閑話 鉄心という男
あの日のことは、今でも覚えている。
忘れようとしても忘れられねぇ、胸の奥に沈んだ黒いへどろみたいな記憶だ。
俺はもともと、ダンジョン黎明期の探索者だった。
どんなダンジョンでも先頭に立って戦い、後ろのメンバーを守るのが誇りだった。
実力もあったし、体力には自信があった。
若い連中からは「鉄心さんがいれば安心だ」と言われて、悪い気はしなかった。
そんな俺が――
ある日、一瞬の判断ミスをした。
「うわぁぁあ!!」
振り返る暇もなかった。
仲間が魔物に襲われ死にかけたとき、無意識にそいつを突き飛ばして――
鈍い衝撃が、俺を貫いた。
「ぐ……っ!」
内臓が傷つき、骨が砕ける音がした。
倒れた俺の横を、巨大な獣型の魔獣がかすめる。
魔獣は仲間たちが倒してくれたが、気づけば視界が白んでいた。
――その傷が、決定的な後遺症を残した。
「前線復帰は……難しいですね。
右腕の神経の損傷が……」
医者の言葉に、俺は何も言えなかった。
何かを叫んでやろうと思ったが、喉からは声が出なかった。
(俺は……もう戦えねぇのか)
そこからの日々は、正直に言えば空っぽだった。
廃人みてぇに、煙草吸って酒を飲んでだらだらと一日を過ごして寝る。
仲間だった連中がダンジョンへ向かう姿を見るたびに、胸がざらついた。
(俺は……何やってんだろうな)
そんなある日のことだ。
ただ気まぐれに遠回りをして、施設の脇の道を歩いたとき。
「やめてよ!痛い!」
「うるせー、お前はスライム役なんだよ!」
「雑魚は黙ってろ!」
妙に尖った子どもの声が聞こえた。
興味本位で覗き込むと、施設の庭で子どもたちが“ダンジョンごっこ”をしていた。
だが、その中心で――
体の小さな子が地面に押し倒されていた。
俺は思わず顔をしかめたが、すぐに視線をそらした。
(子ども同士の喧嘩に、大人が口出すことじゃねぇだろ)
そう思って歩き出しかけた、そのとき。
「やめろ!!」
それは小さいけど、はっきりした声だった。
振り向くと――
小柄な少年が、いじめられている子の前に立ちはだかっていた。
芽吹 慧。
あのときの俺は、まだその名前を知らなかった。
「何だよ、お前」
「雑魚のくせに出てきてんじゃねーよ」
「痛い目見たいのか?」
「雑魚とか弱いとか、そんなの関係ない。やめろって言ってるんだ!」
声が震えていた。
体も震えていた。
それでも――
あの小さな体で、子ども三人を相手に立っていた。
「っ……!」
一発殴られれば、簡単に地面に倒れる。
二発目の蹴りで、転がるように吹っ飛ぶ。
けど、芽吹は――何度でも立ち上がった。
「どうして……立つんだよ、お前!」
いじめっ子のひとりが叫ぶ。
「僕は…誰かを守りたい…弱くても誰かを守るヒーローになりたいんだ…」
涙目だった。
でも、気持ちだけはまっすぐだった。
(……こいつ……)
その言葉が、俺の胸をぶん殴った。
あのときの俺が言えなかった言葉。
あのときの俺が守れなかったもの。
(こんなガキが……俺が逃げた場所に、立ってやがるのか)
芽吹は殴られながら、その小さな子を逃がすように背中を押した。
自分はまた蹴られ、砂まみれになって、それでも立とうとした。
俺はその姿を見て――動けなかった。
悔しいほどに、動けなかった。
そしてそのとき、俺は気づいてしまった。
(……今の俺は…その小さい子どもに顔を向けられるような大人か…?小さいころに夢見た自分なのか?)
怪我をしたことを言い訳にして、仲間をもう守ることができないなら、
戦えないなら役に立てないと勝手に決めつけていた。
でも――
(誰かを守る形なんて、いくらでもあったんじゃねぇのか)
子どもを逃がして、芽吹は地面に座り込んだ。
両膝を抱えながら、誰に向けるでもなくぽつりと呟いた。
「……やった…助けられた…もっと強くなって、誰かを守れる人になりたいなぁ。
…それで、有名になって、そしたら、お父さんやお母さんが…僕を迎えに来てくれるかも…」
胸が締め付けられるように痛かった。
(……ああ。そうか、この子は身寄りがない子なのか。こんな弱い子でも、希望をもって誰かを助けることができるのか。それに比べたら、今の俺はどれだけ恵まれているんだろう。)
その日、俺は支部に行って――
探索者支援課への就職願いを出した。
前線に立てなくてもいい。
戦えなくてもいい。
誰かを守る仕事は、ここにもある。
(あのガキを……いつか一人前の探索者にしてやる)
そう思った。
その“ガキ”がいま――
魔法まで使えるようになって帰ってきたんだ。
ぼろぼろの姿でベッドに寝かされながら、
それでも真っ直ぐに前を向いている。
(……昔から変わらねぇやつだ)
弱くても、才能がなくても、必死に誰かを守ろうとする。
その姿は、あのときからずっと変わっていない。
だから――
(今度は俺が、お前を守る番だ)
前線にはもう戻れねぇ。
でも、支える側なら何度でも立てる。
「……行くぞ、芽吹。
お前の物語はまだ、始まったばかりだ」
たまに閑話を入れていく予定です。
鉄心さんみたいな渋い大人っていいよね




