Ⅳ・行為、試験、その内容→Ⅲ
卜部さんと別れ、先に昇降口にいたリコと合流する。リコはしゃがんで下を向き、俯いていた。
「お待たせ」
リコは顔を上げ、立ち上がった。並んで正門に向かう。
荷物はない。
丸腰だ。
裸でいるような気分。
立ち向かうべきは傑物、怪物。
歴史に名を残すような相手。
僕らなど、指先だけで葬れる存在。
だからこそ。
なればこそ。
全てを僕に委ねた、リコのためにも。
例え結ばれることが無いとしても、僕は、僕には……そうする義務がある。
不意に寒気がして、リコの手を握った。
「……?」
「ごめん」
昨夜のことは、リコの優しさだ。
結ばれることを拒否するが故に。
だから、あまり、あまり調子に乗ってはいけない。
でも……それでも。
「ごめん」
「…………」
リコは溜め息を吐いて、僕の手を握り返した。
その手は冷たくて、少し震えていた。
「ねえ、リコ」
「……?」
「僕が、さ」
唾を飲む。
「僕が、システムを変えるから。だから、それまで、そばに……」
リコは困ったように、小さく笑った。
何も言ってはくれなかった。
正門には、黒塗りの高級車がいて、僕らを待っていた。
僕らは後部席に乗り込む。設定は済んでいるらしく、音もなく自動的に車は動き出した。六人は楽に座れる広さだ。やたらと座り心地のいい座席には、冷蔵庫とデバイスが取り付けてあった。グラスも飾りのように置かれている。
手を出す気にはなれないけれど。
そして、そこには会長がいた。
「やあ」
「会長……どうして?」
「挨拶がてら、ね」
「……」
「なんだい、妙に暗いね。緊張しているのかな? 無理もない。相手はあの怪物のような存在だ。なに、怖がることはない。会えばわかるけど、あんなのはただの老人だ」
「はい……」
時代の寵児を、いくら身内とは言え、ただの老人と言い切る。
会長もまた、寵児なのだろう。
「まだ怖いのなら、話をしよう」
会長は僕らの顔を覗き込む。リコと二人、顔を見合わせた。
「他愛もない話を、ね。緊張することはない。いつものように、自分の思うことをいえばいいのだよ」
そうして一時間ばかり、会長と話をした。政治のちょっとした構造の疑問や、思想の食い違いを埋める考え方。僕はちょくちょく会長に意見を言ったが、いつまで経っても、リコは一言も話さなかった。
やがて、景色が見たこともないものに変わっていき、それから、だんだんと見覚えのある場所に変わっていく。首都に入る頃には、もう景色は僕らのいた学校とはまったく違う、都会のものになっていた。
「っと、着いたね」
車がゆっくりと止まる。着いたその場所は、映像や写真で、何度も見たことのある場所だった。しかし、内部まで入ったのはそう多くないだろう。何しろ、ここには厳重に警備がなされた、世界一物騒で、世界一安全な場所だ。
いざという時には、ここは要塞にもなる。ここは実際に、過去に何度も攻撃を受けているが、一度も陥落したことはない。この場合の陥落とは、チェックメイトのことである。
ここは総督邸。
そう、ここに、この国の国家総督がいるのだ。
総督は今現在、個人としては、世界最高の権力者である。総資産、私設軍隊兵数、知名度、社会的地位。どれをとっても彼に敵うものは多くないだろう。
独裁者と、そう呼ぶ者もいる。事実、この国は彼の支配下にあると言っても過言ではない。
しかし、彼は税金に手を出してはいない。献金と自らの収入で、私設軍隊の全てを賄っている。
閣下の商売敵になろうとするものはいない。自然、独占市場になっていく。独占市場であれば、それは無限に等しい富を産む。
金を金のまま転がすことで、巨満の富を築き上げた。
要するに、金貸しだ。
それにしたって暴利というわけではないし、それまで金貸しを営んでいた者は取り込んだ。誰も恨むものはいない。困るのは違法の金貸しくらいだ。逆恨みはまあ、あるのかもしれないが。
門の横にある守衛室でボディチェックを受ける。僕とリコはもちろん、会長まで一緒に調べられた。
僕はいいけど、女のチェックは男にさせるなよ、と思う。
腋の下から腰までをまさぐられていた会長を見ると、終業から下校の間くらいのような、退屈そうな顔をしていた。
「まあ、いつものことさ。じいさんは気にしないんだが、周りがうるさいのさ。たとえ相手が家人でも……いや、だからこそ、かもね」
会長は苦笑したようだった。
黒いスーツ姿の二人に先導されて、大きなホールを通り、エレベーターに乗る。黒服はカタカタとデバイスに何かを打ち込み、エレベーターから出た。ドアが閉まる。階数表示はない。ただ、感覚でわかる。向かう先は地下だ。
誰も言葉を発しない。リコはキョロキョロとエレベーター内部を見回している。会長は目をとじて腰に手を当てていた。
ゆっくりと、エレベーターが止まる。ドアが開き、空気が入り込んだ。甘ったるいような、妙な匂いだった。
エレベーターから出ると、白い全身光学スーツを着た兵士が二人、そこにいた。閣下の私兵だ。肩から弾薬を下げ、手には銃を持っている。そしてまた、ボディチェックを受ける。ここでデバイスを没収された。それからサーチゲートをくぐる。立ち止まり、指紋を採取された。兵士がなにかデバイスに入力すると、ドアが開いた。とてつもなく分厚い、金属でできた扉だ。
扉をくぐれば、長い長い廊下が続く。一本道だ。横道も遮蔽物もない、広くはない廊下。監視カメラが一定の距離毎においてある以外はなにもない。壁は一面が金属で、機械の内部にでもいるような感覚を僕に与える。
こんなところで敵に襲われればひとたまりもない。迎え撃つ場合はいいだろうが、逃げ場が無いので、防衛に適しているのかは微妙なところだ。
会長はぐんぐんと進んでいく。流れるような、綺麗な歩き方なのに、僕らはついていくのがやっとだ。まるで会長だけが動歩道に乗っているようで、思わず足元を確認した。高級そうな絨毯だった。もちろん動歩道はついていない。
やがて……また扉が見える。これまでの設備が嘘のような、何の変哲もない木製の扉。機械的な施設の中、そこだけが異質だった。
「ここだよ」
前を歩く会長が立ち止まり、振り返りながら言った。
「ここに、じいさんがいる。二人とも、準備はいい?」
「……はい」
僕は言った。リコも頷く。
「では、いこう」
会長はドアノブに手をかけた。キイ、と心地好い音がして、扉はゆっくりと開いていく。そして――――。
恐ろしくないわけがないだろう。
準備など、いくらしたって足りないくらいだというのに。
お前なんか、ちっとも恐くない。
僕が恐いのは君だけだ。
僕が欲しいのは君だけだ。




