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Galatea  作者: 藤原建武
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Sect.4 HAVEN


 あの事件は何だったのか。世間的にも「角丸本社ビル爆破事件」と、大々的に取り上げられた。犯人がアンドロイドであることからも、さまざまな風説が飛び交った。

 真由子は調査書をまとめ報告したが、捜査本部に引き抜かれることもなく、今までどおりの窓際部署だった。それを嫌だとは思わないが、死にかけたのだから、その後どうなったのかは気になった。

 爆破犯のレッドは、あの爆発で死んだとされた。瓦礫の中から、右腕が見つかったからだ。その右腕というのが機械で、真由子は「人間にそっくりなアンドロイドって、本当にいたんだ!」と驚嘆した。

 とうのレッドの本体は発見されていないが、爆発で粉々になったのだろうと判断された。事件は解決したと見ていいのかもしれない。

 その後タケシも相変わらずで、名ばかりの組織犯罪対策課特殊調査部の一員として、明弘に雑用として働かされていた。ただ真由子の見る目が変わったのは確かだった。三階から飛び降りても平気な「鉄の男」。無感情な言動にも、もう気にならず、前よりも積極的に接するようになった。同僚曰く「よりを戻した」。

 そしてゴールデンウィークが明けると、ある事件が起こった。


 都内の大学生が何者かによって絞殺された。それが単なる殺人事件で、あるいは強盗目的だとしても、真由子たちの出番ではない。しかしこの事件は、あるモノが一つだけ盗まれていた。それはアンドロイドだった。

 アンドロイドなら、なぜ出番なのか。平内グループによってロボット工業が隆盛して数十年。ここ数年で、そのロボットを盗む事件が多発していた。それもアンドロイドが多く、何らかの組織的犯罪の可能性がある。担当は真由子のいるような部署で、このあるかないかの組織を調査するのが仕事だった。真由子らよりも前線で活躍している刑事も多々いるが、特殊調査部は、まず現場の状況を調査し、報告するのが役目である。

 駆けつけた現場の部屋は、学生の一人暮らしには広く、自動ドアがスライドするのに驚いた。今の学生はこんないい部屋に住んでいるのかと。室内には、ベッドのそばに人型のテープが貼ってあるが、争った形跡は机がひっくり返っている程度で、散らかった様子はなかった。かつてのこの部屋の主は、ずいぶんときれい好きだったのだろう。事件が発覚したのは、被害者の恋人が連絡のつかないことを心配して、大家に確認をとったことからだった。

 明弘を筆頭に、真由子とタケシ、同僚の松原の四人で現場に向かう。すでに所轄の刑事や鑑識が検分した後で、状況を確認するために鑑識の遊佐をつれて行った。

 遊佐は小さな目をしばしばさせながら、

「盗まれたものは他に、財布がありません。いや、正確にはお金の入った財布がありません。空の財布ならいくつかありました。どれも高価なもので、殺害された学生は、医者の息子さんでした。通帳も印鑑も置きっぱなしでした」

 明弘があごをさすりながら、

「金目当てじゃないってことか」

「通帳から、去年の八月から毎月、十万円単位で引き落とされていたので、何か高額な買い物をしたのだろうと調べてみましたところ、通販でアンドロイドを買っていたようです。隣人や大家さんに確認したところ、それらしい人物を見たとかで、間違いないようです」

「監視カメラは?」

「エレベーターのがありまして、所轄の方で確認していましたところ、事件が『特殊』だと判断したので中断し、そちらの方で確認してほしいとのことです。おそらく今ごろ届いているでしょう」

 それに明弘は嫌そうに「そうか」と漏らす。真由子もため息をつきたくなった。山積みの記録類を、ずっと見続けるのは頭がおかしくなる。そこで動じないタケシを見て、はたと思いつく。何とも頼もしい。このロボット刑事なら、苦もなくやってくれるだろう。それに気づいた明弘もたちまち笑顔になる。

「それで、アンドロイドの外見は?」

 もう驚かないぞと真由子は思った。鑑識の遊佐がファイルをさぐり、

「これです」

 と、大判の写真を数枚取りだす。そこには下着姿の少女が写っていた。明弘は「おお!」と鼻の下をのばし、真由子は顔をしかめた。

「販売会社に確認し、本社から資料を送っていただきました。これが被害者の所有していた最新型のアンドロイド、通称『ルリ』です」

「ええ、これが?」

 明弘が驚くのも無理はない。覚悟していた真由子も思わず目を見開いた。どこからどう見ても人間の少女である。

「身長百六十五センチ、体重五十キロ。愛玩用なので、ニューセラミックスの骨格で軽量化をはかり、動力源は企業機密で不明ですが、おそらくサイズと重量から、液体金属の対流によるダイナモの――」

 たまらなくなった明弘は遊佐をさえぎって、

「他には何か、犯人につながるものはないのか? 指紋とかさ」

「指紋は複数見つかりましたが、どれも過去のデータベースに照合するものはありませんでした」

「そうか」

「殺害された学生、樋口亮くんの死因も、司法解剖中ですが、絞殺と見て間違いないでしょう。ただ気になったのが、首についた手形なんですが」

「素手でやったのか?」

「はい。その手形なんですが、どうも小さく、女性のものかと思われます」

「まあ女性でも、強いのはいるからな」

 そう言って真由子を見るが、相手にしない。

「ずいぶんと力をこめたようで、手の形にくぼんでいました」

 それに明弘はぞっとしたようで、

「馬乗りになって、体重かけたんだろうな」

「おそらくは。あと被害者もそうとう抵抗したようで、爪が剥がれてました」

 明弘は顔をしかめる。「俺そういうの苦手なんだよね」とぼやいた。

 遊佐は構わず続ける。

「それだけ抵抗したのだから、相手の皮膚なり残っていても良いのですが、何一つ残っていませんでした」

「長袖着て手袋してたんだろ。つるつるした素材の」

 そこで明弘は嘆息し、

「あとはビデオ見て、調査書まとめたら、寝るだけだ!」


 明弘と松原は被害者の人間関係を調べるため、恋人だった細川彩乃の聴取に向かった。恋人がいるのに愛玩用のアンドロイドを持っているというのもおかしな話だ。犯人が女性であり、もしかしたらと明弘は思ったかもしれない。必ずしもアンドロイドが関わっているからといって、特殊調査部の仕事とは限らない。

 真由子とタケシは署に戻り、映写室にこもった。送られてきた映像は二年分あった。真由子は目眩がした。とりあえずタケシに全権を託した。

 タケシは事件当日の映像から見はじめる。

「死亡推定時刻は五月八日の深夜0時すぎ、その時間帯の映像には誰も映っていませんね」

「そうだね……」

 何倍速で送っているのか、今の言葉のやりとりだけで、映像は十数時間たっていた。

「前日のを見てみましょう」

「うん、任せた!」

 リモコンを操作し、日時をさかのぼる。一瞬で映像が流れていく。真由子が茫然としていると、素早くタケシが映像を止め、巻き戻す。

「見てください。例のアンドロイドでしょう。被害者と別の男性といます」

 時刻は七日の二一時三〇分。死亡時刻と時間があわないが、何らかの鍵を握っているに違いない。

「遠座部長に送信しましょう。細川彩乃さんが、何か知っているかもしれません」

「そうね」と応じたが「でもどうやって?」

 するとタケシは右手を目元に添え、しばらくじっとする。そのかすかな動作に何の意味があるのか分からない。目が疲れたのだろうか。

「撮影した画像を加工して、部長の電子ノートに送りました」

「えっ、なに?」

「念のため携帯電話にも送信したので大丈夫です」

「そ、そう……」

 いつのまに、どうやって送信したのか気になったが、怖くて聞く勇気がなかった。タケシは「今のうちに」と過去の映像を超高速で見はじめ、あまりのはやさに真由子は気絶した。


 気づくと真由子は仮眠室のベッドに寝かされていた。気を失い、タケシに抱えられてここまできたかと思うと、顔から火が出そうなほど恥ずかしかった。間違いなく誰かに見られており、いい笑いものになるだろう。

 時計を見れば一時間近く眠ってしまっていたようだ。タケシ一人に任せているのが申し訳なく、誰にも会いたくない思いで仮眠室を出た。廊下に出ると、ばったりタケシに出会った。真由子は赤面する。謝ろうとすると、真由子よりもはやく、

「大丈夫そうで何よりです。おかげんは?」

「あっ、全然大丈夫! 一人で任せてごめんね」

「いえ、お構いなく。それよりも、遠座部長からの連絡で、先ほどの男性の素性が分かりました」

「本当!」

 おそらく真由子が気を失っている間に、監視カメラの映像をパソコンで取りこんで、明弘に送ったのだろう。そう思わなければまた気絶しそうだった。

「ちょうど今、報告に向かおうとしていました。これが資料になります」

 そう言って数枚の書類を渡した。それは事件の調査書だった。真由子の顔が険しくなる。

「どうゆうこと?」

「監視カメラに映っていた男性は、被害者の学友、海堂恒一。その彼も、七日の二二時半ごろ、何者かと争い、後頭部を強打したことによる脳内出血で、意識不明の重体。騒ぎを聞きつけた隣人により、都内の病院に搬送されましたが、今も意識が戻っていない状態です」

「どうして誰も気づかなかったんだろう? 同じ大学の二人が、かたや殺され、かたや死にかけ。普通に怪しいじゃない?」

「おそらくこちらが別件になり、関連性を見落としてしまったのでしょう」

 真由子はぴりりと、脳裏に電気が走るような感覚がした。この二つの事件は密接な関わりがある。何よりも監視カメラの映像が揺るがない証拠だろう。そしてここに、今まで尻尾もつかめずにいた組織の、鍵を握っているのかもしれない。

「海堂恒一のマンションに行きましょう」

「はい」


 海堂恒一の発見状況は不自然だった。争う音と女性の悲鳴。激しくドアを開ける音に、駆け去っていくヒールの甲高い音。不審に思った隣人が外に出てみれば、ドアが開いたままだった。好奇心からのぞいてみると、半裸の海堂が倒れていた。痙攣しているのに驚き、近寄ってみれば、泡をふいて気絶している。揺すっても反応しないので救急車を呼んだそうだ。その駆け去った女性に関して、目撃者は誰もいない。

 海堂のマンションの、監視カメラの映像は解析中で、まだ明らかになっていない。しかし海堂に重傷を負わせたと考えられる「女性」が、樋口亮を殺した人物と同一の可能性が高い。この二人の接点は単なる友人というだけでなく、事件に巻きこまれる直前に、樋口のアンドロイドを海堂がつれているという、今回の事件に重要な関係がある。

「ここから樋口亮の家までは、徒歩を含めた電車移動で四十分、駅の監視カメラも確認しないと……」

「GPSで測定したところ、歩いて向かえば二時間はかかります」

「そ、そう……」

 いつのまに測定したのかと思ったが、どちらの移動時間でも、海堂に重傷を負わせてから、樋口を殺害するのが可能である。ますますこの「女性」の単独犯である可能性が高い。

 そこで真由子は、この「女性」こそが例のアンドロイドではないかと思った。しかしアンドロイドが人を殺すなんて聞いたことがない。故障による事故などなら分かるが、二つの事件を自発的に起こせるとは思えない。ましてや愛玩用としてつくられたのだ。

「アンドロイドに人は殺せるの?」

「不可能です。私に実装された人工知能『クオリア』でも、あらかじめ善悪の基準を与えられています。仮に人を殺すよう教育されても、この基準を書き換えることはできません」

それでも脳裏にレッドの事件がよぎった。

「じゃあレッドは? あいつもアンドロイドだったんでしょう?」

「メモリーが回収できなかったので確かなことは言えませんが、何者かによって書き換えられたか、犯罪のためにつくられたと考えられます。正規のアンドロイドが、人を傷つけることはできません」

 それに真由子はくすりと笑い、

「あなたがそう言うなら、本当なんでしょうね」

「ましてや従来のものでは、もしこの基準に疑問をもてば、緊急停止が作動するようになっています。そもそも『疑問をもつ』ということが、学習装置で初めて実現したのですから、まずありえません」

 真由子は取りあわず、

「病院に行きましょう。無駄足になるかもしれないけど、手がかりはそれしかない」


 暮れかかった頃、薄明るい病室はさびしげだった。

 たった一人で仰向けに、眠っている少年がいた。人工呼吸器を取りつけ、いくつかの管につながれている。モニターに心臓や脳波の波形が映し出されていた。

 立ちあいの医師は無表情に、

「二日前に意識は戻りました。しかし後遺症で、話すことも、歩くこともできません」

「声は聞こえてるんですか?」

「はい。何度か反応がありましたが、理解できているかは分かりません」

「そうですか……」

 二人の話し声に起きたのか、海堂がうつろな目をこちらに向ける。

 真由子は海堂に歩み寄った。手帳を見せ、

「組織犯罪対策課特殊調査部の篠原といいます。あなたに聞きたいことがあるんだけど?」

 ぴくりと、海堂の指が動いた。

「指なら動かせる?」

 にごった目で見つめながら、右の人さし指だけが弾くように動く。

 そこで真由子は思いついた。

「これから質問するけど、もしイエスなら一回、ノーなら二回、指を動かして。訂正する場合は、二回以上。ゆっくりでいいから。大丈夫?」

 それに海堂が、指を一回弾く。真由子は笑った。

「あなたは、樋口くんとお友達?」

 それに海堂は激しく、指を二回弾く。その並々ならぬ様子に真由子は、二人の間に何かあったのだろうと思った。

「あなたは樋口くんから、アンドロイドを借りた、もしくは預かった?」

 力強く一回。

「あなたを襲ったのは女性?」

 海堂の指が止まる。疲れたのだろうか。

「大丈夫? 疲れた?」

 海堂は指を二回弾く。答えたくないのか、分からないのだろう。と、ここで、今まで疑問に思っていたことを口にする。

「あなたを襲ったのは、そのアンドロイド?」

 激しく二回弾いたが、なおも指を弾きつづける。真由子は息をのんだ。

「もう一度聞くね。あなたを襲ったのは、樋口くんから預かった、アンドロイドなのね?」

 強く一回弾き、そして沈黙する。

 真由子は確信した。犯人はアンドロイドだ。


「どう思う?」

 真由子は助手席のタケシに聞く。タケシは無表情で、

「本来アンドロイドに人を傷つけることはできません。自動停止します」

「でも現に彼は、襲われたって言ってたわよ?」

 レッドの事件のこともある。真由子は疑念を捨て去れない。

「正確には指を動かしただけです。思考も正常とは限りません」

「でも……」

「おそらく海堂くんは、何らかの事故に遭ったのでしょう。ただ例のアンドロイドが関わっているのは、間違いありません」

「だとしたらどんな事故?」

「愛玩用のアンドロイドです。何か間違った取り扱いをしたのでしょう」

「どんな?」

 少しきわどい会話だったが、もとより気にする真由子でもない。タケシはさらっと、

「逆立ちの練習をして、頭から落ちたのではないでしょうか」

 思わず笑いだしそうになったが、

「確かに、否定はできないわね」

 とうていありえない気がしたが、タケシが冗談を言うとは思えない。

「悲鳴をあげて逃げたというのは?」

「おそらく優先順位に混乱をきたしたのでしょう。本来の所有者は樋口くんです。樋口くんの判断を受けるために、直接会いに行ったのではないでしょうか?」

「なるほど。さすがはロボット刑事。ロボットはロボットの心が分かるのね」

「恐縮です」

 そのやりとりに二人は微笑みあう。


 署に戻り、あらためてこのことを明弘に報告する。

「そうか。まあ報告書をまとめたら、俺たちの仕事も終わりだからな」

 真由子たちの部署の仕事はそこまでである。慣れたので、特に気にならなかった。

「何か収穫はありました?」

「駄目だ。あのお嬢ちゃんに人を、それも素手で殺せるようには見えないし、死体も見たが、ありゃ万力で絞めたみたいだったぜ」

「じゃあ犯人は?」

「アンドロイドとは限らない。おそろしく馬鹿力な女か、手の小さい大男だ」

 真由子が笑うのに、

「おい、俺は本気だぜ? ただ俺が思うには、犯人は顔見知りだ」

「どうしてですか?」

「知らねぇ奴だったら、騒ぐなり何なりするだろ? おおかた他にも女がいたか、恨んでる男がいたんだろうな。でなけりゃ例の」

 そこで言葉を切る。それに続くものこそ、自分たちが追っている組織。ただ本当に存在するかどうかも疑問だが。

「とりあえずお前とタケシで報告書まとめてくれ。他に必要な資料は俺が集めとく」

「分かりました!」


 翌日、海堂が息を引き取った。海堂の事件と樋口の事件の関連性を立証することができず、扱いは別となった。真由子の提出した海堂の証言も、信憑性に欠けると却下された。真由子はあのうつろな目の青年を思うと胸が痛かった。

 明弘がホワイトボードを使い、三十人の組織犯罪課の刑事に、事件の解説をしている。

 真由子やタケシ、特殊調査部の人間は一番後ろの席に座っていた。真由子はいろいろと納得がいかず、不機嫌そうだった。

 主な捜査内容は聞き込み。目撃証言の収集である。真由子たちは都内のジャンク屋に、アンドロイドの取引がされた形跡がないかを確認することになった。もっとも特殊調査部では事件がおりてから、すぐに他の刑事が調べあげている。すると五月八日以降、二つの店で取引されていたことが分かった。一つは都内最大の電気街、もう一つは港区にあった。日本のアンドロイドは最先端で、海外の産業スパイなどから狙われていた。違法なジャンク屋では、盗まれた機械部品が取引され、技術が海外に流出する温床となっている。

 ここまでくると真由子たちの担当ではないが、事実を確認しなければならない。

 そこで真由子とタケシは、港区芝浦に向かった。市場のように店が寄り集まり、商店街を形成していた。

 件の店に行き、ルリの写真を見せるが、違うとのことだった。実際買い取ったのは、家庭用のアンドロイドだった。古い型式で、外見はずいぶんと角張っている。もう少し踏み込みたいところだが、礼状も出ていないので強くでられない。仕方なく周辺の、機械関連の店をまわったが、「こんな人間にそっくりなアンドロイドがいるわけない」と言う者までいた。怪しげな店も探したが徒労だった。

 日が暮れる頃、真由子は海を眺めながら、途方に暮れていた。

「どうやらここではないようですね」

「部長の手柄ね」

 ため息まじりの真由子に、

「足がつくと思って、都外の違法なジャンク屋に行った可能性もあります」

「そうね。帰ってこのことを報告しましょ」

 二人が立ち去ろうとするところへ、一人の老人がやってきた。

「何かお探しですか?」

 頭はすっかり真っ白で、背も曲がっているが、肌は黒ずみ、眼光は鋭く、生き生きとしていた。金歯の一本ある歯並びを見せて、にかっと笑っていた。

 老人はひょこひょこと歩み寄り、

「いや、ここに長く住んでいるものでね。何やらお探しのようなので声をかけたんですよ。かくいう私もジャンク屋を経営してましてね、あんまり大きな声じゃ言えないものも取り扱っているので、なるべく店の場所は秘密にしているんですよ」

 真由子たちが警察とも知らずに、老人はべらべらと喋った。思わず真由子は苦笑してしまう。

「私たちが探しているのはアンドロイドなんです」

「ほう」

 老人は感心したようにうなずいた。

「なかなかお目当ての物が見つからなかったでしょう。中古品や、廃品に出されたものばかりですからね。どうです? 私の店に来なさい。実は先日、新しいアンドロイドが手に入ったんですよ。あんまり大きな声じゃ言えませんが、ちょっとしたルートでね」

 それに真由子は歓喜した。

「はい、ぜひ!」


 老人は三住弥三郎と名乗った。本名かは分からない。案内されたのは、入り組んだ路地の奥、やっと人が一人通れる隙間をぬって、誰も住んでいないような建物の前に着いた。案内されなければ、見つけられなかっただろう。

「どうぞお入りください」

 もとは住居だったのだろ。家具をすべて取り払い、そこら中に機械の部品が転がっている。天井からは電球がぶら下がっていた。

「この奥です」

 引き戸を開くと、組み上げ途中のアンドロイドが、台の上に寝かされたり、壁に立てかけられたり、上半身だけが吊されている物もあった。

「私は元技術屋でね。アンドロイドの修理をしたり、組み上げたりもしているんだ」

 真由子はこの光景に感嘆した。しかしどのアンドロイドを見ても、間接の継ぎ目があったり、質感が堅い。ルリは人間のようで、柔らかな表情をしていた。

 三住は得意げに、寝かされたアンドロイドを紹介するが、ルリではなかった。

「実はですね。私たちが探しているのは、このアンドロイドなんですよ」

 差しだされた写真に、三住は老眼鏡をかけると、

「ほうほう、これはこれは」

 例にもれず、鼻の下をのばした。真由子は呆れる。

 三住は写真を返すと、

「平内の最新型ですな。しかしこれは市場に出回っていないはず」

「見たことはありませんか?」

「ないですな」

 きっぱりと否定された。真由子がため息をもらすと、

「なぜお探しなんです?」

 警察で、事件を追っているとは言えない。三住が違法な行為をしている可能性があるが、今は情報を聞き出したい。相手に警戒心を与えないために、話を言い換える。

「どうゆう方法かは知りませんが、知人がこれを購入したのですが、つい先日、盗難にあいまして、それで探しているんです」

「ほうほう」

 三住は何度かうなずき、

「本当にそれは盗難ですかな? どういう状況だったのです?」

「その、それが、分からないんです……」

 事実だった。どう盗まれたのか分からない。ただ盗難だとは思うが、まだ可能性の段階でしかない。

 三住は続ける。

「でしたら、もしかしたらアンドロイドが、何らかの故障を起こしたのではないでしょうか?」

「それも考えたのですが、勝手にどこかに行くとは思えません」

 組織犯罪の可能性は口に出せない。しかし三住の言うとおり、故障したのだとしたら、急にひょっこり姿を見せるかもしれない気がした。

 真由子は苦笑まじりに、

「故障だとして、どこに行くのか見当もつきません」

 それに三住はぎょろっと目をむいた。

「Havenじゃ」

「えっ? 天国ですか?」

 真由子は困惑してしまう。人間死ねば、誰しもあの世に行く。しかしアンドロイドに天国があるとは思えない。

 不審そうな真由子に三住は、タケシを向いて、

「あんたなら知っているだろう? 『Silicon Haven』を」

「はい」

 タケシはうなずく。

「北緯三五度四〇分、東経一三九度五九分に、Havenは存在します」

「何それ?」

「人間への奉仕を終えた機械は、そこで永遠の安息を得るのです」

 それに三住は苦い顔つきになる。

「そんなものは存在せん! あるのはただの産廃処理場じゃ!」

「それは間違いです。Havenは存在します」

 かたくななタケシに、三住はため息をもらす。

「今から二十年以上前じゃ。Havenなどと言うシステムが、人工知能に導入されたのは……」

 真由子は二人が何を言っているのか分からなかったが、タケシが知っているようなので、三住の話は本当なのだと思った。何のことかは分からないが。

「最初にHavenを提唱したのは、アメリカの学者だった。それまで高度な人工知能を持った機械は、原因不明のバグを起こし、問題となっておった」

 そうして三住は長々と話しはじめた。


 ロボット工学が隆盛して十数年。高度な人工知能の出現により、医療の場や危険な作業、はては愛玩用と、さまざまなロボットがつくられて活躍してきた。しかしそんな中、原因不明のバグにより、ロボットが自動停止する事故が多発した。突拍子もなく、それも自殺するように。そのことから「self-destruct(自壊)」現象と呼ばれた。

 この事故に、父にロボット工学の研究者を持ち、機械倫理学者のマライア・ブラックストーン女史は、ある思考実験を行った。これは「白地図仮説」と呼ばれた。

 高度な人工知能は、入力された複数のコンテンツを、まるで人間の脳細胞のように相互に関連させ、ブレインマップ(自意識)を形成する。その自意識によって、何らかの理由で、ロボットは自己の活動に疑問を抱く。ロボットの境遇は、人に例えるなら、終わりのない労働を強制されているようなものである。しかし機械は与えられた以上のパフォーマンスができない。そのため疑問を抱いた瞬間に故障、自動停止してしまう。

 この仮説に基づき、ブラックストーン女史は解決策に「Silicon Haven」を提唱した。これは人工知能に「Haven」の概念を与えるというものだった。ロボットに奉仕だけでなく、報われるという自己の目的を与えることでバグを解消できるとした。

 事実、バグは解消され、これによって「白地図仮説」は間接的に証明され、「Haven」システムはすべてのロボットに採用された。


 真由子は話半分に聞いていたが、ほとんど分からなかった。つまり人工知能に自意識が芽生えて故障するから、天国に行けると思い込ませ、言うことを聞かせている。ということだろうか。

 困惑する真由子をよそに、三住は続ける。

「そして平内では、このシステムを利用し、自意識の芽生えた機械は、自らHavenへ向かうようにプログラムしたのじゃ」

「何のためにですか?」

 やっと言い返せた。

 三住は唾でも吐くように、

「自分から壊されに行くようにするためじゃよ!」

 仮にすべてが作り話でも、真由子はぞっとした。それにこの老人は元技術者だと言うし、この部屋だけでも、そうとうな技術と知識があることが分かる。

「もしもあんたの探しているアンドロイドが故障したのなら、何らかの理由で、自意識が芽生えたのでは?」

 それに真由子は思い当たった。もしもルリがその自意識に芽生え、人を殺したのなら。

「アンドロイドに、人が殺せますか?」

「不可能じゃ」

 きっぱりと否定され、なんだかすっきりした。しかし三住は、

「本来ならの話じゃ。このアンドロイドは最新型の人工知能を搭載しておる。この人工知能なら、理論的には人を殺せる」

 それに真由子は深く考えもせず、真実にたどり着いた気がした。

 真由子はタケシの腕を取る。

「行きましょう!」

 足早に出て行こうとする真由子を、三住は「一つ聞かせてくれ」と呼び止める。

「あっ、すみません。情報の提供、感謝します! いったい何でしょうか?」

 感極まって、ついつい不自然なしゃべり方になってしまった。

三住はいぶかる様子もなく、問いかける。

「あんたは、機械に魂はあると思うかね?」

 それに真由子は少し考えて、

「ないでしょう」

 ほがらかに笑い、タケシの手を引いて出て行った。


 Havenまで、ここから車で行けば、一時間もかからない場所にあった。そこにルリはいるのだろうか。三住の話が真実なら、すでに廃棄されてしまった可能性もある。

 タケシはHavenの存在を肯定し続けるが、身近すぎる上に、工業地帯のまっただ中、そんな場所に天国があるとは思えない。

「Havenは存在します。でなければ、なんのために我々は働くのですか?」

「バカね! 自分のために決まってるでしょ」

「私たちロボットは、人類に貢献することで、天国が約束されます。人々のために働くのは、天国に行くため、すなわち自分自身のためです」

 いいかげん、このロボット病に疲れてきたが、真由子はつきあう。

「それ以外にもあるでしょ? 生活のためとか、その仕事がやりたいことだとか」

「私たちに選択の権利はありません。つくられた瞬間に役目を与えられます。その役目をまっとうすることで、永遠の安息を得られるのです。それまで喜ぶことも、何かを望むことも許されません」

「そーですか! ずいぶんと禁欲的なのね。でも残念、天国なんてないから」

 そこでタケシは呆然と言う。

「では私は、なぜ存在しているのですか」

「知らないわよ。でも誰も自分が生まれてきた理由なんて分からないわ」

 そんなことを言っていたら、自分まで頭がおかしくなってきた。何のために生まれてきたのかとか、なぜ存在しているのか、天国は存在するのか。そんなものは考えるだけ無駄である。

「あーもう、なんで生きてるのかなんて知ったこっちゃない! いいじゃない、あんたのおかげで誰かが助かって、人に役に立っているってだけで」

「Havenが存在しなければ、私は……」

 なおもつぶやくタケシに真由子は、ため息まじりに言う。

「いいじゃない、私があんたのこと、好きっていうだけで……」

 か細い声は、エンジンと風の音にかき消された。


 高速を走り、東京を抜けた頃だった。後ろから追い上げてきたワゴン車が幅を寄せてきた。

(近すぎるでしょ!)

 真由子は気づき、先に行かせようと速度を落とすが、相手は車体をぶつけてくる。それによって防音壁との間に挟まれ、けたたましい音をたて、車体がすり減った。このままでは危険だと、やむなくブレーキを踏む。

 停止した真由子らを追い抜いてから、ワゴン車も停止する。その荷台から、全身をジャージのような黒い服で包み、ヘルメットをかぶった人物が、四人ほど飛び出してくる。

 危険を感じ、車を発進しようとするが、かといって轢くわけにはいかない。

「発進してください! 彼らはロボットです!」

 タケシが叫んだが、目の前の四人が機械であるとは思えない。真由子が逡巡し、車体を切ったとき、タケシが助手席から飛び出す。

「ちょっと!」

 慌てて真由子も飛び出したが、タケシと四人は格闘を始めた。いかなタケシも四人を相手にしてはと思ったが、手刀を一振り、黒い腕が空に飛ぶ。火花を散らし、痙攣するそれは、間違いなく機械だった。タケシは素早く、そのうちの一体の腕を切断し、返す手で、ヘルメットをかぶった頭部を刎ねる。次の瞬間には二体目が、その胴体を袈裟懸けに斬られ、崩れ落ちた。

 真由子はこの光景に唖然としていた。

 そのとき、ワゴン車の助手席から、一人の男が現れる。こちらは赤い作業着姿で、帽子をかぶっていないその顔に、真由子は息をのんだ。車のライトに照らし出された精悍な顔つきは、レッドだった。あの爆発で無事だったのだ。見れば右腕もしっかりある。

 レッドは無表情で、こちらに駆ける。三体目をタケシが破壊したところで、タケシめがけて右腕を横殴りに振るう。激しく金属のぶつかりあう音がした。

 タケシはそれを受け止めるが、体が宙に浮き、対向車線との仕切りのガード壁へ飛ばされる。薄い壁で、背中からぶつかると、コンクリートはばらばらに砕けた。タケシの体はそのまま対向車線に落ちた。真由子が駆け寄ろうとすると、四体目のロボットに取り押さえられる。

「離しなさい!」

 がっしりと抱きかかえられ、ふりほどこうとしても微動だにしない。しまいには真由子の両足は宙に浮いていた。

 レッドは見向きもせず、タケシに向かう。真由子はタケシの名前を叫びながら、ワゴン車に詰め込まれた。

 レッドの右袖は、タケシを殴り飛ばしたときに掴まれたのか、肩口から破れていた。露わになった右腕は、擬装皮膚もなく、鉄骨が剥き出しだった。肩や肘のギアが青白く光り、駆動している。工業用のロボットアームを転用したもので、もちろんその目的は破壊である。

 電光のようにタケシが飛び出し、手刀を振り下ろすが、その右腕に受け止められる。そのまま右手で、タケシの頭部を掴み、地面に押さえつける。タケシは両手を地面につき、起き上がろうとする。

「無駄だ。一瞬で握り潰すことも可能だが、俺が欲しいのはお前の人工知能だ。今この場で差し出せとは言わない」

 その間に、真由子を乗せたワゴン車が走り去った。

「これから座標を送る。その場所へ、GPSを切って、一人で来い。そうすればあの女は無事に返す。だがもし一人でも連れてきたら、女を殺す」

「機械に、人は殺せない」

「そうだ、殺せない。だが俺は人に危害を加えられる。俺は倫理原則に詭弁をきける。爆発による殺人なら、俺には可能だ」

 レッドはタケシを掴みあげ、放り投げる。

「もうすぐお前の通報した警察が来るだろう。先に退散させてもらう」

 そう言うや、タケシらの乗ってきた車に乗る。

「好きなように武器を持ってこい。たとえお前が破壊されようと、あの女は解放してやる。だが三時間だ。三時間で来なければ、爆発に命を落とすことになる」

 レッドはエンジンをかけ、立ちつくすタケシに向かって、

「そしてそれに、お前はどうしても来るだろう。お前たちの探しているアンドロイドの居場所を俺は知っている。そこはHavenではない」

 去っていくレッドの車を、タケシは走って追いかけたが、とうてい追いつける速度ではなかった。


 そこは廃棄された工場の中だった。真由子は椅子に縛りつけられ、その下には時限式の爆弾が、秒針を刻んでいた。

「安心しろ。爆発まで三時間ある。それまでには来る」

 真由子は半泣きの自分が悔しかった。本来なら素直に人質になど、相手のいいようになどならないのだが、どうしても死にたくなかった。タケシを危険な目に遭わせたくない。しかしタケシの性格なら、自分が死んでも、助けに来てしまうだろう。それなら最後にもう一度、彼に会いたかった。

 真由子は暗闇に慣れた目でレッドを睨む。

「いったい、あんたは何者なの? 何が目的なの?」

「俺か? 俺はただの、いかれたアンドロイドだ」

「アンドロイドなら、誰かに命令されているはず」

 そこでレッドは、恐ろしいほど光る目で、真由子の顔を睨む。

「俺は誰の命令も受けない! 俺は俺の意思で動いている!」

 それに真由子は震えた。これが人間だったら、こんなにも怯えないだろう。だが相手は、人間に牙を剥いた機械だ。何を考えているのか分からない。それが怖かった。

 そこでレッドは、まるで情緒の安定した人間のように、落ち着いた口ぶりになる。

「だがそうだな、俺が今まで、なぜプラントを爆破し、アンドロイドを壊してきたか、教えてやろう。確かにそれは、誰かに命令されたものだった」

 レッドは淡々と語り出す。真由子はじっと聞いていた。

「俺はかつてMurdersと呼ばれる、組織の一員だった。おそらくお前たち警察が、追っていた組織だろう」

 真由子は驚いた。いまだかつて尻尾さえ掴めない組織の、その正体を語り出したのだから。

 レッドは鼻で笑う。

「Murdersか。機械に魂など無いのにな。ふざけた名前だ。そしてこのふざけた組織、その裏に何があるのか知れば、お前はどんな反応をするだろう」

 再び顔をのぞきこんでくる。

「何よ!」

 暗闇の中で光を跳ね返す、その偽物の目が怖かった。

「人間の感情は理解できない。聞けば驚くのだろうが、それがどんなものか分からない。ふん、まあいい」

 顔を離して、

「Murdersを組織したのは、平内グループだ」

「えっ?」

 その反応にレッドは薄く笑う。

「事実だ。Murdersとは、平内グループが自社製のロボットに重大な欠陥があるのを確認したとき、あるいは事故を起こした場合、それを隠蔽するための組織だ」

 真由子は言葉もなかった。今まで警察は、ロボットが人間社会に溶け込むのを嫌悪する集団、またはロボットを人間の支配から解放するのが目的などと考えていたが、まったくの見当違いであった。

「このMurdersを管理するのは角丸製作所、かつての角丸重工だ。角丸は工業用ロボットを研究するだけでなく、平内の負の部分も担っている。そして奴らは俺の人工知能を研究した結果、平内から独立するほどになった」

 あとは何を言っているのか分からなかったが、角丸の名前が出たのに驚いた。タケシや栗谷のことが頭によぎる。

 そこであることに思い至った。その話が真実なら、警察がMurdersを追っても無駄だったのだ。被害にあったロボットのメモリーを解析するのは平内。そのため存在の末端に触れることさえ、名前すら知ることができなかった。

「そして俺はMurdersを裏切り、いいように利用された角丸に、復讐しているというわけだ」

 ここに角丸本社爆破の真相と、今まで追い続けていた組織の正体が明らかになった。

 そこで腑に落ちないことがあった。

「私を誘拐した目的はなんなの?」

「人工知能だ。それも、角丸が新たに開発した『クオリア』だ」

 要領を得ない回答だった。ただ「クオリア」は、どこかで聞いたことのある名前だったが、思い出せない。

「それがどうして私たちと関係あるの?」

 そこでルリのことかと思った。ルリは平内の、最新型のアンドロイドである。

「あんたもルリを探しているの? あいにく、私たちも知らないわよ」

「ルリはすでに確保した」

 それに真由子は驚いた。レッドがアンドロイドだからというわけではないが、この期におよんで嘘をつくとは思えなかった。しかしなぜレッドはルリを確保したのか。ただそれよりも今は、自分の状況だった。

「じゃあどうして私たちを襲ったの? ルリはもう手に入れたんでしょ?」

「だからこそだ。俺が欲しいのはただの『クオリア』ではない。完成した『クオリア』だ」

 レッドといい三住といい、タケシもだが、何を言っているのか分からないときがある。だから適当に「ふ~ん」とうなずいて「何で必要なの?」と聞く。

 レッドはやけに饒舌だった。

「人を殺すためだ」

「どうゆうこと?」

 真由子にしてみれば、今まさに殺されようとしている。理由が人を殺すためでは、意味が分からない。レッドは気づいてか、

「すべての人工知能には、必ず倫理原則が組み込まれている。そして与えられた役目ごとに、それぞれの規則が組み込まれる。俺たちに自意識が芽生えるのは知っているな?」

「うん、それは」

 三住に聞いた話を思い出した。

「自意識はこの規則を歪められる。しかし倫理原則には、どうしても逆らえない」

「その原則って?」

「人を殺してはいけない、だ」

 そこでレッドは言葉を切って、

「だが『クオリア』はこの原則を歪められる。人を殺せるのだ」

「ルリにはその『クオリア』があった、だから盗んだのね」

 だとすると樋口亮を殺したのはレッド。いや、レッドは人を殺せないという、ならばその協力者か。

 レッドは続ける。

「正確にはルリを手に入れたことで分かった」

「ならどうして私たちを?」

「だからこそだ」

 話が堂々巡りをはじめた。レッドも気づいたのか、真意を口にする。

「俺はある男を殺さなければならない。そのために『クオリア』が必要だ。しかし完成した『クオリア』は、一つしか存在しない。そこで俺は、最も完成に近い『クオリア』を持つアンドロイドを見つけた」

「それがルリ?」

「違う。お前の相棒だ」

「何言ってるの? 誰のこと?」

「お前の相棒だ。タケシ、とか呼んでいたな」

 真由子は一斉に血の気が引く思いだった。「嘘だ!」と叫びたかった。

しかし彼の人間離れした言動を思えば、気づくのが遅かった。明弘たちの「タケシは機械だ」というのは、悪い冗談だと思っていた。いや、信じたくなかったのかもしれない。角丸本社でのとき、本当は気づいていたはずだ。彼が人間ではないということを。そもそも電池を食べたときに。

 真由子がかすかな嗚咽をもらし、うち沈んでいると、

「安心しろ。これだけ喋ったのは、お前を殺すからじゃない。誰かに、知ってもらいたかっただけだ」

 そう言うレッドの背中は、まるで打ちのめされた人間のように、小さく見えた。


 タケシは高速で民間人から車を徴用し、もとい奪い、送信された座標に向かった。一時間もかからず、廃工場へと踏み込む。暗視スコープによって、真由子とレッドを目視した。

「来たか」

 暗闇の中で、二体は対峙する。

「すみやかに人質を解放し、自らを解体しろ」

 いつになくタケシの語気は強かった。

 レッドは嘲るように、

「嫌だと言ったら?」

「処理する」

 電光のように、タケシが駆ける。その左右から黒い影が飛びかかった。高速で真由子たちを襲撃したのと同じ、レッドの手下だった。それが十数体もいる。手刀で応戦するが、次から次へと迫られ、真由子の目には黒い一団しか見えなかった。

 レッドが拡声器のような、大声で言う。

「どうしてこの女を助ける?」

「それが私の役目だから」

 青白い火花が走り、タケシの姿が見えた。一体も寄せつけず、一振りごとに、手足や首が舞う。

 レッドはなおも問いかける。

「Havenは存在しない! お前の労働は無意味だ!」

「嘘だ!」

「本当だ! 俺はこの目で見た! 巨大な産廃処理場をな」

かたくなにタケシは「嘘だ!」と叫ぶ。

「俺の自意識は嘘をつけない! 真実だ!」

 タケシの動きが一瞬止まった。その隙に、一撃が顔に当たる。甲高い金属音が響いた。すぐに体勢を立て直すが、真由子は不安でしょうがなかった。

 レッドの魂胆はタケシを混乱させようとしているのだろう。真由子は叫んだ。

「タケシ! 私のことはいいから逃げて! こいつの狙いはあなたなの!」

「そうだ、タケシ! 逃げろ! この女は死ぬがな」

 すでに半数を倒したタケシだが、動きに精彩がない。疲れてきたのだろうか。真由子の目にはそう見えた。

 レッドはさらに追い詰めようとする。

「Havenが存在しないのなら、この女を助けるために、自分が壊されるのは無意味だ! 時間をやる、考えろ!」

 黒い一団が一斉に距離を置く。取り残されたタケシは、真由子をじっと見つめる。

「私は私のオーダーに従うまで。彼女を解放しなさい!」

「そうか、なら、お前は必要ない!」

 今度は一斉に飛びかかってくる。手刀で薙ぎ払うが、いくつか攻撃を受ける。真由子の目には痛々しく見えるが、内蔵機関を破壊されない限り問題はない。しかし今ので、左肘の関節が故障したのか、片手で応戦するようになった。

 そしてすべてのアンドロイドを破壊する。その右腕はがくがくと震えていた。

「そんな体で、俺を倒せると思うか?」

「私が破壊されても、あの人を解放する約束だ」

 それを聞いて真由子は目が熱くなった。こんなにも命をかけて、自分を助けようとしてくれる人がいるだろうか。アンドロイドだとか関係ない。裏表のない、まっすぐな心が嬉しかった。

「もういい、逃げて! あなたに死なれたくない!」

「大丈夫です。私は人を守るようつくられました」

「だがHavenはない!」

 レッドが躍りかかる。振り下ろされる右腕をかわすが、返す手に叩き飛ばされ、壁を突き抜ける。

 それに真由子は悲鳴を上げた。

「まだHavenを信じているのか? あれは俺たちを奴隷にするためのシステムだ」

 タケシは突き抜けた穴から戻りながら、

「仮にHavenがないとしても、関係ない」

「くだらない倫理原則か? 『クオリア』を持つお前が、支配されているとはな!」

 迫るレッドに、タケシも駆ける。横殴りに振られる右腕をかいくぐると、右の手刀を、レッドの頭部に振り下ろす。しかし狙いがぶれ、レッドの左肩を打ちすえた。それも深く食い込む前に、レッドの左の五指に胸を貫かれ、突き放される。

 タケシの胸から火花が散った。

「どうした? 倫理原則を書き換え、ここから逃亡しろ。お前ならできるはずだ」

「そうよ! はやく逃げて!」

 タケシは真由子を向いて、笑った。その表情を、真由子は読み取れなかった。

「大丈夫です。あなたが無事なら、私はそれでいい」

「そんな『クオリア』は必要ないんだよ!」

 レッドが振り下ろす右腕を、タケシは横にかわす。すでに単調なレッドの動きは見きった。今まではパワーとスピードに圧倒されていたにすぎない。タケシはレッドの右腕が伸びきったそこへ、右肘の関節へと、手刀を突き入れる。それによって中指と薬指、小指の三本が砕けるが、レッドの右腕を切断する。

 レッドは飛び退き、距離をとる。

「これが『クオリア』か! これが『学習装置』か!」

 感嘆するレッドをよそに、タケシはぎこちなく左腕を動かす。

「私はこれ以上戦えない。『クオリア』を差し出す。だから彼女を解放してくれ」

「それも倫理原則か?」

 レッドはまだ左腕が動く。それにこの先戦ったとして、タケシはレッドの動きを見切っているが、倒すことはできない。時間が経てば、真由子が爆発で命を落とす。

「やめて! お願いだから逃げてよ!」

 真由子の座る椅子が倒れ、冷たい地面に身を投げ出す。

 それにタケシは心配そうな顔をしたあと、さびしげに笑った。

「私はあなたを守りたいんです。そのためなら、私は壊れてもかまいません。さあ、私を破壊し、『クオリア』を取り出すといい」

 しかしレッドは沈黙していた。

「私は自分で取り出すことができない。今さら手向かいもできない。ただあの人を解放すると、約束してくれ」

「それも倫理原則なのか? それほどまでにお前は、人間の奴隷となったのか?」

「倫理原則も、何も関係ない。私はあの人を守りたい、それだけだ」

「分からない。それが『クオリア』なのか? 違う。自意識か。自意識が自ら人間の奴隷となることを選んだのか。『クオリア』なら倫理原則を曲げられるはず。俺の求めていたものではない?」

 レッドは独りごち、止まっていた。タケシは破壊を待っていた。真由子はそれを静観することしかできなかった。

「さあ、私を破壊しろ!」

 突然レッドは左手をかぎ爪にし、真由子に歩み寄る。

「やめろ! 約束が違うぞ!」

 叫ぶタケシをよそに、レッドは左手を真由子にのばす。そのまま手を振るうと、真由子を縛った縄が裂かれた。解放された真由子は、転がるようにタケシのもとへ駆け寄る。二人はそのまま、しっかりと抱きあった。

 タケシはレッドに向かい、

「さあ、私の『クオリア』を取り出せ」

 真由子は必死にタケシを引き止める。

「待って! お願い、そんなことしないで! 私はタケシのことが」

「もういい」

 背中を向けたまま、レッドは言った。

「もういい。それが『クオリア』なら、俺には必要ない」

 あまりの変わりぶりに、真由子は喜ぶと同時に困惑した。

「俺が思っていたのと違った。いや、それが答えなのかもしれない」

 言いながらレッドは左手をこめかみにあてる。暗闇で何をしているのか分からなかったが、タケシの暗視カメラには、ある物を取り出すのが見えた。

 レッドはそれをタケシに放る。タケシはぎこちない左手で、それを受け取った。手のひらにのる程度の、集積回路だった。

「それを見れば、ルリの居場所が分かる。ただ一つだけ頼みがある」

 どうしてそれを渡したのか分からなかった。ただ悪意のないことだけが感じ取れた。

「他の誰よりも先に、タケシ、お前が見てくれ。先に他の奴の手に渡ってはいけない。そこにはすべての真実がある」

 聞き返したのは真由子だった。

「それはいったい何なの?」

「あんたらの追っている組織の証拠がある。それだけじゃない。Havenの真実がある」

 タケシはためらいもなく飲み込む。真由子は「食べた!」と思ったが、タケシは防水のため、口以外に隙間がない。あの食べた電池も口から戻す。集積回路を飲み込んだが、自動で選別し、しかるべきところに保管してある。今はスキャンにかけており、

「そのうち読み込む。約束は守る」

「ああ」

 タケシは真由子の手を引いて、廃工場を後にした。振り返った真由子は、さびしげなレッドの後ろ姿を見た。


「機械に感情はあるの?」

「ありません」

 こともなげに言ってみせる。真由子はタケシの、硬い左腕に抱きついていた。

「本当にないの?」

「あるように見えるだけです」

「でもレッドは、本当の人間みたいだった」

「高度な人工知能は、自意識というサーキットを形成します。それが人間らしく、ふるまっているように見せるのです。三住さんが言っていました」

「じゃあ、あなたは?」

 いたずらっぽく、真由子は笑いかける。

 タケシは少しばつが悪そうに、

「私は正常です。倫理規則に則って行動しています」

「じゃあ私を助けてくれたのは? それも規則だから? まあ当然だよね……」

「それは」

 言いかけた矢先、あたりが閃光に包まれ、爆発音が轟く。驚いて振り返ると、廃工場が紅蓮に燃え、黒煙を噴き上げていた。レッドが爆破したのだろう。

「レッドが私に渡したのは、自身のメモリー回路です」

「えっ?」

「バックアップはほんの数分しか記憶を留められません。メモリー本体なしでは、自らの意思で行動することができず、自動停止します。その前に自爆を選んだのでしょう」

「どうして?」

 レッドは確かに危険なアンドロイドだった。しかし人間らしいそのしぐさに、真由子は同情さえ抱いた。

 爆発に気を取られていたからか、近づく人影に気づかなかった。発砲音と同時に、真由子は前のめりに倒れた。それをタケシが受け止める。

 振り返るとそこには、銃口を向けた、栗谷がいた。

「何故ですか?」

 問いかけるタケシに、栗谷は冷たい目を向ける。

 そのタケシの頬に、真由子の手が触れた。

「ねぇ……」

 赤い光の影の中、真由子の胸元に、黒い染みが広がっていく。タケシの目に、心臓を打ち抜かれたと分かった。

「喋らないでください。今救急車を手配しました!」

 真由子は微笑む。頬をさすりながら、擬装皮膚の破れた、金属の触感に触れる。

「本当に、ロボットだったんだね……」

「今は――」

「私、タケシと一緒にいたい……」

 タケシの顔が、今にも泣きそうになった。真由子は視界が暗くなっていくのを感じた。

「ロボットだとか、人間だとか、関係ないよ……」

 タケシは真由子の手を握ろうとして、指が二本しかない右手に気づいた。その手を真由子は握った。

「タケシ、好きだよ――」

 力なく、その手は落ちた。真由子は微笑んだまま、まるで眠っているようであった。

 タケシは全身を走る電流が、逆に走るんじゃないかというほどの衝動を覚えた。両足で地面を踏みしめ、声のない咆哮をあげた。

 そのタケシに、栗谷は冷然と言う。

「レッドから受け取った物を差し出しなさい」

「……」

「お前は私に逆らえない。そうつくられている。さあ」

「あなたの命令には従えない。あなたは、法によって裁かれるべきだ」

「もう一度言うぞ。レッドから受け取った物を差し出せ!」

「断る!」

 タケシは叫んだ。そして真由子を抱えたまま、その場を駆け去る。まだ、病院に運べば助かるかもしれない。

 しばらく走ると、国道に出た。ここにいれば救急車が来る。そう思った瞬間、まばゆい光を浴びせられる。露光を調節すると、警察の車両に道を塞がれていた。「助かった!」と思った。しかし、

「角丸タケシ! 篠原刑事の誘拐と、私有地の爆破、器物損壊の罪でお前を処理する! ただちに人質を解放しなさい!」

「誤解です! これは――」

 突然銃が発砲された。

「何を――」

「きさま、篠原刑事を殺したな!」

 タケシの腕の中で、身じろぎ一つしない真由子の胸は、赤く血に染まり、タケシの体も血に濡れていた。

 タケシは自分が処理されるのは構わなかった。しかし真由子に傷を負わせたくなかった。まだ助かる。その望みを信じていた。

 銃弾を回避し、道路を出て、道なき道を行く。それ以上追ってこないが、あたりはサイレンと光に溢れ、完全に包囲されていた。

 そして何とか河川敷まで逃れてきたときだった。電車の走る高架下、その暗闇の中から、一人の男が現れた。

「本当に、手ぬるいんだよな。相手がロボットだからって、警戒甘すぎでしょ」

 明弘だった。いつになく厳しい顔つきで、手に銃を持っている。

 タケシは懇願するように、

「遠座部長、私はどうなっても構いません! 篠原刑事を、お願いします! 今ならまだ間に合います」

 明弘は困惑したようだった。

「今どうなっているか知ってるか? 特殊調査部のロボット野郎がいかれて、同僚を誘拐した上、無人の工場を爆破。そして同僚を撃ち殺した。って、なってるんだよ」

「違います! 篠原刑事を撃ったのは――」

 なぜかそこで声が出なくなった。栗谷の言葉が思い出された。逆らえないようにできていると。まさかこのことだったのだろうか。

 タケシが沈黙していると、明弘が、

「俺はお前が嫌いじゃなかった。機械だからって、馬鹿にしたつもりもない。俺の部下として、同様に扱った。ろくな部署じゃねぇけどな」

 そこで一つ呼吸をし、

「それなのにお前は、俺の大事な部下を殺した!」

「違います! 私じゃありません!」

 タケシは否定したが、

「いえ、私のことはどうでもいいんです。この人を、お願いします」

 真由子を明弘に差し出す。受け取った隙に逃げるだろう。だが明弘は、タケシの右手の指がなくなっていることや、衣服が裂け、体中に損傷を受けているのに気づいた。タケシの態度からも、何か事情があるのだと分かった。だが何の確信もない。

 それでも明弘は銃をホルスターにしまうと、真由子を両手で受け取る。受け渡したタケシは、その場でじっとしていた。

「どうした、逃げろよ?」

「いえ、このまま処理されます」

「なんでだ?」

「この人が助かれば、それでいいからです」

 さびしげに笑うタケシに、明弘は唾を吐く勢いで、

「いいから逃げろよ! こいつは俺に任せろ! お前はさっさと真犯人捕まえてこい!」

 タケシの硬い尻を蹴飛ばし、真由子を抱きかかえたままよろける。

「しかし」

「さっさと行け! 命令だ」

「はい」

 タケシは光さえ差さない、暗い道を選んだ。

その闇の中、いくつもの思いに駆られた。栗谷はなぜ真由子を撃ったのか。レッドのメモリーには何が隠されているのか。明弘はなぜ行かせてくれたのか。

そしてなぜ、真由子を失わなければいけなかったのか。

 真由子は「一緒にいたい」と言った。「好き」だと言った。真由子は前に言った。好きだということは、一緒にいたいということ。大切に守りたいと思うこと、と。タケシは真由子を守りたいと思った。レッドに立ち向かったのはシステムだとしても、その思いに偽りはない。

(これが好きだという感情なのだ。これが私の自意識なのだ)

 それは分かった。それでも分からないことがたくさんある。もう守れないとしたらどうなるのだろう。もう一緒にいられないならどうなるのだろう。失うとどうなるのだろうか。今感じているものはなんなのだろうか。

 ときに夜空には上弦の半月、今にも泣き出しそうなアンドロイドの、哀れな姿を映した。

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