第七話 若き王(1)
その日、セスナは爽やかな気分で目覚めた。
「うぅーん」ベッドから半身を起こして、思い切り伸びをする。
ワイバーンのルキアが攫われ、そのルキアを取り戻すために違法格闘場でゴーレムと決闘してから、 今日でおそよ一週間になる。
決闘の日の午後、魔王を討つために急きょ旅に出ることが決まった。
それから今日までに、身近な人たちへの挨拶をすませた。
そして今日はもう一か所、旅に出る報告をするために、赴く場所がある。
セスナはベッドから出ると顔を洗い、簡単な朝食を済ませると、腰痛のため店の二階で静養している父マシューにも朝食を届けた。
そして手持ちの服から一番上等なもの――上下揃いの、淡い青色のシャツとズボン――を選んで着ると、肩までの金の髪を丁寧になでつけ、後ろでひとつに結った。
身支度を整え、商人のザッパから譲り受けた大剣を背中に背負うと、セスナは店の扉を開け、朝の澄んだ空気を思い切り吸い込んだ。
目指すはバタフライ王国の要、マッシュルーム城だ。
♢♢♢
マシューとセスナの店のある路地裏を抜け、広場を出て西へ進み、歩くことおよそ四十分。魔物に遭遇することもなく無事にマッシュルーム城に到着した。
どことなく丸っこいラインの白銀の城を見上げ、その大きさと美しさに、セスナはふう、と息をつく。
――旅に出る前に、国王様へのご挨拶も忘れずにな――。商人のザッパにはそう念を押されていた。
魔王を討ちに旅に出るため王様に挨拶に行くなんて、いよいよ自分が冒険小説の勇者になったような感覚が沸いてくる。
でも剣が好きなだけの少年が、いにしえの言い伝えの東の剣士だなんて言ったところで、王様に笑われはしないだろうか。
たしか王様は、まだお若い、真面目な性格で容姿端麗な方だと聞くけれど……。
ええい。ぼくの物語はもう始まってしまったのだ。あとは野となれ、山となれだ。
期待と緊張を胸に、セスナは城の見張りに声をかけた。
「あの……王様に、会いたいんですけど」
「んん?」槍を片手にした見張りの兵士が、セスナに目をやる。
「やたらにでかい剣を背負っているな。お前は何者だ?」
「えぇと……東の剣士……だと思います」
「なにィ?」
「あ、その、ですから、いにしえの伝説の、東の剣士です」
兵士のはぁあ? という視線が刺さる。その反応は、セスナにも充分に理解できるものだった。
まだ城に入ってもいないというのに、早くもセスナに試練が与えられた。
「お前がその伝説の剣士であるという証拠は?」
「えぇと……ぅうんと」
困った。自身が直接、剣士クラウズから手渡された短剣はもうボロボロで、店の部屋の壁にかけてある。
背中の大剣は、前魔王ハルデスを討った大剣士クロスのものだというが、それをどうやって証明すればいいのだろう。
セスナが見張りの兵士を前にうろたえていると、いつの間に人がいたのか、背後から爽やかな声がかけられた。
「いいよ、少年。城に入っても」青年が笑顔で言う。
「王様!」兵士があわてて振り返る。
――王様!? セスナも驚いて振り返り、その人物を見た。
この人が、バタフライ王――?
マッシュルームのように美しくラウンドカットされた白銀色の髪と、澄んだ青空のような色の瞳。歳の頃は二十を少し過ぎたくらいだろうか、ずいぶん若い王様だ。爽やかな笑顔に、洗い立てのリネンのような香りがする。
「ですが、王様! このような得体のしれない者を城に入れるなど……」
セスナの前に立ち塞がる兵士を「まあまあ」と制して、バタフライ王は城へと続く門を開いた。
「マッシュルーム城へようこそ、東の剣士よ」
♢♢♢
ゆったりと歩く若年の王の後を、セスナは戸惑いながらついていく。
そうして二人は大広間へとたどりつき、驚いた顔の見張りの兵士たちを通り過ぎて、王は玉座に腰かけた。
「さて。待っていたよ、東の剣士」
「あ、あの……お目にかかれて光栄です、王様」
恐縮したセスナは頭を下げて言い、本当にこの人が王様なんだと、驚きを隠せない思いでいた。
「顔を上げて」
セスナの緊張を和らげようとしてくれているのか、バタフライ王は優しく微笑んで言う。
「なぜ私が君のことを信じるか、それが不思議かい?」
王の単刀直入な言葉に、セスナは戸惑いつつも頷いた。
「その大剣を、私は知っているからさ。大剣士クロスは私の家庭教師でもあったからね」
「大剣士クロスが、王様の家庭教師……?」
「ああ。彼の剣術の稽古は、実に楽しいものだったよ」
ふ、と、その優しい笑顔がさらに柔らかくほころぶ。
「大剣士クロスが前魔王ハルデスを討った時、その場には、魔女バラと共にもう一人、仲間がいた」
セスナは黙って聞いている。
「その人物は私の配下の一人で、怪我を負ったクロスから大剣を預かり、この城へ帰る途中、魔物に襲われて、クロスの剣を失ってしまったのだ。それが先日、王都でオークションにかけられたと聞いた。すぐに人をやったが、先を越され、ザッパという商人に落札されてしまった」
ゆったりと玉座に座したバタフライ王は、両手を組んで、思い出すように紡ぐ。
「私の配下がザッパの家を訪ねると、クロスの剣は確かにそこにあった。ザッパはそれを家宝にするといい、更にこう付け加えた――この剣はたとえいくら積まれても譲るつもりはない。ただ一人、東の剣士を除いては――と」
セスナは驚いた。ザッパは自分が現れることを予見していたのだろうか?
その思いを読み取ったかのように、バタフライ王が続ける。
「私はこの頃、折に触れて国民に伝えていたのだ。バタフライ王国の民よ、希望を持て。新世界はもうすぐやってくる、と。君は子どもだから新聞を読んでいなかったかもしれないがね」
王は上方を見上げる。
「剣士クラウズが東の地の少年に剣を託して姿を消したという噂は、私の耳にも入っていた。それはつまり、伝説の剣士の誕生が近いということだ。そして君は恐らく、何かの理由でクラウズの剣を失い、ザッパからそのクロスの剣を譲り受けたのだろう」
すごい。お見通しだ。セスナは頷く。
バタフライにこんな聡明な王様がいたなんて。
「すまない、話が長くなったな。それで、君がこの城に訪れた理由は……ああ待て待て、言わないでくれ」
王はそう言って両手を広げ、胸の前で左右に振る。
「きっとあれだ。魔王を討つために旅に出るから、王である私にその報告とか。そうだろう? 当たりかな?」
またしてもお見通しだが、なんだか少し変わった王様だ。セスナは短く「そうです」とだけ答える。
「もしかして少年よ、引いているのかい? いやいや、王とは忙しいわりに退屈な仕事でね。癖になってしまったのだよ、こういうひとり遊びが」
「はあ」
セスナがきょとんと立ち尽くしていると、背中に背負った大剣が少しずり落ちたようだった。




