第21話 VS洞窟トロール
トロールは、俺たちをゆっくりと見下ろした。
その目に知性はあまりない。ただ、目の前の獲物をどうやって潰すかを考えているような、鈍く濁った視線。
次の瞬間、洞窟が揺れるほどの咆哮が放たれた。
「グォォォォォォォォォ!!」
耳をつんざくような叫びに、思わず肩がすくむ。
天井から岩の破片がいくつも落ち、地面に転がる。
「っ、来るぞ!」
赤石くんが盾を構え、前へ飛び出した。
「スキル《赤い番人》」
盾の赤い紋様が濃く輝く。
空気が熱を帯び、盾の周囲に薄い赤の膜が二重三重に重なるように展開された。
トロールは、巨大な棍棒を高く振り上げた。
水晶の内部で赤黒い光がうねり、重力に逆らうようにぐわんとしなり――
ドゴォォォォン!!
棍棒が地面に叩きつけられた。
空間全体が揺れたような衝撃。砂煙と石片が爆発するように吹き上がり、地面が抉られて大きな亀裂が走る。
赤石くんはギリギリまで踏みとどまり、盾を前に押し当てるようにして衝撃を受け止めていた。
赤い防壁が、バキバキと音を立ててきしむ。
「くっ……っはぁぁぁぁ!!」
彼が声を絞り出し、一歩も下がらずに耐え切る。
衝撃が盾の表面で霧散し、トロールの棍棒が跳ね返されるようにわずかに後退する。
「すご……!」
思わずそう言いかけた瞬間――
「バフ入れる。……スキル《法隆の力》」
観世くんの声が響く。
金色の光が赤石くんの体へ流れ込み、うっすらとした金色の帯が浮かび上がった。
「助かる!」
赤石くんは息を吐きながら笑う。
「芽吹、右側から回り込んで! 足を狙ってくれ!」
「わかった!」
緑の闘気を足元に集中させ、一気に駆け出した。
さっきまでの敵と同じように、心のどこかでまた同じように通じるだろうと思っていた。
そのせいで、ほんの僅かに警戒が甘かった。
トロールの棍棒が再び振り上げられる。
今度は地面ではなく、横薙ぎだ。
赤石くんめがけて。
そして、その少し後ろを走っていた僕の方へも。
「っ!」
赤石くんが防御に集中するのを見て、俺は瞬時に判断した。
自分で避けるしかない。
…いける。これくらいのリーチ、さっきのゴリラ型より少し広い程度だ。
そう思って、地面を蹴る。
低く沈み込むように身を滑らせ、棍棒の軌道から外れようと――
「芽吹、まだ君へのバフが乗り切ってない!」
オモナくんの焦った声が飛んだ。
その意味を理解する前に、視界の端で、棍棒の影が予想以上に広がっているのが見えた。
(――速い)
さっきまでの魔獣と比べるまでもなく、棍棒の速度が違う。
重いはずなのに、しなりを利用した一撃は、まるで鞭のようにしゅん、と鋭く走った。
「――っ!」
ギリギリで頭を下げた。
だが、完全には避けきれなかった。
棍棒の端が肩にかすっただけで、体が横へ吹き飛ばされる。
空気が肺から無理やり絞り出され、背中から地面に叩きつけられた。
「がっ……はっ……!」
視界が一瞬、白く弾ける。
ジンジンと肩が焼けるように痛い。骨まではいってない。だけど、意識を持っていかれそうな衝撃だ。
「芽吹!」
赤石くんの声が聞こえる。
だが、次の瞬間にはまた棍棒が振り下ろされる気配がした。
「《水障壁》!」
いおさんの声とともに、俺とトロールの間に、厚い水の壁が立ち上がる。
透明な盾のようなそれに棍棒が叩きつけられ、大量の水飛沫が弾け飛んだ。
「っく……!」
いおさんが歯を食いしばる気配がする。
水盾は辛うじて一撃を受け止めたが、その表面にヒビのような波紋が走る。
「芽吹、下がって!」
「ご、ごめん!」
俺はふらつきながら立ち上がり、後方へ下がった。肩の感覚が鈍い。力を込めようとすると、じわり、と嫌な痛みが走る。
「観世、回復!」
「今やってる! ……《癒しの波動》!」
柔らかな光が肩に流れ込み、じわじわと熱を帯びていく。
完全には痛みは消えないが、動かせる程度には回復してきた。
俺が必死に呼吸を整えている間にも、前線では赤石くんがトロールの攻撃を一人で受け止めていた。
「はっ……はぁっ……! まだ、いける!」
盾に棍棒が叩きつけられるたび、赤い光が火花のように散る。
地面には亀裂が走り、足元の岩が砕けていく。
それでも、赤石くんは一歩も退かない。
だが――
「ちょっと、赤石。防御全振りすぎ。こっちはバフと回復にもリソースを回さなきゃいけないんだから、もう少し避けて」
オモナくんがせわしなくバフや回復をかけながら少し強めの口調でいった。
「そんな余裕ねぇって! コイツの一撃、まともに通したら誰か死ぬぞ!」
「だからって、ずっと真正面から殴られっぱなしなのも効率悪い」
二人の会話は、半分口論みたいになっていた。
その間にも、巨大な棍棒は容赦なく振るわれ続けている。
(やばい……このままじゃ、ジリ貧だ)
さっきまでの「楽勝ムード」が、今は逆に足を引っ張っている。
連携を確認したはずなのに、実戦でのすり合わせがまったく足りていない。
「水瀬、もっと足止めとかできないのか!?」
前線から赤石くんが叫ぶ。
「してる。でも、あの腕の振りの速さ、完全には止められない。魔力も無限じゃないし」
いおさんは落ち着いて答えながら、次々と水鎖を放ってトロールの足や腕に絡めている。
だが、トロールはその鎖を力任せにちぎり、なおも前へじりじりとにじり寄ってきていた。
俺は拳を握る。
さっきの一撃で、怖さが骨身に染みている。
もう一度あれをくらえば、今度こそただでは済まないかもしれない。
それでも――
「……っ、ごめん。僕のせいです。油断してました」
俺は観世くんに軽く頭を下げ、息を吸った。
「もう一回、前に出ます。次は、ちゃんとタイミング合わせます」
「僕もバフを早くかけなかった、そのせいで君を危険な目にあわせた、ごめん。」
「反省会は後だ!!マジで死ぬ!!助けてくれ!!」
赤石くんが必死に攻撃をはじいたり、回避を行って何とかしのいでいる。
オモナくんは小さく息を吐き、足元の印を組み替える。
ブレスレットが、再び光を帯びた。
「じゃあ、今度はみんなで合わせるよ。
――赤石、次の攻撃を絶対にはじいて隙を作って」
「いや、そんな簡単に言ってくれるけどよ…」
「いいから。僕のデバフ、信じて」
オモナくんの声はいつもと同じくらい眠そうなのに、不思議と逆らえない力があった。
「……分かった。任せるわ」
赤石くんは短く答え、トロールを見据える。
「水瀬。腕を拘束できる?」
「短時間なら」
「じゃあ、その隙に芽吹が足を崩す。
―そのあとが、赤石の出番ね」
オモナくんが、淡々と指示を出していく。
その内容を聞きながら、胸の中に渦巻いていた焦りが、少しだけ静まっていった。
(そうだ。俺一人でどうにかしようとしてたから、ミスったんだ)
このパーティは、四人でひとつだ。
一人が派手に目立つんじゃなくて、四人で噛み合ってこそ、最強になる。
「……了解」
俺は拳を握り直し、足元に緑の闘気を集中させた。
「行くよ――《無明の枷〉》」
オモナくんが低く呟いた。
彼の足元から淡い金色の輪がいくつも広がり、トロールの足元へ滑り込んでいく。
見た目には何も変わらない。
だが、トロールが一歩踏み出した瞬間、その動きが確かに重くなったのが分かった。
「今!」
「《水鎖》、全力!」
いおさんが両手を前へ突き出す。
にゃうちゃんとぴいちゃんが大きく鳴き、その身体がほどけて大量の水へと変わった。
それが瞬く間に鎖へと形を変え、トロールの両腕と胸に絡みつく。
「グルァァァァ!!」
トロールが怒り狂って暴れる。
鎖がきしむ音と、水飛沫が飛び散る光景。
そして赤石くんが攻撃の余波を完全に受け止めていた。
「芽吹!」
「はい!」
僕は距離を詰めながら、スキルを重ねがけしていく。
「スキル《森羅万象・感知》、スキル《力の葉脈》」
ドクンと、胸から闘気が全身にわたっていく。
緑の闘気が足元から迸り、体が前へ吸い込まれていくように軽くなる。
目標はトロールの右足。
あの巨体を支える土台を崩せば、一瞬でも隙が生まれる。
「はぁっ!」
踏み込みと同時に、闘気を脚へ集中させる。
かかとでトロールの足首の内側を蹴り抜いた瞬間、緑の光が爆ぜ、骨の軋むような嫌な手応えが伝わった。
「グガッ!?」
トロールの巨体が、ぐらりと傾ぐ。
その瞬間――
「今だ、赤石!芽吹!」
「おらぁぁぁぁぁ!!」
「はぁあああああ!!」
赤石くんが、ずっと構えていた盾を前へ突き出した。
彼の周囲の赤い光が一か所に凝縮され、盾の前面に巨大な紋章を描く。
「《赤の本流》ッ!!」
「《風纏》!!!」
砲弾のような速度で、赤く輝く盾がトロールの胸部へ突き刺さる。
鈍い衝撃音とともに、赤い爆炎のようなエネルギーがトロールの身体の内側へ一気に流れ込んだ。
それと同時に、緑の闘気を腕に絡ませて、全力で正拳付きを叩き込んだ。
螺旋に渦巻く衝撃が、トロールの体内を食い荒らしていく。
次の瞬間、トロールの背中側の皮膚が、内側から膨れ上がるように波打ち――
ドンッ、と反対側へ衝撃が抜けていく。
トロールの巨体が膝から崩れ落ち、棍棒が手から離れて地面に転がった。
「いお!」
「とどめ、刺すよ。全力の《水弾》!」
いおさんの足元から、水が螺旋を描きながら立ち上がる。
それが一つの水の弾丸へと変わり、トロールの頭部へ迷いなく突き立った。
一瞬で水弾がトロールの目から頭の中へと潜り込み、そのまま後頭部から吹き抜ける。
大量の光が溢れ、トロールの身体が内側から崩れていった。
「グ、ガァァァァ……」
最後の呻き声とともに、洞窟トロールは光の粒となって霧散した。
砕けた水晶の棍棒の破片が、きらきらと床に散らばっている。
静寂。
さっきまで響いていた咆哮も、地鳴りも、すべて消えた。
聞こえるのは、俺たちの荒い息と、落ちてくる水滴の音だけだ。
「……ふぅっ……倒した、か」
赤石くんが、大きく息を吐きながら盾を下ろした。
額には汗がにじみ、手はわずかに震えている。
「危なかったね」
いおさんも、肩で息をしながら苦笑する。
オモナくんはその場にぺたんと座り込んで、天井を見上げていた。
「……疲れた。ボス、数値上はEランクなんだけどなぁ……」
「ごめんなさい」
僕は自然と頭を下げていた。
「僕が、さっき不用意に前に出たせいで、余計にバタつきました。
ちゃんと皆のバフや魔法を待ってから動けばよかったのに……」
自分の肩をつかむと、まだうっすらと痛みが残っている。
あの一撃が、もし直撃していたら――想像しただけで背筋が冷たくなった。
「いや、悪いのは俺だ」
そう言ったのは、赤石くんだった。
「雑魚戦、楽勝すぎてさ。『ボスも大したことないだろ』って思ってた。
だから初手、正面から受けすぎた。もっと避けて、もっと周りと合わせるべきだったのに」
彼は乱れた緋色の髪をかきあげ、悔しそうに笑った。
「俺の役割はみんなを守ることなのに、みんなを危険な目に合わせちまった。
……情けねぇな、年長者」
「いや、それを言うなら、僕も――」
オモナくんが、ゆっくりと手を挙げた。
「状況を見てただけで、動き始めるのが遅かった。
あそこでちゃんとバフを前もってかけておけば、芽吹も吹っ飛ばされずに済んだ。
支援役のくせに、見てるだけって一番良くないね」
その言葉には、自嘲が少しだけ混じっていた。
いおさんも、柔らかく笑う。
「私もだよ。足止めに集中しすぎて、攻撃のタイミングを合わせようとしなかった。
芽吹くんが吹き飛ばされる前に拘束もできたはず。ごめん」
四人それぞれが、自分のミスを口にする。
だけど、その空気は重くなりすぎず、どこか前向きだった。
「……じゃあ、みんなまとめて、反省ってことで」
赤石くんがそう言うと、みんなから笑いがこぼれる。
「ま、初探索だし、こんなもんか」
「次は、もっと上手くやろう」
オモナくんが、眠そうな目をしながらも、はっきりと言う。
「次は今日みたいなギリギリの勝利じゃなくて、最初から最後まで連携で余裕勝ちって言えるようにしよう」
「……いいね、それ」
いおさんが頷く。
その髪先には、さっきの戦闘で飛び散った水滴がまだ小さく残っていた。
月明かりのような淡い光が、その雫で七色に反射している。
「よし。じゃあ――」
赤石くんが立ち上がり、盾を軽く持ち上げる。
「これからもよろしくな、みんな。
次はもっと派手に、もっと上手く、勝とうぜ!」
「はい!」
「……うん」
「任せて」
声が重なった。
最初にダンジョンへ足を踏み入れたときよりも、少しだけ強く、少しだけ揺るぎない響きで。
――俺たち四人のダンジョン探索は、まだ始まったばかりだ。
今日の失敗も、今日の勝利も、全部まとめて、この先の連携へと繋げていけばいい。
反省も多い初探索だったが、なんだかすっきりした気分だった。
―—綺凛(作者)から皆様へ――
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