Sect.2 模造花
都内のある花屋。その店の女主人と、平内の社員が運転する車が接触事故を起こした。幸いにも女主人、夏井瑞穂は腰の骨を折る重傷だったが、命に別状はなかった。問題となったのは花屋の経営だった。そこで平内は慰謝料と別に、従業員としてアンドロイドを提供すると申し出た。
「失礼します」
そう言って背広の男は、病室に入ってきた。その後ろには花のように可愛らしい少女がついてくる。それがこの男とどういう関係かは分からなかった。
「このたびは、誠に申し訳ありませんでした」
深々と頭を下げる男に、
「いえ、こちらこそ不注意でしたから」
事実、赤信号で歩道を渡ったこちらにも責任がある。いつもは車の通らない道だと、ほんの不注意であった。それでも平内の若い社員、村下は平謝りであった。
「それで今日はですね、先日お話しした――」
「その件ですが、お断りしようかと」
村下は驚き、
「なにかお気に障りましたか? 申し訳ありません」
また頭を下げようとするのを手で制し、
「いえ、そういうことじゃありません」
そこで不安に思っていたことを言う。
「ご厚意はありがたいんですが、花屋も客商売ですからね。アンドロイドだと、気味悪がられそうで」
「そんなことはありません! 今日はですね、一度見てもらおうと、そのアンドロイドをつれてきました」
「どこに?」
それに村下はきょとんとし、静かにたたずんだ少女を指す。
「こちらです」
瑞穂が驚愕に言葉を失っていると、少女のアンドロイドは愛らしく微笑んだ。
木曽鳴海は高校三年生だった。趣味はコンビニや本屋の店員で、可愛い子を見つけることだった。見つけたからといって、どうということはない。学校で友人たちに「どこどこで可愛い子を見つけた」と発表しあうだけだった。
そんなある日、いつにもまして友人の大谷は朝からテンションが高かった。唾を飛ばしそうな勢いで言う。
「昨日の帰り、駅前の花屋でよ」
「なになに?」
鳴海が食いつくのに、にやけ笑いで、
「もうすげぇ可愛いの! マジでお前らに見せてやりたい。あれは、あれだね。芸能人の、あれ並みだ」
要領を得ないが、とにかくすごいのは伝わった。鳴海と数人は「見てぇ!」とうなる。
そして放課後、大谷を筆頭に、鳴海ともう一人の三人で向かった。
「たいしたことなかったら、ジュースおごれよ」
それに大谷は、
「いいぜ! もし可愛かったら、お前らがおごれよ」
「いいよ!」
かなりの自信のようだった。鳴海は好奇心で胸が膨らんだ。
「ほら、ここだよ」
駅前の、さびれた花屋に着いた。確かここは毎朝通学のとき、おばちゃんが花に水やりしているのを見た記憶がある。
「お前、ふざけんな! ここおばちゃんしかいねぇぞ!」
大谷の感性を疑いつつ、怒りに彼の胸倉をつかんでいた。大谷は「違うって」となおも弁解するが聞き入れない。ジュースをおごらせようと、立ち去ろうとしたとき、
「いらっしゃいませ」
甘い響きの声音に、鳴海は振り返る。
「あっ……」
言葉を失うとはこのことだ。このとき、花の名前など知らないが、「蘭の花のよう」と、その可愛らしさを形容する言葉がよぎった。
同い年ぐらいだろうか。かすかな茶色みを帯びた髪に、パーマがかった毛先は、風にふわふわと揺れる。細い体つきに、女性にしては背が高く、モデルのようである。よく整った顔立ちだが、少し丸っこい鼻に愛嬌があった。
店員の少女は、まさに花のように笑い、
「お花はいかがですか?」
「えっと」
気づけば、なけなしの財布から、三千円もする花束を買っていた。
鳴海はその後も通い続けた。まわりが受験だので騒いでいる中、すっかり勉強が手につかなくなった。少女の名前は「えい子」と言った。鳴海は彼女のことしか考えられなくなった。
花を買う金もないのに、店先をのぞいたとき、えい子が笑いかけてくる。
「こんにちは」
「あ、こんにちは」
思わず足を止めたが、どうしたものか。えい子はにこやかに、
「お花はいかがですか?」
それに鳴海はもう少し話していたかったが、素直に、消え入りそうな声で言う。
「いや、その、今日は持ちあわせがなくて……」
「そうですか」
えい子は少し寂しそうに言った。鳴海は罪悪感のようなものがこみあげ、胸がふさがりそうだった。
そこでえい子は、鳴海の心中など知らないだろうが、手をうって笑う。
「それでしたら、お花だけでも見ていってください」
「えっ?」
「今のうちに買いたい花を決めて、また今度お金があるときに買っていってください」
うまい具合に乗せられているようにも思えるが、純真そうなしぐさに、鳴海は疑う余地もなかった。胸が軽くなり、顔がほころぶ。彼女と話していられることが嬉しかった。
えい子は鳴海を店の奥につれ、あれやこれやと、花や観葉植物の説明をする。鳴海は頭がくらくらしたが、えい子の声を聞いていられるのが幸せだった。
「お好きな花はありますか?」
それにはっとする。鳴海はとっさに、
「蘭の、花が」
「これですね」
そう言って、鉢に植えた、白く揺れる花を手に取る。それを見て、これが蘭かと思った。いくつも寄り合い、方々に向いている。その均整のとれた姿は美しく、手のひらにのる程度の花は愛らしかった。
「胡蝶蘭といいます。他にも赤みが強いものや、一点だけ赤いものもあります。熱帯の植物なので、ちょうど今が開花時期です」
「へぇ」
としか言えなかった。ので、
「あの、これって置いといてもらえます?」
思わず言ってしまう。
「その、また明日買いにきます」
えい子は微笑む。
「ありがとうございます」
蘭の花という形容は、間違いではないなと思った。
それからも花の種類や、手入れの仕方を教えてもらいに、足しげく通うようになった。家族はガーデニングに目覚めた鳴海を、奇異な目ではみるが、とめようとはしなかった。
鳴海はえい子と話が盛り上がっても、仕事の邪魔をしてはいけないので、少ししたら帰ることにしていた。それでも彼は幸せだった。
そしてある日、店の中で、杖をついた中年の女性がえい子と話していた。はじめは客かと思ったが、こちらを振り向くなり、にこやかに笑い、
「いらっしゃいませ」
と言われたのに、この女性がいつもいたおばちゃんだと思い出した。
「ど、どうも……」
えい子の母親だろうか。それとも怪我をしているから、臨時に彼女を雇ったのだろうか。今まですっかり関係を聞くのを忘れていた。
鳴海が気まずそうにしていると、えい子は微笑んで、
「お花は元気にしていますか? あっ、こちらは夏井店長です」
その紹介に鳴海は軽くお辞儀した。
夏井は微笑みながら、
「いつも贔屓にしてくれてありがとうね。私は奥に行ってるから、あとはよろしくね」
後半はえい子にだった。鳴海はどうしたものかと思っていると、にこにこ笑っているえい子に、すっかり気持ちが溶けた。
いなくなったのを確認すると、鳴海はえい子に事情を聞いてみる。それによると夏井は先月事故に遭い、仕事ができないので、えい子を雇ったとのことだった。
「じゃあ怪我が治ったら、辞めちゃんですか?」
それにえい子は困ったように笑い、
「分かりません。せっかく鳴海くんと仲良くなれたから、ずっと働いていたいんですけど」
その言葉に鳴海は、自分の中で何かが弾けるような気がした。かっと熱くなり、自分が自分でないような気がした。
「あの」
「なに?」
首をかしげ、蘭のように揺れる髪、花のような笑顔。鳴海は意を決した。
「今度の日曜、あいてますか?」
「日曜ですか。店はお休みです」
「その、一緒に、出かけませんか?」
自分でも何を言ってるのか分からなかった。いったいどこに出かけようというのか。とっさに言葉をつなぐ。
「植物園とか、どうでしょうか? いいところ知っているので」
もちろん後で調べる。植物園がどこにあるかも知らない。
「すみません」
えい子は笑う。玉砕したなと、肩を落としかけたとき、
「店長に確認してみます。また明日も来てくれますか?」
「はい! もちろん」
鳴海は嬉しさのあまり、飛び跳ねたくなった。しかし我慢して、彼が飛び跳ねたのは駅の改札前だった。
瑞穂はアンドロイドが少年と仲良くしているのを悪く思っていなかった。名前を適当に「A子」とつけたのは、今では反省している。
A子は明るく、一緒にいるとこちらも明るくなった。病院での退屈な生活、店はうまくやっているか気が気でなかったが、いざ帰ってきてみれば、前よりも活気のある気がした。それに体の不自由な瑞穂の面倒を、嫌な顔を一つせずしてくれた。
瑞穂には娘が一人いたが、嫁にいってしまった。夫とは離婚し、そうしてはじめたのが花屋だった。A子は実の娘よりも聞き分けがよく、身の回りの世話もしてくれた。
まるでA子が娘のように思え、嬉しくなった。鳴海とのデートも、不安はあるが、いつまでもここには置いておけないだろうし、今だけは応援したい気になっていた。
とうのA子は瑞穂や鳴海の気持ちなど知らないだろうが、にこやかにうなずく。
そのころ鳴海は、必死に植物園を探していたが、べつに植物園である必要がないことに気づく。何かいいデートスポットはないかと、そこで「横浜に行こう!」と思いたった。
わざわざ横浜を思いついたのは、何となくそこがデートスポットの気がしたからだ。
デートはぐだぐだだった。赤レンガ倉庫や、めぼしい場所はいくつか回ったが、慣れない鳴海はえい子に案内してもらう始末。それでも何があっても微笑んでいるので、気持ちは楽だった。
ただ機嫌を損ねたのかしらないが、中華街では何も口にしようとしなかった。その間ずっとトイレに行っているのに、鳴海の心臓は震えあがった。
そしてあたりが暗くなるころに、海辺の公園に行くのは計算通りだった。といっても夏前で、日の出ている時間は長く、まだ空の端は明るい。ちょうど公園の東側に海があるおかげで、ひっそりとした帳がおりていた。
鳴海はえい子と連れたって、海沿いの散歩道、山下公園を歩いていた。恋人たちの聖地ということで、なるほど、ところかまわず抱きあっているカップルがいた。「失敗したな」と鳴海は気が重かった。えい子の方は、にこにこと微笑んで、隣を歩いている。白地に赤い小花を散らしたワンピースに、デニム生地の青い半袖を着ている。白く伸びる手を、つなぎたい衝動に駆られた。
この期におよんで浮ついている自分に気づき、鳴海はため息をもらす。それにえい子は心配そうに、
「どうしました? 退屈させてしまいました?」
「いや、とんでもない!」
反省すべきは自分である。鳴海は思ったことを口にする。
「その、今日はつれまわしたりして、迷惑をかけてしまい、すみません。俺、調子のってて、えい子さんのこと考えてませんでした……」
「そんな、迷惑だなんて。楽しかったですよ? いろんなところ見てまわれて。今日は誘ってくれてありがとうございます」
街灯に照らされる、白く愛らしい顔。にこやかに笑う姿に、鳴海の胸は熱くなった。思わずえい子の手を握ってしまう。その柔らかで冷たい感触に、はっと我に返る。
「すみません」
手を戻す鳴海に、えい子は不思議そうに言う。
「どうしてですか?」
鳴海はばつが悪く、言葉をにごす。それにえい子は、
「みんな、つないでますよ。あれは何しているんでしょうか?」
口づけをしているカップルを指した。鳴海は赤面し、からかっているのかと思ったが、えい子は純真そのものである。微笑んで鳴海を向き、
「私たちも手をつなぎましょう?」
その言葉に鳴海は、頭の中がすべてとろけてしまうような感覚がした。
それからも鳴海はA子をデートに誘った。さすがに瑞穂も、このままではいけない気がした。ほんの少し鳴海の気持ちを叶えるつもりだったが、いずれはA子がアンドロイドであることを知るはず、いや知らなければならない。
瑞穂はそのことを村下に相談した。
「別のアンドロイドに交換しましょうか?」
電話口で、物のように言う村下に違和感を抱いた。A子と一緒にすごすうち、情が移ったのかもしれない。
「いえ、結構です。ところで、一年間の貸し出しということになっていましたが」
「はい。ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
「もう大丈夫ですから、お気になさらないでください。それでですね、A子を正式にレンタルしたいのですが」
「えと、それは?」
「ええ。ちゃんとお金は払います。彼女にはとても助かっていまして、正式に契約したいのですが」
「はい、大丈夫です! 契約料ですが、私の方で上司と相談し、なるべく抑えてもらいます! ありがとうございます」
なにやら村下は嬉しそうだった。
瑞穂としては、A子を物のようにしか扱わない村下や会社に、反感を抱いていた。手元に置いて、彼女を大切に守ってあげたい、そう思った。
月に一度、A子をメンテナンスに出していた。今までは休日だったのだが、瑞穂ももう、杖なしで生活できるようになったので、彼女を行かせた。
それを知らずにひょっこり鳴海が顔を出す。
「こんにちは!」
快活な少年で、瑞穂は好感をもっていた。
「あら、こんにちは。A子は出かけていて、今はいないの」
それに傍目からも分かるほど、鳴海は落胆していた。
「ああ、そうそう鳴海くん。君に話があるんだけど」
どきりとする鳴海に、瑞穂は微笑んだ。
「A子のことなんだけど」
「は、はい……」
消え入りそうな声は、怒られると思っているのだろう。
「奥にあがって。お茶を入れるから」
「すみません……」
元気のない鳴海に、瑞穂はおかしくなった。
奥は座敷になっていて、ここで生活していた。鳴海は正座で座り、彼の前のテーブルに茶菓子を置く。
「話しておきたいことがあってね」
「はい!」
妙にかしこまっていた。その彼の前に、タンスからあるものを取りだす。それはA子の取扱説明書だった。
「口で言うよりも、目で見た方が信じられるでしょう?」
鳴海は状況が飲みこめていない様子だったが、ぱらぱらとページをめくり、顔色が変わっていった。
「これはいったい何ですか?」
「A子の取扱説明書。彼女はアンドロイドなの」
それに鳴海はしばらく無言だった。無理もないだろう。好きになった女性が、人間じゃなかったのだ。
もし鳴海が離れていっても、A子は傷つくまい。機械に感情はないのだから。
「信じられません……」
やっとそう一言だけ口から出た。
「信じなくてもいいけど、傷つくのはあなたよ? 私はなにも、二人の仲を裂きたいわけじゃないの。ただ一途なあなたを見かねて」
「帰ります」
鳴海はさっと立ち上がり、転びそうになりながら靴を履いて、出て行った。
それ以来、鳴海は来なくなった。
夏が明けた。鳴海はその間、ようやく受験勉強らしいことをした。予備校にも通った。学校で大谷にえい子の件でからかわれてから、一度も話さなくなった。えい子のことは、忘れたくても忘れられなかった。
本当にえい子はアンドロイドなのだろうか。とてもじゃないが信じられない。夏井は自分たちを別れさせたかったのか。そんなはずはない。自分が来るたびに、あたたかく迎えてくれた。それにあんな手のこんだものを、そう簡単に用意できるだろうか。仮に偽物だとしても、どうしてそんなまわりくどいことをしたのか。
考えれば考えるほど、わけが分からない。いくら夏井を疑ってみても、えい子がアンドロイドだという気しかしなかった。
(それでも……)
そこではっとする。アンドロイドだから何だというのだ。なぜ今まで気づかなかったのか。
えい子はえい子だ。そう思うと、鳴海の心は軽くなった。
思わず授業中に立ち上がり、恥ずかしさからも、今すぐこの場を立ち去りたかった。
まだ彼女はいるだろうかと、不安に駆り立てられた。今まで素通りし、なるべく見ないようにしていた。
鳴海は早足で、急く気持ちを抑え、残暑の熱い道を行く。白いワイシャツが汗に濡れた。
そして店の手前で、その足が止まる。今さらどんな顔をして会えばいいのだろうか。しかし迷っていてもはじまらない。初めてデートに誘ったときのように、勇気を奮い起こす。
鳴海が一歩踏み出したとき、店先に、白い花が揺れた。エプロン姿に白い半袖、愛らしい顔立ちの少女はえい子だった。この暑さの中で、汗ひとつかいていない
二人は目が合い、立ち尽くす。えい子にいつもの笑顔はなかった。愛想を尽かされたと思った。それでも鳴海は一歩踏み出す。その瞬間、えい子は、どこかぎこちない笑顔をした。今にも泣き出しそうに、目尻がよっていた。
「やっと、来てくれましたね。どうしてたんですか?」
その様子は、とてもアンドロイドとは思えなかった。
鳴海は相変わらず心臓が高鳴っていたが、みょうに頭が冴えていた。
「仕事おわったあと、少しいいですか? 話したいことがあって」
まずかったのだろうか、えい子は表情をなくす。
たまらなくなった鳴海は、さっさと切り上げる。
「近くの公園で待ってます。来てくれるまで」
「分かりました」
それだけ言うと、鳴海は立ち去った。心中、自責の念でいっぱいだった。
(なんであんな態度とったんだ! えい子さんだって気を悪くするだろう)
空が暗くなりはじめていた。あのころもこんなぐらいだったっけと、三時間以上ベンチに座りながら、鳴海は思った。
蝉の声がやかましく、朦朧とした意識が引き戻される。
えい子は来てくれるだろうか。来てくれても、何を言えばいいのだろう。
そうしているうちに、白い人影がやってきた。いつかのワンピース姿だった。
「すみません、遅くなりました」
「大丈夫ですよ。俺の方こそ、急にすみません」
鳴海は無理して笑ってみせた。
えい子はその横に腰かける。花の甘い香りが、あたりに広がった気がした。
そこで沈黙がおりる。最初に口を開いたのはえい子だった。
「最近お忙しいんですか?」
「うん。受験勉強があって」
「大変ですね」
「……」
「お花は、どうですか? きれいな花が咲きました?」
「うん。ちょっと気を抜いたら、枯れちゃった」
「かわいそうに」
「……」
「あっ、その、またどこか連れて行ってください。鳴海くん、いろんな場所知っているから」
「あの」
「はい!」
「アンドロイドって本当?」
「……」
自分でも突然何を言っているのかと思った。そうだ、自分は何の脈絡もない言葉で、相手を困らせてしまう。
鳴海は慌てて前言を撤回しようと振り向くと、
「本当です」
いつもどおりの声音だった。それでも表情は、暗くてはっきりと見えないが、今にも泣き出しそうに思えた。
「私は人間じゃありません。もちろん感情なんてありません」
「でも機械だったら、笑ったりなんてできないんじゃ」
「感情表現は、そう認識されるよう、プログラムされたものです。私は、人や、主人に奉仕するのが役目であり、そのためにつくられました」
「じゃあ楽しそうに笑うのは――」
「全部嘘です。あなたを喜ばせたくて、嘘をついてました」
「そっか」
なぜか、動じていない自分がいた。むしろ愛おしさがこみあげてくる。
「じゃあどうして今は、そんなに泣きそうなの?」
はっと、えい子は鳴海を向く。涙こそこぼれていないが、泣いているようだった。
「私は機械だから泣けないんです! 嬉しかったら笑えます。だけど悲しくても、泣けない。私は、機械なんです……」
「嘘だ!」
鳴海は立ち上がり、えい子の前に立つ。
「感情がなかったら、そんな顔ができるかよ? 嬉しかったら笑うんだろ? それが感情だよ!」
えい子はじっと見つめていた。
鳴海は勢いにまかせる。ここで言わなければ、一生後悔する。
「俺はえい子が好きだ! 人間だのアンドロイドだの関係ない! だからえい子の気持ちを聞かせてくれよ」
「じゃあどうして、今まで会いに来てくれなかったんですか?」
「勇気がなかった……」
アンドロイドだということを、受け入れる勇気が。
「だけど今、こうしてえい子に会って、分かったんだ。俺はえい子のことが好きだって」
「本当ですか?」
「うん」
身を縮めて、見つめるえい子。今すぐに抱きしめたかった。ただ沈黙の緊張に耐えきれず、鳴海は目をつぶって空を仰いだ。
(悔いはない。うん、これでいいんだ……)
そのとき、ふわっと風が吹き、冷たい感触に抱きしめられる。驚いて目を開ければ、えい子が抱きついていた。
「私も、好きっていっても、信じてくれますか?」
「信じる!」
背中を抱きしめると、ひやりと心地よく、胸の中にあたたかいものがこみ上げた。今すぐ飛び跳ねて、この喜びを叫びたかった。
今全身で感じている、確かにある感触。たとえアンドロイドでも、どこに違いがあるだろう。
耳元でえい子は、
「アンドロイドに、好きって感情はありませんよ?」
そういたずらっぽく笑う。
鳴海はえい子の瞳を見つめる。
「それでもいい」
強く抱きしめて、唇を重ねた。確かな感触がそこにある。すべての感情が偽物だとしても、かまわない、そう鳴海は思った。
A子の回路は甘く軋んでいた。
アンドロイドに感情はない。それは何も、A子や他のアンドロイドだけでなく、多くの学者がそう思っていた。しかしある学者は、高度な人工知能は、自意識、感情を形成すると主張していた。
A子の自意識は、鳴海と会えない間に大きく成長した。
そしてA子の中に「会いたい」という感情が芽生えた。一緒に生活している瑞穂にさえ分からなかったが、地に根をはるように、感情は形成されていった。
鳴海に嫌われたと思っていた彼女は、再会すると同時に、悲しみを覚えた。そして鳴海の告白に幸せを感じた。
プログラムされたことだとしても、人間の感情もまた電気パルスでしかなく、脳内の現象である。人間にしても、プログラムされた存在と何の違いがあるだろう。
そこまでのことに二人は思い至らずも、幸せな思いで、駅でわかれた。
「また明日」と、手を振った。
「すみません、遅くなりました」
家の中はひっそりと暗く、人の気配がなかった。
暗闇でも目の見えるA子は、明かりも点けず、奥に入る。瑞穂に何かあったのではないだろうかと、奥の寝室に向かうが、ひっそりと立っている影に気づいた。
目深にかぶった帽子に作業着。大柄な男に見えるが、熱は感知されなかった。人間ではない。人間の姿をした物が、侵入していた。
A子には緊急時に、警察や消防、本社に連絡を送信することができる機能が備わっている。しかしノイズがひどく、妨害電波が発生していることに気づいた。
逃げようとするA子を、大きな影が遮る。右腕を掴みあげられ、床に叩きつけられる。とっさに立ち上がろうとするも、右腕がもがれ、片手で体を起こす。そこへ人の姿をしたそれは、右手の指をかぎ爪のように曲げて横に振るう。指はA子の胸に食い込み、外装を引き剥がす。青白く光る内蔵機関が露出した。
ここでやっと、それの目的が分かった。自分を壊そうというのだ。A子の中に、「壊されたくない」という思いがこみ上げた。
「お願いします、助けてください!」
一瞬それは動きを止めたが、A子の体を床に組みしく。なおも哀願するA子の胸の中に、両手を差し込み、掻き回した。泣きわめくように声を上げ、暴れるが、A子の力では押しのけることもできなかった。
そしていくつかの配線ごと、手が引き抜かれる。覆いかぶさっている影はとびのいた。A子はがくがくと痙攣した。目の前に、星のようなものがいくつも光っているのを見た。剥き出しの胸からは火花が飛び散り、青い光が増す。
A子は悲鳴をあげた。それと同時に、四肢がふきとぶ。配線を引き抜かれたことでショートし、爆発した。
たたずむ影の足下に、A子の首が転がり落ちた。その顔は、生きた人間のように、今にも泣き出しそうな表情を浮かべていた。