第五話 見えない邂逅
肌寒い風が吹く朝、ザリアの森の小屋で、ララは薬草を煮詰めていた。
石造りのかまどに大きな鍋を乗せ、ぐつぐつと煮込みながら様々な魔法薬を混ぜていく。
煮詰めること数時間。最後にララの魔力を込めると、どろりとした紫色の「料理」が完成した。
「できた……」
あとはこれを魔王ヘルデスに届けるだけだ。
その煮込み――不老不死のスープ――を数本の瓶に取り分けて詰めていく。
「不老不死ねぇ。ヘルデスの奴、妙な欲を出したもんだな」
いつもの場所、小屋の窓辺で毛布の上に座っているガングルーが、鋭い犬歯を覗かせて欠伸をする。
「魔王様も人間も同じよ。誰だって死は恐ろしいわ」
ララは六本の細長い瓶を丁寧に布に包んで紐を結び、自身のバッグに入れていく。
「それで、その薬の効き目のほどはどうなんだ?」
「確かなはずよ。二月に一度、新月の夜に一瓶、一年で六本を飲めばいいの」
色褪せた革のバッグが窮屈そうに膨らんでいる。
「そうやってこの薬を飲んでいる間は、歳を取ることも病死することもない」
少し思案してから付け加える。
「これは薬を飲んだ者の細胞組織に働きかけるの。だから勇者や冒険者に討たれたりとか、そういうのは例外よ」
「つまり自殺や誰かに殺される以外は死なねえってことか」
「ええ」
「だったらその薬、おれやララも飲めばいいじゃねえか」
「無駄よ。これは魔王様のような、人型の魔族にしか効果がないの」
パチンと音を立てて、バッグの留め金を止める。
「へえ。なんにせよ、人間にはあまり知られたくない裏事情だな」
「魔王様の信頼の証よ。私へのね」
「ふん。違いねえな」
ガングルーが皮肉に笑うとララはバッグの紐を肩にかけて、ヘルデスから送られた手紙を取り出す。
「さあ行きましょガングルー。魔王城へ」
何枚かの絵画に紛れてそこにある、泥や埃にまみれた男女の肖像画を、ララはいつものように通り過ぎて言った。
♢♢♢
大陸の最北端、ヒャドム地方。見渡す限り広がる荒野に、城を囲む毒沼の上空を巨鳥が飛んでいく。
広大な古城の門前にその赤い鳥は降り立ち、背中からララとガングルーが飛び降りた。
ガングルーと鳥は魔獣語でなにか遣り取りをし、ファイアバードは炎の尾を振って飛び去る。
しばらくぼうっと城を見上げるララに声をかけ、ガングルーが玉座の間までの道を案内する。
「あなたここにはよく来ているみたいね、ガングルー」
ララの言葉に、ガングルーは鼻を舐めて答える。
「まあな。ヘルデスの親子とは長い付き合いだ」
ララは想像する。剣士クロスに討たれ、魔女バラに封印されたという前魔王ハルデス。
今もこの城に封印されているというが、ハルデスどころか現魔王ヘルデスとも、ララは面識がほとんどない。
以前一度だけこの城に来た時のララはまだ魔法も使えない幼い少女で、その時に見たはずのヘルデスの顔もほとんど思い出せない。
だがガングルーの後ろに隠れるようにして見上げた魔族の若い男に、ララは見たこともない自分の父親の姿を重ねた。
「魔王城にようこそ、西の森の魔女よ」
その時のその言葉だけは、なぜか鮮明に覚えている。
「思えば私、知らないことばかりね。自分のことも、ガングルーのことも、魔王様のことも」
昼間だというのに薄暗い廊下を、ガングルーについて歩く。
「あまり知らないほうがいいさ」ガングルーが唸る。
玉座の間に着くと、ララは一呼吸置いてから重々しい扉を開けた。
♢♢♢
扉を開けた大広間の先の豪奢な椅子には、ヘルデスが悠然と座していた。
ララは緊張しながら進んでいき、玉座の数メートル手前まで来ると深く頭を下げた。
「ララか」
ヘルデスの声に、ララは不意に涙を浮かべた。
急いで指で目尻を拭い、頭を下げたまま「はい」と答える。
「例の薬ができたのだな。見せてみろ」
その言葉に顔を上げ、改めてヘルデスを直視する。
青白い肌、長身痩躯、そして暗い青色の髪と金色の瞳。魔族の風貌だ。
ララは震える手でバッグから瓶を取り出し、両手で差し出して飲み方を説明する。
「薬をお飲みになった後、もしお身体に異変があれば仰ってください。すぐに対処薬を調合いたしますから」
ヘルデスは受け取った魔法瓶の一本を目の高さに持ち上げ、ゆらゆらと振っている。
「もういいぞ。下がれ」
予想はしていたがあまりにもあっという間の接見だった。
再び頭を下げたララは、粗相がなかったことに安堵しつつ肩を落として扉に向かって歩き出す。
それを知ってか知らずかガングルーは、ヘルデスと言葉を交わすこともなくララの後からついてくる。
だがララが扉に手をかけようとした刹那、玉座から低い声が放たれた。
♢♢♢
城の最上階の一室、バラは窓辺の椅子に座って外を眺めていた。
昼間はこうしてぼんやりと歌を口ずさむことが多く、夜になれば毎晩のように泣いた。
バラが子守唄を口ずさんでいると、部屋の外で物音がした。
それはいつもの、ドアの外に食事が運ばれてくる音だろうと思った。
やはりドアがほんの少し開けられ、入り口に銀のトレーが――スープとパン、そして少量の魚のソテーが盛られた皿が少女の手で――静かに置かれた。
そしてすぐにドアが閉められる。
バラはそれを一瞥することもなく歌をうたった。
そうして城の門へと続く道を見下ろしていると、一瞬、我が目を疑った。
そこには黒いローブに身を纏った、美しい黒髪の少女の後ろ姿と、見覚えのある黒い魔犬の姿があった。
両手で顔を覆い、バラは嗚咽した。
「ヘルデスの奴、本当にいい趣味とは言えねえな」
城の門に向かって歩きながら、ガングルーがララに声をかける。
ヘルデスには、最上階の鍵の掛かった一室に、部屋の中を見ずに料理を届けるように指示された。
ララはぼんやりと肩を落としたままガングルーに、そうね、と曖昧に返事をした。




