冒険者の宿
ピガルピースという街がある。
日本語で意訳を試みれば「とどのつまり」あるいは「どん詰まり」。
イサクラルパドル世界においては南の端に位置する大都市であり周辺地域を併呑する都市国家である。
都市人口だけで五〇万に達し、それを支える周辺人口は五〇〇万とも六〇〇万とも言われる。
「実際に南の端というわけではないと?」
魔法の光に照らされた冒険者の宿。冒険者ギルドの共同運営店舗的業務形態の宿泊施設で、遠く数万キロ離れたクレイマインという都市にある冒険者ギルド総本部のピガルピース出張所を兼ねている。
「最寄」の「施設」から三昼夜。最初に感じた観光気分も程よく薄れるころに到着した街、ここピガルピースで、軽い食事を取りつつ自分に要求されている曖昧な仕事を確認する。
それでもなお、若干の観光気分は抜けないのか、話題は脱線を繰り返し、「β世界」とほとんど変わらない世界の話題へ話は行き来する。
食事は硬くしまって味気のないパン。スープに浸しながら口にしなければ食べられるものではない。飲み物といえば冷えているか、暖かいか。常温で飲むアルコールに慣れていない(「現実世界」における日本酒は高級飲料となって久しい)ルカは、生温くもおいしく感じられるアルコール飲料「エール」に戸惑いながらガンダールヴルに尋ねた。
薄茶色に濁った酒に口をつけながらガンダールヴルは首肯する。一度に二〇〇人は押し込めそうな広い店内で席を暖めるのは数十人。人だけは多い「田舎」と誹られることのあるピガルピースの冒険者の宿にたむろう「冒険者たち」は、周辺地域で滅多に見かけることのない眉目秀麗なリョースアールブに遠慮ない視線をぶつけている。
彼は何気ない風のままもう一度エールを口にして、呟くように応える。
「ピガルピースが本当の意味で南の端であった事は過去にもないですね。エンガノの海を挟んで南東にバリバパパス。海を越えてケンフイル諸島国家群。その南にも多くの島々があり、そして未踏地域。西は暴虐の海。周辺では未探索地域が多く残っている冒険者と冒険者を当て込んだ街。冒険者を束ねる為政者。冒険者そのものが産業の街。イサクラルパドル南方地域息最大の冒険者の街。ピガルピース。
説明としてはそういったところでしょうか?」
小さく頷きながら首をひねる。
「つまり自分たちのような冒険者にとって、冒険の拠点としうる南の端ということですか」
「そんなところですね」
ルカの仕草につられたかのように首をひねるアールブ。笑みを張り付かせたまま小さな疑問を呈した。
「しかし、硬いですね。ルカさん。もっと砕けませんか?」
「β世界」で冒険を始めて実に一〇年近く。ある時は血まみれになりながら、ある時は泥まみれになりながら「リアル」を過ごし、逃げ込める先として選んだのが「β世界」。
ルカが「β世界」を選んだのは単なる偶然である。
単純にサービス料金が「それほど」高くなく、世界がそれほど「忙しく」ないことが選んだ理由ではあったが、なんとなく長閑な世界観に惹かれたとは言うものの、やたらと大量に存在するゲームのなかで「β世界」という味も素っ気もない名前に気が惹かれたとはいっても、偶然である。
多くの人種が闊歩し、そういった「人間」達が打ち立てた多くの国家。そうしてそれを脅かす怪物たち。
未踏の大地。未踏の海。未踏の峰。未踏の迷宮があり、未踏の遺跡が散在する世界。
冒険者たちは、英雄予備軍として大きな志と小さな恐怖を持って世界を彷徨い、しかし日々の営みを勤めるために街で村で依頼を受ける。
身体を鍛え、魔法を鍛え、獲物を持って荒野を駆け巡る。
ファンタジー。
時に国家はいがみ合い、殺し合い、冒険者たちも傭兵として敵同士になる。この世界では冒険者は傭兵と同義。
血まみれになりながら。泥まみれになりながら。
時に夢破れ、街に根を張り、冒険者相手に商売をして、過去の挫折を語る。
剣を持って、杖を持って、まだ見ぬ世界へ夢をはせ、夢破れ、或いは地に伏せて。水に伏せて。空に散って。
そうしてまた始まりの地に。
「ここから始まる冒険、ですか」
小さく笑って頷く。ガンダールヴルの表情の変化は小さく、しかしはっきりと。
「冒険者Lv1といったところですね」
「まずは仲間を集めなくてはいけませんが……その前に、用事がありまして」
周囲の視線を集めたまま、広いホールの真ん中にあるカウンターに移動する。不躾な視線が此方の動きに合わせて移動する。自分たちの挙動が何がしか彼らの肴になっているように思える。しかしガンダールヴルのその言い回しにルカは疑問顔である。
「β世界」でプレイヤーたる冒険者を支援する冒険者の宿は、どこの国でもどこの町でも大体同じ形をしている。ゲーム・システム的な制約、或いは手抜き、とも思えたが、この「仕事」にあたり事前に得られた資料によるとそういう訳でもないようだった。
冒険者の宿という施設は、周辺都市圏も含め、人口一〇万人程度以上の都市に普遍的に存在するポピュラーな施設である。
最低限、だいたい一〇〇人前後収容できる食堂兼用のホールを一階に持ち、どこか一方の壁に宿屋のカウンターと食堂のカウンターを兼用する場所があり、それは「壁」とか「壁スペース」と呼ばれる。ここは冒険者のみならず、「唯の旅人(この世界に置いてはほとんどありえない)」や「商人」或いは近所の住人が食事をしたりするのにも使われる。冒険者向けにシンプルだがかなり濃い目の味付けで、量の多い食事を庶民にも優しい価格で提供する夜の冒険者の宿は、付近の住民にとって隠れた人気の食事スポットになっている。市中で店を開く以上は、同一のメニューを相手の立場によって変えるわけにも行かず、冒険者以外の客が度を越えて増えてしまう事態は避けたいが、痛し痒しというところか。
「壁」の先には従業員たちのスペースがあり、そこから階段を挟んで大スペースの共同トイレと共同風呂(大抵はサウナ)スペースが備わる。その隣に開けっ広げなスペースが申し訳なさそうに区切られて冒険者たちの汚れ物を置く場所となっている。
「壁」の前はそれなりに区切られた飲食スペースとなっていて、島テーブルの立席スペース、対面式のカウンター・バーのようなスペース、通常の飲食スペースと「壁」から離れるにしたがってグレードが上がる。
それらのスペースは地域住民が飲食したり、依頼者が依頼を受けた者と相談するスペースとなっている。天井を支える太い柱が規則正しく並び、冒険者の宿という建造物の強度を支えているわけではない壁が、申し訳程度にいくつかのスペースを区切るそこは、そこそこに個性と趣のあるレストランという雰囲気を、その場所に与える。
通常のレストランと決定的に雰囲気を異にするところはテーブルにせよ椅子にせよ大きく頑丈にしつらえてあり、通路もひどく広い。各席もかなりの余裕を持って配置されており、通常のレストランであれば六人座れるところに四人分の席しか配置されていない。
それは、大きな荷物を抱えて歩くことが常の、冒険者に対する配慮であった。
「それなりに」秘密の相談や、或いはギルドによる依頼が行われる個室は一階の奥、従業員スペースに隣接していて、そこそこ胡散臭い密談が行われる。
それ以上に厳密な秘密を持つ依頼者は、依頼者自身が会談場所を設定しなければならない。どうしたところで不特定多数が出入りする「冒険者の宿」である。「冒険者」のふりをした間者の存在は排除しようもない。個室とは言えども壁に耳ありということもある。魔法の発動はすべからず魔力を持ち合わせている人間には容易に感知できるものであるが、種類によっては諜報活動に便利な魔法というのは存在する。諜報活動というのは活動自体が秘密であるのは当然であるから、感知されない隠密性の高い魔法というのはないわけではない。
それらの先には裏口があって、従業員たちの通用口をかねていることも多い。裏口は常に誰かしら眼を向けている冒険者の宿の事務所と隣接していることが多く、その実、ホールに口をあける表玄関よりも出入りに対する視線が厳しい。そういった事情には様々な理由があったが、押してしるべしと言ったところであり、むしろこちら側の出入りを好んでいる「常連」も多い。
建物の外側には、馬や馬車を寄せるスペースがかなり広めに取ってあって、設備も本格的である。
これらのスペースの利用はややもやすると、宿泊に対して高額になることすらあるが、馬や馬車というのはソレを持つものにとっては財産であるから、屋根もあり、常に二~三人が不寝番で世話をかけてくれる通称「馬小屋」は、冒険者にとっても商人にとっても、かなりありがたい設備である。
冒険者の宿にあるこういった設備が、一般のイメージよりはるかにグレードが高いのは、冒険者の宿に地位の高い人間が少なからぬ頻度で訪れるせいもある。
冒険者にとっての主たる任務であるモンスターの討伐を依頼するのは、たいていにおいてそこを治める為政者であり、荒くれ者が多い冒険者たちに対し、場合によっては直接顔を合わせることのある代理人は、地位や実力といったはったりがなければ勤まらない場合もある。
冒険者たちに依頼をかける貴族や政治家、好事家に商人なども少なくない。それらが乗合馬車や辻馬車で冒険者の宿に赴くこと等まずありえない。勿論、よほど特殊な理由がない限り彼らが徒歩で広大な街路を歩くこと等想像もつかない。かくして「馬小屋」は市街地にある建築物の中では異様なほどの巨大な姿をさらけ出すことになる。
隣接する建物や施設に対して臭気や騒音が撒き散らされないように丈夫で分厚い壁があり、出入りする門には門番がおり、馬を世話する人間は身持ちが硬くガタイもいい。そこにいる人間は様々な理由から冒険者の宿にとって……と、いうより冒険者ギルドに対して信頼がある者ばかりであり、それなりという水準以上に実力も礼儀も備えつつ、荒事にも慣れた者達である。彼らは冒険者ギルドにとっての予備戦力といった一面もあって、彼らを蔑ろにするような者は冒険者の宿を利用する人間には基本的にいない。彼らと接する態度で訪れた者の度量の程が測られてしまう場合すらある。
ちなみに、馬の世話の手伝いをすることと引き換えに「馬小屋」に「泊まる」という裏技が存在するのは冒険者達にとっては公然の秘密となっている。世間一般の想像と違い、まったくの駆け出しの冒険者が「馬小屋」に出入りすることは冒険者の宿の嫌うことであるから、そこそこ信用を得た中堅どころの冒険者が宿泊費をケチって「馬小屋」に寝泊りする光景は珍しいことでもない。
無論、度が過ぎれば面倒な「客」であると冒険者の宿に目をつけられるし、冒険者ギルドに対する「顧客」の眼にさらされることも多い「馬小屋」を定宿にしている冒険者等と噂を立てられれば、冒険者個人の立場を誹られかねないので、余程面の皮の厚い者か、そういった評判を跳ね除けられる程の実力者でもない限りは「馬小屋」を連続で使用することはない。
そういった一階スペースの上はすべて「冒険者の宿」である。二階、規模によってはそれ以上の階層に宿泊施設が設けられ、大体は雑魚寝で済ませられる大部屋、六~一〇人に達するパーティ用の部屋。ある程度のルーム・サービスが得られる部屋に、程度が段階的に上がってゆくそれなりに高級な部屋もある。高級な部屋の中には個人用のトイレを持つ部屋すらある。大都市となれば女性専用の部屋すら用意される。ピガルピースはまごう事なき大都市であったがその成立に対して特殊な出自もあってか、女性専用の部屋はいまのところない。
宿泊設備はホールの天井半分ぐらいまで張り出して、その下の一階は当然、上を支える柱が林立することになる。そういった構造が一階ホールの半分、壁側のスペースを普通の食堂という雰囲気にしている。
もう半分は吹き抜けとなっており、宿泊施設の階層分だけ高い天井を持つ。ピガルピースの冒険者の宿は三階建ての竹筋コンクリートに意匠煉瓦を組み合わせた趣のある建物で、見るからに頑丈な木造トラスで支えられた天井は一五メートルもの高さにある。
ホールに面した宿泊設備側にはバルコニー状の廊下がしつらえられて、各階から壁沿いにホールへ昇降できる階段が設けられている。
吹き抜けになっている側のホールは実務一辺倒の頑丈さだけがとりえな長卓が置かれ、これまた頑丈な長椅子が並べられてる。壁側のスペースはそれなりのレストラン、或いは飲み屋といった風だが、中央部を避けた反対側はどこかの会社の社員食堂とでもいった風である。
そして冒険者の宿を冒険者の宿足らしめる、冒険者支援を目的とするカウンターはホールの中央に位置する。
「アイランド」とか「島スペース」などと俗称されるそれは対面カウンターで四角く区切った区画となっており、カウンターの上には冒険者に対するインフォメーションや、様々な依頼が貼り付けられている掲示板となっている。その掲示板は掲示板に張られている紙を付け替えるのにカウンターの外に出る必要はなく、内側からはずして、付け替えられるよう工夫されているのが特徴だ。
ゲームプレイ中は、VRゲームでありがちな、内容を読んでいる途中で瞬間的に情報が更新されて、前の情報を読めなくなって途方にくれる。ということがなく、情報が更新されるときにはいちいちNPCがアクションを起こしてくれたので、それに声をかけて読みたい資料だけ手渡しで受け取る、などという面倒だがありがたくもある融通が利いて地味に便利だったりした。所謂「β世界」クオリティの一面であったが、実際に眼にすると、ギルドの職員がカウンターを出入りせずにすむというのは職員にとっても存外便利なのかもしれない。何がしかの理由でホールが混雑していたとしても雑踏に妨害されることなく情報を更新できるのはよく考えられていることかもしれない。
アイランドの中に眼をやれば資料等が詰め込まれているであろう棚が天井まで伸びて、脚立が立てかけられている。中央付近には扉がついた小部屋があり、業務用のマジック・アイテム、ギルド本部等と連絡するための遠話のオーブがおいてあったりするらしい。ルカ自身が見たことはないが、モンスターによる街襲撃イベント等で冒険者の宿を砦と立て篭もったプレイヤーがカウンターの内部に入ったことがあるらしく、そういった話を聞いたことがある。冒険者ギルドのカウンターがホール中央にあること事態、そういった最悪の事態を想定しているためとも考えられなくもない。
なにしろ大抵はその部屋から地下に向かって階段が口を開け、冒険者向けに販売されるギルド謹製の安いが効果もそれなりのポーション、状態異常解除薬、コモン・マジック・アイテム等が大量に収められているという。あと休憩室や仮眠室、トイレ等も完備されていて、マジック・アイテムにより空調も管理されたその地下室は庶民の家よりも居心地がよいかもと件の冒険者は語っていた。しかも外部への通路もあるというのだから、それはまさしく砦だ。勿論、冒険者の宿内部にも通じる通路があり、普通に通用口にもつながっているその通路を利用してゲリラ戦闘を行った経験を語った冒険者もいたが、実際に細かい構造を外部の人間が窺い知る事はまずないであろう。よほどの緊急事態が訪れることがない限り。
ちなみに、イサクラルパドルは「現実」の中世ヨーロッパ「あたりの」歴史文化が「ごった煮」な世界であるが、驚くべきことに公衆衛生は非常に高度である。
中世ヨーロッパでは当たり前であった「汚物は道路に投げ捨てるもの」、「水は煮沸しなければ口にすべきではない」、「生ものを食するのは自殺行為」なんていうことはない。「β世界」においても普通に「刺身」や「生卵」が供されていたが、ゲーム上のサービスというわけでもなく、「イサクラルパドル」でもその手の生ものは供されている。
これは地に空に海に満ち溢れる精霊たちが住まい、人間が日々の営み以上の汚濁をばら撒けばそれらは容易に怒り狂い、人間の生活を脅かすからである。さりはとて、精霊を駆逐しようものならその土地に残るのは生命なき砂の台地、などとなれば精霊との共存関係を維持するのは、社会生活を維持するための基本中の基本というわけである。それらの制約が重工業の発展を著しく阻害し、このイサクラルパドル世界の「産業革命前夜」で足止めされた文化状態を維持しているともいえる。
「ザンカン・グーランシアのリョース・アールブ。ガンダールヴル・アールヴゲイルスソンと申します。荷物が届いていると思うのですが?」
席を離れた時点で、空いた皿とジョッキは壁側の人間が回収する。荷物がかさばり危険物を身につけている場合も多い冒険者がたむろする冒険者の宿は、フロア・アテンダントが注文を受けて商品を運ぶ「現実」のレストランに近い営業形態である。ただし料金は注文時に前払いするのが基本だ。
冒険者ギルド・カウンターにいる受付にガンダールヴルは声をかけていた。大仰な名乗りが周囲の視線を集める事は気にしていないようだ。ルカのほうが一人で身構えてしまったのが恥ずかしくもある。カウンターには一〇人ほどの「人間」がいる。緑色の髪をした半妖精族の女性や、青い髪をしたエルフ。「金髪」と言うにはくすんだ体毛の金狼人。半妖精族は立っていてもカウンターから辛うじて頭が出る程度。逆に金狼人はうっかりすれば掲示板に頭をぶつけかねない。
時間帯はそろそろ太陽が中天へと移動するころ。広いホールは日が進むにつれて窓から差し込む光が減り、自然光より魔法の光が頼りになる時間帯。吹き抜けとはいえ設置も維持も面倒な高所に窓は少ない。「冒険者の宿」が忙しくなるのは朝と夕。プレイヤー達の常識がまかり通る「β世界」であるならばともかく、「イサクラルパドル」の常識で動く人々には「昼食」という概念が薄い。夕餉をしっかりと摂り、朝に夕食の残り物とパン、スープ等。時計もそうであるが二四時間制も一般的な概念として浸透しているというものの、庶民は日が昇れば起き出して日が沈む前に仕事を終え、住居に帰る。
しかし、「食事どころ」としても冒険者支援施設としての「冒険者の宿」としても昼間は客は少ない。冒険者たちも七日サイクルで動いている者は少く、任務や依頼の都合がすべてであるから、平日は一人残らず外に出て開店休業と言うことはない。緊急の依頼が入ることもあるし、実入りがいい冒険者の中にはそういった仕事に楽しみを見出してホールの置物と化していることもある。昨日仕事を終えて次の仕事を探している者もいよう。それでもやはり昼間は閑散としている。今日は休みと決め込んで昼間から酒をあおる者も珍しいわけではないが。金と分別さえあるならば彼らは究極の自由業なのだ。すべては自己責任である。
カウンターにいる人間たちもどこか手持ち無沙汰に見える。カウンターの中で腰掛けて、書類仕事に精を出している者。依頼書を整理している者。何がしかのアイテムを鑑定している者。
冒険者ギルドは、この世界でも大変に珍しい二四時間営業を是としている組織ではあるが、冒険者たちが二四時間の区別もなく忙しくては、街はたまらない。冒険者たちが忙しく走り回る事態とは庶民にとっては録でもない事が起きているに違いないのだ。昼間は暇で結構である。
「物質付与魔法」が一般的なこの世界では「庶民向け」のマジック・アイテムは高価なものではなく、よって夜は明るい。冒険者の宿では利用料金によっては窓がない部屋をあてがわれる場合もあるが、不便となることはない。この世界においては庶民にとっても夜は長いものなのだ。その分昼間は労働の時間である。価格が安く、長寿命で維持が簡単であり、かつ安定した高輝度を得られる照明の普及は都市の高度利用を促進して人口集中現象を加速する効果もある。そういった道具の生産は労働集約産業の面があってソレもまた経済活動を促進する原因となっている。それらの産業は冒険者と並んで農村部の余剰労働力の受け皿である。
人間の活動時間が長ければそれだけで経済活動は活発となる。ほかにも様々な要因があるが、見た目、中世ヨーロッパ程度の文化規模でありつつ、人口動態が「現実」に迫る部分があるというイサクラルパドル世界の現実は「現実」の歴史を知るものにとってはずいぶんと歪に思えた。
「冒険者免状を見せてください」
ガンダールヴルは薄茶色のカードを取り出してカウンターの職員に見せた。カウンターの中で、膝まで届く、太く長い垂れ耳とボリュームのある腰まで伸びた頭髪、全身を覆うフカフカの毛皮が特徴のトール・バニーの女性がそれを受け取る。全体としては「ヒト」型といえる体系の種族だが、顔は元になった獣の雰囲気が色濃く、つややかで健康的な鼻が断続的に動くさまはどこかしら愛らしい。ワンピース状の服の上から冒険者ギルド内での職制を視覚的に判断できるように工夫されたカラフルな貫頭衣を身にまとう。白い縁取りがされた緑の貫頭衣は「受付」を示す。腰を太いベルトで留めた彼女の背中側には大きくて無骨な意匠のナイフが見え隠れする。「冒険者の宿」で働くものは基本的に中堅どころ以上の「冒険者」である。
彼女の顔面を覆う、よく手入れされた体毛もどこかしら愛嬌を誘う。しかしカウンターの外からは見えないにせよ、彼女の足は関節の構造が二足歩行ににじり寄った「ウサギの後ろ足」ともいえるもので太く頑丈。女性特有のしなやかさも奇妙に同居した筋肉質の身体は野生が色濃く残り、だらしなく垂れた様に見える耳もその気になれば高く突き上げて、周囲の警戒にあたり怪しげな物音を聞き逃すことはない。全体的な体躯としては平均的な「人間」であるが、人間としてはすばしっこく、大きな赤色の目玉は動体視力も高い。聴力は言うまでもなく、持久力にも優れたトール・バニーは冒険者の中では「スカウト」職として引く手あまたである。しかし、カウンターでガンダールヴルの冒険者免状を見る彼女は残念ながら全身桃色の体毛である。砂漠ならば十分な保護色になりうるが、この周辺数百キロには海辺に砂丘がある程度。森林にせよ、草原にせよその体毛は目立ちすぎる。迷宮探索や遺跡探索ではトール・バニーの体型は不利になる場合があり、しかも種族独特の体臭をもって香水等でごまかすのも難しいとなると、閉塞空間でモンスター達の誘引剤となるのは他の冒険者にとってはいかにも都合が悪い。彼女が冒険者でなく冒険者ギルドの職員に納まっているのも納得するところであろうか?
「確認できました。そのまま少しお待ちくださいね」
体毛……というか頭髪に関してはガンダールヴルもルカもやや問題がある。ガンダールヴルの頭髪は金色と言うにはなお鮮やかで、プラチナというに相応しい。薄く光り輝く様は宝石の様である。街道でも町でもヒトの目を引き寄せてやまない。色素が足らない肌もあいまってフィールドでは目立ってしょうがない。代わりに体臭は極限まで薄く、持久力に薄いが疲労からの回復に優れ、刹那の瞬発力の高さと生まれついで無意識下で魔法に底上げされた細い筋肉は、自らの身長の何倍もの距離、高さを瞬時に駆ける。精霊の気配が色濃い地域では物音ひとつ立てることはなく、先天的な遠見の能力は人間では最高の能力を誇る。生物的に言えば魔法生物のくくりであり、そういった「無意識下で行使される」魔法は直接的に外部に影響しないものであるし、魔法能力の衰えが即座に個としての生物的衰えに直結する彼らアールブは、魔法が無力化された場合、或いは精霊の力が極端に薄い場合、まともに行動することができなくなってしまう弱点もある。ある程度技術と経験に優れたアールブならば「魔宝石」による外部補助や彼ら特有の魔力の内部留保の技術でそれなりの補助が可能だが、意図的に世界に満ちる「マナ」を遮断する仕掛けが施された遺跡の探索などでハンデがあることには代わりがない。
その特徴的な肌や頭髪は彼らのメイン・フィールドである森林地帯では、逆に保護色になりうる事実は二次元見下ろし型の旧弊なコンピューターRPGでは想像もつかず、VRMMORPGで「実際」眼にしてはじめて気がつかされた事実である。適度な木漏れ日が降り注ぐ針葉樹林地帯では見事に自然に溶け込んで、一〇メートルも離れれば姿をくらましてしまうのだ。この場合、体臭が極限にまで薄いという事実も重い。木々にまぎれたアールブはまさに「森の人」である。うっそうと生い茂った昼なお暗い森林地帯では肌の色も髪の色も暗い(黒いわけではない)ダース・エルフ達が繁栄する。ダース・エルフもリョース・アールブであって肌の色や髪の色以外に特段の違いがあるわけではない。無論、住んでいる地域独特の文化的差異はある。
ルカに関して言えば「現実」が大きく影響している。
「β世界」の「一般サービス」において彼が使用していたアバターは、この世界におけるNPCの平均的容姿から金髪を選択し、立ち姿も典型的コーカソイド風を選んで、見事に無個性な戦士職であった。だが「イサクラルパドル」に現れたルカは「佐藤・エルステン・瑠珈」本人なのである。
二一世紀初頭の「統一戦争」の終盤で発生した大規模破壊兵器の投げ合いは、日本の人種動態を一瞬にして粉砕した。その後の社会復興政策で一貫した行動が取れなかった政府の無能もあいまって、日本という国はアメリカ以上の混血社会となってしまった。佐藤・エルステン・瑠珈という、歴史上の日本人の平均的な名前からすれば奇妙な氏名を持った人間もその混乱の果ての端っこにぶら下がった結果のひとつである。母は「南方系日本人」であり父は「ゲルマン系日本人」という一六分の一程度は日本人かもしれない?という「日本人」の成れの果てなのだ。
現実の髪の毛は紫ががった黒色。ブルネットといえば格好いいが……。五〇歳未満の「日本人」の九割が「雑種」と自虐される中では髪の色だけでも「日本人」らしさが残っていれば御の字であろう。瞳の色は辛うじて黒色。天然に存在する色の見分けには不便を感じたことがないが、紫外線に若干弱いのは環境破壊が進んだ現代社会では不便を強いられるところがある。
筋肉質で妙に背が高く、白人に近い肌色をしながら低い鼻にすがすがしいほど四角い顔。若干の垂れ眼で髪質は太く硬い。肩が凝らないのと糖尿病遺伝子がないのはアドヴァンテージかもしれない。
そのような体躯をもった人間はイサクラルパドルでは「珍しい」。正直に言って「β世界」時代からこの世界固有の住民の見分けがつきがたかった。それだけ「平均的」外見が事実として平均なのであろう。自分の外見が浮いているかもしれないという現実は彼に刹那の疎外感を感じさせるものがある。先ほどから感じる不躾な視線はガンダールヴルに対するものではなくその実、自分に対するものかもしれないという想像は彼を嘆息させた。
「どうしました。ルカ。次の場所に向かいましょう」
カウンターのトール・バニーとガンダールヴルの鮮やかな種族的コントラストから思い出してしまった、唐突でありつつも果てしない思考の渦に沈み込んでいたルカを不思議そうな表情で覗き込むガンダールヴル。ふと見ると左側にずいぶんと意味ありげな「荷物」があってぎょっとする。声をかけられたルカの身長は、現代日本人の平均的身長である一八四センチに若干届かない程度であるが(つまりイサクラルパドル世界ではかなり高身長といえる)森林に引っ込んでもやしのようにひょろひょろと背を高くするアールブには及ばず、どうしても見下ろされるような格好になる。
しかし害のない困惑した表情はいっそ無邪気で、見るものを問答無用に和ませてしまう魔力があり、森林浴にも似た癒し効果でもあるのかと余計な想像すらさせるものであった。
その顔を見上げつつ、苦笑いを浮かべながら謝罪する。
「すいません。ガンダールヴル。益体もないことを考えていました。次の用事を済ましちまいましょう」
ホールの端から浴びせられる視線に追い立てられるように出口を目指す。今日という日を「暇」でつぶそうと考えていたであろう冒険者たちに十二分の話題を提供しているに違いないと決め付けて、外を目指す。
左腕で大きな荷物を抱えながら右手を口元にやり、小首を掲げて小さく笑う表情はうんざりするほどに、このリョース・アールブに似合っていた。
「ようやくもともとの口調に戻ってきたようですね。ルカ。もっと砕けてもいいのですよ」
いくつもある出入り口から通りに出る出入り口を選んで足を向けながら、ガンダールヴルは楽しそうに笑った。
「ゲーム・マスター・プレイヤーはβ世界の番犬ジャン?正直、苦手意識を払うのは難しいなぁ……」
持ちにくそうな荷物を抱えた彼に先回りして戸をあけつつ、柔らかい日差しの下に出る。荷物を大事そうに抱えてゆっくりとした動作で僅かな謝意を向けるガンダールヴルが若干腹立たしい。
「ありがとうございます……。どうでしょうね?ある程度慣れていただけたらと思います。それなりに長い付き合いになると思いますからね」
ルカの苛立ち等知らずに、人の注目を浴びたまま彼は外の通路に降り立った。申し訳程度の庭を裂く通路を抜けて立派な門を潜ると街路である。
幅五〇メートル近く。全体が滑らかに石のタイルで見事に舗装された街路は、そうでありながらこの街のメイン・ストリートではない。よく手入れされて人の目を和ませる花壇と植え込みで区切られた歩道は五人程度が並んで歩いてなお余裕があり、それなりに多くの人々が行き交って窮屈でないのは、イサクラルパドルの文化がそれなりに高度であることを物語っているようだった。
「その前に、その慇懃無礼な口調を何とかできませんかねぇ。なんというか、その…ねぇ」
思っていることが整理できずに言葉が尻つぼみになってゆく。「荷物」の存在が彼の脳裏に警鐘を鳴らす。傍目から見てこの組み合わせはどう見えるだろうか?
アールブ特有の木製サンダル・ブーツ。薄手のズボンの上から余裕を持って革のベルトで細くバランスの取れた足を穏やかに拘束している。緩やかだが丈夫で適度に豪奢な旅向けのローブ。腹の部分にアイテム・ベルトを巻いて、パウチが二個引っ掛けられて、ポーションの細い対衝撃ガラス瓶が何本も下がる。背中側には実用性の高い広刃のダガー。腕の長さの半分ほどの大きさで太目のワンドが身体の動きを阻害しないように下げられている。上半身を包む手の込んだ装飾が施された木製のアーマー。両手には様々な種類の指輪が色とりどりに光り輝き、頭の上にはいわくありげな髪飾りが鎮座する。
どれも魔法のこめられた一品で、上から下まであわせれば庶民が一〇年間は慎ましやかに生活する程度の財産である。
他方、自分を見れば背負った実用一辺倒なリュック。「現実」世界から持ち込んだ実用品であり、著名なメーカーが作るそれは、戦場を足で駆け回る特殊な職業の人間に愛用されてやまない一品だ。足には履きなれたコンバット・ブーツ。魔法で耐久性が大きく底上げされている。ポケットが「溢れんばかり」につけられたパンツ。ニーパッド。高価なライト・アーマー・タクティカル・スーツ。心臓から上を覆う軽量複合素材のアーマー。魔法で強度も耐久性も底上げされている。スーツとアーマーの間にあるのは、今となっては化石並みに古いが、よく手入れが行き届いたITLBV(装備ベスト)。ナイフにスコップにパウチにごてごてとついた装備品。リュックと背中の間に、バッソが差し込まれているが、街中だから背にしているだけで、そのまま抜くことは出来ない。フィールドに出た後で腰に差し替えなければならない。街地での突発的戦闘ならばダガーやナイフ、スコップが頼りになる。頭の上には条件反射で乗せたフリッツ・ヘルメット。
すべてが「此方風」に偽装した装備品。しかし、明らかに異質。先ほどの視線の正体は間違いなくこの異様な風体であろう。まったく自然で、まったく気にしていなかった自身の風貌が突然異常な存在となって浮かび上がってきたのに気づいたが後の祭り。
周囲を見渡せば見事な手並みで組まれた石積に、原始的なコンクリートやフランス積みに近い美しいテンポを刻んだ煉瓦積の建物。五階建、六階建も珍しくはないというのに、統一感がありながらそれぞれに様式を異にして、個性を主張する建築物達がぎりぎり雑多とまではいかない調和を見せて、街を軽やかな雰囲気に包んでいる。
そこにぽっかりと浮かんだ「冒険者」。
「さあ。どうしましょうか。一〇〇〇年慣れ親しんだ口調を変えるのはなかなか骨が折れそうですね。手伝ってもらえますか?」
ルカはうっかり鼻で笑って、それに気がついたガンダールヴルだったが気を悪くした訳ではなさそうであった。
現実として突きつけられると眼がちかちかするような原色の髪が行きかう通りを行き、交差点の脇で辻馬車を拾う。乗合馬車に比べて高価だが、どこにでも自由に行き先を決められて、ドアtoドアが売りの辻馬車は都市部では馬車ギルドの統制も強く、ボッタクリを請求される危険性もないことからピガルピースでは個人営業ながら第三の公共交通機関として確立している。第一は乗合馬車。第二は乗り合い渡船である。
馬車の中から見渡す街はそこそこに美しい。一度路地を入ればそこにいかな混沌があるか想像するのは簡単であるが、「β世界」であったときも街での移動範囲は入り口から冒険者の宿への往復がほとんどで、武器屋にしろ防具屋にせよ、道具屋にせよ「魔宝屋」にせよ、冒険者の宿周辺に固まっているのが常であった。ごくまれに教会へ足を伸ばす程度か。街中での依頼でもなければ街地をフィールドとすることはあまりなかった。結局人間が知りうる認識範囲とはその程度のことで、考えてみればリアルで自分の家から道路三本分先の街路等、通勤経路でもなければどういったものであったかは思い浮かぶはずもない。ただ地図を見ればその先にも更に人の営みがあると知れる程度で、実際にそこに住む人がどのような営みを持っているか等、想像の埒外であった。
大体にして、全国で年間平均二万発(.22LR弾換算という意味不明な基準で)の拳銃弾が飛び交うといわれる現代日本の現実を省みれば、見知った経路を往復する以外の手段はとりにくい。自侭に世界を行くことができるVRMMORPGの普及が観光業に致命的打撃を与えたというのも理解できないわけではない。そういった意味では路地の奥で浮浪者が眠りこけていようと若い駆け出しの盗賊が獲物を探していようと、この世界は強力な為政者に支配された街にいる限りおおむね平和であった。
ルカで辛うじて頭がつかえない程度の天井を持つ馬車の車内だが、人龍族を除けばもっとも高身長を誇るアールブのつれが余裕を持ってすまし顔で座っているのは腹立だしい限りの格差社会の表れか。そのどうしようもなくもくだらない現実から可能な限り遠ざかる努力をしながらも、床に置かれた黒い箱に視線が行く。リュックとバッソは馬車の屋根の上である。
「β世界」時代も「イサクラルパドル」も魔力適正はともかく、魔力技術は寒々しい結果しか残せなかったルカだが、室内を快適に過ごすための空調魔道具からもれ出て飽きずに周囲を見渡している精霊と、室内を照らす小さな魔法照明の魔力に当てられながらも、なおもれ出て彼の肌を刺す魔力には興味を引かれることしきりであった。
「気になりますか?」
何が楽しいのか、嫌味のない人好きがする表情が嫌味なガンダールヴルがルカから視線をそらすことなく、尋ねる。興味がないといえば嘘になるが同時に厄介ごとの臭いを濃密に立ち上らせるソレを、出来得れば無視したいが、どうやらそうもいかない雰囲気である。
「……気になりますね…」
ため息とともに出た声はソレを発した本人すら驚かせる程に陰気をまとって車内に散り出でて、ガンダールヴルは僅かに眼を見開いて、更に楽しそうな笑顔を浮かべる。
「これを運ぶのが最初の冒険になります」
「冒険」というところにアクセントを置いた台詞に鼻白んで、しかし疑問に思う。それほどのものが冒険者の宿に届けられていることに。
「『会社』から、まず、こちらに送られたものです」
小さく頷いて納得する。
「現実」からヒト、モノを送る場合、こちらの人間にソレを見られるわけには行かない。「此方」も「其方」も一定の人数がソレを知っているし、ヒトもモノも僅かであるが交流がある。此方の協力者がいてそういった人間達が「会社」の手助けをしている「らしい」ことも資料にはにおわされていた。
そういった人々が「会社」の実態をどこまで理解しているかはわからないし、「会社」がどれだけの情報をそういった人々に提供しているかもわからない。しかし、少なくともガンダールヴルというアールヴは「此方」の立場に近い人間であり、「会社」の役職つきである。「β世界」で見知った顔が「面接」で現れたときには驚くばかりであったが、書類上「外商営業部長取締役」などという名刺を差し出されてしまえばまあ納得するしかない。理解する前に納得することが必要なことが間々あるのは社会を生きるうえでは必要最低限のスキルのごく一部である。
「会社」では「外部協力者」で所詮は「契約社員第一号」ということで手厚い援助をもらっているルカでは確信的な部分まで知りえないが、それらも含めての契約であることは双方十分に納得の上である。ある種の実験動物ですらあることが明示された契約書にサインをしたのは間違いなく「佐藤・エルステン・瑠珈」本人である。
ただ「ポート」と呼ばれる拠点は「世界」のそこここにあるがルカには詳しい位置を知りえる立場にない。この街に来るための「ポート」も最寄地点といいながら徒歩で三昼夜の距離であった。
モンスターは綿密に駆逐され、周辺地域全体が「会社」の私有地という場所の最奥地にある「イサクラルパドル」ではありえない近代的な平屋の建物。その地下に本当の意味での「ポート」がある。
平屋といっても鉄筋コンクリートで建造された建物は分厚い壁と二重の窓に守られて、三重のレーザーソー有刺鉄線と二重の空壕に囲まれた要塞で、老舗の大財閥のシンボルのような配置の三つの建物の配置意図は、分かり易くもあからさまに過ぎた。それだけの重要施設ということだろうが、世界に溶け込むことを端から無視したその施設の悪趣味さはまずもってアールブのガンダールヴルに感情の波を発生させそうであったが、ある意味において鉄面皮ともいえる彼の表情はうかがい知れない。
それ以上に、空間的にも時空的にも断絶しているとしか思えないその施設が贅沢に電気を使い、一〇〇人近い職員?を快適に生活させている事実は、別の想像を湧き上がらせるものだったが彼にとって追求する必要性のあることではない。
「β世界」でのGMP時代から、必要なこととあらば執拗とも言えるほど詳しい説明をすることが常の、この胡散臭いアールブが先ほどの説明で口を閉ざして楽しそうに此方を伺っている以上、ソレが何であるかが「箱」であるという事実以上に明かされることはなさそうであると彼は判断した。
「冒険者仲間」でありつつ「監督者」であるガンダールヴルが口にしない事実以上の想像は、ルカ自身がしなければならないことだが、監督者の態度がそうである以上はルカ自身の想像を監督者に返す必要性もない。
大体、「ポート」から直接手にすることなく「冒険者の宿」で受け渡すことからしてまず胡散臭い。そんな人目のあるところでの受け渡しは面倒ごとを引き寄せるだけであろう。
そもそも論として、冒険者ギルドは組織を構成する者たちの連帯意識が異常に強いが「冒険者」としての立場がソレを要求しているわけであって、傷ひとつない一枚岩である訳ではない。ギルド自体も個人の意識としてはともかく、組織としては冒険者相互互助組織の枠をはみ出しているわけではない。時に国家すら動かす強大な組織と位置づけられるが決して利益追求団体というわけでもない。
組織として利益を追求しないわけでなく、全体としては組織の連帯が緩やに過ぎて表面的な連帯以上の組織の強みを発揮しない。ギルドの構成員たちの「独自性」が強すぎるのだ。
なんといっても巨大組織といっても所詮は冒険者相互互助組織である。別段冒険者たちに対して警察活動をしているわけではない。本来であれば冒険者たちが全員ギルドに加入する必要もない。ギルドの最大の目的は「冒険者」というあやふやな存在に対して信頼を担保することである。
冒険者個々人が市井の信頼を得ていれば問題はない。しかしこの世界では一部の職業を除いては職業に実務的な担保があるわけではない。今日から私は医者であります!といえば医者であるし、われこそは皇帝である!といえば皇帝なのだ。その名乗りの先に実益をつけるのは個人の作業であるが、それなりの体裁を整えた自称職業人たちを見分ける術はほとんどない。
冒険者の仕事は第一義に人間の版図を脅かすモンスターを刈って市民に安寧をもたらすことであり、極論を言えばそれ以外のすべてが副職であるともいえるが、それだけで収入が得られるわけでもない。そもそもモンスターの討伐自体、依頼があって、報償が支払われなくては冒険者という職業は成り立たず、モンスターがやたらと闊歩するイサクラルパドルといえど常にモンスター討伐の依頼があるわけでもない。
となれば、「副職」として何でも屋的な市場が需給者双方から発生し、そこを本職とする需要者たる「シティ・アドベンチャー」が定着する。
それもまた「冒険者」である。
モンスター討伐にせよ、何でも屋にせよ依頼を受けました、失敗しました。それではさようなら。では冒険者の地位は地の底で、しかもすべての職業にいえることだが評判や信頼の上下移動は下方向に優しい。
ギルドは、そういった依頼の成否や損害の賠償を担保して「冒険者」の地位を最低限保証するのがその存在意義である。
ところがどのような組織においても必ず利益が先立って、それ以外が疎かになる者は出てくる。儲けになりそうなモノを敏感に嗅ぎ取って、個人の利益に結びつける者が出ることは避けられない。ギルドという組織体系はそういったものの発生すら必要経費として許容し尻拭いをするものであるが、ソレが直接的に自分に降りかかってくる事態の発生はごめんである。
そうであれば、ギルドも依頼者とソレを受けた冒険者の情報は双方が必要とする範囲内で秘密とするし、いかにもな物品のやり取りが冒険者の宿内で行われることはない。
つまるところ、そのいかにもな荷物がここにあるという事実は、ルカに頭痛を感じさせる以上のものとしか言いようがないわけであり、面倒ごとが降りかかることはほぼ確定しているという理解に繋がる訳でもある。
それはそれは大きなため息をついて視線を箱に移す。視界の隅に映るガンダールヴルの表情は明るい。ルカは、前提条件とした想定から派生してそれなりの想像を膨らませたが、それはルカ個人の心構え程度のことであり、実際に起きるかもしれない事態に対しては唯の受容者として立ち振る舞うしかないのだろうなと一人ごちた。
街の郊外へと進む馬車は右に左に進路を変えて、ロータリーで荷馬車に接触する小さな事故を起こしつつ、目的地を目指した。