第28話 松島ダンジョン
松島ダンジョン。
探索者支部の資料では、そう簡潔に記されている。
等級はEランク。
難易度は低く、初心者向け。
だがそれは、危険がないという意味ではない。
海沿いに発生したこのダンジョンは、内部に大量の水脈を抱え、湿度が高く、足場は悪く、視界も不安定だ。
出現する魔獣は海洋系が中心。
軟体、鱗、粘液――
生理的に受け付けない見た目のものが多いことで、探索者の間では有名だった。
「……なぁ」
入口前で装備を整えながら、神原獅斗は小さく呟いた。
「正直に言っていいか?」
「どうぞ、どうせ言うの止められないでしょ」
弓を背負った少女が、にこやかに返す。
声は明るく、表情も軽い。
だが、その目はしっかりとダンジョンの入口を測っていた。
「ここ、絶対ヌメりがやばいよな」
「そうね」
「なんか、飛び散るよな」
「飛び散るね」
弓を背負った少女と、隣で数珠を巻いた手を合わせていた僧侶のようなガタイのいい男が、淡々と相槌をうつ。
「体液は確実に飛ぶ。酸性のものも混じる可能性がある。皮膚に付着した場合は、即座に洗浄」
「くそがぁ!!」
神原は天を仰いだ。
「だから俺、海系ダンジョン嫌いなんだよ!殴っても斬っても、手応えねぇし!しかも飛ぶし!臭いし!」
「はいはい、わかってるわかってる」
弓の少女は笑いながら言った。
「でもEランクよ?私たちみたいな初心者が実績積むには、ちょうどいいじゃない」
「……まぁな」
神原は舌打ちしつつも、否定はしなかった。
実際、彼らはまだ初心者だ。まだ無理をすべき段階ではない。
「いつも通りいこう」
僧侶の男が静かに言う。
「獅斗が前。俺が中央でフォロー。
恋はいつも通り、状況見て射線を通す」
「了解!」
「……わかったよ」
三人は顔を見合わせる。
細かく情報を確認するまでもない。
阿吽の呼吸というか、何となくお互いがちゃんとイメージを共有できている確信があった。
神原 獅斗、青柳 颯、春夏 恋。
彼らは小さい頃から一緒だった。
みんな生まれて直ぐに親に捨てられ、児童養護施設で育った。
施設の中で、裏庭で、色々な場所で遊んで、喧嘩して、泣いて、笑って、気づけばずっと一緒だった。
この距離感に多くの言葉はいらない。
「じゃ、行くか」
神原が一歩踏み出す。
その背中を、二人は迷いなく追った。
ダンジョン内部は、ひんやりとしていた。
岩肌は濡れ、天井からは水滴が落ちる。
足を踏み出すたび、靴底が嫌な音を立てる。
「……あー、もう」
神原は眉をひそめた。
「床が信用できねぇ」
「だから、突っ込む前に一歩確認」
颯もグリグリと地面を踏みしめて、感触を確かめている。
「バランス崩したら、前衛が一番危ないからな」
「わかってるっつーの」
軽く返しつつも、しっかりと足元に注意をはらいながら進んでいく。
少し進んだところで、恋が手を挙げた。
「来るよ。左前方」
恋が指さした先で水面が、盛り上がった。
――ぐちゅ。
嫌な音と共に、
半透明の粘体が、ゆっくりと姿を現す。
「うわぁ…きっしょ…」
「出たな」
神原は低く構えた。
スキルを使うまでもない。
この程度の相手なら、まずは素の力で十分だ。
「行くぞおらぁ!」
一息に近づき、金属製のナックルをつけた拳を叩きつける。
その一撃は粘体を弾き飛ばし、霧散させる。
飛び散った粘液が、獅斗の服にも着いたため、倒した本人は嫌な顔を隠しきれていないが。
「まだ来るぞ!」
正面から湧き出るように出てくる粘体に鬱鬱とした気持ちになる。
腹を括って攻撃しようとした時に、自分の後方から矢が飛んできて、粘体を弾き飛ばした。
矢の先端は尖っている矢尻ではなく、大きめの球体になっているようで、うまく粘体を衝撃で破壊できているようだ。
「岩属性を付与してみたの!上手くいった♪」
「それで全部倒してくんねぇ?」
「むりむり、魔力が勿体ないよ〜」
「獅斗、お前も早く前線にこい」
颯の声がする方を見ると、彼は粘性の液体に塗れた金属の棒を振り回して、敵を倒していた。
「…はぁ〜」
覚悟を決めて粘体に殴り掛かる。
そうやって殲滅していくと、粘体は湧き出てこなくなった。
「……まじで、これ…」
神原は拳についた液体を見て、顔をしかめる。
「やっぱきめぇ!!」
「諦めなよ〜颯を見習ったら?」
恋が笑いながら颯の方を指さす。
颯は大きな体をブルブルと震わせ、粘液を弾き飛ばしていた。
「いや、犬かよ」
「ん?これならすぐに綺麗になるぞ」
颯は昔から鈍いというか、我が道を行くというか、そんなところがあるからな。
流石にその動きをするのは、あまりに犬過ぎて嫌だ。
「いや…まぁ、そうかもしんねぇけどよ」
「ほらほら、先に進もう~」
恋が暇そうに小石を蹴っていた。
マイペース過ぎるなこいつら。
三人はダンジョンの先へ進んでいく。
ぬるぬるして、気持ち悪くて、決して楽な場所じゃない。
だが、俺の後ろには信頼できる二人がいる。それが心強くて、こんな不快な冒険だって悪くないと感じた。
その後も粘性の魔獣が何体か出てきたり、ナマコのような芋虫みてぇな魔獣が出てきた。
どいつも大したことないのだが、どいつも素手で攻撃したくないタイプだった。
殴ったときのぐちょっていう気持ち悪い感触に、飛び散る液体。
そうあがいても服や装備品が汚れていくのが、次第にストレスが溜まっていく。
「…あぁあああ!!くっそ!!顔についたぞ!!」
「なんだ、今までついてなかったのか。やるな、獅斗」
「はぁ?そりゃ全力で顔つかないように回避してるに決まって…」
言い返しながら颯の方を見ると、顔の至るところに粘液をつけて気にしていないのが分かった。
「…いや、マジかよお前」
「ん?何がだ?あ、あおの青系の粘性魔獣は結構さわやかな味でうまいぞ?」
「え!?颯、あれ食べたの!?さすがに気持ち悪くない?」
「そうか?ソーダみたいで美味そうだったろ、なぁ獅斗」
「いや、どう考えてもきもいだろ…」
どうにも緊張感がないダンジョン探索だった。
その後も特に何も問題ないまま、ダンジョンをサクサクと先に進んでいく。
しばらく進んでいくと、大きな扉の前に出た。
結構すぐに感じているが、もうボス戦のようだ。




