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月光図書館  作者: 菜い子
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1,辺銀康人

1,辺銀康人ぺんぎんやすひと

 ビン底メガネの向こうに有るのは鈍色の空。曇った町並み。

 今日も辺銀はたった一つの場所を目指してひたすら歩く。

通いなれたはずの町並みなのに、いつも歩くたびに不安定だった。この道になれるということは、辺銀にとってありえない。天変地異が起こったとしても、人間が滅びたとしても、地球が爆破されたとしても、もし自分が死ぬようなことがあったとしても、それは絶対的で変わらないのだ。それは人間の顔に目が二つ鼻が一つ口が一つ耳が二つついているのと同じくらい至極当然のことである。辺銀という人間ただ一人に関して言えば。

 辺銀が毎日慣れない同じ道を歩いてまで、通い続ける場所は図書館だった。

 入り口に、中川町図書館の名が刻まれているが、それの名前は間違いなのだと辺銀は豪語する。

「違うんですよ、先生。僕が通い詰めているのは中川町図書館なんかではありません。日本のすべての図書館は、月色図書館っていうんです。僕の視界の中のどんよりした世界に月明かりのごとく優しい光を注いでくれる唯一の存在ですからね。図書館は。本当は月光図書館にしたいところですが、お生憎様、僕は光を感じることができないのでね。月色図書館で妥協してます。月色はなんとなく僕にも感じることができますから。」

私が、図書館の名を間違うとあらば、辺銀はその口調に自虐の調子を含めて答えた。

辺銀はロマンチストでも詩人でもない。どちらかというと現実主義の頑固者。だからこそ近所の図書館を中川町図書館だと認めない。彼には文字が分からないから、中川町図書館という文字が読めないのだ。それを恥ずかしく思っているのか、それとも自分の目で見たわけじゃないから中川町図書館という名前を認めないのかは定かではないが、彼はともかく図書館の名前にこだわっていた。

 月色図書館こそ、辺銀の心の支えであり生きがい。何より唯一の人生における楽しみであった。

ビン底メガネをかけた短髪の冴えない青年、辺銀康人。生活費は日本国民の皆様の税金で賄われ、図書館から歩くこと約三分の家に一人暮らし。特に何をこなすこともなく、自分は何のために生きるんだ、なんて考えることもない。

 只々平凡な人間だ。

 辺銀本人に言わせたのなら。

私も含め、普通の身体に生まれなんてことのない家庭環境を送ってきた人間から言わせれば、彼ほど平凡でない人間はいないはずなのに。

辺銀曰く

「それは先生たちの方が非平凡なんです。僕が生きてきた十九年間そしてこれから生きる数十年間、僕の日常こそが平凡であり先生たちの日常こそが、非平凡なんですよ。」と言うことになるらしい。さらに饒舌な彼ならば続けて言うだろう。

「そもそも、平凡なんて言葉がおかしいんですよ。人の毎日なんてそれぞれ違う。個人差のようなものがあるはずなのに、それを一貫して平凡という言葉で括ってしまうなんて。アフリカ人の言うところの平凡と日本人の言うところの平凡が全く異なることと同じように、自分の平凡と隣人の平凡が違うことは当り前のことなんです。だから先生の考える平凡と、僕の考える平凡、そして見知らぬ誰かさんの平凡はみんな違くなるわけですから、結果的にいうのなら、みんな非平凡的毎日を送っているって考えるのが妥当なんです。」

そんな、頭がこんがらがってしまうよう話を彼はするかもしれない。


いや、八割の確率でするだろう。



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