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原初の種〜落ちこぼれの僕がダンジョン探索で成り上がっていく話〜  作者: 綺凛


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第2話 誰がためにこの力はある

 

 転移陣を踏み込んだ瞬間、世界がぐしゃりと指で潰されたみたいに歪んだ。


 視界が裏返る。

 上も下もわからない。

 耳鳴りだけがやけに鮮明で、心臓の鼓動が自分のものじゃないみたいに暴れ回っている。


 次の瞬間――僕は、固い床にしりもちをついて倒れていた。


「……っ、いっつ……」


 体中に鈍い痛みが走る。

 反射的に顔を上げると、そこは転移トラップにかかる前と同じ、岩がむき出しになったような元のダンジョンの風景が広がっていた。


 石造りの壁。

 ところどころに走る亀裂。そこまでは転移前と一緒だが、天井からは淡い青白い光が滴るように降りていて、床には魔力を帯びた細い筋が流れている。

 ダンジョンの浅層よりも少しだけ空気が張り詰めている。


 ここはおそらく…第七臨界迷宮の――浅層と中層の境目あたり。


(戻って……きた?)


 思わず辺りを見回す。

 さっきいた“異世界のホール”とは違う。あれほど重苦しい圧はなく、空気もまだ薄い。

 けれど、それでもどこか違和感があった。


 喉を通る空気が、重く、ざらついている。

 皮膚をなでる風が、細かい針を含んでいるみたいにチクチクとした感覚を残す。

 同じダンジョンのはずなのに、さっきまで僕が歩いていた浅層よりも、明らかに別な何かを感じる。


(……なんだろう、体の調子が悪いのかな?)


 疑問が喉まで出かかったそのとき、胸の奥が脈打った。


 ドクン。


「っ……!」


 胸に手を当てる。

 心臓の場所より、ほんの少し中心に寄ったあたり。

 そこに、目には見えない何かが根を張っているような感覚がある。


 熱い。

 でも、嫌な熱さじゃない。

 何かが静かに燃えていて、僕の中身を作り変えているような――そんな感触。


(これが……僕のスキル「原初の種(オリジンシード)」……)


 頭の中に刻みつけられたスキルの名前を思い出す。

 異世界のホールで告げられた、僕の固有スキル。


 さっきの黒い狼との戦いを思い出す。

 あのとき――僕は間違いなく、今までの僕じゃなかった。

 体が動いた。

 恐怖で凍り付いていたはずなのに、あの瞬間だけは“恐怖より強いもの”で動いていた。


 それが今も、僕の中に残っている。


 視界の隅で、床に走る魔力のラインがうっすらと光っているのが見えた。

 今までなら、ただの“光ってる何か”で終わっていた。

 けれど今は、その光が血液が循環する動きのように見える。

 ダンジョンそのものが生き物みたいに、うごめいている感覚がある。


(……見えてるものが、違う)


 自分の目が――世界の見え方が、前よりもはるかに鮮明だ。

 これがスキルを得たものの景色なのだろう。


 なにか、変わってしまった自分が怖い。

 けれど――胸の内側で燃える“種”は、喜んでいるようにも感じた。


 頼んでもいないのに、勝手に変わっていく。

 それでも、この力は間違いなく僕に生きるための手段を与えてくれた。


(……どうせ無能だったんだ、利用するしかない)


 自嘲気味にそう思って、僕はようやく先へ進み始めた。


 ◆


 移動を初めてすぐ、自分の変化に気づいた。


 体が軽い。


 足を一歩踏み出すたび、地面との接地感が鮮明に伝わってくる。

 靴底の裏の形までわかるような、妙な感覚。

 重心が自然と安定していて、今までみたいにふらつかない。


 それに――音だ。


 遠くの水滴が落ちる音。

 壁のひびから漏れる風の唸り。

 それらがはっきり聞き分けられる。


 前は、こんなふうに世界の音を意識したことなんてなかった。


「……本当に、僕、変わっちゃったんだな」


 思わず小さく呟く。

 変われた。変わってしまった。

 そのどちらとも取れる言葉だった。


 喜びと恐怖が、胸の中で混ざりあう。

 どちらが勝っているのか、自分でもわからない。


 ただひとつ――この力がなければ、僕はさっき死んでいた。それだけは確かだった。


(……戻ろう。まずは、みんなと合流しないと)


 転移陣に飲み込まれたときの光景が頭をよぎる。

 同期たちの顔。

 誰も僕の手を掴んでくれなかったこと。

 それでも、どこかで“あのまま全員死んでたらどうしよう”って不安になっている自分がいて、お人よしかよと自虐のように笑う。


 あの連中に、そんな心配をする義理なんて本当はない。

 それでも、同じ施設で育った人たちを、もうどうでもいいと思えるほど冷たい人間にはなれない。


 とにかく僕は、ダンジョンの奥から浅い層へ向かって歩き出した。


 ◆


 しばらく進むと、通路の歪み方や分岐の位置が、かすかに違うことに気づいた。


 見回りのときに何度か通ったことがある通路だ。

 でも、壁に刻まれたひびの形が、前に見たものと違う。

 天井の高さも、うっすらと変わっている気がする。


 まるで――ダンジョンそのものが、呼吸するみたいに形を変えている。


(……前から、そうだったのか? 僕が気づいてなかっただけで……)


 それとも、僕が“変わったから”見えるようになったのか。


 答えは出ない。


 ただ、胸の奥で”原初の種(オリジンシード)”が、ぼうっと熱を放っている。

 それが、この違和感に何かしら関わっているような気がしてならなかった。


「――た、助け――!」


 遠くから、悲鳴が聞こえた。


 背筋が凍る。

 反射的にそちらへ顔を向けると、鼻先にかすかな獣と血の匂いが届いた。


「……!」


 体が先に動いた。

 通路を駆け出す。

 足が、思った以上に速い。

 石床を蹴るたび、滑るように前へ進む。


 曲がり角を二つ抜けた先の広間で、三人の探索者が、二体の魔獣に追い詰められていた。


 魔獣は、黒いサルのような体躯をした少し大型の獣。

 さっき僕が戦ったやつほど大きくはない。

 けれど、その体表からは薄い瘴気のようなものが立ち上っていて、ただの浅層の魔物より明らかに威圧感があった。


 前衛らしき少年が、震える手で剣を構えていた。

 その後ろで、ローブ姿の女の子が杖を握り締め、もう一人の少年が怪我をしているのであろう胸を押さえて座り込んでいる。


「だ、だめだ……足が……!」

「くそっ……なんで浅層にこんなのが出るんだよ……!」


 前衛の少年が、半ば泣きそうな声で叫ぶ。


 黒い獣が牙をむいて飛びかかる。

 前衛が剣を振るうが、勢いに押されて弾かれ、尻もちをついた。


 その背後。

 座り込んだままの少年に、もう一体の獣がじりじりと迫っていく。

 逃がす気なんてまるでない、狩りをする獣そのものの目。


 それを見た瞬間、僕の背骨をなにかが駆け上がった。


(あのときと……同じだ)


 施設で、僕が笑われていたとき。

 誰も助けてくれなかったときの、あの冷たい視線と同じものを感じた。


 胸の奥が熱を帯びる。

 ”原初の種(オリジンシード)”が反応している。

 獣たちの動き。魔力の流れ。殺意。

 全部が、焼き付くように視界に入り込んでくる。


「……っ」


 足が動いた。


「危ない!!」


 叫びながら、倒れている少年と獣の間に飛び込む。

 獣の爪が振り下ろされる。

 その軌道が、はっきりと見えた。


(右からの袈裟懸けのような攻撃、狙いは少年の首、これをかわすためには…)


 無意識に、体が最適な回避へ合わせて動く。


 すれ違いざまに、拳を握って獣の顎を殴り上げた。


 ゴンッ!


 鈍い音とともに、黒い獣の頭が跳ね上がる。

 完全に吹き飛ばしたわけじゃない。

 けれど、軌道がそれて、少年の頭上をかすめて壁に爪が埋まった。


「ひっ……!」


 少年の短い悲鳴。

 僕はその前に立つように位置を取った。


 その動きがあまりにも自然で――自分のものじゃないみたいだった。


「だ、大丈夫ですか?」


 振り向きざまに声をかける。

 少年は歯をガチガチ鳴らしながら、縋るように僕を見上げてきた。


「あ、ああ……た、助かった……」


 安堵の色。

 誰かに、そんな目で見られるのは、いつ以来だろう。


 でも、感傷に浸っている暇はない。


 さっき殴り上げた獣が、もう体勢を立て直していた。

 その横では、もう一体が前衛の少年に食らいつこうと跳びかかる。


(二体同時……!)


 頭の中で、状況が勝手に整理されていく。

 敵の位置、まもならきゃいけない人たちとの距離、自分の攻撃範囲の限界。


 怖い。

 膝はまだ震えている。

 さっき黒狼を倒したときの感触が、手のひらに蘇る。

 血のぬめり。骨の砕ける感覚。


 気持ちの悪い感触だ、もう経験したくはない命を略奪する感覚。


 さっきの女の子が、震える声で仲間の名前を呼んでいる。

 前衛の少年が、顔を歪めながら剣をもう一度構えようとしている。


 その全部が、胸をチクチク刺してきた。


(今度は……僕が、見捨てる側になるのか?)


 あのとき、助けてもらえなかったのに。

 だからといって、誰かを見捨てたら――僕は、あのときの連中と同じだ。

 それだけは、絶対に嫌だった。


 ”原初の種(オリジンシード)”が、熱を増す。

 自分の意志が、種に届いているような気がした。


「――っ」


 僕は、牙を食いしばった。


「隠れててください! 僕が――やります!」


 言いながら、自分で自分の言葉に驚いた。

 “僕がやる”なんて、今まで一度も口にしたことのない言葉だった。


 けれど、言ってしまった以上、やるしかない。


 黒い獣が二体、同時にこちらへ走り出す。

 その足音が、妙にゆっくり聞こえた。


 いや――違う。

 僕の思考が、速くなっている。


(まずは、右――!)


 左側の獣の足運びが、ほんの少し遅い。

 それが見えた瞬間、僕は右側の獣に向かって踏み込んでいた。


 拳を握る。

 肩から腰へ、一連の動きが自然につながる。


 ドンッ!


 拳が獣の側頭部をとらえた。

 衝撃が腕を伝う。


 獣が呻き声を上げて横へ転がる。


 その反動を利用して、僕は体をひねり、左側の獣に正面を向けた。

 こっちはもう目の前まで来ている。


(避けられない――なら)


 僕は一歩踏み出し、獣の懐に潜り込んだ。


 爪が頬をかすめる。

 冷たい感触と、浅い痛み。

 じんわりと血が滲む。


 でも、怖くない。

 さっきまでの僕なら、絶対に目をつぶっていたはずなのに。


 腰を落とし、肩をぶつけるように体当たりをかます。

 獣のバランスが崩れ、体勢が浮く。


 足に力を入れなおし、弓を引くように拳を引き絞る。



(ここ……!)


 僕は獣の横腹を狙って拳を叩き込んだ。


 骨を砕き、内臓がつぶれる鈍い音がした。

 獣が悲鳴を上げ、そのまま横へ転がる。


 倒れ込んだところへ、一歩踏み込んで拳を振り下ろす。


 ゴッ。


 嫌な音。

 もう一発。

 骨の軋む音が、腕を通して脳に届く。


「や、やめて……ひ、ひとまずそれで……!」


 後ろから女の子の震えた声がした。

 ハッとして、僕は拳を止める。


 気がつけば、獣はもうぴくりとも動いていなかった。


 息が荒い。

 喉がからからだ。

 手のひらが、じわりと冷たくなっていく。


(……完全に頭に血が上ってた…)


 命を奪った感触が、確かに残っている。

 さっきの黒狼を倒したときとは違う。

 あのときは生きることでいっぱいで、それどころじゃなかった。

 今は、余裕がある分、命を奪う重さがはっきりわかってしまう。


 胸の奥の”原初の種”が、静かに脈打つ。


 これは、人の世界のルールとは、きっと相容れない力だ。

 それでも――目の前の三人が生きているのは、紛れもなく、この力のおかげだった。


「あ、ありがとう……!」

「マジで、死んだかと思った……!」


 前衛の少年と女の子が、へなへなとその場に座り込みながら僕に礼を言ってくる。

 膝を怪我していた少年も、涙目で何度も頭を下げていた。


「い、いえ……たまたま通りかかっただけなので……」


 何て返せばいいかわからず、視線を泳がせる。

 褒められ慣れていないせいで、居心地が悪い。


 でも、胸の奥が少しだけ温かくなった。


 誰かに“ありがとう”って言われる感覚が、こんなに重くて、こんなに嬉しいものだとは思わなかった。


(……ああ、そうか)


 僕はようやく、さっき異世界のホールで感じた“違和感”の正体に気づいた。


 ――これは、僕一人のために与えられた力じゃない。


 ふとそう思うことで、なんとなく恐怖や重圧が薄れた気がした。


―—綺凛(作者)から皆様へ――


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