第9話 苦しみから得たもの
まぶたがゆっくりと開いていく。
天井の白い板と、やわらかな光が目に入った。
(ここ……支部の宿舎か)
一昨日の戦いが一気に脳裏に蘇る。
中層のブラッドハウンド、あの巨大なボス、激しい戦闘、核の吸収……。
胸の奥が静かに熱を帯びている。
(……まだ、熱い)
痛みではない。
原初の種が、呼吸するみたいに小さく脈打っている感覚だ。
身体をゆっくり起こすと、筋肉全体に強い倦怠感が走る。
「よう。体調は万全か?」
扉が開いて、鉄心さんが顔を覗かせた。
いつもの無精髭と、ぶっきらぼうな表情。
「お、おはようございます……」
「寝起きのくせに顔色悪すぎだろ。
ゾンビに片足突っ込んでんじゃねぇか」
「……そんなこと言われても……」
「まあ、死んでねぇなら十分だ」
笑いながら、鉄心さんは水の入ったボトルを差し出した。
喉が渇き切っていたことに、その瞬間初めて気づいた。
冷たい水が身体に染みて、ようやく息が落ち着く。
「歩けるか?」
「……はい、大丈夫です」
「じゃあ行くぞ。ロビーまでな」
◇
ロビーに出た瞬間、空気が一変した。
騒ぎから2日経ったというのに、そこにはまだ緊張とざわめきが残っている。
視線が、一斉にこちらへ集まった。
「あれ……芽吹じゃねぇか?」
「本当に生きて戻ったんだ……」
「魔力波の原因、あいつだって噂……」
「でも鉄心さんと一緒だし……なんかしたのか?」
ひそひそとした声が耳に入る。
(うわ……やりづらい……)
正直、視線が刺さる。
でも前までの僕みたいに、胸が縮こまるような恐怖はなかった。
(……少しだけ、違う)
原初の種が、ゆっくりと波打つ。
それが背中を押してくれるようで――ほんの少しだけ、前を向けた。
「こそこそ見てんじゃねぇぞ!」
鉄心さんが軽く怒鳴ると、探索者たちがさっと顔を逸らした。
「悪いな芽吹。まあ、一昨日のあれを見たら気にもなるわな」
「……僕が、目立ってるだけですよね……」
「安心しろ。半分は不安、半分は興味本位ってとこだ」
「安心できる要素ゼロじゃないですか……!」
「ははは! 確かに!」
そんなふざけたやり取りをしていると、職員がこちらに駆け寄ってきた。
「芽吹くん。支部長がお呼びです。会議室へ」
「……はい」
「緊張すんな。…まぁ支部長はだいぶあれだけどな」
「あれって、そういう不安煽る言い方しないでください!」
鉄心さんに背中を押されながら、僕は会議室へ向かった。
⸻
部屋の中には、支部長がひとり座っていた。
落ち着いた眼鏡の中年男性で、無駄のない仕草が妙に威圧感を放っている。
昨日鉄心さんと廊下で話していた人物だ。
鉄心さんは廊下で待っているといって、一対一の状況だ…めっちゃ怖い。
「芽吹 慧くんだね。座りなさい」
僕は少し緊張しながら椅子に座った。
「私は探索者組合東北支部の支部長をしている”東 幸成”という。
まずは、一昨日の件について、怪我人を窮地から助け出してくれてありがとう。そして、支部の楽観的観測のせいで、君たち探索者を危険な状況に陥らせてしまったことをお詫びさせてほしい。」
「い、いや、!今回の件は予測が不可能だったと聞きますし、支部長が謝ることでは…」
「予測不可能だったとしても、だ。私は東北支部の長だからね、君たちの命を預かる責任者と言ってもいい。まずは、後日にお詫びとした謝礼金を振り込んでおくから、少し待っていてほしい。そのほかの補償については、あとで職員から聞いてくれ。…さて、本題に入ろう。」
支部長はゆっくり指を組む。
「中層で異常な魔力波が観測された。
一部では“ダンジョン核の反応に近いもの”という報告も上がっている。君のいた場所からだ」
「……!」
「何か、見たか? 聞いたか? 覚えていることは?」
「……すみません、必死で戦ってて……詳しいことは……」
嘘ではない。
本当に覚えていない部分も多い。
支部長は僕の顔をじっと見つめた。
その視線は、嘘や誤魔化しを許さないような鋭さがある。
(だ、だめか……?)
しかし支部長は深く息を吐いた。
「……わかった。無理に聞き出すつもりはない」
「……え?」
「鉄心が「“自分が全部管理する”と言ったからな」…鉄心、ここは支部長室なんだが、ノックくらいしたらどうだ?」
入り口を見ると、鉄心さんが腕を組んで立っていた。
「こいつのことなら俺に任せてくれ。
どんな面倒事があろうが、全部俺が処理する」
頼もしすぎて、胸がじんと熱くなった。
「……そうか。ならば、その言葉を信じよう」
支部長は静かに頷き、タブレットを操作する。
「さて。昨日の戦闘を踏まえて、芽吹くんの探索者としての再査定を行った。
結果――君は、特例で“Dランク探索者”と認定される」
「…………え?」
耳がおかしくなったのかと思った。
「本来、探索者のランクアップというのは時間をかけて段階を踏むものだが、
緊急時に探索者を救出したことや、身体能力値、戦闘能力を総合し――例外として昇格を認める」
「で、でも僕……Fの最底辺で……」
「昨日までの話だ。今日からは違う」
ロビーの向こうでざわめきが広がるのがわかった。
支部ではロビーに大きな電光掲示板があって、そこに緊急時の連絡や各地のニュース、そして、探索者の昇級通知が表示される。
「D、だってよ……!」
「マジかよ、最底辺のFだったのに……」
「いやでも中層の魔物を倒したならおかしくないのか……」
(……なんか噂されてるのがかすかに聞こえる……)
でも、胸の奥では確かな鼓動があった。
(……認められたんだ)
改めて、そう実感した。
⸻
「さて芽吹。昇格したからには鍛える必要がある」
支部の裏庭に連れて行かれ、鉄心さんは腕を組んで立った。
「今日から“特別メニュー”を組んでやる。
お前の魔力量は初心者の普通じゃねぇ。扱いを間違えれば死ぬ」
「し、死ぬ!?」
「風属性は暴発したら身体が吹き飛ぶぞ」
「え、魔法ってそんなに恐ろしいんですか…?」
「初心者のときは、それ相応の小さい魔力量しかないから扱いが楽だ。そこから使用回数とか戦闘経験によって、魔力量はどんどん増えていく。
だが、今のお前は初心者の魔力制御に似つかない魔力量をしている。つまり、ちゃりんこにジェット機のエンジンを載せてるようなもんだ。風属性は目に見えずらい分、扱いが難しい。練習しかないな」
そう言う鉄心さんは、いつもより真剣だった。
「で、さらに言うと、検査結果から分かったお前の魔力だがな……胸の中心から全身に“根”みてぇに広がってる。普通の魔力回路じゃねぇな。普通は腹から波紋のように広がっているもんだが」
「っ……」
原初の種の存在に、鉄心さんが気づいているのかと思って焦る。
「でも、芽吹……俺はそれ以上聞かねぇよ」
「……え?」
「誰にでも言えねぇ秘密はあって当然だ。
大事なのは“その力で何をするか”だ」
それが、鉄心という人間の器の大きさだった。
「さぁ、そうと決まれば、死なないように練習しかないな」
「はい…頑張ります…」
強くなることは生半可なものではない。
簡単に強くなることはできない。
けれど、誰かを守る力が手に入るなら、いくらでもがんばれそうな気がした。
―—綺凛(作者)から皆様へ――
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