2-5 新人戦 不穏
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「ししし…」
やつらの呆けた顔が今でも忘れられない。
俺が予想外の規模の魔術を行使した時の間抜け顔と言ったら…
しかも融通の利かない委員長は最後までことの深刻さに気が付いていないようだった。
しかし廓義、あいつは感づいただろうな。
「むしろ好都合だよ」
俺は目標まで一歩近づいたことに多大な幸福を感じていた。
そうだ。もとよりあいつが悪いんだから。
あいつさえいなければおれはこんなことにはならなかった。
俺が受けた不幸の分あいつから取り戻さなければならない。
「……」
俺はすっかり細くなりやつれた体を見て嘆息する。
今日も鍛錬不足か。叱られてしまう。
俺はしっかりやっているのに結果が付いてこないだけなんだ。俺は悪くない。
「俺は何も悪くない。壊れているのは世界のほうだ…」
魔術一辺倒な世の中。そんなことは間違っているんだ。そうに違いない。
しかしその考えに至った途端自らの根底が揺らいだような気がして
俺は猛烈な吐き気に襲われた。しかしそれを食い止めることはかなわず、あたりにぶちまける。
周りには幸い人はおらず、いらぬ心配をかけられることもなかった。
「っず………ふふふ…」
しかし今はこの嫌悪感すら心地がいい。
あれ以来から体の感覚が徐々にはく奪されている気がする。この間は味がしなくなった。
そして今は視界があやふやになりかけている。
そのなかでも憎悪と嫌悪感だけは際立って感じることができる感覚だった。
「もう少し持てばいい…それで十分だ」
俺はおぼつかない足取りのままその場を後にした。
――――――
俺は一日の勤務を終え、帰路についていた。
そして俺の脳内は一つの事象に占有されていた。
「伊形……」
俺が入学早々にトラブルを起こして決着をつけたはずの生徒。
その生徒が変貌を遂げていたことだった。
彼に元からあった覇気や、高圧的な態度は鳴りを潜め、代わりにそこにあったのは
にじみ出る狂気と絞りかすのような体だけであった。
「あそこまで変わるものなのか?」
人間は確かに様々な影響を受けて変わるものだ。しかし、あそこまでのものは珍しいだろう。
「選択肢としては精神病…か?」
精神を病んでしまい閉じこもりがちになり、
物事を悲観的にみるようになってしまう病気などが含まれるカテゴリーだ。
肉体もそれに呼応して成りを変えてしまう、そんなケースもある。
しかし気がかりが二つあった。
一つは彼のあの態度だ。以前の伊形とは言わないがそこまでに沈み込んでいるという印象は
うけなかった。そこにあったのはむしろ期待に似た感情だっただろう。
そしてもう一つ。
「あの具現子の発光色…」
妖しく光る黒。
具現子の発光色はその術式の属性を示す。
ゆえに魔術の中で一番解析が簡単なステータスなのだが、
その色は個人差、術式差が若干だが見られる。
そしてあの時伊形が揮った魔術の発光色は教団の連中が扱う魔術の色に酷似していた。
彼が前回俺との実戦練習の際に用いた術式は風属性の術式でその発光色は澄み渡った緑であった。
そしてあの術式の練達度はかなり高いもののはずだった。
動きに無駄は一切なかったし、展開されていた陣から見るに
その大きさも申し分のないものであっただろう。
「ならばなぜあのレベルの魔術が行使できた?」
彼が先ほどに用いた術式の属性は闇。
彼は闇でも風と同様のクオリティを所持しているのだろうか…
人にはそれぞれ一番適した属性がある。もちろん他の属性の練達度を上げることも可能だ。
事実、2属性以上をまんべんなく扱う戦闘魔術師もいるらしい。
しかし適正属性でない魔術は適正属性で揮える魔術の最大情報量を超えることはできないという
大原則がある。そして、彼の適正属性はほぼ間違いなく風であろう。
ゆえに…
「この短期間であそこまで上達した?いや…」
適正でない闇であそこまでの術式を組めるようになるには
風の術式の技術を相当に上げていることが必要だ。
しかしこの短期間でそれが可能であるわけがない。
彼の闇の術式はこの間の風の術式よりもはるかに多大な情報量を含んでいたのだ。
しかし俺は一定の属性の魔術のみを半ば強制的に強化する方法を知っていた。
「早計か…」
彼がこれからの対戦相手に自らの手の内をさらすことを避けた可能性もある。
現時点でその可能性に確定するのは危険だ。
しかし彼が危険行為に及ぼうとした事実は考慮すべき判断材料だ。
それは解散前に生徒会メンバー全員に伝えておいた。
彼らも彼の扱った魔術には着目していなかったが、あの行動の異常性は感じていたようだった。
明日からは彼を注意して観察するべきだろう。
「いやな胸騒ぎがするな…」
俺は扉を開けて家に入る。
「ただいま」
誰もいないであろう家に空虚に声が響くはずだったのだが
「おかえりなさい」
しかし声は想像外の距離から帰ってきた。決して広いとは言えない玄関に姉さんがいた。
俺は驚きながらも返す。
「ただいま。早かったんだね」
「うん。それでそれで…」
「ご飯?お風呂?それともワ・タ・シ?はもうおなかいっぱいだからいいよ」
「んぐっ先を越された~けどくじけずにもう一回…」
「はいはい」
俺はそういいながらリビングへ向かう。姉さんは残念そうに指をくわえながらついてくる。
その姿がなんだかおかしくて俺はつい笑ってしまった。
俺が思っていた以上に周りの存在は大きいのかもしれないな。
「ひっどーい宣人君!何かついてるもしかして?」
そういって顔をぺたぺたと触る。相変わらず忙しい。
「いやなんでもないよ」
気張りすぎ、考え過ぎなのかもしれない。
なぜだか俺はそう思いたかった。




