3,ぽやぽや
一年程前。まだ私が一人暮らしをし始めて半年ぐらいのころ。辺銀と会うきっかけはひょんな所にあった。
「六篇さん。僕は大変いいことを思いつきました。」
医者が診察を終えるなり開口一番そんなことを言った。
「何か、私の病状に関わることなのですか?」
「あなたの病状の解決策を思いついたんです。」
「治療法でなく、解決策。」
「えぇ。」
頭に白髪をぽやぽやと生やした精神外科医がそんなことを言うもんだから私は、そのぽやぽやを抜いてやろうかと考えた。
「本当にいい考えだなぁ。今年一番の思いつきだ。」
「その解決策って一体何なんですか。」
「あなたが、毎日三食、近所の十九の青年に届けて一緒に食べてやる。これこそが解決策。」
「はぁ。」
ぽやぽやなんて抜く前に帰ってやろうと腰を上げ後ろを振り向くと、若く綺麗な看護師さんがしっかり扉の前に立っていた。
「まぁ、聞きなさいよ。」
「なんですか、爺様。」そう心の中で呟いたつもりだったが、医者の後ろの看護師が口元を歪めたところを見ると、実際に口に出してしまっていたようだ。
「六篇さん、あんたは日光を浴びなかったから体調がおかしいだけだ。定期的に日の下に出るとかして暗い部屋に閉じこもるのをやめりゃあいい。体内時計がおかしくなってるんですよ。」
先週から体が不調を訴えていたため、今日になって家から一番近くの病院に来てみた。精神科だから、体の不調の原因が分かるのか不安だったがとりあえずは来て正解だった。
「それとその、近所の青年に三食届けることと何の関係が?」
「その近所の子はね、辺銀康人というんだけど、あなたのマンションの同じ階に住んでいるんです。その子はここの常連なんですけどね、なんでここに来るんだと思います?」
「さぁ。子供と爺様の考えることはさっぱり。」
「話し相手がいないってここに来るんですよ。」
もう一度腰を持ち上げて後ろを見るとまだあの看護師がいる。彼女も余程暇なのだろうか。
「それで、僕がいいことを思いついたわけだ。」
「何がいいのか聞こうじゃないですか。」
「あなたが彼の部屋に三食、三回毎日行けばあなたの体調不良は解消される。そして一緒に食事をすれば辺銀君の話し相手が見つかる。と同時に辺銀君が探していた食事を作る人も見つかる。一石三鳥。ナイスアイディア。」
よぼよぼの年寄りの割にはナイスアイディアの発音が不自然に良い。不自然だ。
「知らない人と一緒にご飯食べるなんて嫌です。それに話し相手なら、親でも友達でも見つければいいじゃないですか。私には関係ない。」
「探すことができれば、こんなところに来ませんよ。辺銀君はにとってはここに来るのも一苦労ですからね。」
「一苦労って…私と同じマンションなんでしょ。苦労なんて必要ない。」
「必要あるんですよ。辺銀君なら。それにあなた、小説家なんでしょう?」
診察の前に答えたアンケートの職業欄に正直に書いた自分はきっと馬鹿なんだろう。別に小説家と面を向かって言われたから赤面しているのではない。自分が小説家と面を向かって言われたから赤面していることに赤面しているのだ。
「まぁ。一応。」
医者の後ろの看護師がまた顔を歪めた。あれは果たして笑っているからできる歪みなのだろうか。それとも機嫌が悪いのか、腹が痛いのか。もしかしたらぽやぽやが気になるのかもしれない。
「小説家なら、彼に関わって損することはないですよ。私が保証します。」
そのぽやぽやに懸けて?
「小説家に必要なのは、経験と紙とペンですよ。」
ペンの発音が不自然だ。きっとわざとに違いない。
「話を聞いて治療するならばまだしも、辺銀君は本当に話したいことだけ話して帰りますからね。こちらとしても、困るんです。」
後ろにいた顔を歪めている看護師が、弱弱しく言った。
「僕は楽しくていいんだけどね。香苗君が起こるから。」
医者は力強く言い放った。
「じゃあとりあえず、明日から行ってみてくださいね。こちらから話は通しておくので。」
「まだ、私引き受けてないんですけど。」
「小説家に必要なのは経験と紙とペンですよ。」
ペンの発音が不自然だ。きっとわざとに違いない。




