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第九話 モルフォ蝶(1)

 大陸北部、広大な荒れ地の広がるヒャドム地方。そこは寒冷ながらも年間積雪量は極めて少ない稀有な土地であり、大陸内のどの国にも属しておらず、古くから人間と対立する魔物や魔族が独自に――それは多くの場合、弱肉強食という単純なかたちで――発展、繁栄を遂げながらその一帯を支配していた。

 そのヒャドム地方の最北部には広大な毒の沼地が広がり、その中央にそびえる城にはいつの時代からか、魔族の中でも特に強大な魔力を有する者が魔王として君臨していた。

 

 今では古城となったその城の最上階の一室で、まだ宵の月が出ている頃、バラは肌寒さに目を覚ました。

 寝ていたのは数時間ほどだろうか。窓辺のテーブルに突っ伏すかたちで眠ったために、首や背中に鈍痛を感じる。

 バラはにわかに何かを思い出したかのように、この部屋でバラに与えられている粗末なベッドを振り返る。すると、眠る前までそこにあったヘルデスの姿が、いつの間にか消えていた。

  


 ♢♢♢

 

 遡ること数時間前。自身の過去である、セルムという少年の物語を語ったヘルデスは、バラが取りためておいた眠り薬を飲んでいたため、意識を失った。

 そして混濁した意識のヘルデスは、バラに母親の面影を見、夢うつつに子守唄を望んだ。

 バラは部屋の隅で膝を抱き、いつも口ずさむその唄を、セルムという少年に向けて唄った。

 


  ――ハルデス。

 今は亡き夫であるクロスが討ち、バラがこの城で封印した前魔王だ。

 ヘルデスの話を聞き、その前魔王ハルデスが、まだ幼い少年だったヘルデスを利用していたのだと分かった。

 バラはこの城でハルデスを封印したが、その封印魔法は完全ではない。

 封印術を施したバラにはその魔法を解くことも、また同じ魔法を使うことは二度とできない。魔女としてのバラが生涯ただ一度きりの魔法を使い、この城にハルデスの肉体を封じたのだ。

 そしてその封印を解くことができるのは、バラの血を受け継ぐ魔女のみ、すなわちこの世界でただ一人、ララだけだ。

 ヘルデスはそれを見越して、己の分身であるガングルーをバラの傍に置き、娘の誕生を待っていたのだ。

 そしてあの悲劇が起きた。


 ――クロス。私は、どうすればいい?

 

 今も目を閉じれば浮かんでくる、クロスの優しい声と笑顔。

 バラは窓の外、冷たい風の吹き荒れる毒沼の向こうに視線を投げ、遠いあの日、クロスと出会った頃を想い出す。

 そして記憶の中でだけ会える、その愛しい姿を追った――。



 ♢♢♢


 バラが十六歳になる頃。バタフライ王国の西部、西の森と呼ばれる緑豊かなザリア地方で、バラは魔女である母と二人で暮らしていた。

 バラが物心ついた時から父は家におらず、バラが何度か尋ねても、バラの母は父のことを詳しく語らなかった。

 それでも母は充分にバラを愛してくれたので、バラはそれほどの孤独を覚えずに成長することができた。


 ある日のこと。いつものように大鍋で魔法薬を調合している母の隣で、バラは新聞を読んでいた。

 「母さん、王都を魔物がまた襲ったそうよ」

 「嫌ねえ。魔物や魔族が暴れるたび、魔女であるあたしたちにも白い目が向けられるじゃないか。魔女はああいう残忍な連中とは関わりがないっていうのに」

 新聞を手にしたバラが顔を上げて言うと、大鍋をかき混ぜているバラの母はふう、と肩を落とす。

 「みんな魔女を誤解しているんだわ。確かに魔女は攻撃魔法を使い、危険な魔法薬を調合したりするけれど、私たちはそれらの使い方をわきまえている」

 そういえば……と、バラは新聞を畳みながら付け加える。

 「こんど魔王城に君臨したハルデスという魔族の男は、ヒャドム地方のみならず、大陸全土の支配を目論んでいるそうよ。そのために様々な場所に配下を送り込んで魔女が調合する強力な魔法薬を探しているって……母さん、ひとりの時は小屋の戸を開けないでね」

 「ありがとうね、バラ。あたしは大丈夫さ。それよりも、王都に薬を売りに行くおまえこそ、気をつけるんだよ」

 さあできた、と、バラの母は鍋から魔法薬を取り出して瓶に注いでいく。

 「この薬を、マッシュルーム城に届けてきておくれ。王子様が熱を出しているらしいからね」

 「ええ。まかせて」

 バラは母から魔法薬の入った瓶を受け取り、それをバッグに詰める。

 そしてふふ、と笑いながら母を振り返り、付け加えた。

 「お土産は、いつもの「あれ」でいいわよね?」

 バラは楽しげに笑ってから小屋を出る。鳥笛でファイアバードを呼び、背中に乗ると王都マッシュルームを目指した。



 ♢♢♢

 マッシュルーム城の門前、バラはファイバードの背からふわりと降り立つ。すると見張りの兵士がわらわらと集まってきた。

 「女、この城に何用か!」

 「私は西の森の魔女よ。熱を出されている王子様へ、調合したお薬をお持ちしたわ」

 そう言い、魔女の証である深紅の瞳で兵士と目を合わせる。

 「貴様が例の、西の森の魔女か。王様より話は聞いている。よし、入れ」

 見張りの兵士は頷き、美しいラインで弧を描く、白銀の城の門を開いた。


 城の中へと進んだバラは慣れた足取りで、いつものように謁見の間へと向かう。そしてそこでひとりの男が来るのを待ち、男が現れると、笑顔を見せた。

 「久しぶりだな、バラ。また大きくなったんじゃないか?」

 「ええ。ルルーは相変わらず、壮健そうね」

 現れたその男はバタフライ王の配下の一人で、名をルルーという。

 バラをハグするルルーに応じ、バラは背の高いルルーを見上げた。

 ルルーは若く大柄で、栗色の短髪が快活そうな緑の瞳と笑顔によく似合う。

 ルルーの仕事は主に、王と外部の人間との取り次ぎをしたり、時に王子の護衛などを請け負う、多くの配下の中でも特に王や王子との距離の近い人物だった。

 額から鼻筋にかけて斜めに大きな傷跡があり、それは弓士であるルルーが魔物から王子を守った時に受けたものだという。

 バラは以前からこの城に出入りしていたため、取り次ぎ役のルルーとは何度か接するうちに、こうして気軽に会話を交わす仲になっていた。

 「これが、王様から依頼された薬よ。王子様が熱を出されたとか……」

 言いながらバラはバッグから魔法薬の入った瓶を取り出す。

 それを受け取りながら、ルルーも答える。

 「ああ。もう四日も、高熱が下がらない。王都の医者が用意した薬では効かなかったんだ」

 

 その時だった。

 謁見の間に、ひとりの若者が入ってきた。

 「クロス!」

 ルルーに名を呼ばれ、その青年は二人に近づいてくる。

 「クロス。あいにく今は客人の対応中なんだが……」

 「すまない、急ぎの用なんだ」

 クロスと呼ばれた青年は言い、ルルーに顔を寄せて何かを耳打ちする。

 それを聞いたルルーは「そうか……」と頷き、バラに向き直った。

 「ありがとう、バラ。薬は確かに受け取った。報酬はいつものように。俺は急用ができたので、これで失礼させてもらう」

 そう言い、足早にその場を後にする。そして広間を出る時にふと立ち止まり、バラとクロスの二人を振り返った。

 「バラ、その男は城付きの剣士だ。王子にも剣を教えている。クロス、よければバラを、家まで送ってあげてくれないか」

 「ルルー! 私、大丈夫よ」

 バラは慌てて顔を左右に振る。

 「それじゃまたな、バラ。おふくろさんによろしく」


 「……」

 ルルーが立ち去り、広間にはバラとクロスだけが残された。

 するとクロスがバラに握手を求めて手を伸ばした。

 「話を中断してしまい、すまなかった。俺はクロス。マッシュルーム城付きの剣士だ」

 一瞬、戸惑いながら、ややあってバラもその手を軽く握る。

 「西の森の魔女、バラよ。熱を出された王子様への薬を届けに来たの」

 二人は握手を交わし、そして手を離した。

 「君の話は、王やルルーから聞いていた。そうか、君が、西の森の……」

 透き通るような青い瞳に、さらりとした銀の髪、そよ風のような笑顔。

 バラはあまりに真っ直ぐなクロスの瞳を直視できずに、やや下を向いて答えた。

 「ルルーはああ言ってくれたけれど、私は平気よ。ひとりで帰れるわ」

 「そうだな。初対面の男に家まで送られるというのも、君には迷惑かもしれない。ではせめて、王都の広場を案内するよ」

 「え?」

 「君は王都一美味しいパン屋を知っているか?」

 「ええと……『パン・ム・モア』かしら」

 「残念。そこは二番。一番は『モーニング・マッシュ』だ。あ、異論は認めるけれど」

 「あら残念。今日も帰りに『パン・ム・モア』で、母さんの好物を買おうと思っていたのよ」

 「では今日からは『モーニング・マッシュ』で買うといい」

 「そこ、ミラクルカンパンは売っている?」

 「もちろん。それもとびきり美味しいやつだ。運が良ければ、更に値引きもあったり――」

 クロスがバラに悪戯っぽくウィンクをする。

 

 ――こうして無邪気に笑い合う二人が恋に落ちるのに、そう時間はかからなかった――。

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