第4話 優しさと決心
翌朝、僕は妙に早く目が覚めた。
胸の奥で、まだ昨日の出来事がざわついている。
あの異世界のような場所、黒い狼、原初の種――まるで夢の続きのようだ。
枕元のスマホが震えた。
画面には支部からの通知。
【転移事故関係者を対象に再検査を行います。至急来庁してください】
(……やっぱり来たか)
逃げられるわけもなく、僕は支部へ向かった。
入り口は昨日以上に騒然としていた。
負傷者を乗せたストレッチャーが次々と運ばれ、職員たちが怒号を飛ばす。
「浅層で負傷者三名! 中層への立ち入れるランクを一段階をあげろ!」
「階層構造の数値がまた上昇してるぞ!」
受付で名前を告げると、女性職員が軽く息を飲んだ。
「……Fランク探索者の芽吹 慧くんね。生きててよかった。検査室まで案内するわ」
その声は優しいけれど、視線には“昨日の噂は本当なのか?”という疑いの感情を感じた。
検査室に入り、職員の説明を受ける。
「転移事故の後は、身体能力や魔力反応が乱れることがあります。念のため再測定を――」
僕は頷き、測定器に立った。
柔らかな光が身体を包む。
数秒後、職員が思わずといった風に声を漏らす。
「……え?」
「これが昨日までFランクだった探索者の数値か…?機械の誤作動じゃないのか?」
続けて二度目の測定。
表示された数値に、職員が目をむいた。
「身体能力……FからCランク相当? 敏捷性はBに近いぞ」
「魔力反応……かすかに数値に変動があるな。だが波形が歪みすぎて解析不能だ…」
(やっぱり……原初の種のせいかな)
説明できるはずもない。
僕自身、理解しきれていないのだから。
職員が顔を見合わせ、上層部に報告しようとした――そのとき。
検査室のドアが荒々しく開いた。
「おい、どけ」
無精ひげに古傷だらけの腕。
作業着のままの四十代くらいの男が、煙草の臭い空気と共に入ってきた。
鬼島 鉄心。
新人教育やトラブル処理で有名な、元Bランク探索者。
鉄心さんは僕を一瞥したあと、低く言った。
「……芽吹、体はなんともないんだな?」
「は、はい」
声が震える。
鉄心は数秒、じっと僕を観察していた。
その目は、何かを探るようで、怖いほど鋭い。
「……お前、昨日死にかけたな」
「っ……!」
どうしてそれをという驚きが顔に出た。
声が出ないほどの驚きだ、彼はどこかで僕のことを見ていたのだろうか。
いや、転移トラップで飛ばされたのは僕だけのはず、じゃあどうして?
職員が驚いたように鉄心を見る。
「鬼島さん、それはどういう意味――」
「あーあーただの勘と経験則だ、深い意味はねぇ。こいつは死の淵から生き返ってきたやつの目だと思ったんだよ」
鉄心は経験だけで、僕が“死地をくぐった”と見抜いた。
(さすが…鉄心さんだな)
そう思った。
彼は僕が小さいころから、僕のいる施設へ資金援助をしてくれていた。
理由を聞いてもはぐらかされるけど、僕を知り軽んじない優しい大人だ。
鉄心さんは職員たちに向き直り、短く言い放つ。
「こいつの件、上に渡す前に俺が預かる」
「しかし規則では――」
「規則なんざ、現場の探索者の命を守っちゃくれねぇんだよ、なぁ?」
威圧に押し切られた職員は渋々うなずく。
鉄心さんは僕の肩を叩き、
「来い」
と短く言って、検査室を後にした。
ついていくと、支部の休憩スペースに案内された。
鉄心は紙コップにコーヒーを注ぎ、僕にも一杯渡して、自分の分を一口飲んでから口を開く。
「質問に答えろ。芽吹、お前に何があった?」
言い方は強いが目には心配の感情が浮かんでいるのが分かった。
どういう風にこの質問に答えればいいいか迷い、言葉が喉で詰まる。
真剣に事実を求めている目、そして心配してくれている人の目だというのがわかるので、どうにか伝えたいが自分でも混乱していて、うまく話すことができなかった。
「……転移陣に飲み込まれて……気づいたら……変な場所にいて……
大きな狼がいて……死にかけて……気づいたら、身体が勝手に……」
断片的で、曖昧で。
自分でも説明になっていない説明をたどたどしく話す。
僕が話終わるまで、鉄心さんは口を挟まずに黙って聞いてくれた。
話終わり、鉄心は長い沈黙の後、言った。
「……ああ、そうか」
「…?」
「よく生きて帰った」
鉄心は僕の右手を見る。
「その手の震え……昨日、初めて獣を殴り殺して、思い出して恐怖を覚えてるやつの震え方だ。そんな恐怖の中、よく無事でいたな」
鉄心さんは穏やかな、優しい顔をしている。
僕は責められると思っていた、なんでもっと詳細に説明できないのか、なにかほかに隠していることがあるんじゃないのか、と。
「……いいか、芽吹。誰にも人には言えない秘密がある。探索者は基本的に自分のスキルを他人には明かさないし、強さの秘密を見せびらかしたりはしない。だから、俺もここでお前に何があったか、すべてを聞き取るつもりはない」
鉄心さんは僕の頭にぽんと手を置く。
「何があっても大丈夫だ。…お前のことは俺が見といてやる」
信頼、覚悟で支える大人の言葉。
胸の奥と目頭が熱くなっていくのを感じる。
「……ありがとうございます」
「礼はいい。今後もちゃんと生きて帰って来いよ、死ぬと俺の報告が面倒になるだけだ」
わざとぶっきらぼうに言う鉄心さんの横顔は、思ったよりずっと優しかった。
休憩スペースを出ようとすると、廊下の先で誰かが立っていた。
神原 獅斗。
同じ施設で育った、才能ある少年。
僕のことをずっと“下”だと見下して、笑っていた同期の筆頭格。
昨日と違う目で僕を見ていた。
「……芽吹。お前……本当に魔獣二体、倒したのか」
「……うん」
それしか言えない。
獅斗の拳が震えていた。
「なんでだよ。
お前、今まで能力ゼロで……弱くて……
俺がずっと上だったのに……なんで急に……!」
(……そうだよな)
獅斗は才能あるが故に、
“自分より下の人間が突然変わる”ことを許容できない。
僕は説明できず、沈黙した。
その沈黙が、獅斗を余計に刺激した。
「……ふざけんなよ」
獅斗は背を向けて去っていった。
その背中は、焦りと不安を必死に隠していた。
支部を出ると、街頭ビジョンに緊急ニュースが映っていた。
『世界各地でダンジョンの急激な構造変動が発生』
『魔素濃度が10年ぶりの危険域へ』
『複数地域で“古代紋様”が観測され――』
胸の奥で、”原初の種”が静かに脈動する。
(……やっぱり、世界がおかしくなってるのか)
だけど、恐怖よりも――
昨日の救助で感じた誰かを助けた実感が強かった。
(僕は……もう弱いだけの僕じゃない)
夕風が頬を撫でる。
空は薄い橙に染まっていた。
胸に手を当てる。
「……行こう。
ちゃんと向き合わなきゃ」
小さく呟く。
その瞬間――
ダンジョンの奥深くで、何かが蠢いた気がした。
それは、次に訪れる試練の予兆だった。
―—綺凛(作者)から皆様へ――
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