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――――――――――ドカッ! バキィッ!!


唐突に大広間の扉が開かれた。

正確には、とんでもない勢いで、それこそ割り砕かんばかりの力強さで、遠慮も会釈も配慮もなく蹴り開けられたのである。


誰もが想定していなかったその事態に先ほどまでは違う意味で誰もが沈黙しあんぐりと口を上げ、ヴァイオラもまた驚きのあまり涙が音を立てて引っ込んだ。

そして、きぃきぃと虚しく揺れる扉の向こうから、警備として立っていた衛兵にとがめられることもなく現れた存在に、今度こそヴァイオラもまた言葉を失いそうになって、けれどその言葉は、名前は、無意識に唇からぽろりと落ちた。



「テオ様……?」

「ん、お久しゅう、ビビちゃん」



ひらりと片手を挙げて、気付けば誰もが彼のために開けた花道を悠然と歩いてくるのは、記憶にある姿そのままの、ぼさぼさの黒髪に瓶底眼鏡の青年である。

そう、間違いなく、隣国たる皇国の男爵令息、テオフィロス・ミーディオカだ。

ヴァイオラが、今一番会いたくて会いたくて仕方なくて、けれど同時に、一番会いたくないとも思っていた相手。


呆然と立ちすくむヴァイオラの元まで歩み寄ってきたかと思うと、当たり前のように彼は顔を覗き込んできて、ヴァイオラの涙でぬれた頬をハンカチでぬぐってくれた。

初めて出会ったとき渡され、そしてヴァイオラが彼に返したものと同じものであるとは、すぐに気付いた。


あまりにも丁寧で優しい撫で方に、自然と身体が強張って、けれど同時にほろほろと心がほどけていくのも感じて、何をどうしていいのか解らなくなる。

結局出てきたのは、「どうして」という、短い問いかけでしかなかった。

ただただ信じられないという光を紫の瞳に宿して瓶底眼鏡を見つめると、彼はいつかと同じようにいたずらげに笑った。


「そりゃあ、ビビちゃんになんかあったら、ボクはなんであろうと駆けつけるよ。ただ今回はほんまにギリギリになってもうたけどなぁ。堪忍なぁ、ビビちゃん」

「なに、を」


何を当たり前のように言っているのだろう。信じられるはずがない。

何がって、何もかもがだ。

隣国に帰国したはずの彼がこの場に現れたことに対しても、それがヴァイオラのためだということに対しても、どうして、だとか、何故、だとか、そういう疑問しか浮かんでこない。


――あたくし、ここにきてまさか正気を失って白昼夢を……?


と、すっかり宴もたけなわの深い夜であるというにも関わらず真剣に考え始めたヴァイオラの耳に、耳障りな怒声が飛び込んできたのは、次の瞬間だった。


「無礼者! その装束、その徽章、皇国の者だな!? 誰の許可を得てこの場に……っ!」


怒りに打ち震える王太子に呼応するように、周囲も悪意を持ってざわつき始める。

だが。


「なりません殿下! どうかお怒りをお納めください、そのお方は……っ!」


テオフィロスが蹴り開けた扉から、この夜会に参加していなかったこの国の重鎮達がどやどやとなだれ込んできて、王太子に取りすがる。

聞く耳を持たずになおも声を荒げようとする王太子を瓶底眼鏡越しに一瞥し、そっとヴァイオラを引き寄せてその腰に手を当てがい、テオフィロスは口元に弧を描いた。


王太子に触れられるときはどんなときでもこれ以上ないほど気色が悪かったというのに、テオフィロスの場合は気色悪いどころかどうしようもなく安堵してしまう自分が不思議で、ヴァイオラはまじまじと間近で彼の顔を見上げた。

思っていたよりも高い位置にあるかんばせ。

けれどやはり近い。

先ほどまでのそれとは異なる緊張が身体を貫き、やはり硬直するヴァイオラを今度は満足げに見下ろしてから、テオフィロスは自らの瓶底眼鏡を取り去り、そのまま床に落として、それはもう勢いよくグシャッ!!!! と踏み付けた。

しかも続けて駄目押しとばかりに踏みにじっている。

ぐりぐりと容赦なく。


――――エッ!?


ヴァイオラをはじめとした誰もが目を疑った。

だが構うことなく続けてテオフィロスはぼさぼさの黒髪を無造作にぐしゃりとかき上げる。




「――――――――――!!」




息を呑んだのか。あるいは、声なき悲鳴を上げたのか。

一気に静まり返った大広間で、テオフィロスは……”テオフィロス・ミーディオカ男爵令息であるはずだった存在“は、艶やかに微笑んだ。


「この姿では、お初にお目にかかる。私は、アマデウス。アマデウス・グラーティア・アマランティーン。このたび我が皇国にて立太子し、改めて世話になった貴国に礼を返しに馳せ参じた次第です」


朗々と響く声は美しく人々の耳朶を震わせ、誰もが聞き惚れながら、“隣国の皇太子”の姿に見入らざるを得なかった。

かき上げられた黒髪は夜のとばりを紡いだがごとくシャンデリアの下で艶めいて、彼の信じられないような美しさを見事すぎるほど見事に飾り立てていた。


まさか、そんな、どうして皇国の皇太子が。

ようやく正気を取り戻した周囲は、そうささやき合いながらも、彼の姿から目を離せない。

彼の出自を、疑う余地はない。

なぜならば。



「蒼穹眼……っ!?」



王太子がうめいた、その言葉。

それが差すのは、ヴァイオラが知る“テオフィロス・ミーディオカだったはずの存在”の瞳だ。


抜けるような、どこまでも果てしない空色の瞳。

それは隣国たる皇国における、皇室に連なる者だけに時折現れる、『未来を見通す』とうわさされる、神秘の瞳。それが、“蒼穹眼”である。


髪と同じ黒の、長く濃く伏せれば影を落とすであろう睫毛に縁どられたその空色の瞳は、誰もの目を、心を、一目で奪うに十分に足るものだった。

その美しさに目を奪われつつも、ヴァイオラは思った。

驚きすぎると逆に冷静になるという事実についてはよく知っていたが、それにしても何故だろう。

いつのまにかすっかり“アマデウス”と名乗った“テオフィロス・ミーディオカであるはずだった存在”の腕の中に収まった状態になりながら、ヴァイオラは先ほどの彼の台詞を内心で反芻し、じわりと背に冷や汗をかいた。


――『お礼参りに来た』と聞こえた気がしたわ……。


気のせいかしら、流石に。

と思いつつ、再び静まり返る大広間でこのままどうしたものかと途方に暮れ始めるより他はない。


そんな自分を見つめてくる空色の瞳はやはりあまりにも美しくて、澄み切っていて、ますます居心地が悪くなる。

身をよじって逃れようにも、がっちり! と驚くような力強さで腰に腕を回されていてはどうしようもない。一言で言えば詰んだ。

そうして、ええええええ、と遠い目をし始めたヴァイオラの耳に、今度は甲高いはしゃぎ声が聞こえてくる。


「あのぉ、アマデウス様っておっしゃるんですよねっ?」


我らが聖女サマである。

王太子にぴっっっっったりと寄り添っていたはずの少女が、頬を赤く染めて、気付けばヴァイオラを抱いたテオフィロス、もといアマデウスの目の前までやってきていた。


いくら“聖女”とはいえ、その権威はあくまでもこの国の中だけのものだ。

そも、隣国は宗教観が異なる。

異教徒となる新たな宗教的象徴を受け入れることなどまずありえない。

そうでなくとも、それも皇太子となった相手に許しもなく気安く話しかけた上に、これまた許しもなく名前を呼ぶことなど、無礼討ちにされてもおかしくはない所業である。


彼女に良くも悪くも何一つ思うところがないヴァイオラすら青ざめる中で、聖女はくねくねと身をよじりながら、本人的には『とびきりかわいい』のであろう笑みを浮かべ、瞳をうるませてアマデウスを見上げた。


「あたし、聖女として異世界から召喚されたんです! この国でも色んな奇跡を起こして、たくさんの人を助けてきました。きっとアマデウス様のお役に立てると思うんです。だから、ヴァイオラ様なんかより、ずぅっとあたしの方が……」


皆まで言わずに、聖女はその傷一つない、苦労など何一つ知らないであろう手をアマデウスへと伸ばした。

露骨な王太子からの鞍替え発言に、王太子すら怒りを忘れてもう驚きのあまり言葉もない様子である。


確かに聖女は、奇跡の力を持っている。少なくともヴァイオラは、そう聞いている。

実際に目にしたわけではないが、そういう目的で神殿により召喚されたのだから、そういうこと、なのだろう。


テオフィロス……ではなかった、アマデウスが、そんな彼女をどう扱うかは、ヴァイオラにとっては知り得るはずのない未知の領域の話である。

蒼穹眼が見出した聖女、という鳴り物でも着けたならば、国益に繋がるのかもしれない。

なるほど、ならばとりあえず自分は、アマデウスのことを熱っぽく見上げながら、その合間を縫ってちらちらとこちらをにらみ付けてくる彼女の視界から退散すべきだろう――――と、改めて身をよじる。

が。


「ビビちゃんはここにおってな」

「え」


がっちり! とこれまた改めてヴァイオラの腰を固定し、逃げ道を塞いだアマデウスは、嫣然とした笑みを浮かべた。

その笑みを『是』として受け取ったのか、聖女の顔が華やいで、「あたし、がんばりますね!」とヴァイオラのことなど構わずにアマデウスの胸に飛び込もうとする。

だがしかし、すかさずアマデウスはヴァイオラごとするりと聖女を避けた。


「生憎やけど、ウチの国にペテン師はいらへんのよ」


ヴァイオラだけに聞こえる声でアマデウスが呟いた先で、勢い余った聖女はすっころび、そのまま、ずさああああああああっ! と顔面から見事なスライディングを決めた。


「調べはついとったけど、ほんまにびっくりするほど頭ん中お花畑やなぁ。いっそ感心してまうわぁ」


痛みのあまりべそべそと泣き出した聖女と、先ほどの鞍替え発言はさておいてとりあえず慌てて彼女に駆け寄りなぐさめ始めた王太子を笑みを浮かべたままアマデウスは睥睨する。


ぞっとするような、底冷えする光が、その透明な空色の瞳に湛えられている。

見たこともないような“テオフィロス”の瞳を前に、「もしかしなくても怒っていらっしゃるのかしら?」と大変今更ながらヴァイオラはその事実に気が付いた。


そんなヴァイオラを抱いたまま、アマデウスは気付けば側に控えていた、皇国からともにやってきた側近と思われる者達に目配せを送り、とある書簡を取り出させた。

それはそのまま、玉座でもはや遠い目になっている国王と王妃の元へと運ばれていく。


「国王陛下、王妃殿下。発言をお許しいたしたく」

「……よい。許す」

「ありがたく。その書簡をご覧になっていただければすべてご理解いただけることではございますが、私、アマデウス・グラーティア・アマランティーンは、貴国の王太子殿下、次いで聖女と呼ばれる少女、そしてこの両名に加担した者達の不正を告発いたします」


ざわめきの中ですら凛と響き渡ったその発言に、大きく周囲がどよめいた。


「こ、告発など……! いくら隣国とはいえ、他国が口を挟んでいい話ではないだろう!!」

「おや、顔色がお悪いようで。言ったでしょう、『礼に来た』と。幸いなことにこの国にも、私のことを慮ってくれる者達が少なからず存在していましてね。彼らに協力してもらい、私に愉快な学園生活を提供してくださったこの国に報いらせていただきたく」


青ざめた王太子が噛みつくが、意に会する様子もなく堂々と間諜の存在を公言し、アマデウスは笑った。

顔色を蒼白から土気色に変えた国王と、逆にとうとうストンと無表情になった王妃が、侍従から渡された書簡を紐解き、その書面に目を滑らせ、そうしてがっくりとうなだれる。


「巡礼と称しての地方公務においての公的資産のみならず、エヴァランス侯爵令嬢が投じた行政事業への寄付や投資まで使い込んだとは……」


蚊の鳴くような声でつぶやいた国王のその言葉に、ヴァイオラは「あらまあ道理で」と驚くこともなく納得した。

なるほど道理で、いくら私財を投じても、どこもかしこもなしのつぶてだったわけである。

いくら多忙を極めていたとはいえ、気付かなかった自分の無能ぶりが悔しい。

ぎり、と思わず唇を噛み締めると、ぽんぽん、と腰にあてがわれた手が動く。そちらを見上げると、「まあまあ落ち着かんと」と、のんびりとした調子で声なくアマデウスの唇が動いた。

それがさらに悔しくて思わず淑女らしからぬ舌打ちが飛び出そうになったが、ギリギリのところで耐えた自分は褒められてしかるべきだとヴァイオラは思った。


しかもアマデウスの話は、それだけでは終わらないらしい。

書簡の内容を目で追いかけていく国王が、とうとうふらりとよろめいて背もたれに身体をあずけ、王妃は完全に冷徹な女帝の表情となり青ざめて固まっている王太子と聖女を見下ろした。


「聖女の奇跡はすべて神殿によって仕組まれた人為的なものであったとの調べもついております」


えっそれは初耳ですわ、とヴァイオラは素直に驚いた。

聖女の奇跡がでっち上げだとは流石に聞いていない。

だが確かに、報告されていた聖女の奇跡は、どこの地方でも一度きり、しかもいつも国中に点在する大神殿においてお膳立てされたものであったとは認識している。


アッなるほどそういうことでして……? と思いつつも、自らもまたすっかり神殿に洗脳されていた自分に気付かされ、ヴァイオラは無意識に眉をひそめた。


そしてそれでもなお、アマデウスの話は終わらない。

「続いて」と口火を切った彼に、まだあるのか、と周囲が戦々恐々とする中、彼の笑みは変わらない。


「ついでに、王太子殿下と聖女殿、お二人の不義密通に関しても……とは、ここで公にするにははばかられる内容ですが」


はばかられると言いつつしっかりばっちり明言してしまっている。

ヴァイオラとて流石にその件についてはとうに調べをつけていたが、それにしても流石にこれだけ衆目を集めた中で『婚約者がいる身の上でありながら、他の女、それも聖女ともあろう相手と不義密通、しかもがっつり婚前交渉まで行っている』と公言する気はなかったのだが。


ああほら、そうこうしているうちに、王太子と聖女が王妃直属の騎士達によって引っ立てられていく。


かくして大広間の中心にヴァイオラとアマデウスが残され、すっかり観衆となった学園の卒業生やその親類が見守る中、王妃に叱咤されてなんとか気を取り直した国王が口を開いた。


「アマデウス殿下。此度の我が国の不祥事について詫びるとともに、そなたに礼をさせてもらいたい。所望するものは何か?」

「もちろん、ヴァイオラ・エヴァランス侯爵令嬢を。彼女を我が妃として、皇国に迎え入れたく」


即答だった。

国王の提案は、隣国の皇太子に対する最大の譲歩だ。

国における最大の不祥事についての口止め料として、国王はここでなんとしてもアマデウスの口を封じ込めねばならなかった。

だからこそ、ここでもしもアマデウスが国内の利権や領地を望んだとしても、ある程度の交渉の末に、どうあっても皇国側に有利な条件を飲まねばならないところだった。


だというのに、彼が望んだのは。

アマデウスが、テオフィロスが、望んだのは。


――あたくし、ですって?


もう何度目かも知れない呆然を味わうことになったヴァイオラとは対照的に、周囲には安堵の吐息が広がっていく。

それはそうだろう。

利権でも領地でもなく、ただ一人、瑕疵まみれの『当て馬令嬢』一人を差し出して皇国との仲が保たれるならば、これ以上の幸いはない。

そう、国益を考えるならば、これ以上ない条件だ。

ヴァイオラにとっても、これ以上望むべくもない婚姻の条件だろう。


そんなことは解っている。

痛いくらいに、解っているとも。

だから、こそ。


「~~~~っ冗談じゃなくてよ!」


込み上げてきた衝動はそのまま悲鳴のような怒鳴り声となって口から飛び出し、その勢いのままに力いっぱいアマデウスを突き飛ばすこととなった。


不意打ちに彼の腕が緩んだことをいいことに、ヴァイオラは踵を返して走り出す。

誰もがその勢い、その迫力に気圧されてヴァイオラのために道を開けてくれるので、誰に邪魔されることもなく駆けて、駆けて、駆け抜けて。


そうしてヴァイオラは、この王城においても人目のない、中庭の東屋へと飛び込んだ。

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