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♢29♢ 青いボタン

 ワイバーンのルキアが、夕日を背にセスナの家を飛び立った、ちょうどその頃のこと。


 大陸最北端の古城の大広間。

 魔王ヘルデスは、味つけのされた雑魚モンスターのレアステーキをナイフで切り分けて、悠然と食していた。

 

 そしていつものように長テーブルの下座に控えている側近のゾーラは、真剣な面持ちで、生焼けのステーキを切り分けて口に運ぶヘルデスに声をかけた。



 「ヘルデス様。私をあの女……魔女バラの世話役にしてくださいませんか?」

 「なぜだ」

 カチャ……と、ステーキを切り分ける手を止め、冷ややかな目つきのヘルデスが速攻で、ゾーラをただす。


 問われたゾーラは「はっ」と大げさに頭を下げ、わざと困惑した顔をつくって、己を射抜くように見つめるヘルデスに訴える。


 「昨夕、魔犬ガングルーが魔女バラとの契約を解除したことにより、魔方陣に縛られていたバラの影は、バラの体へと戻りました。ですがそれを知ったメイド達は魔女バラの魔力を恐れ、この城のメイド達の誰も、あの女の部屋に近づこうとしないのです」

 困り顔のゾーラは、つい先ほど思いついた考えをペラペラと口にして、魔王ヘルデスの反応を待つ。

 


「……」

 

 ヘルデスはナイフとフォークを皿に放ると、「いいだろう」とゾーラを横目で見ていい、更に「その前にこの皿を下げろ」とつけ加えた。


 立ち上がったゾーラはヘルデスのもとへ進み、「じゃ。片付けますね~」と、軽い調子で皿を手にする。

 そしてそのタイミングで、豪奢な椅子に座るヘルデスの胸に、勢いよく倒れ込んだ。



 「!!」


 転んだゾーラは慌てて体を起こし、「もうしわけありません!」と頭を下げて詫びる。

 ゾーラを受け止めたヘルデスはその肩を押して、ゾーラが体を起こすのを手伝った。


 そして眉根を寄せたヘルデスが「もういい。さっさと行け」と命じると、ゾーラは「御意!」と再び頭を下げて、手の中に握ったその青いボタンを、自身の灰色の上着の胸ポケットに押し込んで大広間を出た。





 ♢♢♢


 城の最上階の最奥の一室。入浴時間の近づいたバラはいつものように、この城に仕えるメイドが自分を、バスタブが備えられた隣の部屋へと連れて行く時を待っていた。


 しばらくすると、いつものように部屋の扉の鍵が回される音が響き、扉が開け放たれる。


 しかしそこに現れたのは見慣れたメイドの顔ではなく、魔王ヘルデスの配下、魔族の女ゾーラの、小悪魔的な笑顔だった。



 ツカツカと部屋に入ってくるゾーラを見つめ、バラは驚きの表情で立ち尽くしている。

 

「にゃあ。お風呂の時間だよ。子猫ちゃん」

 ゾーラはおどけたように言いながら、紅いドレス姿のバラに近づく。

 そしてバラの背後に立つと、その肩にふわりと、シルク生地で仕立てられた丈の短い白い上着をかけて微笑んだ。


 「さ、お風呂は隣の部屋。行くよ?」

 ゾーラは無邪気に言うと、バラの背後から、その白い肩に両手を添える。

 そしてそのままバラの背中を押すようにして、その部屋を出ようとした、その刹那。

 ゾーラは己の上着の内ポケットから青いボタンを取り出すと、バラに与えられている粗末なベッドに、「ぽーん」というかたちで、それを投げたのだった。





 ♢♢♢


 バラが閉じ込められている部屋の、その隣の部屋。

 ゾーラは仁王立ちで腰に手を当て、バラがその深紅のドレスを脱ぐときをじっと見つめて待っている。

 バラがゾーラに背中のファスナーを下ろしてもらい、紅いドレスの肩に手をかけてそれを脱ごうとした、その時。「まだ若いあなたにそんなに見つめられたら。恥ずかしくて脱ぐものも脱げないわ」と言って、デコルテ部分を手で押さえて、強気にゾーラを見やる。


 応じるゾーラも「ふふん」と勝ち気に笑い、「嫌ならいいよ? 見ないから」と言って、バラに背中を向けて、腰に手を当てて待機する。

 そしてゾーラはバスタブに浸かったバラの入浴が終わるのを待ち、湯上りのバラを隣の部屋に返して鍵をかけると、急いで大広間へと向かった。





 ♢♢♢


 玉座の間では、ヘルデスが足を組んで椅子に座り、魔術書を読んでいた。

 パタパタと駆けてヘルデスに近づいたゾーラは、「ヘルデス様」と、慌てた様子で声をかける。


 魔術書を片手にしたヘルデスが無言で顔を上げると、ゾーラは青い髪を手で払い、早口にまくしたてた。

 「ヘルデス様。あの女の部屋に、ヘルデス様の青いボタンがありましたよ」


 その言葉にヘルデスは、自身の灰色の魔族服を見下ろす。

 そしてその胸元の、金の装飾の施された青い炎の刻印のボタンが無くなっていることに気づくと、読んでいた魔道書を閉じて立ち上がった。





 ♢♢♢


 入浴後のバラが、粗末なベッドに腰かけて、手櫛で髪を整えていたその時。

 部屋のドアが勢いよく開け放たれ、ヘルデスがズカズカと部屋の中へ入ってきた。


 「今は身だしなみを整えている最中よ!」


 バラが毅然と言い放つと、ヘルデスはぐるりと部屋を見回し、粗末なベッドの掛け布団の上に転がっている青いボタンに目を留め、近づいてそれを拾い上げた。


 そしてベッドに座るバラのドレスの胸ぐらを掴み、冷ややかな目で見下ろしてただす。


 「なぜ貴様の部屋に、このボタンが落ちている?」


 胸ぐらを乱暴に掴まれたバラは鋭い視線でヘルデスを見上げ、「知らないわ」と答える。

 そして「いちいち手を上げないで」と強気に言い放ち、ヘルデスの手を払いのけ、デコルテ部分の紅いドレスの皺を整える。




 「……」




 部屋に流れる沈黙を無視して、バラが再び手櫛で髪を整え始めた、その時。

 ヘルデスは眉根を寄せて、未だ若く美しいバラを見下ろして言った。


 「貴様は、十七年前の、あの日。六歳の私の目の前で、父を封じた」

 義理の父親であるハルデスが、自分を庇い、バラの封印術によって封じられたその光景。

 ヘルデスは未だに鮮明に覚えている父の背中を思い出し、氷のような目つきでバラを見据える。


 「あなたも私から、夫のクロスと娘のララを奪った」

 バラも燃えるような紅い瞳でヘルデスを見上げ、その瞳をじっと見据える。




 「……」




 二人は沈黙し、見つめ合う。




 やがてその沈黙に耐えかねたヘルデスが、漆黒のマントを翻して部屋を後にすると、誰もいなくなったその部屋で、バラはふう……と、小さく息を漏らした。

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