表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
月光図書館  作者: 菜い子
8/12

8,理系の発展途上

合鍵がもしかしたら偽もんなんじゃないかと疑っていたが、それは事実に変わることなく、疑いで終わった。普通初対面の人間に鍵は渡さないだろう。と思っていたのだが。

「どなたですか?」

「六篇です。」

「先生ですか。お昼ピッタリに来るとは、何気に几帳面なんですね?」

「時間はわかるの?」

「わからないですよ。ただ腹時計がお昼だと言っているのです。」

「あらそう。」

沓踏みに入ったところで、辺銀と会話を交わした。

「本と昼飯、ちゃぶ台の上にのせたから。」

「本の題名はなんというのですか?」

「青空に穴」

ビン底メガネによって目の動きが分からなくても、辺銀の顔の筋肉はよく動くため、考えていることが丸わかりだ。

「なんですか。その突拍子もない題名は。」

言われると思った。

「青空に穴って、先生の知能は小学生なんでしょうか。」

「担当者には斬新だと言われたぞ。きっと多くの人が手に取るだろうと。」

「確かに、この題名じゃ、中身がどんな話なのか全く想像できないですからね。そりゃ手にとっては貰えるでしょう。しかし、それで終わりになってしまうような気もしますけど。」

確かに売れ行きは善くなかったりする。

「さっそく本を開きたいですけれど、とりあえず腹が減ったので飯にしましょう。」

「あぁ。そうだな。」

…辺銀の食べる速さは凄まじいことが明らかになった。六個あった握り飯の二個を私が食べ終えたころには、もう皿はからであった。

「さてさて、では読ましていただきましょうか。」

「本人のいる前で読むのかよ。」

「ええ。僕の場合読むじゃなくて、見るですから時間はかからないですよ。ほんの五分ぐらいですので、五分間じっと静かに待っていてくださいね。」

それから五分後に辺銀は285ページの量の本をずっと眺めていた。

「終わりましたよ。」

「んあ?終わったのか?」

「ええ。終わりましたよ。」

正直に言おう。その間私はあろうことか辺銀に見とれていました。ビン底メガネ野郎に見とれてしまったのです。

 その五分間の辺銀を言い表すのは実に難しい。本を読んでいるというには、変だった。難解な読み方だった。

 辺銀はずっと宙を見続けているのだ。本を読んでいると言いながらページも捲らずに。宙を見つめながらも、穏やかな表情から険しく、そして楽しそうにしながらも悲しそうに彼の様子はころころと音を立てるように変わっていった。

 私はそれに見入っていた。

 辺銀の一喜一憂する姿は、物語を提供するこちら側から見て実に興味深く、一人の人間として彼の姿を見ているのが楽しかった。夢中になって辺銀が本を読むのと同じように、私も彼を食い入るように見ていた。

 しかし、でもどうして

「どうやって辺銀は本を読んだっていうんだ?」

「先ほども言ったと思いますが、僕は本を読んでいるのではなくて見ているのですよ。」

「速読ってやつか?」

「僕は光を感じず物の輪郭をとらえることが出来ない。それなのにどうして文字が読めると考えるのですか?先生は馬鹿なんですか?」

「馬鹿は否定しないけど…さっき読み終わったって。」

「終わった。と僕は言いましたよ。いいですか先生。人間の生き物としての長所は脳が他の生物より大きく、そしてより使うことが出来る、ということなのです。先生は自らの唯一の長所である考えるということをやめて、他の生命のために尊い犠牲にでもなろうとしているのですか?野生動物のための餌にでもなってやろうとか、考えているのですか?」

「丁寧口調だったから、あんまり気にしなかったけど君、口悪いね。」

「先生がいくら考えてもきっと答えは出ないでしょうから、僕が教えてあげますよ。」

案外年下に呆れ顔をされ、見下されるというものは辛いところがある。新たな発見だった。

「僕は字が読めません。ですから、僕は本を読むのではなく眺めるのですよ。もちろん文字を眺めたところで、僕には読めません。ですから僕は花を眺めるのです。」

「は、花?」

「ええ。あくまで爺先生が言うには、ですけどね。僕の歪んだ世界では花なんて存在わかりませんから。爺先生は言うのです。お前が見ているのは、そりゃ花だな。うん花だ。と。お前は本を開くと何故かはわからないが花が見えるわけですな。するとそこからその本の内容が流れ出してくると…辺銀君が言う本を読むという動作は、そういうことなんですね。と、爺先生は言っていたのです。先生から見た本は文字によって話を伝えるようですが、僕から見た本は花によって内容を伝えているって言うとわかりやすいでしょうか。」

「わかりやすい…と言ってもなんだか突拍子過ぎて。」

「突拍子過ぎるそれが、僕の中では普通なのです。理解できませんでしたか?」

「一応、頭では理解できた気がするけど。」

ただ言われたことを理解できただけで、半信半疑であるのは変わりない。言わば、科学の元素の存在は知っていて、それなりの知識もあるが本当に自分の周りの物、そして自分自身が元素からできているなんてことは信じきれない。そんな感覚に似ている気がした。私は小説家だが、理系出身なのだ。

「それを辺銀はどう思っているの?」

「僕の世界の中で唯一、色を持ったものです。花から流れ出してくる物語たちは光と闇の存在と美しい世界を教えてくれます。本から出てくる花は多種類、一つとして同じものを見たことがありません。カラカラに乾ききった僕の世界に潤いを持たせてくれるものが花なのです。だから、それを作り出してくれる作家の方たちに僕は敬意を払うわけです。僕が、生まれてきてよかった、と思うことが出来るのは作家の先生方のおかげなのですから。」

にっこり笑われておろおろしてしまう。そんな大層な人間なんかじゃありません私は。

「本は僕に、ぼやけた世界ではなく、華やかな皆さんが見ている世界を見せてくれるのですよ。」

「私の本も君にそういう世界を見せることが…できたかな?」

「できていましたよ。」

「…どんな感じに?」

「発展途上国。そんな感じでしたよ。もう少しで咲く。大輪が咲きそう。でもまだ三分咲き。そんな感じでした。いいところで、少しだけ周りの情景が霞む。大事なところで主人公たちの気持ちが分からない。だけど、それでもなんか良い。それが先生の書いた本です。」

「そう、か。」

伸びしろがたっくさんあるってことだろう。大変喜ばしいことだ。

「青空に穴。確かに読んでみるとこのタイトルしっくりきますね。青空に穴、この本の花は真っ青な綺麗な色をしていましたよ。」

真っ青な花を満開にできるように、努力をしよう。単細胞で馬鹿な私は単純にそう思った。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ