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エウトピア   作者: 十ノ青日
序章
10/39

Ⅱ・根頃賢と奥屋優子の非日常 →              NEKOROKEN & OKUYAYUKO

 今日は天気が良いから、僕は授業を受ける気力が出なかった。だから、僕らは前からやってみたかったことをすることにした。

 体調が悪いと偽って、屋上で授業をサボるというのも、一度やってみたいことだった。

 合宿に参加してしまえば、きっと卒業には間に合わないだろう。そもそもが救済措置に近いものなのだから、それも致し方ないというが、そんなものは救済なんかじゃない。言うなれば鑑別所に近いものだ。それに、例の噂もある。僕らはいつか、少し早めにここを出ることになるのかもしれない。


 だからその前に、してみたかったことを実現してみる。教員に告げる際、リコがあまりに挙動不審なので、こちらが冷や冷やさせられた。教員のほうも察している気配があったが、特になにも言わなかった。勉強会に参加してからこっち、あまりとやかく言われなくなった気がする。

 薄暗い階段を昇り、卜部さんから借りた鍵で扉を開ける。鍵は、意外とすんなり借りることができた。

 扉は軋み、錆びた音を立てる。

 一歩外に出ると、思った通り、空は素晴らしい快晴だった。


「いい天気だね」


 リコが暢気に笑う。


 空には水玉のような白と青のコントラストが浮かび、適度に直射日光を遮ってくれている。リコはうろちょろと動き回り、僕は暖かな日差しを浴びて目を閉じた。

 染み渡るような暖かさは、今にも眠ってしまいそうになるようだった。


「あ、梯子だ」


 避雷針の取り付けられたスペースがあり、ドアから見て右手の後ろ側に隠すように、そこに向かって梯子が伸びていた。

 リコは梯子に駆け寄る。ぐっと一度握ってから、一段一段、梯子を上っていく。


「落ちないようにね」


 僕はリコが上る様子を下から見ていた。まさかそこまで迂闊じゃないだろうけど、一応忠告しておく。


「大丈夫大丈夫―。あれ?」


 不意に、リコが止まった。


「どうかした?」

「いや、あの」


 リコはいそいそと梯子を上りきり、手招きする。呼ばれるままに僕も梯子を上った。


「……やあ」


 僕は苦笑いで挨拶をする。

 先客がいた。

 そこにいたのは、日傘を差して正座した奥屋さんと、その膝の上に頭を乗せて眠る根頃くんだった。

 奥屋さんは物凄く狼狽して、両手を慌てたように動かす。根頃くんは口を開けたまま寝ていて、僕らに気付く様子はなかった。


「えっと、お邪魔します、こんにちは」

「は、はいっ、こんにちはっ」


 僕も梯子から上に移る。四人がいても余裕なほどの広さがあった。


「ん……優子……、どうかしたか?」


 根頃くんが目を擦り、ゆっくりと顔を起こした。目が合う。


「やあ」


 僕は手を挙げる。「うおっ」と妙な声を出して、根頃くんが奥屋さんにのしかかるような格好になった。


「な、な、なんでここにっ?」

「天気がいいからさ、昼寝でもと」

「そ、そうか」


 根頃くんは我に返ったようで、無理に落ち着き払った態度で座り直した。それでも顔が赤いのはごまかせないようで、鼻の頭を掻くふりをして誤魔化していた。


「その、お、お邪魔だった?」


 リコが言う。


「いや、別に……」


 妙な沈黙が流れる。


「どうやってここに? 僕らは卜部くんに鍵を借りたんだけど」

「採光窓から入れるんだよ。脚立が必要だけど」


 見れば、二人の横には、折りたたみの脚立があった。三段しかない、アルミ製の軽いものだ。


「授業は?」

「サボった」

「いつもここに来てるの?」

「まあ、そうだな」


 日傘に文庫本、ペットボトルのお茶と小さなクッションに、ビニールシートまで用意されていた。加えて、この快晴。

 なんと快適そうな場所だろうか。


「膝枕でお昼寝……ね」


 呟くと、二人の顔が真っ赤になった。


「い、言うなよ! 特にあの会長には!」

「言わないけど……いいじゃないか。パートナーなんだろう?」

「それでもだっ」


 まぁ、思春期とはそんなものかもしれない。


「わかったよ。そのかわりに、ここ、お邪魔してもいいかな」

「……好きにしろよ」


 来てみてわかったが、屋上の床は汚い。雨ざらしなので当然だが、そこまで考えていなかった。直に座ったら汚れてしまう。

 僕らは靴を脱いで、ビニールシートに上がり込んだ。リコが二人の横に寝転がる。僕はその隣に座った。四人では、ビニールシートは少し狭い。観念したように、二人は端に詰めた。


「気持ちいいねえ」


 リコが鼻歌でも歌うように言う。

 陽射しが心地好かった。梯子の下にいた時とは段違いに。そのまま眠りたくなるようだ。しばらく、まどろむような空気が流れた。


「なあ」


 根頃くんが寝転がったまま……うん、洒落ではない。寝転がったまま声を出した。


「あんたら、理想の国ってどんなだと思う?」


 やはり会長に反発しているだけで、本来の彼は議論が好きなのだろう。その声は探るように、好奇心に満ちたものだった。


「こんなふうにさ、日がな一日ぽけーっとしてよ、うまいもん食って、面白い映画とか漫画とか見て生活する。そんなのって理想だけどよ、そういうことじゃないだろ?」


 そう、それは理想ではなく、願望だ。


「理想の国ってのは、社会の仕組みとか、そういうことだろう?」

「そうだろうね」


 特に、あの会長がどんな人物で、そんな人物は何を求めているかを考えればわかることだろう。

 そんな役に立たない意見は、会長も求めていない。

 きっと会長は、僕らに思考を求めている。


「よくわかんねえよな、理想の国って言われても」

「そうだよね。その前に、なにが理想かもよくわからないんだ。世界一豊かな国、とか?」

「閣下の作ったこの国は、理想的に違いないです。この国より理想的な国は、そうないでしょう」


 三人は口々に言う。


「そこは、こんな場所だ……」


 話の切れたタイミングを見計らって、僕は言った。三人が僕を見る。


「外界から切り離された三日月型の島国で、共産主義。人々は規則正しい生活を送り、農業と芸術、学問に傾倒している。五十四の都市があり、六千戸ずつに別れて住み、都市部と田舎を半年毎に行き来する。既存の財産に価値はなく、貨幣も存在しない。反面、社会不適合者は奴隷とされ、下働きを強要される、とかだったかな」


 至極真面目な表情で。


「世界一有名な、理想の国家だよ」

「それ、どこ?」

「さあ……どこにもない素晴らしい国、という意味の名前らしいね」

「なんだよそれ」

「国の名前はユートピア。聞いたことくらいあるだろ?」


 それは、理想卿の代名詞とも言える。

 社会の仕組みという意味では、理想の国家を語るに欠かせないだろう。


「まあ、聞いたことはあるけどよ」


 根頃くんが鼻を掻いた。


「ユートピアってそんな場所なんだね……もっとこう、花が咲いてたくさん果物がなった場所かなって思ってた」


 それはリコの頭の中だろう。

 というか、それは桃源郷だ。


「ユートピアってのはそもそも、トマス・モアって人の書いた小説に登場する、架空の国家なんだ。神話の天国みたいな死後の世界や、黄金で溢れる都みたいな、即物的な理想郷とは違う、思想として発表した理想郷だよ」

「思想? どういう意味だよ?」


 根頃くんは首を捻った。


「当時は、表現の自由なんかなかったんだ。国の批判なんかしたら、下手をすれば処刑されるような時代だよ」


 僕は答える。


「モアは小説って形で、自分の考える理想の国家を発表した。つまり、現実の国家と違う国を理想とすることで、現実の国家を批判した。それでいて、これは小説だという逃げ道を作ったのさ。これなら、思想書以外の何物でもないのに、どんな思想をぶち上げた所で処罰されることはない」

「なるほど……」


 奥屋さんの目が、少し変わった。


「私もユートピアを読んだことがあります。でも何故、これが今だに評価を受けているのか解りませんでした。あれは小説ではなく、思想書として読む物だったのですね」

「まあユートピアの価値は、正確に言うとちょっと違うけど、そういうこと」


 僕は頷く。

 読んだことがあるのに、読み方を知らないというのも妙な話だが。


「こういうのが多分、会長の求める理想郷だよ。即物的ではない、理想の社会の仕組みを求めている、んだと思うよ」

「まあ、そういうことだろうな」


 根頃くんは腕を組んで頷いた。


「ちなみに、そんなあんたら……なんだっけ、そうそう、磯近さんに沖さん、だっけ。どう思う?」


 さん付けが似合わないことこの上ない。「リコと、アキでいいよ」と言った。


「あ、そっすか。じゃあアキって呼ばせてもらうわ。俺のことはケンでいい。そんでさ、アキの理想の国家ってどんなんなんだ?」


 ……砕けるの早いなあ。最近の若者は皆こうなのだろうか。

 普段、年下と付き合いがないからわからない。とはいえ、一つしか違わないのだけど。


「ちょっと、失礼でしょ……」


 奥屋さんに窘められているので、きっと彼が特殊なのだろう。

 それから奥屋さんは、僕らに深々と頭を下げた。


「ケンちゃんが失礼しました。奥屋優子です。優子って呼んでくださいね」


 ……ケンちゃん、ね。


「了解、優子さんにケンちゃんね」

「なっ……」


 少しからかってみると、ケンちゃんは恨みがましい目を向けてきた。


「はあ……まあいいや。それより、質問に答えてくれよ。理想の国家だ。ユートピアが理想の国家を描いた思想なのはわかった。それで、あんたの考える、理想の国家ってのは、どんな場所なんだ?」


 ケンちゃんは気を取り直すように頭を振り、顔を上げた。


「理想の国家ね……ふむ」

「天国とかさ、ちゃかすのは無しだからな」


 念を押すようにそう言う。


「言わないさ、そんなこと」


 僕はケンちゃんの目を見た。


「そうだね……僕の答えはこうだ。そんなものは存在しない」

「……ちゃかすなって言ったろ」

「ちゃかしてないよ。理想は現実の対義語だ。存在しないからこそ理想というのさ。存在してしまえば、それは理想郷ではなく現実になる。理想郷は想像の中にあるべきで、実現してはいけないものなんだ。実在したとすれば、それは理想郷じゃない。素晴らしい国と呼ぶべきだろうね」


実際に僕がそう考えているかは別の話。


「だから、そういうのがちゃかしてるって言ってんだ。そういうのじゃなくてさ、もっと理想的な、あんたの考える理想の社会システム、そんなのだよ」

「そうだね……理想郷に挙げられるのは共産国家が多いのだけど……僕としては、平等主義は病気だと思っているからね。スタートラインを同じにするのはいいけど、足並みを揃えてばかりでは、ろくなことにならないと思うよ、往々にしてね。だから僕は、基本的には今のまま、資本主義でいいと思う」


ケンちゃんは興味の無いフリをしていたが、姿勢が少しだけ前のめる。


「それで?」

「うん、国家として考えるなら、今のこの国ってかなり理想的なんじゃないかな。あと必要なことは、孤立していること、かな」

「孤立?」

「そう。ユートピアも、外界から隔離された島国だ。外敵がいないってのは、かなり重要なことかもしれないよ。今でこそ閣下が他国に対する防波堤になっているけど、この先はどうなるかわからないし。……そう、世界に僕達の国だけしかないとしたら、それが理想郷……なのかもしれないね」

「ですよね! 閣下が治めるこの国こそ、理想郷であるはずです!」


 優子さんが言った。


「世界に俺たちだけとか、周りにだれもいないとか、つまんねえだろ、そんなの」


 ケンちゃんが言う。確かにその通りではある。

 やはり理想は、存在しないから理想なんだ。

 そのようなことを言おうとした時、鐘が鳴る。もう授業の終わりだ。


「っと、もう次の授業か。次は……出ないとな」

「リコ、僕らも行くかい?」

「うん」

「そうか。んじゃ、またな」

「そうだね。なかなか楽しかったよ」

「シート、貸してくれてありがとね」

「いえ、こちらこそ。ケンちゃんが失礼しました」


 挨拶を済ませ、立ち上がるケンちゃんに訊いてみた。


「ねえ、ケンちゃんの理想郷ってどんなところ?」


 ケンちゃんは振り向く。


「知らね。そんなの、実際見てみないとわかんねえよ。そんで、見たことある国は大体ダメだな」


 右手を上げた。人差し指をピンと立てて、言う。


「とりあえず、宇宙に期待だな」














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