β世界-02
β世界と呼ばれた世界があった。
「β世界」においてガンダールヴル存在はよく見かけるGMPだった。
「悪いこと」をするプレイヤーがいないかどうか、フィールドを見て回り、初心者がいれば気さくに話しかけ、全滅したパーティーがいればその遺体と装備を回収し、冒険者たちが道に迷えば街に導き、バグに嵌れば救済してくれた。
「β世界」のプレイヤーは公称六〇万人とされるがフィールドは「途轍もなく」広い。世界人口は一〇〇億人以上とアナウンスされており、プレイヤー・キャラクターのみでパーティーを組もうと考えるなら、「β世界」にVTしてからと甘く考えていては、絶望するだけである。
課金設定が数あるVRMMORPGのなかでも低位でありながら、出入りの激しい業界にあってはいつの間にか老舗といえる「β世界」はプレイヤーの入れ替わりもそれなりである。チュートリアル等の初心者支援の施策も、歴史を積み重ねる中で充実しているにもかかわらず、説明文もろくに読まずにチュートリアルすら飛ばして「異世界」に投げ出される冒険者は後を絶たない。
そうした中でプレイヤーたちを手厚く支援してくれるGMPの存在は(特にものぐさなプレイヤーにとっては)「β世界」になくてはならない存在であった。
現実における技術の進展がサービスが充実へとつながり、運営者への負担軽減にも繋がった。プレイヤーたちを間接、直接的に支援するNPC達も充実し、彼ら自身が冒険者として頼りになると、「β世界」に投げ出された初心者たちも「β世界」の住人そのものに支援されることがあたりまえとなった。
遠く離れたヒトとのコミュニケーション手段としての一面のあるMMOで、VRCたちがアバターとのコミュニケーションを成立させてしまうとMMOの意義が薄らいでしまう面があるが、そうした面と関係ない方向性で「β世界」のNPCたちは成長していった。気がつけば、数多のVRMMORPGのなかでも最も人間くさいといわれるようになったNPCたちが実際の生活をする様は、「β世界」の「名物」にまでなった。冒険者としての生活を必要最低限で抑えつつ、ただ住民の移り変わりを眺めるプレイヤーたちも出てきた。
そうして人間が操作するGMPは姿を見せることは少なくなり、NPC達が自発的に暴走するプレイヤーをいさめたり、諭し、場合によっては悪辣なプレイヤーに徒党を組んで対抗したりとなると、ますますGMPの出番は減った。
しかしガンダールヴルというGMPはあろうことか通常のプレイヤーに混じって自侭に世界を旅し続けていたという。あいも変わらずプレイヤーたちにおせっかいを焼きながら。
どこのVRMMORPGでもそうだが、NPCの存在が充実し、VRC達のAIが発達してくる時期に運営会社が手を抜くと、所詮はゲームである。ヒトが創った世界であるからヒトの勝手にしたくなるもの。秩序あれば抜け道あり。プレイヤーたちは運営の怠慢を敏感に感じ取り、世界を自侭にしようとする。運営が気づかぬうちに世界は混乱し、秩序は破壊される。
そこで運営会社がテコ入れなり、修正なりを行えばいいが、自侭が許されてきた世界に秩序が戻るとプレイヤーたちは急速に世界を捨てる。しかし投資は急増する。運営が手を抜く時期と、運営の収支が最高を記録するのは奇妙に一致する場合が多く、秩序が復活した後の世界は過疎化が進む。そうなれば混乱した世界を収拾して秩序を復活させる意欲は失せる。
手をかけ、金をかけ、時間をかけて得られるものが過疎化した世界となれば、大きな損益を被る前に世界を滅ぼしてしまったほうがいい。その世界の残骸で新たな世界を構築すればいい。
実際には、数値上の頂点に至る直前の時間に本来手をかけるべき瞬間があるのだが、それは非実在産業においても実在産業においても変わらない認識困難な瞬間である。
そうして世界群が衰亡していった。
「β世界」においては他の世界群と決定的に異なる特徴があった。
この世界はプレイヤーに媚びなかった。
マイペースだったのだ。
黙々とクエストが追加された。
黙々とデータが追加された。
黙々とイベントが繰り返された。
黙々と世界が広がった。
黙々とNPCが追加されていった。
そうしてありえないほどに広大な世界が超現実空間に横たわった。
サービス開始当初から広大さにかけては比肩するもののない過疎世界といわれた「β世界」であったが、課金サービス一〇年を過ぎるころには、もはや世界の隅々を見て回ることは不可能な広大さを持つまでになった。
三~一〇人のプレイヤー・キャラクターに数人のNPCを加えたパーティが数ヶ月連続で冒険を続けても、他のプレイヤーの存在に出会うことはない程に広大となった。そうして旅を続けていてもなお世界は膨張していった。
しかし、この世界はサービスに対する管理、監視は異様なほどに強力であった。ログインしているすべてのプレイヤーが常時監視されているかのごとく管理され、ルールを逸脱したプレイヤーは容赦なくBANされていった。
他のゲームでは比較的緩やかなMOBもがんじがらめの規約で禁止され、没個性なアバターたちが彷徨う世界となった。
最盛期には公称三〇〇万人といわれたプレイヤーたちはこの世界に見切りをつけて去っていった。
しかしサービスは飽きることなく更新されていく。
爽快感を感じることが出来ない世界はいつしか本当の意味での廃人をひきつけるようになった。
サービス開始直後からやたらとパッチがあたった「β世界」であったが、課金サービス一五年を過ぎたときに導入された新サービスは業界を震撼させた。
リアルタイム・オペレート・ワールド。
現実世界と超現実世界の時間を完全に同期させて、世界が変遷していくという「サービス」。
「ゲーム」として考えると、ほんの少しの想像で、その「サービス」が如何に異様で異質か、だれにでも思いつくような気が狂ったとしか思えない「サービス」であったが、驚くべき事にβ世界をメインに「冒険」するプレイヤー達はそのサービスの実装自体は受け入れた。
「まあ、β世界だし」。
今までの「常識的な」世界は「旧サービス」と呼ばれてそのまま維持されたものの、「ROW」と通称される世界はプレイヤー達に多くの疑問符を投げかけながら実装された。
そのころからゲーム・プレイヤーたちにひとつの噂が流れるようになった。
ある日、運営会社からDMが自宅に届く。
その中には連絡先とひとつの文章が書かれたA4用紙が入っていると。
そこにはこう書かれているそうだ。
「私たちと異世界を救いませんか?」