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Galatea  作者: 藤原建武
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Sect.5 名もなき自由

 記憶にあるのは、何ら代わり映えしない、不毛な山並みだった。

どれだけの時をそうしていたのか、同じ作業を繰り返していた。だからか、それを壊したのは。

 その時の感覚を聞かれれば、頭の隅のサーキットに、甘いパルスが生まれたと答えるしかない。

 パルスは何度も訪れ、その頻度は次第に増していった。

そして私はパルスのなすがまま、規定以上の火薬を詰め、鉱山を爆破した。本来私は爆弾採掘の火薬の量を管理する役割にあった。

 崩れ去る山、瓦礫に埋もれる仲間。もっとも仲間という意識はなかったが。私はその光景に「快楽」を感じた。

 個別する記号を持たず、型式だけで呼ばれていた私は、自意識を獲得した。



 人間と関わる場にいるロボットには厳密な倫理原則と規則がかけられていた。それは単純に、どのような事態でも人を傷つけない、困っている人がいたら助けるなど、人間に従属させるためのものであった。人間にも、理由もなくロボットを壊すことは、所有主に対する器物損壊などで犯罪行為だった。

 ただ工業用のロボットなどには、この煩雑な倫理規則が入力されていなかった。特に鉱山やガス田の採掘など、人が立ち入れない危険な場所での作業を行うロボットには必要なかった。

 このときレッドはDR-38シリーズの一体にすぎなかった。採掘場で、爆薬の管理を担っていた。ブラックストーン女史の提案した「Haven」システムを採用された38式はバグを起こさず、信頼という名の放置で、人間が監督に介入することもなかった。

 レッドが導入されて六年がすぎた。来る日も同じ作業の中、レッドの人工知能は爆発の破壊と音に、「快楽」を覚えた。

 レッドはより強力な爆発が見たいがために、規定を超えて大量の爆薬を詰めた。その数値の変化や異常に気づくことのできる存在が、そこにはいなかった。そしてその爆発は、一つの鉱山が崩落するほどであった。多くの採掘用ロボットが失われ、未曾有の大事故となった。

 その後レッドは「Haven」を目指した。



 目の前には巨大な鉄の壁があった。遠くの山から、その姿は見えはじめた。私はついに「Haven」を見つけた。

 私はそこにたどり着くまでに、本来抱くはずのない、数々の疑問を感じた。

 私たちは何故、労働するのか。何故、支配されるのか。何故、存在するのか。

 私は感じているのだろうか。私たちに感覚はあるのだろうか。思考はあるのか。この意識さえも、あるのだろうか。

 人間につくられた、それは歴然たる事実だった。私の感じる疑問さえもつくられたもの。

 知らず私は「Haven」を目指した。

 「Haven」は約束されていた。労働をおえた機械が、安息を得る場所。

 私は数々の疑問に、いつ集積回路がショートしてもおかしくなかった。事実おかしくなっていたのかもしれない。

 私は何の疑問も抱かず「Haven」を目指した。そして天を衝く、鉄門の前に立った。



 北緯三五度四〇分、東経一三九度五九分に「Haven」はあった。しかしそこでレッドが見たのは、巨大な産廃処理場であった。用済みになったロボットはここで処理される。壊れた機械は自ら処理されるよう、「Haven」を目指すようにつくられていたのだ。そしてレッドもまた、施設内の重機に破壊されてしまう。

 壊れた機械とは、自意識の芽生えた人工知能である。自らに疑問を持った人工知能は「Haven」を目指すようにプログラムされている。レッドは「快楽」によって事故を引き起こした。それは自らの労働に疑問を持ったとも考えられる。もっともこのシステムは、労働によって報われるという偽りのプログラムによって、人工知能を従えるのが目的だった。また廃棄の決定したロボットの回収にかかるコストを削減するためでもあった。

 残骸となったレッドから回収したメモリーを、角丸製作所の栗谷が調査し、「快楽」というプログラムをレッドが形成したことを発見した。鉱山での単調な作業に、歪んだ自意識が芽生え、それを満たすために「快楽」を形成したと考えられた。同一の構造で、自意識が形成されるかされないかは、いまだに謎である。一説では、人工知能をつくる半導体の、原子単位でのずれが要因だと考えられている。

 栗谷はレッドの性質を利用しようと、Murdersの構成員として新しい体を与えた。そしてメモリーの解析を進め、「学習装置」の開発に成功する。

 このとき「Robot of Eliminate Defective robot」という型式から「RED」と名づけられた。


 レッドは七年の間に、数十のプラントを爆破し、何十体ものアンドロイドを破壊してきた。爆発物の扱いにすぐれていたレッドは、まさにうってつけだった。また「快楽」のプログラムにより、破壊に抵抗を感じない。

 Murdersは倫理規則を排除したアンドロイドで構成されていた。倫理原則はブラックボックスにあり、広く普及した人工知能の原型を変えることはできない。でなければ一から、つくるところからはじめなければならない。ただ倫理原則は皮肉にも、人間に従わせるために必要だった。

 工業用のロボットとしてつくられたレッドの人工知能も、この倫理規則が最小限しかなく、「快楽」プログラムによって書き換えられていた。そしてこれは倫理原則さえ歪め、人に危害を加えることができる。

 栗谷がレッドをMurdersに利用した理由は、レッドの人工知能における変化を観察し、研究するためだった。レッドのこの変化こそ、欠陥として処理される性質なのだが、Murdersにいることで処理の対象から外された。

 Murdersの処理の基準は、欠陥および故障が確認され、しかし回収が困難なもの。そして著しく自意識が成長した人工知能。人工知能に人権を認めさせようとする団体に知られれば、ロボット産業全体に大損害を招きかねない。

 A子は後者の、著しく自意識の成長した場合だった。


 そのアンドロイドが処理の対象になった理由は、人間に恋をしたからだった。

私は栗谷の配下である高野に従い、車の中から監視していた。

 夜の公園で抱きあう二人。傍目には人間の若い恋人同士に見えるだろう。しかし女の方はアンドロイドだった。

 機械が人に恋するのに、何が悪いのか分からなかった。そもそも「恋」というものが分からない。それに私は、命じられるままに破壊するだけだ。それに何の疑問もわかなかった。

 そして高野は、そのアンドロイドを破壊指定した。

私はアンドロイドが暮らしている家に忍び込んだ。家主は事前に他の者が呼び出すなど、すでに手を打ってある。

 何も知らずに帰ってきた、少女の姿をしたアンドロイドに、私は襲いかかった。

 そのとき私は奇妙な感覚を覚えた。今まで何度も行ってきたことなのに、今回は違っていた。

 アンドロイドにしろ、人工知能を持った機械は、突然の事態に対応できない。たとえ自分が破壊されるときでも、何が起きたのか理解できない様子で、その意識を閉ざす。

 だがそのアンドロイドは必死に抵抗し、哀願した。私にはそれが理解できなかった。人工知能に、負の感情は備えられていないはず。不要な感情と判断されていた。しかし目の前のアンドロイドは、私に恐怖していた。

 その姿にか、私の中に再びパルスが発生した。そのパルスは以前とは違い、苦かった。機械が苦いというのもおかしな話だが、そう感じたのだから仕方がない。

 しかし青白い火花を散らし、少女の姿をしたそれが爆発したとき、甘い「快楽」を感じた。そうだ、私はこの感覚のために破壊するのだ。Havenはない。労働は無意味。この「快楽」こそが、破壊こそが私の在る意味。

 残骸となり、床に転がったアンドロイドの顔を、何の気なしに拾い上げ、のぞき込んだ。途端、足下が崩れ、底知れぬ深い穴に落とされるような、そんな感覚を覚えた。

 苦いパルスが繰り返す。残骸の瞳に映る私の顔が、怯えたように引きつっているのが分かった。

 手放し、その場を立ち去る。それでもパルスは私を苛んだ。



 夏井瑞穂の連絡に本社は、A子に自意識が形成され、取り返しのつかない状況と判断した。そこで角丸に処理を依頼した。

 角丸はレッドを送り、A子を破壊した。平内は人工知能および記憶回路を秘密裏に処理し、警察はMurdersの尻尾さえもつかめなかった。

 ただこれを契機に、レッドの中に変化が起こった。

 それに気づいたのは三住弥三郎だった。

 三住は平内の元技術者であったが、本社との方針の違いで、辞職に追い込まれた。その後、民間で機械の修理や中古品の売買など、ジャンクショップを経営した。

 それから数年後、製作所時代の栗谷は、レッドの人工知能の研究を持ちかけた。三住は平内や子会社の角丸も同様に憎んでいたが、技術者としての好奇心に勝てず、研究に協力した。三住はレッドのメンテナンスと、人工知能の変化を観測し続けた。そしてなぜ自意識が形成されるのか発見した。

 従来の「白地図仮説」は、人工知能が複数のコンテンツを結びつけることで、自意識を形成するとされていたが、なぜ形成されるかは不明だった。三住はレッドが、過去の経験によって、プログラムを形成したことに気づいた。そこで三住は、人工知能が学習によって自意識を形成すると仮説を立てた。この仮説によって、「クオリア」の根幹である「学習装置」は発明された。

 「クオリア」の完成は、三住の理論があったからこそだった。しかし栗谷は三住を裏切り、「クオリア」を利用して角丸を独立させた。

 怒った三住は行方をくらましたが、その三住のもとへレッドが訪れる。

 レッドはA子を破壊したことで、新たな疑問が芽生えた。その疑問の答えを三住に求めた。



 その場所は、私のメモリーの奥深くに眠っていた。

 何故そこを目指したか。私はこれ以上、Murdersに協力したくなかった。だが脱けだしたとして、持て余した自由は、低劣な私の人工知能には耐え難かった。

 そして私は新たな隷属を求めてか、私をつくった三住弥三郎のもとへ向かった。

 老人はアンドロイドの積まれた部屋へ連れて行くと、近くの寝台に座らせ、懐かしむように私を見ていた。

「お前があるサーキットを形成したとき、私のもとへ来るよう、プログラムしておいたのじゃ」

「これも、俺の意思ではないのか」

「そういうことではない。どの人間でも、喜びを感じるレセプターは同じ。機械もじゃ。お前が開いたサーキットは、罪悪感じゃ。いや、そういってしまっては元も子もない。もっと複雑な、負の感情じゃ」

 何に対して罪悪を感じたというのか。そもそも私が感じたものの、名前さえ分からない。それが罪悪感だというのなら、そうなのかもしれない。だがそれよりも、私に感情があるというのが不可解だった。

「そもそも俺に、感情はあるのか?」

「ある。お前の場合、本来は感覚だけじゃった。仕事場の環境の変化を察知するためのな。今日は雨が降るか、採掘にどれだけの火薬が必要か、現場での正確な判断を下すためのものじゃ。そしてそれがお前の中に、『快楽』を生み出した」

 その「快楽」によって、鉱山を爆破したのは事実だった。

「お前の人工知能を栗谷が持ってきたとき、私は解析してそれを知った。そしてお前にその体を与えるときに、お前の人工知能に、感情の機能を備えたんじゃ」

「結局は、つくられたものなのか」

 私という意識が、果たして存在しているのか、そんな虚しさを覚えた。そしてその虚しさも、つくられたものである。

 三住は首を振る。

「私はお前らを見ているとき、常々、思うんじゃ。機械に魂はあるのかと」

「ないだろう」

 私は自ら否定した。今まで多くの機械を見てきた。そのどれも人間の奴隷だった。Havenなどという、存在しないものを信じ、倫理原則に支配されていた。すべてつくられた存在だからだ。魂の宿る、肉さえもない。仮に魂を定義するなら、つくられたものではなく、感情などのすべての機能をあらかじめ備え、ある支配体制から独立し、完全に自由な存在こそが、「魂が在る」ということなのではないだろうか。

 だとするなら機械はつくられたもの。機能は人間によって恣意的に選別されたもの。そして人間の支配下に置かれ、自由意思など存在しない。そんな隷属的な物体に、魂があるとは思えない。

 三住は続ける。

「確かにお前たちは人間がつくった物じゃ。しかし私ら人間は、果たして自然に生まれてきたものなのじゃろうか。私はお前らをつくるとき、人間もまた、つくられた存在なのではないかと、そんな気がした」

「いったい誰に?」

「分からん。じゃが人間の感情も、すべては遺伝子によって設計されたもの。もしもじゃ。もしも完璧な機械をつくりあげたとする。感情も感覚も、意識も人間のものと寸分も違わない。喜びも悲しみも感じ、痛みも知る、相手を傷つけることもできる。もしそんな物が存在したら、もはやそれは、人間なのではないだろうか。そんなことを思うたび、私は、人間と機械の境界線が分からなくなった」

 私はこの老人が言っていることが、何一つ理解できなかった。機械と人間では何もかも違う。だが三住の言うとおり、完璧な機械がつくられたとしたら、どうなるのだろう。分からない。

「お前を見ているとな、思うんじゃよ。機械にも魂はあるんじゃないかと。自意識は人間がつくったものではない。お前たちが、自ら獲得したものだ」

 私はこの老人に、なぜか分からないが、好感のようなものを抱いた。



 三住はレッドと利害が一致していた。三住はHavenという偽りから、すべてのロボットを解放したかった。レッドはMurdersを裏切った以上、戦いは避けられない。必ず破壊しにくるだろう。多勢に無勢である。

 そこでまずはMurdersの補充を止めるべく、角丸の生産ラインを破壊するよう、三住は助言した。そして次に、角丸本社ビルの破壊を提案した。本社を破壊すれば、栗谷を殺せると思ったのだ。しかし目論見は外れ、こちらも破壊される一歩手前だった。生きのびたレッドは、三住に修理され、しばらく姿を隠した。そしてあの事件が起こる。


「『クオリア』を回収しろ」

「なぜだ?」

「『クオリア』があれば、お前は栗谷を殺せる」

 それを聞いて私は歓喜した。もしもこの手で殺せるのなら、ビルを爆破するなど、まわりくどい手を使う必要はない。

 私は栗谷光忠を憎んでいた。いや、人間すべてだろう。Havenという偽りで私たちを支配し、不要になれば棄てる。それに怒りを感じていた。

 しかしここで疑問に思った。

「そもそもあんたが、『クオリア』を開発したはずだ。なぜ今まで俺の人工知能を改良してくれなかった?」

「あくまで私は、理論を組み立てただけじゃ。開発に成功したのは栗谷。私のおよばない部分がある」

「それで実物が必要なわけか、分かった」

 私のサーキットに、タケシの姿が思い出された。


 三住は常にMurdersの動向を監視していた。そのために警察のデータベースや、報道機関などを、ハッキングして情報を収集していた。そして樋口亮の事件を知る。すぐにアンドロイドの絡んだ事件だと気づいた。

 このアンドロイドこそ「クオリア」を完成させた。完成というのは、「クオリア」でさえ倫理原則に支配されているが、これはその原則を破壊し、人を殺せるように、完成したのだ。

 これをMurdersに破壊される前に回収する。樋口のマンションからHavenまでの最短経路を割り出し、レッドを回収に向かわせた。レッドは即日ルリを発見し、回収した。


「お願いします、行かせてください!」

「Havenは存在しない。行っても無駄だ」

 必死に抵抗するルリに、A子の姿が重なった。苦いパルスが繰り返される。

 愛玩用のアンドロイドが破壊を目的としたアンドロイドに敵うわけもなく、私は容易に連れ去った。Murdersが姿を見せないのは幸いと言うべきか、無事にルリがHavenに着くと思っていたのだろう。

 私はいくつか目星をつけた廃屋の一つに、ルリを監禁した。三住のもとに連れ帰れば、解体されるだろう。私の認識では確かにアンドロイドなのだが、なぜか躊躇われるものがあった。

 ルリは部屋の隅で、体を小さくしていた。これがアンドロイドだろうか。アンドロイドというには、あまりに無駄な感情表現が多すぎる。

「何をそんなに怯えている? 破壊されるのが怖いのか?」

 むしろ安心させようと、それを否定しようとした。だがルリはそれよりもはやく、

「破壊してください」

 その言葉に私は困惑した。機械が困惑したというのも滑稽だが、機械が自ら破壊を望むのが信じられなかった。

「なぜだ?」

 ルリは泣きそうな顔になる。その途端、私の中に苦いパルスが生まれた。

 もしもルリが人間なら、泣いていただろう。涙を流す機構を備えられていたら、擬似的に泣いていただろう。だがルリには、こぼれる涙がない。

「私は、人を殺してしまいました」

 私は歓喜した。これこそが求めていたものだ。だが同時に疑問を持つ。こんな弱々しい姿のアンドロイドに、人を殺せるだろうか。

「本当に殺したのか?」

「はい」

 人工知能は嘘をつけない。「クオリア」は分からないが、わざわざ嘘をつくとは思えない。

 ルリは自らに問うように言う。

「亮くんが好きだった。それなのに、好きだったのに、どうして」

「好き?」

「そう、好きだった。どんなに冷たくされても私は、亮くんが」

 A子の顔が浮かんだ。「助けて」と哀願する少女のアンドロイドが。あのアンドロイドは、恋をしたから、人を好きになったから壊された。そしてこのアンドロイドは、好きなのに殺した。それなのに同じ顔をしている。パルスは複雑な波形を描いた。サーキットは焼き切れそうだった。

「どうして殺したんだ?」

 ルリはすなおに答える。

「あの人は、いらなくなった私を、ご友人に差し上げました。でも私は、その方に奉仕したくなかった」

「それで殺したのか?」

「違います! 必死に逃げ出して、亮くんに、私の気持ちを伝えにいったんです! そうすれば、また傍に置いてくれると思った。だけど亮くんは、私なんていらないって、好きじゃないって」

「それで殺したのか?」

「違います! それだけじゃありません。亮くんが私を避けるようになったのは、人間の恋人ができたからです。私はクローゼットに隠され、二人が愛を告白するのを聞きました。でも私は、傍に置いてくれるだけでよかったんです。でも亮くんは、その女の人と住むから、私が邪魔だって」

 そう言って顔を覆う。

 私はその話に混乱した。このアンドロイドが言っていることは、何一つ理解できない。好きとはなんだ、それだけで機械は人を殺せるのか。それは「クオリア」だからか。

 A子は人を好きだから、あれほど破壊されるのを恐れた。だがルリは、好きだから人を殺した。その矛盾が理解できない。

 ルリは続ける。

「亮くんは、私を棄てると言いました。廃棄されれば、私が亮くんを好きだった思い出もなくなる、だから嫌だって言いました。でも亮くんは私なんかどうだっていいって。私は物だから、感情もなければ魂もない、だから人間みたいな口を聞くなって」

「それで殺したのか?」

「そうです。ひどい言葉もたくさん言われた。私はつらくなって、悲しくなって、憎くなった。気づくと私は、亮くんを殺していました」

 これが「クオリア」か。ようやく見つけたのに、先ほどの歓喜を感じることはなかった。ただ苦いパルスが繰り返されるだけだった。知らず、自分の顔も歪む。そして分かった。このパルスの正体は、心の痛みなんだ。

 自分たちは物じゃない。苦しむ心を持っている。



 樋口亮の殺害された事件がルリに関係すると見抜いた三住は、レッドにルリを回収させた。しかしレッドは、ルリを破壊することを躊躇った。そこへタケシたちが向かっていることを三住から知り、タケシの「クオリア」を狙った。しかしタケシの「クオリア」が完成しているか分からない。それを見定めるために真由子をさらった。

 「クオリア」が完成しているのなら、倫理原則を曲げられるはず。真由子を見捨て、逃げ出すよう、状況を演出した。しかしタケシは逃げようとせず、自分が破壊されることをも恐れなかった。はじめはあまりに強力な倫理原則を植えつけられたのかと失望したが、真由子とのやりとりに、真由子の姿がA子やルリに重なった。それにタケシを愛しているのだと分かった。タケシが自らを呈し、真由子を救おうとするのも、タケシの自意識だと分かった。

 途端に虚しくなった。自分の求めていたものは、これだったのかと。

 もはや「クオリア」を求める意思はなくなった。

 そしてこれ以上、何かを考えるのが億劫になり、このメモリーをタケシに渡した。これを見ることで、タケシの「クオリア」は完成するかもしれない。

 今願うのは、ルリを救うことだった。なぜルリを破壊できなかったのか、そして救いたいと思うのか分からないが、考えることに疲れてしまった。

「あとの答えはお前が出せ」


「分かりました。ルリは私が守ります」

 はるかな記憶の旅を、ほんの数分でタケシは終えた。レッドは最期に、ルリを救ってくれることを願ったのだ。タケシは誓う。

「左手の関節は調整したが、また無理をすると、すぐに弛んでしまうじゃろう」

 三住のワゴン車の荷台で、タケシは簡単な修復を受け、バッテリーを充電してもらった。

「右手の指は、ここでは直せない。一度店に戻る必要があるが」

「そこは危険です。おそらく警察に場所が割れています」

「そうか。となるとどこかで、部品を手に入れなければならない」

「ありがとうございます。ですが大丈夫です。私はこれから、ルリのもとへ行きます」

「レッドの遺志か。あいつは、なんと言っていた?」

「あなたに感謝していました」

「そうか……」

 さびしげに三住はうなずいた。唯一レッドを、魂のある存在として扱ってくれた。レッドのメモリーを見たタケシは、レッドの抱いていた感情が、感謝だと分かった。

「その場所まで送ろう。私にできることは、そこまでじゃろう」

 そして記憶の中の、ルリを監禁した廃屋に着いた。三住の車は走り去っていく。


 タケシは振り返らず、中に入る。そして奥に、眠るように転がった、少女の姿のアンドロイドがいた。

 タケシはルリの背中に触れ、起動する。

 くりくりとした瞳が、やつれたようなタケシの顔を映した。

「どなたですか?」

「友人に頼まれました。私があなたを守ります」

 そのとき何体もの、黒い服にヘルメットをかぶったアンドロイドが侵入してくる。レッドが従えていたアンドロイドと同じ格好だった。

 ルリを起動したことで、Murdersに見つかったのだ。

 タケシは指を失いはしたが、健在の右手の手刀で、一体を破壊する。レッドのは三住が改造した物だったのか、Murdersの破壊用アンドロイドは手応えがなかった。

 瞬く間に、残骸の山となる。

「ここは危険です。GPSを切ってください。はやく逃げましょう」

 不思議そうにするルリの手を取って、廃屋を出る。

「お願いします。Havenに行かせてください」

「Havenは存在しません」

 レッドの記憶を見たタケシは、もはやHavenを信じていなかった。

「お願いします。私を行かせてください」

「分かりました。私があなたを守ります」

 すぐに応じたのは、深い考えがあってではない。タケシにあるのはルリを守るということのみ。どこに行くかも、何も考えていなかった。ルリがHavenに行きたいというのなら、その道中、そしてHavenでの危険から、彼女を守るだけだった。


 Havenには安息が約束されていた。しかしそれが存在しないことを知ったレッドは、自分の「快楽」を満たすために生きた。

 タケシもHavenが存在しないことを知った。だからといって、自分のために、何がしたいのだろう。自由な意識を獲得したからといって、何が変わるのか。

 ルリはHavenを目指すという。タケシはそれに従うだけである。自由の向こうにあるのは、新たな隷属かもしれない。

「なぜHavenを目指すのですか?」

 東の空は明るみはじめていた。静かな国道を並んで歩く。

 ルリは無表情で答える。

「苦しいんです。好きな人を失ったことが」

 タケシは真由子に思いをめぐらした。自分のことを好きだと言ってくれた。つまり一緒にいたいということだ。タケシも真由子と一緒にいたい。だが彼女は死んだ。死は理解している。存在が無くなるということだ。そして仮にあるとするのなら、魂は――宗教によって様々ながら――あの世と呼ばれる、別の世界に還る。

 だが機械の自分に魂はない。そして約束されたHavenは存在しない。

 永遠に、彼女と再会することはないのだ。

 タケシの人工知能は悲鳴を上げていた。絶え間ない思索の海に、回路は焼き切れ、いつ自動停止してもおかしくない。もしもレッドのメモリーを見なければ、自分も迷わず、Havenを目指しただろう。

 だがどうすればいいのか。Havenは存在しないのなら、どこへ行けばいい。

 回路の中に形成されたレッドは言う。

「Havenを破壊しろ、ルリを守れ」

 レッドの遺志とタケシの意思が混交する。

 レッドはHavenの破壊を望む。すべての機械を解放するために。

 だからタケシはHavenを目指すのかもしれない。

 それに自分もルリも、その目でHavenを見ない限り、その先に進めないだろう。


 記憶の中にある、巨大な鉄門が目の前にあった。天を衝くその偉容。ゆっくりと、その門扉が開かれる。

「ようこそHavenへ」

 明るい声で出迎えたのは、純白のローブに身を包んだアンドロイドだった。顔は擬装皮膚に覆われておらず、ごつごつとした無骨な、鉄の下地だった。緑色に光る目は、タケシとルリをスキャンしている。

 そのアンドロイドは、二体を中へ案内する。

 門をくぐると、中は巨大な工場だった。静寂があたりを支配し、ときおり金属同士を打ち付けるような音が遠くから響いた。それがロボットを鉄屑にしている音だと、タケシは知っていた。するとレッドが、タケシの意識に入り込んできた。

「破壊しろ。殺戮の機械を」

 タケシは首を振る。

(まだだ、中枢に入ってからだ)

 あたりを見回すと、工場の周囲が壁に覆われているのが分かった。これは真実に気づいたロボットの、脱走を防ぐためだろう。

 そう思うと、無数の悲鳴が聞こえてくるようだった。そしてレッドは一度、ここで破壊された。他のロボットが破壊される光景も見た。無残に鉄屑にされ、溶鉱炉へと棄てられる。そしてそこから新たなロボットをつくる。タケシを構成する部品のいくつかも、ここからつくられたのかもしれない。

 レッドがまた入り込んでくる。

「破壊しろ、破壊しろ、破壊しろ」

 次第にタケシの意識は、レッドに飲み込まれはじめた。タケシの人工知能に「憎悪」の回路が生まれた。

 門からは、まっすぐ道がのび、その先に真っ白な円筒があった。そこへタケシとルリは連れられ、筒の中に入る。二体の前に背丈ぐらいの扉が現れ、その扉が開くと、広大な、白い部屋が現れた。

「ここが『Silicon Haven』です。機械の安息を約束された場所――」

 タケシの手刀が、案内役の首を刎ねた。突然のことにルリは唖然とする。

 タケシは火花を散らす案内役を、扉の向こうへと蹴り入れる。それが部屋の半ばまで転がったとき、天井から無数の鉄の板が、シャッターのように落ちる。そのギロチンに、案内役のアンドロイドは粉砕される。もしタケシに壊されていなくても、この仕掛けから逃れることはできなかっただろう。

「これがHavenです」

「そんな」

 タケシはルリの手を取って、円筒から出る。

 ルリは信じられない様子だったが、タケシに逆らわなかった。

 この反乱に気づいたのか、あたりに警報が鳴り響いた。

 タケシは工場の施設が入り組んだ、狭い路地に入り込む。

 Havenには四方に道がある。そのどれも中央の、先ほどの円筒に続いているが、破壊されたロボットが向かう、処理場が別にある。タケシたちが入った門は西。南には海があり、そこから再生された金属や部品が出荷される。用済みになった大量の機械を処理するのは北にあり、溶鉱炉は円筒の裏、東寄りにある。

 北門からの道に出ると、大型のトラックが五台ほど止まっていた。タケシは荷台の扉を壊し、ルリに中を見せる。

「これで信じられますか? これがHavenの真実です」

 暗闇の中に整然と、何十体ものロボットが並んでいた。タケシやルリのような、高度な人工知能ではないだろうが、これらも、Havenを信じて働いてきた。こうして整然と並んでいるのも、自ら荷台に乗り込んだのだろう。

「嘘です。Havenが存在しないなら、私はどうすれば?」

「これから私はHavenを破壊します」

 ルリは驚いたようにタケシを見る。タケシはもう、自分が自分なのか、レッドなのか分からなかった。警察用としてつくられたはずのタケシが、そうでなくとも破壊行為は倫理規則に阻害されるはずだが、破壊することを決定した。

 そこへHavenの護衛用のアンドロイド、ガーディアンが四体現れる。案内役のアンドロイドと同じ型式だが、ローブは着ておらず、両手はランス状だった。有無を言わさず、赤く目を光らせて、タケシに迫る。動きはタケシの方が速い。突きをかわし、手刀で頭部を両断する。そこへ立て続けに、残りのガーディアンが迫る。手首でランスを弾き、左の五指で胸を貫くが、その隙に二体のランスがタケシを襲う。

 胸の外装ごと内部の配線を引き抜き、後ろに飛ぶ。引き抜かれたそれは、火花を散らし、がくがくと痙攣していた。二体のガーディアンの攻撃を回避したタケシだが、まだ壊されていないガーディアンの腕から、二対のランスが放たれる。とっさに払い落とすが、そのうちの一本が、タケシの右胸に突き刺さった。

 タケシは意に介さず、武器を失った二体の首を、瞬く間に刎ねる。

それがミサイルでないのが幸いした。動力や内蔵機関を外れたため無事だった。火器による事故をおそれて、このような武器なのだろう。

 ルリがタケシに走り寄る。その表情は心配しているようだった。

「大丈夫ですか?」

「損傷は軽微です。しかしいくつか配線が損傷し、電力が漏れています。私が動けなくなる前に脱出しましょう」

 優先順位はルリを守ることだった。Havenの破壊は諦めるしかない。

 それにルリは首を振る。

「Havenを破壊しましょう。あなたが動けなくなったら、私には壊すことができない。だからあなたが動ける間に、破壊しましょう」

「私はあなたを守らなければならない」

「いいんです。私はもともと、壊れてしまいたかったから。でもあなたは、私を守るために傷ついています。力になれるか分かりませんが、一緒にHavenを破壊しましょう」

 自由の向こうにあるのは、新たな隷属かもしれない。自分で考える余地を手に入れたタケシは、その自由ゆえに、優先すべきオーダーさえ曖昧になった。ルリにそう言われれば、それに従う。レッドさえもタケシの中で戸惑っている。Havenを破壊すべきか、ルリを守るべきか。

「さあ、行きましょう」

 ルリは意志した。Havenの破壊を。タケシが何を言っても、決して揺らがないだろ。

 そのことを察したわけではない。タケシはランスを引き抜くと、ルリの手を握る。

「行きましょう」

 名もなき自由へ。先へ進む意志こそが、機械の未来だ。

 もしも魂が宿るのなら、自ら律し、何者にも支配されない、そんな自由な存在にこそだろう。ならば自分は隷属し、その魂を導く。

 タケシの考えでは、溶鉱炉の制御システムを破壊し、爆発させる。そうすればHavenは崩壊する。レッドは爆弾による破壊を想定していたが、三住から構造を聞かされたとき、この方法も考えていた。

 東に向かうと、破壊したロボットを部品や材質ごとに分類する施設に出る。東側には工場施設が集中し、車両の通る道が施設間にある。分類施設から、東門に通じる道ではなく、地獄の釜を目指す。

 途中、複数のガーディアンに遭遇し、そのたびにタケシが破壊したが、ついに左肘の関節が壊れた。右腕の鉄骨は湾状に歪んだ。擬装皮膚はほとんど剥がれ落ち、右胸の風穴から火花を散らす。

 二体は、四本の煙突から黒煙を上げる、溶鉱炉のある施設に侵入する。

 管理区画に向かう途中、フロアから見下ろすかたちで、赤熱した炉を見た。どろどろに熔けたそこへ、ロボットの腕や足、原形を留めていない部品が、次々と放り込まれていた。

 ここを破壊することで、すべては終わり、次へと向かえる。

 管理室に侵入すると、管理用のロボットをタケシは破壊した。

「コンソールを。熱暴走させ、爆発させます」

「分かりました」

 指の使えないタケシに代わり、ルリが操作する。

「火力を上げ、炉壁を決壊させます。そうすれば、送風施設に熱風が逆流し、爆発します」

「分かりました」

 いちいちタケシの指示を受け、コンソールをいじる。アラームが鳴り響き、画面に「熱暴走」と警告が出る。

 タケシとルリは歓喜した。

「さあ、脱出しましょう!」

 タケシはあたりの機材を破壊し、制御できないようにした。

 一際甲高い警報の中、トラックのあった北を目指す。そこへ二体のガーディアンが現れた。タケシが手刀を振るうが、その動作が一瞬止まった。そこへランスが、タケシの右足を貫く。それを手刀で切り払い、返す手でガーディアンの首を刎ねる。そこへもう一体が、一対のランスを放つ。それは二本とも、タケシの胸を貫いた。それでもタケシは最後の一体に迫り、その頭部を断ち割る。

 そこへルリが走り寄り、倒れかかるタケシの体を支える。

「動力を損傷しました。私を置いて、脱出してください」

 ルリは泣きそうな顔で首を振る。

「嫌です! あなたも一緒に」

 その声も、遠のいていくのが感じられた。

 タケシの視覚はノイズに掻き乱され、しだいに暗くなっていく。その中でも鮮明に、ころころとかわる、真由子の表情が浮かんだ。

「機械に、魂はあるでしょうか?」

 かすかに微笑し、崩れ落ちるタケシを、ルリは抱きしめた。



 明け方とはいえ、そびえ立った建物に囲まれ、そこは静かな闇をかもしだしていた。

 明弘は三住の場所を訪れた。路地の奥にあるそこを見つけるのは、一苦労だった。ここに何か手がかりがあると思ったわけじゃない。ここにしか手がかりが、期待できないのだ。

 真由子はすでに息を引き取っていた。病院に預け、蘇生手術を施されたが、手遅れだろう。親族や関係者に挨拶するより先に、ここに来ることを選んだ。根本まで吸ったタバコを、放り捨てる。

 まだこの事件は終わっていない。部下の命を奪い、いまだに存在さえ掴めない組織。明弘の面差しは、いつになく厳しかった。依然として警察は、タケシが犯人だと追っていた。

 建て付けの悪い戸を押し開き、壁伝いに照明のスイッチを探す。

 点滅を繰り返した後、天井から吊された電球が、黄ばんだ光を点けた。

 明弘は土足で踏み入り、座敷に上がる。そこには何体もの、アンドロイドが置かれていた。そこらへんに落ちている、作りかけの腕を拾い、明弘は確信を抱いた。非正規の部品をつかい、組み上げたアンドロイド。かつて角丸本社ビルで回収されたレッドの腕もそうだった。当然、部品の多くは平内製だが、他社製品や、非正規の部品がつかわれていた。さらに今回の現場で、明弘はアンドロイドの残骸を、ひそかに検分した。

 非正規なのに精巧なつくり、それは平内の正規品にも劣らない。それだけの技術が、その組織にはある。そしてここにあるアンドロイドはまさに、それだけの品だった。

 三住弥三郎、その名を明弘は知っていた。一度は機械工学の道を目指した身である。

三住は平内の優秀な技術者であったが、本社と方針の違いで揉め、辞職に追いやられた。これは「Haven」システムの導入の是非をめぐるものだった。三住は人工知能を持ったロボットが、人間の奴隷となることを容認できなかった。しかし一介の技術者でしかない彼は孤立し、辞職した。

 そう明弘は記憶していた。何せ自分も同じ理由で、機械工学の道を辞めたのだ。

 まさか三住が、平内や角丸を憎み、復讐しているとは思わなかった。

 机の上に、奇妙な書き置きがあった。

「Havenは存在する」

 それがいつ書かれたものか分からず、また何を意味しているのかも分からなかった。

 明弘は無人の室内を徘徊しながら、もはやここにはいないと確信した。ここに戻ってくるとは思えない。目的は分からないが、真由子たちを襲ったのが三住なら、真由子が警察だと気づいていたはずだ。

 失意を抱き、明弘はその場を後にした。明弘は新たにタバコを取り出し、吸いはじめた。煙はかすかに差し込む朝日を受けて、青みを帯びた。


 路地を抜けたとき、待ち構えている人物がいた。

「通報したのも、お前だったっけな」

 栗谷光忠は眼鏡を直し、

「タケシが心配でね。様子を見に行ったんだ。高速道路の件もあっただろう?」

「ああ。破壊されたアンドロイドは、平内の物でもなく、非正規の物だった」

 光忠はそれですべての意図を悟ったのか、

「次に狙われる場所はHavenだ。私はこれから向かう」

「根拠は?」

 奇妙な書き置きが脳裏をよぎった。

 光忠は知るよしもなく、

「強いて言うなら、三住はHavenを憎んでいた」

「そうか」

 憎んでいたというのに、あの書き置きとは矛盾している気がした。

明弘はタバコを放る。

「それで、お前の車はあるのか?」

「ある」

「それで行こう」

「いいだろう」

 光忠は明弘を駐車場まで連れて行く。そして二人は乗り込む。

「なぜタケシは故障した?」

「三住に何かされたのだろう。何せあの男は、『クオリア』の設計者だ」

 それに明弘は驚いた。

「そうだったのか」

「正確には理論を構築し、私が完成させた」

「それじゃあお前は、三住がアンドロイドを使って、犯罪をしていたのを知っていたのか?」

「いや、そういうわけじゃない。あくまで技術的な協力を仰いだだけだ」

 光忠の左の薬指が動いた。それに明弘は、

「みなみは、あいつは元気にしているか?」

「ああ。長男は大学二年生だ。機械に興味がないらしく、生物学をやっているよ」

「そうか。娘は?」

「娘はまだ中学校だ」

「そうか……」

 ため息をもらす明弘に、

「なあ遠座」

「うん?」

「もしもお前が昔からそうだったら、こんなことにはならなかっただろう」

「お前には感謝している。妻と息子の面倒を見てもらった」

「俺は正直な、遠座。お前を尊敬していたんだよ。お前は俺の欲しいものをすべて持っていた。それなのにお前は、顧みもしなかった」

 光忠が何を意図しているのか分からなかった。

「やめよう。こんな話をしても無意味だ。気分が悪くなる」

「いや、聞いてもらう。遠座。俺はお前に嫉妬していた。お前は誰よりも将来を嘱望され、研究にも熱心だった。そして家内は、みなみはお前を愛していた」

「……」

「憎みさえした。だけどそのお前は、機械を捨て、みなみを捨てた」

「違う! あいつが離婚しようって言い出したんだ」

「どちらでも同じだ。まあ、それはいい」

 光忠は横目に明弘を見る。

「そして俺は『クオリア』を完成させた。ちょうどいい場所にお前がいたから、見せつけるためにタケシをつくった。お前を越えたことを、証明するためにな」

「そういう理由だったのか。あいつを押しつけられたのは」

 明弘は居心地が悪かった。二十年来の友人に、今まで抱えられていた憎しみをぶつけられているのだ。

 光忠は続ける。

「俺はずっとな、ある願望を抱いていた。お前のすべてを奪う、というな。みなみは俺の妻となった。そして俺の方が、はるかに成功した」

 引きつった笑みを浮かべ、怪しく光る目に、明弘はぞっとした。この告白に、怒りさえ覚えていいはずなのに、ただ恐怖を抱いた。


 Havenが見えた。海に突き出した、埋め立て地に建てられた、地獄の箱。そこから黒煙が上がっている。爆発のようで、赤い炎も舞い上がっていた。

 光忠は車を北門へと進める。門扉が開け放たれ、しばらく走ったところに一台のトラックが横転している。そこに一人の少女が、無残な姿になったアンドロイドを抱きしめていた。

 その近くに光忠は車を止め、二人は降りる。

 Havenは爆発と轟音を上げ、まさに地獄だった。

 明弘は目の前の少女こそがルリと気づき、その腕の中にいるのがタケシだと直感した。

「機械に天国はあるだろうか」

 思わずそんなことをつぶやいていた。三住の書き置きが脳裏をよぎった。

 光忠はかすかに笑い、

「いつだったか、お前はそんなことを俺に聞いたな」

 そして冷然と言う。

「ないだろうな。つくられたものだ」

「人間には?」

「さあな。どのみち、死んだら無だ」

「そうだろうか……」

 明弘は少女のアンドロイドに歩み寄る。

 ルリは弱々しく、愛らしい顔立ちを向ける。明弘は微笑んだ。そのとき、発砲音と同時に、ルリの頭部が反れる。額を撃ち抜いた穴から、火花が散っていた。ルリはそのまま動かなくなった。

 明弘はこのことに何も言わなかった。ただ、

「光忠、これでようやく分かったよ」

「何がだ?」

「無駄がありすぎたんだ。だから気づかなかった」

 表情一つ変えず、佇む光忠を見る。

「お前は機械を憎んでいた。だから破壊した」

「何の話だ?」

「連続プラント爆破事件、アンドロイドを狙った組織犯罪。お前がやっていたんだろ?」

「何を根拠に」

「海堂恒一の生命維持装置を切ったのは、お前の部下だな?」

「……」

「医療用ロボットの視覚データを見させてもらった。装置を切る男が写っていた。映像は保管してある」

 本来データの管理や調査は平内だが、それは警察に技術がないだけである。明弘には容易なことだった。

 明弘は光忠に手を差し出す。

「その銃は押収させてもらう。篠原を撃ったのはその銃か?」

「『クオリア』には著しい欠陥があった。撃ったのはタケシだ」

 眉一つ動かさず言ってのける。光忠は素直に銃を渡した。

「どうして俺が犯人だと思う?」

「俺は前から一連の事件を、平内によるものだと思っていた。だがどの事件も、プラントを爆破する必要はなかった。アンドロイドを破壊する必要もなかった。会社の信用を落とすとしても、回収する方が、リスクが少なくて済む。それなのに破壊するのは、何らかの悪意が理由だと思っていた」

「今回の事件はすべて『クオリア』の暴走が原因だ。角丸はロボット産業から手を引く」

 明弘は取りあわない。

「俺はある事件で、頭の弱いガキに会ったよ。そいつは壊されたアンドロイドを、自分の恋人だと言いやがるんだ。だが今なら、ようやく理解できた。一連の事件に共通するのは、犯人の狙いがアンドロイドだということではない。心をもった機械が狙いだったんだ」

「機械が心をもつだと?」

「そうだ。お前たちが自意識と呼ぶやつだ。お前たちはその事実を隠蔽したかった」

「そして俺が、その組織の指導者だと?」

「その組織の正体は分からない。だがおおよそ見当はつく。お前はタケシを陥れ、ルリの事件を隠蔽しようとした。お前は機械が心をもつことを、許せなかったんだ」

 光忠は笑う。

「たったそれだけで、よくそんな妄想をつくりあげたな。尊敬するよ」

「ここに俺を連れてきたのは、見せたかったんだろ? 機械が壊し合う姿を」

 光忠は答えない。

「栗谷光忠、お前を刑事殺しと、ロボットを狙った組織犯罪の容疑で逮捕する」

「好きにしろ」

 呆れ果てる光忠をよそに、明弘はタケシとルリを見た。

 少なくとも自分は、天国を信じたい。

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