇を演出するっと」
丘の下から続々とやってくるプレイヤー・キャラクターたちから目ざとい者が有名冒険者グループであるモカ達の姿を見つけて唸る。
「そうすると……どうしたもんかニャ」
猫顔のアバターが顔をしかめた。
「コーヒー・タイム」は中原でももっとも有名な冒険者グループであった。イベントによって増減はあるものの中核となるプレイヤー・キャラクター九人はコーヒーに関連する名前を持ったキャラクターで統一されており、過去五年間は固定されていた。コーヒー片手に敵を蹴散らすとまでいわれた実力の優れた玄人たちで、イベントの完遂率も高い。当然、今回、傭兵としての勧誘も激烈であったが、予想外な事態として各国間での勧誘の妨害も熾烈であった。依頼者の殺害や誘拐、実力行使などは茶飯事で、偽依頼や事実を伏せた依頼によって敵対関係となったプレイヤー・キャラクターとの関係修復などで走り回っているうちに、時間切れを迎えてしまったのである。味方にならないならば敵にもならなくしてしまえという、こういった権謀策謀の発生はβ世界でも珍しい事態であり、「コーヒー・タイム」メンバーも名声が自分たちの益をもたらすだけですまない事態に戸惑ってしまった。
「皇帝、バルムクントには借りがあるんでネ」
モカは端正な顔に苦笑いを浮かべた。
いつの間にか一〇〇〇人ほどに膨れ上がった冒険者たちは、みな、この戦場においてははぐれ者とでも言うべき立場であった。有名すぎて依頼がかからなかった者や、国家に対する拘りのない者。風見鶏でふらついていたらそのまま屋根に忘れ置かれた如しの優柔不断な者もいたし。単なる物見遊山を決め込んだ者もいた。ただし、全員水準以上の実力を持っていた。
丘の上に超有名プレイヤー・キャラクター、モカを発見しつつ、魔法が飛び交い矢が降り注ぎ、肉弾がぶつかり合う戦場を横断して、丘にたどり着いた者たちである。そして彼らはβ世界の住人であるという拘りよりもβ世界に参加するゲーム・プレイヤーとしての意志が強かった。何とはなしに、場のリーダーとしてモカを見ている。「ゲーム参加者」としては眼下のイベントを見学するだけというのも歯がゆいし、さりはとて、依頼無しのボランティア参加というのもどうかと躊躇を覚える。
イベント参加のみを目的として依頼無しでもイイやっと吹っ切れた者は、そも、丘を登っていない。既に戦場に突撃している。結局、丘に上がった冒険者はモカ自身を含めて態度を決めかねているだけである。
そして「戦士モカ」は「儀に厚い」プレイヤーであった。オリジナル武装、大太刀「八咫黒己烏丸」を持ち、波板平板で編まれた鎧は、赤銀鋼主体で組まれ見事な紅設えである。戦士というよりも武士。名声も実績も、単純に冒険者達のリーダーとして相応しい。
「報酬は期待でできねえぞ」
多くの兵士が蠢く戦場は、僅か一時間ほどで勝敗が見えつつあった。南西部からつきかかるライア・カイア・マータ、プロイコン・マータ、インネ・クラヴィクテルの二帝一王の「連合軍」は、ルーン・マータ、エルレシオ諸国連合、ピガルピース義勇連合による「協称同盟」を押しまくっている。強力な実力を持つピガルピース義勇連合部隊は西から突っ込んできた「連合軍」側の冒険者部隊による波状攻撃で戦術的自由を失っていた。いや、彼らには最初からそんな者はなかったかもしれない。
ピガルピースの冒険者達の寄り合い所帯は大きくなりすぎてリーダー不在になっていた。リーダー足りうる者。例えば「コーヒー・タイム」のモカぐらいの実力を持った冒険者は「なぜか」傭兵依頼を受けていない。
ピガルピース義勇連合は、少しでもまとまった動きを見せれば「連合軍」側の少数のパーティが突きかかって来てあちらこちらで小さくとも激烈な戦闘が発生するという状態になっていた。こうなってしまえば戦力としては数えられない。我が強すぎて指揮官の下に糾合できなかった冒険者たちの群れは、単なる烏合の衆であった。「冒険者の相手は冒険者」を、実践した「連合軍」には良い参謀がいたのであろうか?戦場の実態は通常の戦争になっていた。と、なれば兵士の頭数がものを言う。「協称同盟」にも「連合軍」にも正規軍部隊に混じって戦う冒険者が少なくなかったが、様々な理由によりパーティとしてまとまっている者は少ない。
戦争を禁忌するプレーヤーが嫌がってパーティを維持できなかった者や、単純にプレイヤーのリアルでの都合がつかなくて、個人参加になった者。特にROWである。都合が付かなくて涙を呑んだプレイヤーは少なくない。通常のパーティー・プレイヤーが漏れなく揃っている「コーヒー・タイム」こそ異状である。そういった者たちが実際の戦争の首謀者の一員になって、殴り合っているが、主戦力の同士の戦場を引っ張るほどではない。余程上に突き抜けたレベルのプレイヤーでもない限り、冒険者の戦闘力はパーティ・プレイでこそ発揮されるので、ソロ・プレイの延長線上では「ちょっと死に辛い兵士」で収まってしまう。
数値上の戦闘力を保ったまま「協称同盟」は、兵力に勝る「連合軍」に括弧撃破の体勢を強要されつつある。なにかもう一押しがあれば総崩れであろう。
「ヒュー」
金狼人プレイヤーのタチキが空を振り仰いだ。
「あんなモンまでお出ましとは」
プロイコンの国章を腹に描いた飛空船が一〇隻ほどか?巨体を唸らせながら北の山地より姿を現す。山に当たる気流が巻いてその姿勢は安定しない。艦隊運動と言うにはお粗末で、せいぜいぶつからないように間延びした距離を開いてよろよろと戦場に現れる。しかし、戦場に現れるほどであるから武装をしているのであろう。兵士も多く乗っているはずである。その彼らもまた武装しているのであろう。ただ客を乗せて長距離を跳びぬける旅客用の飛空船とは遥かに勝手が違うはずだ。だいたい、山地を吹き抜ける複雑な気流を克服できるような飛空船等聞いたこともない。のそのそとした動きで戦場に近づきつつある船に、丘の上の冒険者たちは圧倒された。
戦場で戦っている者たちから言えば「遥か上に突き抜けた実力」を持つ歴戦の冒険者たちがそうであったから、戦場は言うまでもない。ルーン・マータ、エルレシオ諸国連合、ピガルピース義勇連合は、そこに混じる冒険者たちはともかくとして、戦場に遠くから見て取れるほどの動揺が広がる。パイク兵たちがあっという間に崩れた。最前線の彼らは自軍が崩れたときに、真っ先に置き去りにされかねない。個人としてより集団としての技量の練成に重きを置いて訓練された彼らは、集団では前の兵が血に塗れ様と、隣の兵の首が飛ぼうと動揺しないが想定外の事態で、かつ、指揮官ですら怖気づくような状況の現出に、モラル・ハザードを起こした。集団が一度「個」を取り戻してしまった瞬間、彼らは逃げ惑うだけの哀れな子羊となって戦場を彷徨う。冒険者同士が爆炎を上げて煙が湧き上がる戦場を避けて、北東方向に逃げ出す集団にエルレシオ諸国連合軍が巻き込まれる。帳面上の兵力だけは多い彼らは統一された指揮がなく、混乱から避けることも混乱に巻き込まれないようにすることも出来ず、混沌とした人の波に呑まれていく。
ルーン・マータの騎士部隊が壮麗な姿を靡かせて、「連合軍」に突撃する。タイミングは見事なものだった。丘のそこかしこから感嘆の声が上がる。壊乱したルーン・マータ前縁部隊に引きずられて正面兵力が斜めに薄くなった「連合軍」の前線は瞬時に大混乱になった。軽騎兵が続行して騎士たちの突撃で混乱した兵を蹂躙する。魔法部隊が重厚な重戦士に護衛されつつ前線に接近する。驚くべき積極果断な対応だ。空からの攻撃を嫌って前線を混乱させる気であろう。実際に逃げ出した部隊が一番空からの攻撃に無防備な状態となっている。飛空船の何隻かが混乱から回復できずにもがくエルレシオ諸国連合の頭上より魔法の光を降り注ぎ始めた。
「だめだな。これは」
セイ・ダモスはうなる。刹那の出来事で、一瞬にして状況が動いた。戦場は大混乱。しかし「連合軍」はまだ戦場に繰り出していない兵力が南方に拘置されている。騎兵等は後ろで戦場を眺めているだけだ。後続の兵力もまだまだある。「連合軍」と戦っているのはルーン・マータのみといっても過言ではない。プレイヤー・キャラクターが多いピガルピース義勇連合はPKに夢中になってそれどころではない。波状攻撃を跳ね返してはいるが、繰り返される攻撃に、戦場の西方に釣り上げられつつある。最初からそういった戦術であったのかもしれない。結果論であったかもしれないが、もはやピガルピース義勇連合はいるのかいないのかわからない状態だ。戦場に対して影響し得ない。
エルレシオ諸国連合はただ混乱するだけだ。空からの攻撃に効果的な反撃が出来ないでいる。進むことも引くことも出来ない。β世界始まって以来の戦闘に、戦術を見出せない。
丘の上の有象無象。冒険者集団も身動きが取れなくなった。飛空船が丘の西側を遊弋する。手を出すな、と、いったところか。南東側はがら空きにしているところが憎らしい。退路を見せて、この場を立ち去ることを促しているのだろう。ここにいる一〇〇〇人が遊兵のままであればそれでいいらしい。東に向かう飛空船はルーン・マータ、エルレシオ諸国連合の後続を攻撃するのだろうか?援軍を絶ち、包囲戦を展開するつもりであろうか?
モカは突然気がついた。ルーン・マータ皇帝、バルムクントは冒険者に甘い。モカとも個人的な友誼がある。彼女たちとは別に契約関係があるわけではないが。
飛空船の存在があるにせよ、戦場から南東方向は脱出経路になりうる。うまくすればエルレシオ諸国連合との合流も望めるかもしれない。ピガルピース義勇連合は勝手に判断するだろう。何しろ「冒険者」であるのだから。
モカ達の存在がルーン・マータの選択肢を奪っている。戦場は東に引きずられつつある。丘の下が戦場となっていた。丘に沿って前線が薄く引き延ばされて、ルーン・マータ側の戦闘縦深が浅くなりつつある。騎兵部隊の自由がなくなってしまった。崩れるのも時間の問題だろう。モカは歯噛みした。バルムクントの意図に気がつく。衆目可憐な金髪がトレードマークの金狼人は依頼に拘泥されていない冒険者達を戦争に巻き込むことを嫌っているのだ。あれほどに冒険者達に力を貸してくれているのに、だからこそ、依頼という形で強制関係がない自分たちを巻き込みたくないのだ。
兵は丘を好む。高所は戦場においてただ「高所である」という理由のみで重要戦術目標になる。自分たちの存在が丘を単なる戦場障害にしてしまった。ルーン・マータは丘に登って戦場から下がるという選択肢を失っている。丘はこの戦場で、単なる壁にしかなっていない。兵を守る壁ではない。兵の退路をさえぎる壁だ。この状況下で、なお兵に対して丘を登らせない統率を見せるバルムクントはたいしたものであるが、それもいつまで続くかわからない。兵が丘を登り始めれれば、自分たちにも攻撃されるだろう。
ブルマンもそれに気がついたらしい。気世話な表情を浮かべてモカに向き合う。
「逃げ出したほうがいいんではないですかい?」
眼下を見渡しながらため息をつく。
「おれらがいちゃあ、邪魔になる」
モカは頷く。判っている。いや、今、判ったばかりだが、判っている。ひどいことをしたものだ。戦場で高みの見物。それだけではなく、邪魔をしている。現状では「連合軍」の味方をしているようなものだ。三帝会戦を邪魔しただけ。様々な予想外の問題の発生で得られなかった「依頼」に後ろめたい者を感じて戦場に赴いたわけではあったが……。
自己満足がとんでもない結果を招来しつつある。
モカは魔導師のキリマンに視線をやった。追い詰められたような視線を受けて顔を引くキリマン。頷くモカの表情に決意を感じた。魔導師の顔が引き攣る。
「本気ですか……?」
もう一度、頷くモカ。
「本気ですか……」
ため息を吐くように、重苦しい言葉が吐き出された。周囲の者たちもやり取りに気がつく。
ざわつき始めた周囲を無視して、パーティに小声で声をかけた。
「ゴメン。私、バルムクントに借りがあるの。いま、返しに行かないと返すことが出来なくなりそう……」
八人の仲間たちが呆れた表情を浮かべた。
「……ここで返しに言ったら、ずいぶんとでっかいお釣りがきそうなんだが……」
朱色の鎧のへヴィー・ファイターは項垂れた。
「ゴメン……」
β世界では珍しい黒髪を振りながら、レンジャーのバリエダが鼻をならす。
「仕方ないヒトですね!個人的理由で仲間を巻き込む気ですかぁあ!」
激昂したような声に、瞬間、身体をはねさせたモカが顔を上げる。
「ホント、仕方ないですねぇ……!」
ヒト族のレンジャーはスキル・ガンを手に取り、左手で装備をチェックする。
「まっ、クエストは困難なほうが楽しいんですっ」
いちいち大声で、大げさな語尾をつけながら叫ぶように声を上げる。
フィールド・スカウトのアラビカは太く豊かな毛並みの尻尾を撫でながら、呆れた表情を浮かべた。
「……ロマンだねぇ……」
頭を振って狐耳を震わせると、手早く装備を確かめ始めた。
同じくフィールド・スカウトのカティはうさ耳を立てながら黙って装備を整え始めた。邪魔になりそうな装具を投げ出していく。
「コーヒー・タイム」の行動に気がついた周囲の者たちは、一様に呆れた。あるグループは鼻白んで、顔を突き合わせ、あるグループは早々に東に向けて足を向けた。大多数の者たちは呆れた後に、困惑して仲間たちと会話を交わしだす。
ブルマンは彼の魔宝具である、真っ赤な魔宝石が中央に飾られたカードを取り出しつつため息をついた。「コーヒー・タイム」のメンバー特有の魔宝具であり、本来は魔宝石のみで魔宝具になりうるのを見栄のためにカードに設えたものだ。
防具のポケットに使用頻度が高そうなカードを差し込む。ヒール関係のカードを重点的に用意して、防御補助、状態異常解除関係と用意する。攻撃系のカードは自分とは相性が悪い。低威力のものはザックに投げ込んで、威力のありそうなものをキリマンに投げ渡す。キリマンはしばし眼を見開いてそれを眺めた後、ありがとうとでも言うように手を上げて自分のポケットに差し込む。
「コーヒー・タイム」の「壁」戦士、ドワーフのトラジャは豊かな髭を扱きつつ、破顔した。
「いやいや。腕が鳴るぞい。バードに謡われる様な戦いになりそうだわい!」
両刃の巨大なクレセント・バトル・アックスを振り回して地面に突き刺す。背中に背負ったカイト・シールドを取り出して、左手に持ち、腰に下げたバイキング・ヘルムを頭に載せる。
「ンフフ。楽しそうなことになったわ!」
一七〇センチに満たない身体を見渡して一息、気合の声を上げるとそれはもう本当に楽しそうにクレセント・バトル・アックス振り上げた。
寡黙なアールブの精霊使い、コナ・アテマラはすばやく詠唱の体勢に入り、自分のカードに精霊を纏わせる。
彼にとってサブ・ウエポンであるレイピアを腰にさす。彼の周りに半透明の裸体をさらした精霊がまとわりつく。
殺気を漲らせる彼らに興奮して顔を赤らめたセイ・ダモスが声をかける。
「俺らも混ざるぜ!」
彼の仲間たちが後に続いて、自分たちの獲物を振り上げる。
「コーヒー・タイム」リーダーとして自他共に認める凄腕戦士、モカは、その実リアルでは涙もろい女性だった。普通のサラリーマンとして職場に通い、可もなく不可もなく仕事をこなし、人間関係も触らず関わらず。財産があるわけでもなく、親が特別な職についているわけでもなく。先の見えない日々を過ごす彼女にとって特別な世界であるβ世界では、そうであるからこそことさらに責任と約束を唱えて、戦いの正面に立ち仲間を守り、クエストを攻略して実績を積み上げてレベルを上げた。ごく僅かなリアルでの趣味であるコーヒーで話の会った仲間たちが集ってパーティが組まれ、世界を旅した。
いつの間にか武士のごとく見られるようになったモカはますます儀を唱え、約束は違わず、困難には敢然と立ち向かい、周囲の信頼も得てきた。そんな彼女にNPCとはいえ、バルムクントにある借りを軽んずることは出来なかった。NPCだからこそ、なおさら借りを返さなければならないのかもしれない。NPCとPCを区別するような者と軽んじられることは彼女にとって唾棄すべき最悪の状況であった。
セイ・ダモス以下の彼らの仲間たちには声もない。何かを言うべきかも知れないが、気の利いた言葉は思い浮かばない。ただ絶句してしまう。そんなモカに気がついたセイ・ダモスはニヤリと唇を上げた。
「あんたらだけに格好をつけさせるわけには行かないよ、なっ!」
最後には彼らの仲間たちへ振り返る。それぞれの獲物がふりかざされた。
ただ、モカは頷いた。
キリマンが顔を引き攣らせながらあわてて声をかけた。
「やばいですよ!飛空船が気がついたらしいっす」
周囲の冒険者たちがいっせいに空を見上げると、次々に舳先を翻す飛空船の群れがあった。舷側に穴が開いて何かが突き出されているさまが見える。各所に張り出したバルコニー状の構造物にも慌しい動きが見られた。猶予はない。決断のときだ。
「キリマン!」
大太刀「八咫黒己烏丸」を引き抜き、最も近い飛空船をさす。引き攣った笑みを張り付かせたままキリマンは頷くと、カードを取り出して魔力を漲らせた。
閃光。ついで轟音。
パーティメンバーですら滅多に眼にすることのない大魔法が迸る。空を圧する光の奔流は過たず、飛空船に突き刺さり激しく爆発した。
「レジストされた……!抗魔力シールド!」
周囲に撒き散らされた魔力の残滓が降り注ぐ。感じられた魔力に比べれば、飛空船に与えた被害は確かに小さい。しかし、船は大きく船体を動揺させて、船上から不運な乗組員を何人も振り落とした。穿たれた穴から爆発に遅れて煙が噴出す。突然にコースを変えた先頭の飛空船に惑わされて後続が混乱する。
巨大な爆発に何事かと刹那の間、戦場が静まり返る。チャンスだ!
「うわあああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
モカは気合を入れて走り出す。言葉にならない叫びが口をついて出る。魔力が身体を覆い、矢のような速度で、敵の先頭に飛び込む。
「怒っ!」
とばかりに冒険者の群れが坂を下る。結局、ほとんどの冒険者が丘を離れなかった。最後に丘を離れる方向は西に定められた。丘の上から戦場を飛び交っていたものとは威力も密度も違う魔法が降り注ぐ。
空をのた打ち回る飛空船に追撃の暴力が振るわれる。戦場を圧倒する爆音を轟かせながら、炎を上げた塊が地上に落下する。丘の縁に張り付いた哀れな帝国の残滓を飛び越えて、連合軍の兵士が逃げ惑うさなかに残骸が飛び込んで大混乱になる。
足の下で爆発させた魔力で戦場を飛ぶ。ルーン・マータの兵士達を遥かに飛び越えた彼女を、更に飛び越して魔法が戦場を吹き散らす。爆発。炎。爆風。肉片が飛び散る。血が降り注ぐ。図らずも食欲をそそるような臭いが一瞬鼻腔をくすぐる。立ち込めるアルコール臭。PK戦特有の状況が周囲を圧する。仲間たちがセオリーを無視して次々に周囲に飛び込んでくる。前衛も後衛もなく、戦場に異様な一段が降り立つ。
スイーピング・ブロウで周囲の「敵」をまとめて吹き飛ばす。人間であった残滓が空に飛び上がって周囲を舞う。刹那の静寂。突然の暴力。敵も味方もなく、ありえない力の残光が周囲を静寂に包む。
彼女は、仲間たちが後ろに足をつける音を聴きながら怒声をあげる。
「コーヒー・タイム、赤の戦士モカ!ルーン・マータの皇帝バルムクント!儀に従って助太刀いたす!!」
見るからに疲労困憊の態を晒す、薄汚れ、傷ついた騎士達を見て、次いで視線を雑兵の群れに流す。倒れ付す者たちの中に、燦然と輝く紅い鎧。そうして名乗りを上げるには緊張感のないパーティ名だと埒のないことを思いながら剣を突き上げた。
「我こそはと思うものは、私にかかって見せよ!!」
仲間たちがぎょっとする。敵を引き付けるその名乗りは、自分たちの苦労を望んで増やす宣言だ。
「たべちゃうぞぉぉぉぉおおお!」
立ち直り始めた連合軍をひき潰しながら肉塊の様な重戦士が駆け抜ける。
「アース!飛び出しすぎだ!!」
ある程度は「擬似生物学的範囲内」で自由の利くキャラクター・メイキングをネタの方向に向かって走り去るプレイヤーというのはどこのゲームでもいるものである。アースというキャラクターはその最右翼からも更に跳びぬけて斜めに飛び上がって砕け散った上に、何かが混ざってそのまま三角コーナーに投げ入れた筈が間違って食卓に並んでしまったような「ヤツ」だった。
「こわー!こわー!こわいよー!!」
戦場でうごめく兵士達の倍はある身長に、通常の「人間」の一〇倍はある体積を振り回して「敵」を吹き飛ばす。巨大なはずのグレート・ソードも彼が持つと、それほど危険な物には見えない。無論、一見でその危険性を理解できなかった者たちは次の瞬間には肉片になっている。
アースの後ろで安全な距離を測りながら、プレート・メイルで固めた人間族の戦士、ムンテニアが悪態をつく。
「仕方がないだろう。しょうがないだろう!俺だって好きで殺し合いをしているわけではないんだ!」
彼の振るうポール・アックスが、唸りを上げて振り落とされると、アークの背中に向かってショート・ソードを振り上げていた軽歩兵が粉砕された。地面に食い込んだポール・アックスを無理やり引き抜くとそのまま振り回す。
大きな隙を見せたムンテニアの背中を狙おうとした「敵」が折り重なって吹き飛ばされる。その横合いから更に近づこうとした「敵」を衝撃波が襲う。
「も、もっと、周りに、気を、使えよっな!」
いつの間にか後ろを振り返っていたアースがグレート・ソードで、周辺の「敵」をなぎ払う。
「何を言ってやがるんだ!!」
悪態をつきつつもムンテニアはアースの広くて甘い背中側の死角を守り続ける。それが彼らの戦闘スタイルであった。
カラフルなローブを纏った異形の魔法使いが敵の真ん中に降り立つ。
「うははははははははっ!われこそは音に聴こえた大魔導師、コイデックなりぃぃぃいいいいいい!我の大魔法をとくと眼に焼きつけよっ」
彼はしわくちゃの顔に気持ち悪い笑顔を張り付かせながら左手に持ったショート・ソードで敵をあしらう。いかにも「魔法使い」という古典的格好からは想像もつかないほどの敏捷さを見せて「敵」を近寄らせない。首から提げた巨大な魔宝石を右手に握り締めて、大げさなそぶりで空高く突き上げる。
禍々しい輝きを放つい歪な形の石は彼の手には到底収まりきれず、気味の悪い原色の輝きが周囲を照らす。ただそれだけのことで周囲の闘争が収まりかねないほどの光景であったが、コイデックはそれで収まるわけもない。
「究極最臭魔法、マスター・スカンクぅぅぅぅぅ!!!」
気の抜ける異音とともに黄色い靄が一瞬立ち込めると、渦を巻いて周囲に吹き荒れた。
「うげえええぇぇぇぇぇえええええ!」
「ぎゃうばはぁっ!」
「あぎゃあああぁぁぁぁぁああああああ!」
阿鼻叫喚の地獄絵図が幕を開けた。
口といわず鼻といわず、体中の穴という穴から体液を噴出して苦悶する者たち。
汚物に塗れて痙攣し、転げまわるその姿は誰も経験したことのない世界を現出した。
「……魔法が、尻から出るだと……!?」
フィールド・スカウトのシヴァリクは有り余る冒険者レベルの恩恵によって危なげなく魔法をレジストした。β世界の魔法は敵味方に頓着しない。発生した結果はすべてに平等であるから個人の能力で避けるしかない。かといって視覚すらを閉じるわけにも行かず周囲に発生した状況からは眼を背けることも出来ない。
「晩飯……どうしようかね?」
地獄の釜が開いた世界を走り抜けながら手の届くところに迂闊に踏み込んできた「敵」殴りつける。
乾いた音を立ててその頭が爆発する。
「俺も変わらんか」
奇妙に鮮やかなピンク色の破片の中を突っ切る。
「どりゃあああ!」
「盾」戦士のストルワートがシールド・バッシュで敵を吹き飛ばす。
「恐れを知らぬ戦士のようにっ!!!」
蹴りの一発で三人の兵士が吹き飛ばされ、巻き込まれた後続がなぎ倒される。
「荒んでる。荒んでるぞー!」
マイペースのフィールド・レンジャー、金狼人のシュープリームがナイフの一突きで兵士を打ち倒す。
「思わず、明日を見失うぜ。微笑みも忘れちまうね!!」
返す手で首を跳ね飛ばす。
丘の上で護衛に守られた魔法使いのぺチワが戦場を睥睨する。
「大魔法は後ろから撃つ!」
太い赤枠の牛乳瓶底眼鏡を怪しく光らせながら、大きな胸を揺さぶってモニャモニャと適当な呪文を唱えると、右手を突き上げて獲物を露にする。
「支配の王扇!」
振り下ろすその魔宝具の先から鋭い光線が降り注ぐ。突然三つに分かれると驚いて立ち尽くす兵士達を切り裂いてゆく。
「どーよ!軍師3WAYホーミング・ビーム!!」
隣のペトワが喚く。魔導師らしい赤いローブをふりがざして、ワンドを構える。
「負けてらんないんだからっ!貫け!ホーミング・レーザーアァァァァァァアアア!!」
ワンドではなく、体中を発光させて金色の糸のような光が全方位に打ち出されると、次の瞬間に鋭角に折れ曲がって「敵」に追いすがって突き刺さる。金色の光が「敵」を討つと、まばゆい赤い光が周囲を覆って黒い炎が吹き上がる。
レンジャーのトリシュルは寡黙なヒト族である。
自分の身長ほどもある白磁に輝く壮麗な細工の施されたスキル・ライフルを軽々と振り回し、敵を狙う。轟音。
「……」
狙われた者は次の瞬間には肉片を飛び散らせて消え去ってしまう。衝撃波が周辺の敵をなぎ倒す。
トリシュルに気がついて走り寄る敵に、巨大なスキル・ライフルが横なぎに振るわれると、壮絶な水っぽい音と共に、奇妙に捻じ曲がった身体を見せながら遠くに飛び退ってゆく。
想像も出来ない暴力の結果に刹那、逡巡した彼らの目の前に、左手に持ち構えられた白磁のスキル・ガンが牙を剥く。スキル・ライフルと対のデザインを与えられたスキル・ガンから放たれる、連続した射撃音は軽やかなスタッカートを奏でて人間だった者に紅い花を咲かせる。逃げ惑う者たちの背中を容赦なく追いかける光線は、悲鳴の合唱を沸きあがらせて、そして沈黙を招いた。
「……」
スキル・ガンを軽く回して左足のケースに差し込むと、右手に持ったスキル・ライフルを両手で構えなおす。
腰だめで数瞬、油断なく周囲に眼をやると立ち上がって、戦場を駆ける。
人が持つには大きすぎるランスを片手に持ち、足で駆けるには重過ぎる様にしか見えない白い騎士甲冑を全身に着込んだ「戦士」が、戦場の只中で叫ぶ。
「わが名は伝次郎!ナストボチヌイの街、一番の冒険者であるぞ!いざ、いざっ!尋常なる戦いを望む!!」
恐怖を張り付かせる兵士たちが遠巻きにする中、叫ぶ。
「こぬかっ!こぬかっ!こないのかっ!!」
ランスが振り回されて、衝撃波が泥色に染まった雪を巻き上げる。
「なさけなしっ!なさけなしっ!」
身体を低く構えて両手に持ち構えたランスが、密集する兵士達に向けられる。鋭敏すぎる殺気を向けられた集団が顔を歪めて足を振るわせる。
「仕方なしっ!仕方なしっ!腰抜け供っ!!」
フル・フェイスのヘルムの奥で髭面がゆがむ。
「行くぞ!我が必殺のぉぉぉぉぉぉ!!」
大きな「ため」と共に、伝次郎の身体が光り輝く。
「超!伝次郎スピィィィィィン!!!」
光り輝いた身体がドリルのように空気を抉りながら空中を駆け抜ける。逃げ惑う兵士達を粉微塵に磨り潰しながら戦場を一直線に突き抜けていった。
アックスのヒトなぎで騎士を引き裂いたプリースト・ファイターのザフィルが、軽戦士のザプワと背中を合せて肩を震わす。
「コイツはゴッツイ戦いだぜ」
肩で息をしながらザプワが不遜な笑みを浮かべる。
「知っているか。主人公は最後まで死なないように出来てるんだぜ」
互いに皮肉気な笑みを浮かべて魔力を走らせると、刃を振りかざす。
「そんな薄いシールドでは防げないぜ!」
戦場を冒険者たちが駆け抜ける。血飛沫が舞い、肉片が飛び散り、砕かれた骨が地面を転がる。
一〇人、二〇人といった規模の冒険者が戦場を駆ける事は良くあることだった。一〇〇人規模の冒険者たちが独立して戦争の中で独立運用されるような事態もあった。しかし、数十万の正規兵が殴りあうような戦場に一〇〇〇人規模の冒険者グループが殴りこむ事態は空前だった。誰も経験したことがない事態が戦場に連続して起きていた。その冒険者グループのサポート・クラスの一部の者以外は全員がプレイヤー・キャラクターであるなどという事はまったくの想定外だった。
非常識な戦闘力を持った冒険者たちの介入が戦場をどう変えてしまったか。戦場の支配者が激しく移り変わる中、嵐が吹きぬけた。
それがもたらす結末がどうなろうかは、今、ここで戦う者たちにとっては当面関係のないことであった。