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エウトピア   作者: 十ノ青日
序章
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Ⅰ・幾島ミズキによる勉強会 →挿話 アキの脳内

 動物には三大欲求というものがある。それは食欲、性欲、睡眠欲の三つだ。これらは生きていく上で欠かせない要素である。しかしこの内の一つである性欲が、禁忌として扱われるのは何故だろうかと、ふと考えたことがある。恥ずかしながら、セックスについての興味で満たされていた時期のこと。


 人前で食事をするのは当たり前のことだし、人前で居眠りをするのだって、無防備な寝顔を見られることへの忌避はあれど、別段恥ずかしいことではない。しかし、人前でセックスをするのは恥ずべきことという認識があるのは間違いないだろう。


 性を隠すべきものとしたのは誰だったのだろう。どこかの聖典には、知恵を身につけた時に初めて、裸であることを恥じるようになったという。確かに、裸を嬉々として見せびらかすのは、決していい趣味とは言えない。そういう意識を持つに至るのは、いったいどういう理由なのだろうか。


 裸であることは、何故そんなにも恥ずかしいことなのか。

 それはきっと、食事や睡眠と違い、服を着るという行為が、人間だけの発想であるということに起因する。

 人間でない生物が、自らの意思で服を着ることはない。服を着るという行為は、人間と動物を分ける明確な線引きの一つなのだ。


 だから人間は裸であることを恥じる。裸であることは、動物だということだからだ。元々は防寒や防具としての存在であった服は、いつしか人間の象徴になった。寒い土地では服は防寒具として発展し、暑い土地では権力の証として飾り立てるようになった。

 それは象徴であるが故に、どこまでも装飾的になり、華美な服装が権力の証になった。より美しく飾り立てることで、より人間らしくなると考えた。


 そう、動物的であることは、恥……なのだ。

 三大欲求に従うことは、動物的なことである。人間以外の動物は、それに従い生きている。

 食事や睡眠を欠かすことはできない。しかし、生殖はその個体が生きていく為に必要なことではない。次代に繋ぐ為の行動である。食事と睡眠は生きていく上で必須であり、やむを得ないが、生殖行為は、その個体がただ生きていくだけならば、必ずしも必要なことではないのだ。

 人間であろうとする為に、動物的な欲求を切り捨てる。これが、生殖行為を恥ずかしいと思うメカニズムである。


 そしてこの国は、より人間的であることを選んだ。生殖行為を義務的に捉え、事務的にこなす。そうすることができるのは、人間だけなのだから。


 同時、三大欲求は、どんどん装飾的になるか、その逆かになっていった。食事を大いに楽しむものもいれば、食事を義務と捉え、栄養食だけで終わらせるものもいる。睡眠をカプセルで済ませるものもいれば、より良い快適な睡眠環境を目指すものもいる。セックスを義務として割り切るものもいれば、快楽としてのセックス、または自慰行為を追求するものもいる。

 性欲は義務である。義務だから、淡々とこなさなければならない。

 性欲は義務である。義務だから、楽しくやらなければ意味がない。

 相反する理想は、同時に世に浸透した。

 どちらも、ひとつの思想によって成り立っている。

 より人間らしくあるために。

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