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エウトピア   作者: 十ノ青日
序章
26/39

Ⅶ・入江定理と渦潮五十鈴→Ⅲ

 ミズキの様子がおかしかった。多分、あのデータ保管室の後くらいから。

 端的に言うのなら、そう、まるで落ち込んでいるようなのだ。

 あのミズキが、だ。

 理由を推測しても、しっくりとくるものがない。

 例えば、あの場に自分が保管されていないから?

 例えば、死んでしまった人達を哀れんでいる?

 例えば、テイリとイスズさんの仲の良さを羨んでいる?

 例えば、背負う物の大きさを認識したことによる重圧?

 どれも、ミズキには有り得ない……ように思える。

 その後の施設見学も、食事も、ミズキは落ち込んで見えた。別々の個室に案内されそうになって、三人同室にしろと騒いだ時には、いつものミズキだったけど。

 そして。


「やっぱりこうなるんだね」

「あむ……?」

「いや、同室にしろって言った時点でわかってましたから」

「はうほろは、ひはひらえ」

「それを口から出して喋ってください」


 ミズキは口を動かすのを止めた。かわりに両手で僕らを同時に攻める。


「あっ」

「なるほどな、しかしだね、覚えたては猿になるというだろう? 一度体験したことで吹っ切れたんだ。前から興味だけはあったからね。告白すれば、オナニーの回数は、自分でも馬鹿らしくなるほどだったよ。私くらいになっても、理性が負けることはあるのだね」


 逆らえないまま、快感に沈む。

 沈む。

 ミズキは艶かしく腰を振る。僕ら二人を組み敷くように。一人で二人を相手取るように。

 絶え間無く手を動かす。舌を這わせる。

 笑ったまま。

 顔を歪めて。

 何かを忘れるように、腰を振る。

 ミズキの言うような、快感のためだけの、行為の為の行為ではない。

 好意による行為とは、もちろん違う。

 違和感を拭えないまま、やがて思考すらもどかしくなる。

 シャワー室が部屋についているのが、せめてもの救いだった。




 朝焼けの真っ赤な空を見上げて、ふらふらと、ゆっくりと歩く。一羽の鳥が飛んでいた。シルエットだけで、どんな鳥かはわからない。羽を広げ、一直線に飛び去っていく。

 このドームには、鳥までいるのか……。

 僕はそれを見送って、無益な思考を開始する。

 理想は、鳥だ。

 あの鳥を捕まえるのは難しいだろう。だからこそ、それはきっと美味なるものだ。

 追い求める快楽。快楽を追い求めるのとはまるで違う。理想を追うことは、それ自体が麻薬のように機能する。

 だから皆、理想を追い求めるのだ。


 閣下もそうなのだろうか……理想郷という鳥を掴む為に。

 銃や罠を使えば、もしかしたら捕らえることができるかもしれない。しかし、それは鳥の身体を損ねるだろう。それは致命的になりかねない。それは致命傷になりかねない。

 完全な理想の形を保ち、実現するのは難しい。鳥を傷付けず、どこも損なわずに捕らえるのと同じくらいに。


 閣下の掴んだ鳥は、どんな形をしていた? 閣下の目指した鳥は、どんな形をしていた? それらは同じものなのか?

 ミズキの目指す夢は、どんな形をしているのだろう。

 僕が追うならきっと、ミズキとも閣下とも違うものを選ぶ。だからミズキは鳥を追う。僕は地に落ちた羽根を拾うだろう。

 それすらも分不相応な願いだとしたら……僕はどうすればいい? 何も大それたことは望まない。願いなんて、一つしかない。


 僕は、殺す為に鳥を追う。その為に、僕の命が尽きようと。

 小石を拾って、鳥の飛んでいった方へ向かって、思いっきり投げた。届くはずもなく、石は茂みに落ちる。何一つ打ち落とすこともなく。


 何をしている? なあに、ちょっとした考え事さ。お前の考え事には目的がないな。そうさ、いつまでもぐるぐる回るだけ。もう休めよ、こんなことしてもなんにもならないぜ。そうかな。あまり好きな言葉じゃないけど、賽はなげられたんだ。今の僕なら、イカサマできるよな? そうだね、賽の目はお前次第だ。だからこそ、今は休めって? そうだ、どうせヒントがなけりゃ答えはわからないんだからな。

 少し、冷える。雪の積もる地域なのに。身震いを一つ。


 僕は小屋へ戻る。リコとミズキは、抱き合うように眠っていた。軽い嫉妬を覚えたような気がして気分が悪い。


「眠れないのかい」


 ミズキが僕を見た。


「寝ないと辛いよ」

「ああ、僕もそう言っていたよ」

「そうかい……おいで」


 ミズキが腕を広げる。僕は上着を脱ぐと、その腕の中へ沈んだ。

 暖かくて、柔らかくて、ちっぽけなくせに大きな中に潜る。これはまるで麻薬のようだ。


「痩せっぽちだ。アキ、少し太ったほうがいい」

「うるさいよ」


 僕は目を閉じる。閉じた。沈む。沈んだ。

 抗うことは諦めた。




 ふと目を覚ましてデバイスを見ると、七時近くだった。ミズキもリコも、すやすやと眠っている。

 布団の中は暖かく、まるで春の陽気の中にいるようで、眠気を誘うには違いない。それでも、僕にはその神経が理解できない。

 僕はミズキの横に立つ。まるで白磁のような肌。あまりに整い過ぎている、人形のような寝顔。

 こんな無防備に。こんなに……美しく。

 美しく、怪しい……生きた人形だ。

 僕はまんじりともせず、ミズキの寝顔を見ていた。

 例えば……僕がこのままミズキの首を絞めたら……どうなってしまうだろう。

 ミズキさえいなければ、きっとあの理想郷はなくなる。なくなる。

 同時に、ミズキに政権を継がせるという閣下の計画はおじゃん。僕はきっと、死刑になるかな。


 リコは、僕が死刑になったら、泣いてくれるかな。うん、リコは泣いてくれる。リコはやさしいから。

 イクオは、驚いて、馬鹿なやつって言って、一年くらいは覚えててくれるかな。三年は無理だろうな。

 閣下は……意外となんとも思わないかも。手間をかけさせて、とか、少しは怒るかもしれない。でも、やっぱりなんとも思わないんだろうな。

 卜部さんは、怒るだろうな。僕を恨むだろうし、傍にいなかった自分を恨むだろう。それから、きっと考える。どうして僕がそんなことをしたのかって。答えなんか出ないってわかってるのに。

 クヂオとカナメは、驚いてから、諦めたように笑うだろう。会長が死んだら、ここから出られるのかなとか、そんなことを考えて。ここは会長の理想郷だ。ここを存続させる意味は……ないのではないかと。

 ケンちゃんと優子は、社会的に重要な役割に追われて、やがて僕のことなんて忘れてしまうだろう。なんだよ、試験、無駄にしやがって。そう呟いて、働くケンちゃんの姿が思い浮かんだ。

 会長は……どう思うだろう。それは、僕には予想もつかなかった。

 伸ばしかけた手を引っ込めて、僕は眠る。眠る。

 ミズキの目が、暗闇から僕を見ていた。








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