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Galatea  作者: 藤原建武
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Sect.1 機械仕掛けの心臓

 いつだったろうか。確か二人で研究室に遅くまで残っていたときだ。

「機械に魂はあるだろうか?」

 とうとつに彼は切りだした。僕は深く考えもせず「ないだろ」と返した。

 彼は続ける。

「もしも人間並みに感情があって、考えて行動できたら?」

「自律システムの話か? どのみちプログラムされたことだ」

「人間はプログラムされていないと?」

「人間は違うだろ。機械と違って、つくられたわけじゃないし」

 話の方向性が見えないが、適当に答えた。

 この男はこういう哲学もどきが好きだった。ただ誰も相手にしないので、いつも僕が聞いていた。

 そんな気も知らずに、なおも続ける。

「じゃあ細胞の一つ一つに魂はあるか?」

「さあ、ないんじゃないかな?」

「どうして? 実感がわかないからか?」

「うん、まあ」

「脳はどうだ? 実際にものを感じているのは、シナプス、ニューロンだ」

「確かに考えたり、体を動かしてるのは脳だからな。脳に魂があると言われても、べつに疑問に思わない」

 むしろ心臓にあると言われる方が、信じられないように思えた。

 そこで彼は半導体の基板を手に取ってみせる。

「もしも機械に魂があるのなら、この半導体の一つ一つが脳細胞で、その集積回路が魂だ」

 そろそろこの議論にも飽きたので、僕は不機嫌そうに言う。

「さっきから何が言いたいんだ?」

「半導体に天国はあるか」

「ないだろ」

 考えるまでもなく、即答した。



   Sect.1 機械仕掛けの心臓



 樋口亮こと僕は大学三年生の夏を退屈にすごしていた。上京して一人暮らしをしているが、実家に帰る気にならない。帰ったところで気のおけない家族と、地元の友人と顔をあわせなければならない。父は地方の開業医で、僕は医療機器に関して専門に学ぶ大学に通っていた。ゆくゆくは医療関係の仕事に就くつもりだ。

 まだ就職活動もはじまっておらず、大学の友人の多くは地方出身で、お盆を前に帰省している。その寂しさに耐えかねてか、とんでもないものをネット通販で買ってしまった。それが届くのを今か今かと、恥ずかしさと期待と、だまされていたらどうしようという複雑な心持ちで、僕はそわそわと待っていた。

 ワンルームの十畳以上ある広い部屋に、ちゃぶ台とパソコン机、本棚にベッド、冷蔵庫やキッチンなど、すべてが置いてある。僕はいつも通り、玄関の向かいの、窓際にあるパソコン机の椅子に座っていた。深呼吸したり、通販サイトからのメールを確認したり、とにかく忙しなかった。

 近年、機械産業の最大手である平内グループは、医療機器の研究がめざましかった。針の穴に糸を通すほどの、繊細な作業が可能なロボットアームなどを開発した。介護ロボットにいたっては、二足歩行の人型を実現し、現場で活躍している。

 その平内グループが、愛玩用のアンドロイドの開発に成功し、販売にのりつけた。単価はおよそ二千万円、値崩れをはじめたが、依然として高額に変わりはない。しかし暇にあかせて調べていると、百二十万円で売っているサイトがあった。明らかに詐欺だと思ったが、試用期間一ヶ月、クーリングオフ可、料金後払いと、かなり良心的である。しかし怪しい。そこでメールで問い合わせてみたところ、何でも最新型の試作品らしい。怖いもの見たさと言うべきか、僕は簡単に納得して、月々十万円のローンを組んで購入することにした。十万とはいえ、学生にとってかなりの高額だが、家賃や生活費を除いても、月に十五万以上の仕送りを受けているので問題はなかった。

 そんなわけで僕は、平内グループのラブメイト2・プロトタイプ「ルリ」を購入し、それが届くのを、今か今かと待ちわびていた。

 午後三時、インターホンが鳴った。弾かれたように立ち上がり、とっさに倒れかかる椅子を押さえて、はっとする。はやる気持ちを抑えながら、やたら鼓動ははやいのに呼吸はゆっくり、玄関の電子ロックを解除する。僕は息を呑んだ。

 静かにドアはスライドする。その向こうには、線の細い、くりくりとした瞳の少女が立っていた。少女は鞄を脇に提げ、じっとこちらを見ている。

 見覚えのない少女に、ましてや宅配とは思えない様子に僕は、

「どちらさまですか?」

 と、落胆まじりに言う。

 ぞんざいな僕の様子にもかかわらず、少女はにっこりと笑って、

「ルリです。よろしくね、亮くん!」

 それに僕は「えっ?」ともらし、しばらく言葉の意味を理解しかねた。


 白いワンピースからのびる、しなやかな手足、黒髪のテクノカットに小さな顔、首筋のつややかさに、今すぐ抱きしめたかった。しかし、くりくりとした瞳に、きゅっと結んだ唇が愛らしく、人間にしか見えなかったので、思わずためらってしまう。

 とりあえずそこらに座らせて、冷蔵庫に向かう。

「何か飲む? 暑かったでしょう?」

 それにルリと名乗る少女はくすくす笑う。

「大丈夫ですよ。それに私、飲めませんから」

「そ、そう」

 まだ半信半疑だった。もしかしたらだまされているんじゃないかと、気が気でなかった。

 ルリは鞄を開き、中からプラグを取り出すと、

「八時間ごとに充電していただくだけで大丈夫です。だいたい一時間充電すれば、三時間は動けます」

 そう笑ってみせる。白い歯をのぞかせて笑うしぐさは、年頃の少女のようだった。

「あ、そうですか……」

 あまりにも非現実的な会話に、頭がくらくらした。

 僕は水の入ったコップを片手に、彼女の向かいに座る。一口のみ、それをちゃぶ台に置いた。

「えっと、その」

 何を言えばいいのか分からず、ばつが悪そうにしていると、

「あの」

「はい?」

 呼びかけられてびくっとする。その様子にか、ルリは少し首をかしげて笑う。

「亮くん、て呼び方でいいですか? 私、十八歳っていう設定でして、そうすると歳も近いですし」

「ああ、うん。いいよ、それで」

「私のことはお好きに呼んでください。お言いつけがあれば、何でも守ります」

 健気な様子に、胸が熱くなってきた。

 一歩踏み出す勇気で、ルリの手を握る。柔らかく、ひやりとした感触だった。おそるおそる彼女の顔を見ると、切りそろった前髪を斜めに揺らして、微笑んでいる。嬉しくなって、少し強くその手を握った。


 瞬く間に一ヶ月がすぎた。ルリが来てからの生活は変わった。本当の人間と話しているように会話が弾み、一緒に外を出歩くこともあった。彼女が機械だと思わせる瞬間は、この炎天下に汗を一つかかないことと、背中にプラグをつなぎ充電しているときだった。

 久しぶりに大学で会った友人の海堂は、僕の様子に眉を寄せて、笑うともなく笑いかけ、

「何かいいことでもあったか?」

「え? いや別に」

 思わず言葉を濁してしまう。愛玩用のアンドロイドと幸せに暮らしていると、どうして口が裂けても言えよう。もっとも、会わせるなりしても、先の一言を据えなければ、おそらく本当の彼女と思い込んでくれるだろう。

 にやにやしていると、

「何か隠してるだろ? まあ別にいいが。それより、提出用の論文どうした?」

「ああ、忘れてた。最初のゼミで提出だ!」

 資料ともども机の上に散乱していたはずだ。ルリが来てから有頂天になって、すっかり忘れていた。

「提出まで二週間あるからな。今からでも間に合うだろう」

「ああ……」

 ガイダンスが終わるのを今か今かと思い、終わると同時に早足で帰った。


「おかえりなさい」

「ただいま」

 帰ってくると、これがあるのは何とも嬉しい。思わず綻びながら、パソコン机に向かう。

 常にコピープリントやルーズリーフが散乱しているそこは、チリ一つなく、きれいに掃除されていた。

「ああ! ここにあった書類は?」

「全部片付けておきました」

「マジかよ、勘弁してくれよ!」

「何かお気に障りました?」

 不安げに表情を曇らせるが、それもプログラムだ。僕は苛立ちを込めて、

「レポート書くのに、すぐ見つけられるように置いてたんだよ。片付けられると、どういう順番か分からなくなる!」

「ごめんなさい……」

 よかれと思ってやったのだろうが、それもプログラムだ。便利だと思うが、感謝する謂われはない。実際片付けられなくても、最初の構想など、とうに忘れている。

 一通り当たり散らして気が晴れた。机に向かおうとしたとき、ルリが積まれたクリアファイルから、プリント類を取り出す。

「もとの配置に戻します」

「へ?」

 素早く、あの雑然とした様相を再現する。本当に元通りだか確認のしようがないが、圧倒されてしまった。

「これで元通りです」

 そうにっこりと笑うルリに、なんと言えばいいか分からなかった。

「まだ怒ってますか?」

 不安そうに聞かれ、愛おしさがこみ上げてきた。

「いや、大丈夫だよ」

 そう言ってルリの頭を撫でてやる。ルリは嬉しそうに目を細めて、微笑んでいた。


 秋になると、ルリが汗をかかなくても不自然ではなかった。秋物に身を包んだルリを見ていると、柔らかな佇まいで、胸が温かくなった。僕たちは手をつなぎ、肩をなべて歩いた。僕自身それほど背の低い方ではないが、ルリの背丈はちょうど目線ぐらいあって、女性の容姿として、理想のプロポーションといえた。

 この日僕たちは遊園地にデートするところだった。なんとなく恋人ごっこが板についてきて、「どこか行きたいところはある?」などと聞いてみた。するとルリは「遊園地に行きたい」と答えた。悪い気はしないので、週末に二人で出かけることになった。

 遊園地に着くなり、手を引いてはしゃぐ姿は、本当の彼女のように思えた。

「ねえ、どれから乗る?」

「そうだな、あの船みたいなやつ行くか」

「うん!」

 それは巨大な船に乗り、振り子のように揺られるアトラクションだった。

 僕は安全バーを確認し、隣のルリを向くと目があい、微笑みあう。正直言うと、こういうアトラクションは苦手だった。安全だというのは分かっているが、ふとした拍子に投げ出されるのではないかと、内心怖がっていた。

 ルリは少し興奮した様子で、

「なんかどきどきするね」

「うん」

 うなずいて僕は、嘘くささに苦笑した。

 そして船体は揺られる。他の乗客と一緒に僕たちは大声を出した。

 そうしていくつかアトラクションをめぐり、レストランで昼食をとった。少し値段のはるカレーライスで、むろん食べるのは僕だけだが。ルリはトイレの個室に、携帯充電器で電力を補充しに行く。

 僕はあたりを見回して、客のほとんどが家族づれかカップルなのだと、改めて気づく。はたから見たら僕たちも、恋人同士に見えるだろう。思わず得意な気持ちになった。

 食事が終わる頃にルリは戻ってきて、

「ごめんね、遅くなって」

 申し訳なさそうに言うのに微笑んだ。


 暗くなる頃に僕たちは観覧車に乗った。それほど高くはないけれど、一周は十分弱程度。

肩を寄せ合って座り、柔らかな髪が唇に触れた。高さが半ばまで達した頃、そっと頬に手をさしのべた。不安げに、それでいて何かを期待しているような、妙につやめいた顔に、僕は唇を重ねた。たとえそれがつくりものでも、構わないとさえ思えた。

 ルリは他でもない、僕だけを愛するようにプログラムされている。これほど愛おしい存在が、他にあるだろうか。誰かを愛するのに、信頼が不可欠だ。ルリに疑う余地はない。だから全力の愛を注げる。まさに理想の存在だった。

 なぜかこのとき海堂の言葉を思い出した。

「機械に天国はあるか」

 今の僕なら「ある」と答えるだろう。少しくさい言い回しだが、ここが天国だ。ルリはきっと幸せを感じているはず。



 あまり酒好きではないが、忘年会にはさすがに出ようと思った。

 僕の所属する研究室は十人ほどで、そのうち女子が四人いる。海堂はこのうちの細川彩乃が好きだった。

 海堂と一緒に行動しているので自然と、細川の斜向かいに座ることになった。

 細川の顔立ちは確かにきれいだが、歯並びが少し悪かった。そんな細かい点まで観察している自分に気付いて、思わず苦笑してしまう。

「どうしたの?」

「いや」

 今考えていたことを見透かされたようで、余計おかしかった。細川は不思議そうにこちらを見ている。薄暗い店内で、彼女の鼻の頭は、汗に光っていた。

「ねぇ、樋口くんて彼女いる?」

 一瞬どきっとして、「いや」と否定する。もしかして見られていたのではないかと不安になった。恋人としてなら、べつに隠すことでもないのだが、深く詮索されたら面倒だ。なるべく知られたくなかった。

「へぇ、でも夏休み明けてから、なんか変わったよ?」

「そう?」

 それは海堂にも言われた。ふと横を見れば、海堂がうらめしそうに睨んでいる。この友人は無駄に嫉妬深い。細川によく話しかけている男子を見るや、裏での罵倒はすさまじいものがある。

「なんか変わったかな?」

「変わったよ。前より明るくなった」

「そう?」

「うん。よく笑うようになったし」

「そんな根暗だったっけ?」

「ほら、前だったら、こんな話してくれなかったもん」

 たびたび「そう?」と返し、多少挙動不審なのは、海堂のせいだろうと思った。

 困惑していると、細川は目を細めて笑っている。この仕草をルリに重ねて、これはからかって楽しんでる表情だと思った。それに苦笑してしまう。

 微笑みあうさまに、海堂は気が気でないようだった。


 店を出ると、一本締めをした。酒が好きでない僕は、二次会に行くグループを見送る。

「帰ろっか」

 それにびくっとする。誰も残っていないと思ったのに、横を向けば細川が笑っていた。

「あれ、帰るの?」

「うん」

 酔いが回っているのか、目が潤んでいた。汗ばんだ髪が額に張りついている。

 並んで歩くと、ふらふらと危なげな様子だった。

「大丈夫?」

「ねぇ、腕かして」

 言うや、ポケットに突っ込んだ腕に抱きついてくる。

「おい?」

 伝わってくる柔らかく温かい感触に、気が気でない。生身の女性に触れるのは初めてであった。

「いいじゃん、歩けないんだもん!」

「……」

 唇をとがらす細川に、何とも言えず、させるに任せた。

(こんな姿、海堂に見せられないな……)

 背筋がぞくっとしたが、それよりも細川の感触に夢見心地だった。


 電車は途中まで一緒だった。肩を寄せて座り、細川はもたれかかってくる。そこではじめて、細川から甘い匂いがしているのに気付いた。香水だろうか。髪からだろうか。甘い匂いに混じって、汗の匂いか、かすかな苦みがあったが、不快に思わず、むしろ深く息を吸い込んだ。

「ねぇ」

「なに?」

 細川は答えず、手のひらを重ねてくる。「熱い」と思った。肩からも、重なった部分に熱がこもる。動揺している内心を悟られぬよう、何も言わずにいておいた。

 電車に揺られるのに任せて、細川はいつしか寝息をたてていた。こちらはこの状況を理解するのに必死である。酔いもあいまって、頭の中がぐるぐる回っているというのに。

 気付くと自分の降りる駅をすぎていた。

 行くところまで行くしかないと、意味も分からず思った。


「着いたよ」

 声をかけて身を起こせば、細川は目をこすりながら起きる。

「うん……」

 眠たげにうめいている。

「降りるよ」

 肩を抱いて助け起こし、電車を降りる。

「あれ、樋口くん?」

「家まで送るよ」

「ありがとう」

 嬉しいのか不信がっているのか分からない声のトーンだった。

 細川の家の場所は知っていた。海堂と彼女の友人と、一度遊びに行ったことがある。駅から近く、ほとんど一本道だった。

 より体を寄せ合って、いやでも胸は高鳴った。なるべくべつのこと考えようと思っても、すぐに細川の感触と熱に、意識は引き戻される。

 ルリを思い浮かべてみようとしたが、細川の理解しがたいしぐさに、すっかり惑わされていた。このまま細川の家に行ったら、どうなってしまうのだろう。

 そんな葛藤を抱えつつも、着いてしまう。階段をのぼり、部屋の前に着くと、彼女の鞄から鍵を取り出し中へ入る。壁づたいにスイッチを探すと、意外と狭く質素な中身が明らかになる。

 手を離すと、細川はその場に崩れる。無防備に寝かせておくのもかわいそうなので、とりあえず靴を脱がせる。じっとりと汗に濡れた感触に、やっと平静を取り戻したというのに、また心臓が高鳴る。ただ今度は、欲望がひそんでいた。体温に触れ、湿度に触れ、自分が今触れているのは人間なのだと、興奮があった。

 再び起き上がらせ、ベッドへと寝かしつけると、疲れた足がもたれ、彼女に覆いかぶさりそうになる。寸前で両手を張り、鼻先が触れあいそうなほど、顔が近かった。汗ばんだ肌、額に張りついた髪、熱い吐息。

 僕は彼女の鼻の頭を舐めた。しょっぱい、という実感に、思わず体を引き離す。今しがた自分の取った行動が理解できなかった。

 邪念を払うように目をつぶりながら、布団をかぶせる。よし帰ろう、と決めたとき、室内に下着が干されているのに気付く。今日の天気は降水確率六十パーセントだった。

 これ以上は危険だと、逃げるように部屋を出た。鍵を閉めると郵便受けに入れる。

 そそくさと立ち去り、ふと空を見上げた。澄んだ大気に、空には細い月が輝いていた。ようやく冷静になり、自分の頬をひっぱたく。急にバカらしい気持ちになった。

 振り切るようにあとにした。


 ルリを抱いて寝ていた。冷たく、それでも柔らかな感触。ただ化学製品のような匂いに気力が萎えた。

「どうしました?」

「いや」

 暗闇でルリの瞳はきらきら光る。

 帰るのが遅かったことを心配してくれて、今も気にかけてくれているのに、なぜか素っ気なくしてしまう。そんな自分の態度に苛立ちを覚えた。きっとこれは酔っているせいなのだ。

 ルリの体を抱き寄せ、その髪に顔をうずめる。ルリは嬉しそうに声を漏らす。

 そうだ、僕はルリを愛しているのだ。

 しかしこのとき思い出したのは、汗ばんだ顔に髪が張りついた、細川の寝顔だった。


 次に細川と会ったのは、年が明けてからだった。

 細川は少し恥ずかしげに笑いながら話しかけてくる。

「この前はごめんね」

「いや、べつにいいよ」

 悪い気はしないのが本音だったが、気まずくてまっすぐに顔を見られなかった。

「ちょっとお酒飲みすぎちゃって」

「ああ」

 そんなことだろうと思っていた。少し落胆している自分がいた。

 細川はきょろきょろとあたり見まわすと、

「ねぇ、今度樋口くんの家に行っていい?」

「えっ、なんで?」

「なんでって……」

 細川は口ごもる。それを見て、僕の中の何かが、僕を駆り立てた。

「べつにいいよ。とりあえずテスト期間がおわったら」

「ホント?」

 嬉しそうな様子に、困惑と期待がこみ上げた。そして焦り。

「またあとで、メールで連絡するね」

「あ、ああ」

 細川は手を振って、いつか見たルリのようにはしゃぎながら去っていた。

 このとき僕は、ルリをどうしようかと考えていた。


 僕は「友達が来るから、クローゼットに隠れていて」と命令した。

「分かりました」

 ルリはそう言って笑った。

 細川が来たのは昼すぎだった。

「うわぁ、広い! それに思ったよりきれい」

「そう?」

「うん。樋口くんは片付けられない人だと思ってた」

 まったくその通りなのだが、いつもルリが片付けてくれている。常に散らかっているパソコン机も整頓されていた。ルリは便利で、レポートを書くのにも使えた。本一冊をものの数分で読破し、要約してくれる。おかげで提出課題は楽だった。

 僕が適当に座ると、その横に細川が座る。

「ねぇ、樋口くん彼女いるの?」

「その話、前もしなかった?」

「そうだっけ?」

 顔を見あわせて笑う。

「だって樋口くん変わったもん。前は素っ気なかったのに、最近急に優しくなった」

 海堂や細川に言われて、思い当たる節があった。正直、人と関わるのは面倒だった。遊ぶ友人はいるが、進んでこちらから連絡は取らないし、一番仲の良い海堂とは、月に二回遊ぶか遊ばないかだった。ただ最近は、まわりの顔が急に見えてきた。何を考えているのか、何を期待しているのか。

 細川はあの潤んだ目で、僕を見てくる。

「何?」

 じっと見つめたまま答えない。僕は緊張してそわそわした。少しして、

「ねぇ、気付いてる?」

「何が?」

「私が好きなこと」

 その切なげな顔は、初めて見る表情だった。「誰を?」と言いかけて、僕は察した。無意識に、彼女の手を握った。しっとりとして、温かく、ふるえている。細川は目をつぶった。僕はその顔に唇を近づける。吐息が重なりあい、熱気となった。触れあう瞬間、何かが倒れる音が、クローゼットからした。

 僕はびくっと身をそらす。細川は不思議そうな顔で、僕を見て笑った。とうの僕は冷や汗をかく思いで、引きつった顔で笑う。

 その日はそれ以上進むことはなかったが、会話は弾み、彼女が帰ったのは暗くなる頃だった。


 ルリはかいがいしく、身の回りを世話してくれる。それがルリのプログラムなのだが。そしてずっと一緒にすごすうちに、当然のことだが、会話のパターンに気付きはじめた。RPGの村人Aよりかは豊富だが、それでも定型化された文章を繰り返しているだけだと気付いた。それに、こちらから聞かなければ、ほとんど自発的に何も要求しない。その従順さに嫌気がさしていた。

 いつの間にか僕も、必要最低限の言葉を喋るだけで、二人の会話は減っていった。

 最近は細川とすごす。今は彩乃とよんでいるが。ときおり彼女が「亮くん」と呼ぶのに、ひどい違和感を覚える。

 そして大学四年生、就職活動がはじまった。僕は将来について考えはじめた。

 そこでこの厄介なアンドロイドをどうしようかと考えた。


 これは彩乃から聞いたことなのだが、海堂に告白され、ふったらしい。僕はこの友人に対して、申し訳ない気持ちになった。海堂は僕たちが付き合っていることを知らない。

 海堂は傷心を、おくびも見せず、普通にふるまっていた。僕は相変わらず、友人を続けていた。

 その海堂と、二人で学食にいた。ここ数日は研究室づめが続き、ほとんど夕食はここで済ませていた。

 一息つき、他愛もない話をしていると、

「ラブメイト買おうかな……」

 そのぼやきに僕はふきだした。

「えっ?」

「いや、もういっそ、アンドロイドの方がいいかなって」

「細川は?」

 わざとらしく聞いている自分に嫌気がさした。

「ああ、細川な……。いや、なんか、もういいかなって」

「そうか……」

「やっぱり人間だと、感情とかが邪魔して、うまくいかないんだよ。本当に相手は自分のことを好きなのかとか、浮気とかあるぐらいだし。それよりも絶対に裏切らない、機械の方が……」

「でも、物足りなくなると思うぜ。何考えてるか分からないから、人間の方が絶対楽しいって」

「いや、それだといつか疲れてしまう。結局好きという感情も、脳内での化学現象だろ? 四年もすれば枯れちまうっていうし、だったら機械の方がいい」

「そうか……」

 なんと言えばいいか分からず、僕は言葉につまる。僕はこの友人に、機械はやめろと説得するべきか、応援するべきか迷った。

「でもなぁ、高いんだよなぁ」

「ああ、二千万とかするからな」

 自分は百二十万で買ったのだが、恥ずかしくて言えなかった。思わず苦笑いしてしまう。

「働いてからでも大変だよなぁ」

「確かに二千万はな。それにお前、大学院進むんだろ?」

「ああ」

 海堂は勉強熱心で、毎日のように図書館や研究室にこもっている。そこで僕は、ルリがものの数分で本を読み、要約できるのを思い出した。もしも海堂の手伝いをすれば、おおいに助けになるだろう。僕はこの友人への罪悪感と、応援の意味から、あることを思いついた。

「そうだ。今日の帰り、俺ん家寄ってけよ」

「ああぁ、でも明日も研究室だからなぁ」

「渡したいもんがあるんだよ。寄ってすぐ帰ればいい」

 怪訝そうな海堂に、僕はほがらかに笑った。


 海堂の乗る電車は反対方面だが、何度か僕の家に遊びにきたことがある。海堂はしぶしぶといった様子で、「何をくれるんだ?」と催促してくる。僕は「気にしなくていい、置き場所に困っていたんだ」と返した。

 道すがら海堂は、僕の家に着くまで、多少文句まじりに不機嫌な様子だった。僕は笑いをこらえながら相手をする。

「お帰りなさい」

 女性の声に海堂は驚く。問いかけるように僕を見るが、気付かないふりをした。

 ドアが開くと、ルリはつつましやかに笑い、僕たちを出迎えた。

 僕は卑屈な笑みを浮かべた。

「ああ、これだよこれ」

 ここではじめて海堂を見やり、ルリを指さす。海堂はよけい困惑していた。

「まあ上がれよ」

「ああ……」

「お友達ですか?」

 なぜか僕は、嬉しそうに笑うルリを見てられなかった。返事もせず、横をすりぬける。海堂はほうけた様子で、会釈してから上がった。

「誰? 彼女?」

「いや」

 それに僕は即座に否定した。

「お前が欲しがってた、ラブメイトだよ」

 それに海堂はさらに驚く。

「本物だぜ。最新型。爆安で売ってたから、ついつい買っちまったんだよ」

「そ、そうなのか……」

 半信半疑の様子だった。無理もない。僕も最初は信じられなかった。

 海堂は状況が理解できず、視線をさまよわせながら、

「で、俺にくれるものって?」

「これだよ」

「は?」

 僕は得意げに、あごでしゃくる。とうのルリは相変わらず微笑んでいる。その顔を見ると、ただの人形にしか思えなかった。

「どういうこと?」

「だからお前にやるって」

「マジで?」

「ああ」

 海堂は僕とルリを見くらべる。まだ信じられないのだろう。

「触ってみろよ」

「へ?」

「どこでもいいから。胸でも尻でも」

 僕がいやらしく笑うのに、海堂はからかわれていると思ったのか怒りだす。

「ふざんなよ! バカにしてんのか?」

「本当だって」

 そう言いつつ、ルリの頭を押さえつける。

「新しいご主人様に挨拶しろ」

「あの私、なにか……」

「もういらないんだよ。これからはこいつがお前のご主人様だ。おい、口づけしろ」

 唖然としている海堂の方へルリをつきだす。ルリはためらいもなく、海堂の顔を両手で包み、口づけをした。僕はひどい嫌悪感をおぼえた。この人形は、なんでも言われたとおりにする。人間だったらどうだ。命令されたからといって、好きでもない相手に、こうも簡単に口づけできるか。今までは僕が主というだけで、従順だったのだ。

「ほら、分かっただろ?」

 海堂はまだ釈然としないのか、口をぽかんと開けている。

「続きは家に帰ってからやってくれ。何か分からないことがあったら言ってくれ。けっこう便利だぞ?」

「あ、ああ……」

 海堂はうなづき、ルリの手を引いて出て行く。

「なあ、樋口。本当にいいのか?」

「ああ。いい厄介払いができた」

「悪いな……。でも高かっただろ?」

 金を請求されると思ったのか。僕はうそぶく。

「どうせ親父の金だよ。邪魔だから捨てようと思ってたんだ。もらい手が見つかってよかったよ」

「そうか、ありがとう」

 ドアが閉まり、二人はいなくなる。久しぶりに僕は一人になった。感慨のようなものが、胸にこみ上げてきた。

 部屋を見回すと、こんなにも広かったのかと、あらためて思った。クローゼットを開けると、ルリの着替えがかけてあった。そのうち海堂に送るとしよう。とりあえず充電器は明日にでも渡さなければ。追いかけてまで、渡したくはなかった。

 僕は一日の疲れを癒そうとバスルームに入った。頃合いを見計らったのか、ちょうどお湯が沸いていた。

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