♢36♢ 紅(くれない)のイケオジ
音楽の国ムジカ王国、エデン城内の、朝の食堂。
昨夜カラオケバトルで優勝したララとセスナは、それぞれ興奮冷めやらぬままに眠りについた。今は目の前に配膳されたモーニングプレートに、フォークとナイフを刺して、カラフルに盛りつけられた洋風料理の品々を口へ運んでいる。
――カチャカチャ。
食堂にはセスナとララの他にも、昨夜のゲーム大会の顔ぶれと同じメンバーが、あれこれと雑談を交わしながら、エデン城自慢の味に舌つづみを打っている。
「あ、ルークさんだ」
フォークを片手にしたセスナが呟く。
ルークという名のその老父は、昨夜のゲーム大会の序盤、「大太鼓の鉄人」と呼ばれる装置で、そのゲームをみごとクリアーし、ハンセム王から賞品のオルゴールをもらっていた。
「あのお婆さんもいるわ」
冷えたミルクを飲むララも、グラスを手に背後を振り返る。
その老婆はセスナとララがエデン城への道を尋ねた時に応じてくれ、その後二人に、魔王城へ行くなら魔王せんべいを五袋、手土産にしてほしいと頼んできた。
老婆と同じオレンジ色の長テーブルには、老父と、そしてこの街にはめずらしく高齢者以外の、女性と若者が三人、楽しそうに話しながら食事をしている姿が見える。
「きっとあのお婆さんが言ってた、お嫁さんとお孫さんだね」
セスナが言うとララも頷き、二人はまたモーニングプレートを食べ進める。
すると二人の背後のテーブルから、老婆家族の世間話が聞こえてきた。
「紅のイケオジのサイン会、緊張しちゃうなあ」
「何時からだっけ?」
「今日の午前11時から、ビート通り商店街の潰れた書店【スタッカート】前だよ」
「サインしてもらう本、持ってきた?」
「『ドラゴニアーク』でしょ。もちろん」
老婆の孫娘二人と孫息子一人が、興奮しながら会話している。
その話を聞いていたララは、「セスナ」と言って、夢中でモーニングプレートを頬張っている正面の席のセスナに、身を乗り出すようにして声をかけた。
「この街に、紅のイケオジが来ているみたい。午前11時から、ビート通りの商店街の書店前でサイン会があるらしいの」
ララにしてはめずらしく、語気を強めて興奮した面持ちだ。
「紅のイケオジ……ああ、ララがオアシスから持ってきた本の作者だっけ? あっ、さくらんぼが双子だ」
セスナはその話題にはさして興味なさそうに、モーニングプレートのプリンの上に乗った飾りつけのさくらんぼが双子なことを喜んでいる。
ララはそのセスナの様子に、少し残念そうに、フォークを動かす手を止めている。
やがて再び食事を始めたララと食べ続けるセスナは、その後も周囲の世間話をBGMに、食後のコーヒーが運ばれてくるのを待った。
♢♢♢
ふー、ふー、と、猫舌のセスナはミルクと砂糖入りの熱いコーヒーに、息を吹きかけて冷ましている。
「……」
音符の柄のカラフルな壁紙を見つめるララが何かを考えながらブラックコーヒーを口に運んでいると、ふいにセスナが「行っておいでよ」と持ちかけた。
「え?」
「紅のイケオジの、サイン会だよ。ぼくはまだ眠いから、ゲストルームで二度寝してるよ」
「……!」
ぱあ、と、ララの顔が一気に明るくなる。
セスナの腰の革袋から『ドラゴニアーク』を取り出してもらいそれを受け取ったララは、「どこにサインしてもらおうかしら」と独りごちながら、パララ……とその厚い本のページを捲った。
♢♢♢
セスナ旅立ちから、六日目の午前10時半。
ララの父と母であるクロスとバラ、そして仲間のルルーの冒険譚を綴った本『ドラゴニアーク』を手にしたララは、踊るような足取りで、ゲストルームのベッドに寝転がるセスナと別れた。
「いってらっしゃい」
セスナは手を振ってララを見送り、くあ、と欠伸をすると「う~ん。おなかいっぱい」と言いながら、背中を丸めてすう、と寝息を立て始める。
黒いローブの脇にドラゴニアークを携えたララは、エデン城からほど近いビート通りの商店街へと向かう。
本のようなマークとともに【書店 スタッカート】と書かれた朽ちた看板の前には、すでに高齢者の行列ができており、その中にはあの老婆の孫娘と孫息子の姿も認められた。
【紅のイケオジ サイン会 最後尾】と書かれた紙を手にした若い男は、本を携えたララの姿を見つけると「こちらが最後尾でぇす」と、行列の最後のスペースを指差して、ララを案内する。
指示に従ったララが最後尾に並ぶと、若い男は「この紙に、あなたのお名前を書いてくださいね」と言って、小さなメモ用紙とペンを手渡してきた。
それを受け取ったララは丁寧な綴りで「Lara」と書いて、男に見せる。
男は「それを紅のイケオジに渡してください。紅のイケオジが、あなたの本にサインをしますから」と言って、後から来た高齢者に「こちらが最後尾でぇす」と繰り返している。
ララはその厚い本と自分の名前を書いたメモをしっかりと胸に抱き、少し緊張した面持ちで、紅のイケオジが姿を現す時を待った。
♢♢♢
「紅のイケオジ、通りまぁす」
案内の男の声に、並んでいた高齢者たちが一斉に振り返る。
――ザッ。ザッ。
そこに現れたのは、四十代くらいだろうか。背の高い、筋肉質でガッチリとした体格の、赤髪の男だった。
男のその赤い髪は、かきあげるようにした前髪は長く、後ろ髪は短めで、手はごつごつとして大きく、ワイルドな雰囲気を全開にして、悠々と歩いてくる。
――紅のイケオジだ、と、列をなすファンはざわめき、そのワイルドな中年男が通るのを、潮が引くように見つめて道を譲る。
「では、ただ今より、紅のイケオジサイン会を開始しまぁす」
案内の男が最後尾まで聞こえるように声を張る。
寂れたシャッター街にざわめきとどよめきが広がる中、行列の後方のララは、初めて目にしたその男の姿に、なにか運命めいたものを感じていた。
「先ほどお名前をお書きになった紙をお持ちになって、お待ちくださぁい」
案内の男が早口言葉のようなセリフで流暢に伝えると、行列の高齢者たちはぞろぞろとマイペースに進み出す。
紅のイケオジはファンから手渡された紙を見てその名前を確認し、一人ひとりに何かを語りかけながら、各々が手にした『ドラゴニアーク』にサインをしていく。
ララは時どき爪先立ちになって行列の前の方の人の様子を覗きながら、自分の番がやってくるのをドキドキしながら待った。
そしてララの前の老婆がサインをしてもらい終えると、ひとつ前に進んだララが、いよいよ紅のイケオジと対面した。
♢♢♢
オレンジ色の簡易テーブルとパイプ椅子についた紅のイケオジはララを見ると顔を上げ、「おっ。今日で三人目だな」と、口の端を持ち上げて言った。
「……?」
その意味がわかりかねたララは、「どうしよう、意味がわからないかも」と思いながら、小首を傾げて赤髪の男を見つめる。
赤髪の男は「若いお嬢ちゃんだよ。この街はかなり前から、じいさんばあさん達の楽園と化してるからな」と言い、「その紙、見せてくれる」とつけ加えて、ごつごつした傷だらけの大きな手を、ゆったりとララの前に差し出した。
「あっ……」
ララは急いで、差し出された手に、自分の名前を書いた小さな紙を手渡す。
「ララさんね。どこにサインしようか?」
問われたララは再び「あっ」と言って、急いでドラゴニアークのページを捲る。
そして「ここにお願いします」と言って、巻頭ページを開いて指で指し示す。
ララが指差した個所の上には「この物語を彼の地の剣士に奉げん」という、作者のメッセージが書かれている。
「了解。ララさんへ……と。紅の、イケオジ」
男は言いながら、キュポンとペンの蓋を外し、サラサラと、ララの名と自身の名、そして今日の日付をサインしていく。
「あ、あの……あの……」
ララは口ごもりながら、目の前の作家に、なにを質問しようかと高速で考える。
するとサインを終えた男がペンに蓋をしながら、『ドラゴニアーク』の表紙を閉じてララに差し出してきた。
「これは俺の処女作にして最高傑作だが、俺にはこれからも、書かなきゃならん物語が山ほどある。それをあんたみたいな若い読者に読んでもらえるってえのは、刺激になるねえ」
男は愉快そうに言うと、「これからも、紅のイケオジをよろしくな」とつけ加える。
ララが何か言おうとまごついていると、案内の男が「では次の方、どうぞぉ」と声を張って、ララのサイン会時間は終了した。
♢♢♢
「おかえり、ララ。サイン会はどうだった?」
エデン城のゲストルームに帰ったララを、寝癖だらけのセスナが迎える。
ララは少しぼうっとした面持ちで「あの人が、お父さんとお母さんの物語を、生み出した人……」と独りごちる。
紅のイケオジのサインを見せてくれというセスナに応じ、ララはドラゴニアークの巻頭ページを開いてそれを見せる。
「よかったね、ララ」
セスナの笑顔に、ララも「うん」と頷いて微笑んだ。
♢♢♢
セスナ旅立ちから六日目の、正午。
二人は見送りに顔を見せたハンセム王に「本当にお世話になりました」と言って頭を下げる。
「これからも魂のビート、刻んでくださいネ」
ハンセム王に笑顔で送り出され、セスナとララはエデン城を後にする。
次に向かうのは、ここから西、砂の王国サンドウィッチ。
その王都レタスに通じる関所へと、セスナとララは歩調を揃えて歩き出した。




