1-3 巫女と魔術
俺と九重はクラスまでたどり着いた。
俺たちは1年R組。成績不振のワーストばかりが集められたクラスだ。
そこで自らのロッカーや備品を確認し、それを済ませて
残りの時間を九重と別れ自分の席で
適当につぶしていると又しても声をかけられた。
「あ、あの…。」
声はか細くずいぶんとかわいらしかった。その印象につられて振り向くと
そこには時代錯誤ともいえる巫女さんが立っていた。
なぜ巫女さんかと判断したかと聞かれれば、
紅白鮮やかな巫女服が目に入ったからだ。
この学校は私服が許可されている。
魔術師にとって服装はとても重要な要素だからである。
身にまとう服に意味を持たせ、魔術の構成を補強できる。
その意味からも私服の生徒が多いこの学校では
何の問題もないのだがそれでも俺はその特異性にくぎ付けになった。
その女の子の背丈は並み程。長い癖のない黒髪が腰あたりまで伸びている。
その一本一本は絹の糸のようにつややかで、教室内でわずかに感じられる風に揺れるそれは
しだれ柳のようなしなやかさも持っていて純和風の美しさを感じさせた。
肩口のあたりでスパッと布が断ち切られ二の腕の中ほどから
振袖にそでを通すという一風変わった巫女服を着ている。
そのせいで色白い肌や脇がちらりとうかがえ、
ゆとりのある布使い、揺れる振袖があいまって妙に色っぽかった。
「こんにちは。どうしたんですか?」
静かに。礼儀を持って接する。
「えっと。廓義宣人さんですよね?ええっと…」
何やらおどおどとしている少女を気遣って声をかける。
「そんなにかしこまんなくていいですよ。
あ。少し俺が固くしゃべってたからかな。
わるい。なにか用があったら遠慮なくいってよ。」
少し口調を砕いて接してみる。
どうやらあまりコミュニケーションが得意な子ではないようだが
俺の対応はどう考えても同年代の女の子にする態度ではなかったな。反省反省。
そうして少女の返事を待っていると想像以上に大きな声で
想像の斜め上を行く発言が少女の口から飛び出した。
「わ、私…付き合ってください!!」
教室のどこかで九重がすっころぶ音が聞こえた。律儀な奴だ。
俺は反射的に少女を凝視した。瞳孔の拡張、皮膚からの発汗などは見受けられない。
その眼は迷うこともなく俺を見つめている。
そしてその頬はわずかに上気していた。
嘘の可能性は…ほとんどない…か。
今回ばかりは「まぁ暇だからな。」とかいって
いつも通りに受け流すことはとてもできそうな問題ではないようだ。
よし。ここは冷静に…。
「あの。廓義さん、どうでしょう…。教員室まで付き合ってくださいませんか?」
少し冷静さを取り戻した少女が付け加えた。
あれ?
「えっと、付き合うって?」
「はい。先生に資料を運ぶのを頼まれてしまって。
それがすごい量らしいのでクラスの宣人って人に頼むといいって言われたんです」
「……あ。なるほど。わかりました。はい」
まさか俺のメンタルがここまで削られるとは思わなかった。
しかしある意味当然のことだな。そんな一目ぼれとかされても困るし…。うん。
まさか俺が嘘を見破れない人間なんていたのか…。
俺は当てが外れたことと嘘を見破れなかったショックから
宣人という名前が現れた不自然さに気が付かなかった。
「あれ…もしかして廓義少年なんか期待してた?」
目を子供のように光らせて近寄ってくる九重。
さっきまでは教室のだいぶ離れたところにいたはずなんだが。
「そんなことはない。俺がそんな玉に見えるか?」
内心、実はかなりどぎまぎしながら俺は答えた。
「あれ廓義。もしかしてこういうのだめな人だと思って期待してたのに。残念…」
九重はしばらく俺を凝視した後そういって九重は残念そうに顔をしかめた。
会話の流れを変えようと口を開こうとすると九重が先に声を上げた。
「って廓義はそう言ってるけど実際どうよ?廓義のこと。どう思う?」
お前。そろそろ自重しろ。困ってるぞ。女の子。
「ええっ!!わ、私は…えっと。かわいらしいですし、
癖のある黒髪も愛らしいなと…」
少女よりも俺が困った。ほめてくれるのはとてもうれしいが俺はかわいくない。
なんで周りは俺をかわいいというのだろう。姉さんには
もう飽きるほど言われつくしたので抗体ができたが、
同年代の女の子に言われたのは初めてでうろたえてしまった。
女の子が相手だし不機嫌になるのはまずいだろう。抑え込め…。
我ながら小っちゃい男である。
補足するが男に言われていれば理性を保てる自身があまりない。
あとこれは癖毛ではなくて寝癖だ。
「ありがとう。君もとてもかわいいね。名前はなんて言うの?」
少しのいじわる心を持って質問を返す。
俺の悪い癖だが今回は騙された(?)恨みがあるのでやめようとは思わなかった。
「かわいいだなんてそんな…。
廓義君のほうがとってもかわいらしくってその…ぽっ」
手を胸の前で組んで体をもじもじさせている女の子。
最後の「ぽっ」がとてもかわいらしかったがいったいなぜそうなったのだろう。
なぜかそこは突っ込んではいけない領域な気がしたので会話の起動修正をする。
「それで…名前は?」
「ああっ!ごめんなさい。私は不知火帳といいます。帳でいいですよ」
そういってはにかんだ。
不知火と言われればこの国で魔術を学ぶもので知らない者はいないだろう。
この国では魔術は根源でいくつかの系統に分類される。
一つは陣術。
もっともメジャーである魔術であり汎用性が一番高い。
名の通り陣を作り上げそこに魔術を発生させる術だ。
そもそも基本的に魔術とは魔術の情報構築力と具現子の創造力によって構築される。
魔術を行使するにあたってまず最初に行うことは
個人の脳内での魔術情報の構成である。
魔術のイメージを脳内で高め、情報を整理し、術式のシステムを作り上げる。
それが「構築」である。
これは発動させる魔術の設計図のようなもので、
これがゆがんでいては発動は成功しない。
魔術の構築速度が優れているものほど魔術の発生が早く、
情報の処理容量限界が高いほどに規模の大きな魔術を構築できる。
しかし規模の大きな魔術になればなるほど、脳内で処理するべき情報量が増大することから
術師への負担は増大し、発生までの時間も延長される。
これを短縮する際に用いられる手法が詠唱である。
イメージをより速く正確に脳内に浮かべるための手法であって
詠唱は個人によって異なり、その術式をもっともその個人が
思い浮かべられるように語句をつないだものだ。
それは一種の自己催眠でもある。
そして詠唱によって高められたイメージを術式の形に構築し、
外界に放出すると世界のあらゆるところに存在する具現子に作用する。
具現子は受け取った魔術情報を形にしていく特性がある通常不可視の物質だ。
この具現子に魔術情報を作用させる際に必要になるのが魔力である。
魔力は魔術情報を外界に出力する際に発生する手数料的なもので、
その術式の情報量に比例する。
したがって広範囲に作用する魔術や、
破壊力の大きい術、精密な魔術ほど多くの魔力を消費することになる。
いくら情報量が多い術式を構築できてもそれを変換する手数料が
払えなければ魔術は発動しない。これを超えて具現子に作用しようとすると
多くの場合魔術情報の暴走が発生し、情報を管理する大本である脳に大きな障害を及ぼす。
ゆえに魔術の行使の限界を定めるこの力は魔術師にとって重要なファクターになる。
そして魔力の特徴として最も大きなことは
魔力量は生まれた時に決定するということである。
こればかりは生後にどのような特訓を行おうと
成長はしないというのが現在の魔術の常識だ。
そして魔力は魔術師と一般人を分ける要素でもある。
又しても才能。魔術は恐ろしいまでの絶対実力主義である。
そして具現子は魔術情報を受け取ると可視化され、その情報に対応して緩やかに変化する。
しかしその変化は緩慢なもので戦闘にはとても使用できる速度ではない。
そこで必要になってくるのが具現子の創造力だ。
具現子の動きを理解し、その形態変化を統制する技術で
これが優れているものほどに、魔術の完成がはやく、緻密な術式を構築できる。
形づける行為は方向性、ひいては魔術に意味を付けることになる工程で
非常に重要である。盾の形にすれば防御力が。鉾の形にすれば貫通力が上昇する。
これが精密なものほど術が精度の高いものになり威力も上昇する。
そして不知火家に代表される陣術と呼ばれる魔術はその創造力の部分を陣で補っている。
詠唱と同時に陣を構築。詠唱して高めた魔術情報を放出すると
それをあとは陣が自動で創造し形成する。
そしてこの陣を構築するのもやはり具現子である。
陣術師はまず最初に陣を魔術で作り上げる必要があるのだ。
しかし熟練したものが扱えばその陣の構築には一瞬と掛からない。
陣術の最大の利点は練り上げた情報を陣がコントロールし、創造してくれるために、
おおきな情報量を持った術を振るえる点にある。
陣の強度、精度が高ければ自らの具現子の創造力とは不相応の術を行使できる陣術は
名家伝統の秘伝にされることが多い。
なぜならその陣を子に受け継ぎ、その子は術式の情報処理能力を磨けば、効率よく強力な魔術を
扱うことのできる魔術師を作り上げることができるからである。
しかしその陣の構築こそが陣術師としては最大の課題になる。
その構成はめったに知れ渡ることはなく、その家の中でのみ受け継がれる。
では目でその陣の情報を盗むことは可能なのか?
答えは否である。
確かに魔術を振るう時に陣は目に見える形に成形される。
しかし陣の形、機構を判断し自分のものにするには
すさまじいほどの情報処理能力が必要になる。
実質的に他人の陣を参考にすることは人間には不可能な領域であり
それが可能なのは二人目の魔法使いであり「投影」を所持していた
廓図津奈木ぐらいであろう。
陣術が一般に広く使われ、多くの使い手が存在する理由はその情報の機密性と
知識の蓄積が各家で可能であること、扱いが容易であることにある。
そして不知火はその陣術の名家だったはずだ。
その家が扱う陣は火を扱うことに特化し、過去の記録では当時の当主が
小国一つを被う陣を構築し焼き尽くしたという恐ろしい記録も残っている。
そんな名家の少女がワーストというのは簡単にはうなずくことができないことだ。
巫女の一族、不知火家が伝統とする陣は確か第一女子へ引き継がれるはずだ。
そして不知火家には女子が一人しか誕生していないことになっていたはずだ。
いったいどういうことだ…と思案していると
帳は九重との会話のなかでその質問のヒントを簡単に打ち明けてくれた。
「私、どうも家の陣に嫌われてしまったようで…うまくいかなかったんです」
まるで陣が生き物であるかのような発言だが謎は解けた。
彼女は二つ目のタイプの魔術師だったようだ。
そのタイプとは先天型。
その名の通りに先天的に宿る魔術だ。
その特徴は一つの特性に特化していること。
さまざまな系統のものが扱えない代わりにその規模、
術の完成までのスピードは目を見張るものがある。
しかし基本的な魔術発生までの流れは大きな違いは存在しない。
陣の役目をそのまま自身の肉体で代用しているのだ。
陣とは異なり、陣を作る魔術を行使する必要はなく、肉体という
人間の存在の根底に近い部分を礎にしているためその強度、精度は計り知れない。
その力の大きさは各人によって大きく異なり、術の特性も個人で大きく差がある。
区分が難しい存在でその発生にも規則はいまだ発見されず、
まさしくイレギュラーといえる。そして先天性の魔術師は陣術に適合できないことが多い。
理由はいまだに解明されていないが
魔術発動の際に、個人の肉体にしみこんでいる
先天性の具現子の創造機構と新たに構築した陣の間で
魔術情報が互いに干渉してしまいどちらもが不安定になってしまうからだといわれてる。
そしておそらく不知火家のイレギュラーだとするならば…そこで不意に九重が声を上げた。
「おい。なに一人で静まってんだ?そんなにショックだったのか?」
急に九重に声をかけられた。思慮にふける俺の姿は確かに不自然だった。
「いや。そのことじゃないよ。大丈夫」
少しの反省だな。気を付けよう。
「あの。廓義さん。そろそろ職員室に行きましょう。
時間が迫ってますし…。」
さきほどと比べるとずいぶんと打ち解けたしゃべり方をしている。
本当は人懐っこい性格なのかもしれない。
「こう見えても力には自信があるんだ。行こうか。」
そうして冗談で手を差し出すと帳は以外にも笑顔で握り返してきた。
いよいよ俺には人間的にも、経歴的にも帳がどういう人間なのかを理解できなくなっていた。




