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第八話 子守唄

  赤く燃えさかる夜の村と倒れる人々、そこに立ち尽くす少年がいる。 


 ――ここは何処だ? 


 「追え! 逃がすな!」

 「あの子は生かしてはおけない!」

 ――やめて、やめて! 僕を殺さないで!

 

 魔王ヘルデスは久しぶりに昔の夢を見て目を覚ました。


 ――まったく、つまらん夢を見た。

 ヘルデスはすぐに寝台から身体を起こし、漆黒のマントを身に着けた。

 コツコツと靴音を響かせて、城の最上階に向かう。

 古城の窓からは月明かりが差し込み、その白い光は流れる雲に隠れてときおり暗くなる。そしてほんの数本の燭台が暗い廊下を照らしている。

 だが魔族は夜目が利くため、ヘルデスはなんなく最上階へ続く階段を上がり、その最奥、鍵の掛かった一室の前で立ち止まった。


 「……」

 部屋の中からは今日も、女の泣き声が聞こえてくる。

 女はヘルデスの父であり前魔王であったハルデスを封印した魔女バラで、十五年前に魔犬ガングルーはバラの夫である剣士クロスを屠り、その一人娘ララを奪った。以来ヘルデスはこの城にバラを閉じ込めて、その魔力をも奪い続けている。

 娘のララはガングルーに西の森で育てさせ、魔女に仕立て上げてから父ハルデスの封印を解かせる。そして東の剣士をおびき出し、新世界の脅威をまとめて葬り去る計画だ。


 ――本当に、耳障りな声だ。

 すり切れるようなか細い泣き声が耳につき、ヘルデスは荒々しく鍵を回して部屋のドアを乱暴に開けた。

 いきなりドアが開け放たれた音にビク、として、ベッドの枕に顔を埋めて泣いていたバラが半身を起こす。

 ヘルデスは無言でバラに歩み寄り、冷たい目で見下ろした。

 「――あなたは外道よ! ララを返して!」  

 泣きはらした顔のバラはヒステリックに叫び、すぐに両手で顔を覆って再び泣き始める。

 「昼は子守唄を唄い、夜は涙を流す。毎日毎日よくも飽きないものだな」

 「……ララは……あの子は今もちゃんと、生きているのね……?」

 「クク。あの日のスープは格別な味がしただろう?」

 数日前にララがガングルーを伴ってこの城を訪れた、その帰り際。ララには決して部屋の中を見るなと命じて、この部屋にバラの食事を運ばせた。

 おそらくバラはこの部屋の窓からララとガングルーの姿を見たのだろう。

 「娘の元気な姿を見て安心したか?」

 バラは突如、粗末なベッドから身を乗り出し、目の前のヘルデスに取り縋った。

 「お願い! ララを殺さないで! 私はどうなってもいい、あの子だけは助けて、お願い」

 バラの痩せた手がヘルデスの腕にしがみつく。

 ヘルデスはその片手を掴むと、一瞬、自身にバラの身体を引き寄せた。

 魔王の金の瞳と魔女の赤い瞳が近づき、そしてヘルデスはバラを乱暴に突き飛ばした。

 「うっ……」

 バラが勢いよく床に倒れ込む。倒れたバラの体に影はなく、それは部屋の隅の魔方陣の上空に、ヘルデスに魔力を提供するために切り離されて浮いていた。

 「安心しろ。そう簡単に殺しはせん。あの娘はある意味、私の娘でもあるからな」

 バラは床に手をついて身体を起こし、その意味深長な言葉に、驚いた表情でヘルデスを見上げる。

 「どういうこと……?」

 ヘルデスが無造作にバラのベッドに腰かけると、薄い掛け布団から羽毛が飛び出して宙に舞った。

 その羽毛を指先で摘み、ヘルデスは顔の前でクルクルと弄んだ。

 「じきに新世界が始まる。俺は今、気分がいい。今夜は貴様に寝物語でも聞かせてやろう」

 ヘルデスはベッドの枕元、小さなテーブルの上のコップの水を飲み干す。そして冷たい床に蹲るバラを見下ろしながら、語り始めた。



 ♢♢♢


 その魔族の少年は、名をセルムといった。

 セルムの父と母は、セルムを愛さなかった。

 魔族である父と母はいつも、魔法を使ってセルムを責めた。

 幼いセルムは村に友達も作らず、父と母の魔法に脅え、怒りと悲しみを抑えて生きていた。

 

 ある日、魔族の村を旅の剣士が襲った。

 その剣士は赤い髪の短剣遣いで、村の魔族は次々と剣士の刃に倒れていった。

 母に用事を言いつけられたセルムはそのとき村の外に出ており、村に帰った少年はその光景を見て絶句した。

 走って家に戻ると、部屋の中には剣士の刃に倒れた父と母がいた。

 だがセルムが駆け寄った時、二人はまだ生きていた。

 「助けてくれ、セルム」

 床に倒れて命乞いをする二人を、セルムはしかし冷たい目で見下ろした。

 そしてまだ幼い手で初めて、魔法を繰り出した。

 烈火のごときその炎の魔法に、二人は息絶えた。

 その時、背後で女の金切り声が響いた。

 その魔族の女は、すぐに生き残った村人を呼び集め、逃げるセルムを追いかけた。

 「あの子は親を殺した!」

 「セルムは赤髪の剣士の、人間の仲間だったんだ」

 「追え! 逃がすな!」

 「あの子は生かしてはおけない!」

 ――やめて、やめて! 僕を殺さないで!


 セルムは必死に逃げた。そしてありったけの魔力を込めて魔法を繰り出した。

 その火炎は村を焼き、仲間をも焼いた。


 燃えさかる炎と倒れた仲間を背に、セルムは長い間、そこに立ち尽くしていた。

 するとどこからともなく一人の魔族の男がセルムに近づき、声をかけた。

 その男はハルデスと名乗り、こう続けた。

 「君は素晴らしい魔力の持ち主だ。私と共にこの世界の魔王となろう」

 

 そしてハルデスはセルムの名をヘルデスと改め、北の古城に息子として迎え入れた。

 ハルデスはその時、ヘルデスの未知数の力を制御するため、少年の分身を――黒い魔犬の姿で――生み出し、自身の使い魔として隷属させた。その魔犬はガングルーと呼ばれ、ヘルデスとは肉体も人格も意識も記憶も、完全に分離した存在となった。ガングルーはハルデスの使い魔となり、その後、クロスと共にハルデスを封印したバラと、主従の契約を結ぶことになる――。



 そこまでを語り終えると、ヘルデスはクッ、と薄く笑った。

 「つまりララは、ガングルーという犬の姿の、俺の分身が育てたも同然だ。いずれ父の封印が解ければ、私とガングルーは元のひとつの肉体へと戻ることができる。新世界で俺は完全な存在となり、目覚めた父と共にこの世界を支配する」

 話を聞き終えたバラは床に蹲ったまま、目の前の魔王を見上げ、悲しげに見つめた。

 「結局、あなたもハルデスに利用されただけなのね」

 「……黙れ」

 「どんな姿にせよ、あなたがララを育てたのだとしても。あなたを父親だなんて認めない」

 「……今夜限りは貴様を見逃してやる。俺の気分がいいうちにな」 

 そう言って立ち上がろうと腰を上げたヘルデスは、急に視界が揺れるのを感じた。

 「……っ!?」

 そして目頭を押さえ、ベッドに片手をついて身体を支えた。

 「貴様……俺に何をした……?」

 次第に視界が暗くなっていく。

 ヘルデスはそのままベッドに倒れ込み、意識を失った。 

 


 ♢♢♢


 ヘルデスが倒れるとバラは力なく立ち上がり、意識のない魔王を仰向けに反転させた。

 そしてその首に両手をまわし、思い切り力を込める。

 「……!!」

 だが魔方陣に全ての魔力を奪われているバラの手は、震えて力が入らない。

 「うっう……」

 バラは小さく呻きながら、それでもヘルデスの首を絞める。

 「……っ」

 ふいに薄く目を開けたヘルデスが、バラの手首を掴んで呟いた。

 「おかあ……さん」

 「――!?」

 驚いたバラが身を引こうとすると、仰向けに横たわるヘルデスがバラの腕を引き、自身の胸に抱き寄せた。

 人間のものよりもずっと低い魔族の体温が、痩せたバラの体を包む。

 痛いほどに強く抱きしめられ、驚きで声も出せないバラが身を硬くしていると、再びヘルデスが呟いた。

 「おかあさん……唄って……」

 「……!!」

 バラは飛び跳ねるように、思い切りヘルデスを押しのけた。そしてその腕から逃れると、部屋の隅に走っていき、その場に蹲り、両手で顔を覆って小さく泣いた。


 ――ベッドの枕元。そこには、バラが眠れぬ夜、部屋の外の見張りに所望して手に入れた眠り薬の入ったコップが、空になって置かれていた。


 意識を失ったヘルデスは、遠い記憶のかなたで、一度も聴いたことのない母の子守唄が聞こえたような気がした。

 


 逃れられぬ運命さだめの糸はもつれて絡み合い、解かれることはないかのようだった。

 だが北の古城の最上階の一室、かすかな月明かりが差し込むだけのその窓からは、悲しくも優しい響きの子守唄が、確かに聞こえていた。

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