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王太子が勝ち誇ったように宣言したその台詞も、もうとっくに聞き飽きていた。

青天の霹靂ではなく、これまた十分すぎるほど想定の範囲内である。


周囲は一瞬どよめきざわついたが、結局誰もが「流石王太子殿下」「棘まみれの毒花よりも聖女様のほうがよほどお似合いだ」「いやいや毒花ではなく当て馬だろう」「はは、違いない」だのなんだのささやき合っているのも想定内である。


これは王太子とその婚約者も参加する卒業祝賀会。

だからこそ参加していた玉座に座る国王が卒倒しそうになっているのも、王妃が大変渋いかんばせで眉間を押さえているのも、その側に控えていた父であるエヴァランス侯爵が今度こそ王太子を射殺さんばかりににらみ付けているのも、もちろん想定内だ。


なるべくしてなった事態である。

王太子と聖女の不義密通については当の昔に調べがついていたし、それを公にする場としてこの祝賀会を選ぶであろうことも解っていた。

何分王太子は派手好きなお方であるし、聖女はどうやら自己顕示欲がなかなかにお高めのお方であるようだったので。


よってヴァイオラは何一つ動じることはなく、そっとドレスの裾を持ち上げて、いつぞやと同じく完璧なカーテシーを決めた。


「王太子殿下からの婚約破棄、謹んでお受けいたします。どうぞ聖女様とお幸せに」

「なっ!?」

「えっ!?」


望まれた通りに粛々と受け入れたというのに、なぜか王太子と聖女は慌てたように声を上げた。

それは想定外の反応だったので、あら? とヴァイオラは首を傾げた。

そのヴァイオラにしては珍しい幼げであどけない仕草に、零れ落ちる金の髪が大きく胸元が開いたドレスの肌の上に落ちて、逆にぞっとするほどの色香を放つ。

それを間近で見届けた王太子がごくりと生唾を飲み込んで、聖女が涙目ながらも憎々しげにまなじりを鋭くする。


「ヴァ、ヴァイオラ! 私は真実の愛を見つけた!」

「ええ、大変結構なことにございますわ」

「私を慕ってくれる彼女、聖女リナこそが、私の真実の愛だ!」

「まあ、すばらしいですわね。王太子殿下と聖女様、なるべくして結ばれた運命の糸にございましょう」

「ヴァイオラ、お前の悪評、私の耳にも聞き届いている! お前よりもよほどリナのほうが私の妃にふさわしい!」

「殿下がそう思われるのでしたら、あたくしは構いませんわ。どうかお幸せに」


柔らかい笑みすら浮かべてヴァイオラは深く頷きを返した。

すると本当に不思議なことに、王太子はあぐあぐとなぜか焦ったように口を開閉させ、そのとなりの聖女は聖女で焦りをあらわにして幾度となく王太子とヴァイオラの顔を見比べている。

まさかここでヴァイオラが、王太子からの婚約破棄を受け入れずにごねるとでも思っていたのだろうか。

それこそまさかだ。


――いよいよ出家への道が開けましたわ。


王太子からの二度目の婚約破棄とあらば、もう流石にヴァイオラに婚姻の道はない。

となれば目指せ修道院、からの神殿、からの上位神官、そして内政への口出しである。


王太子妃としてならば神殿の権威の縮小を目指すつもりだったが、上位神官、最終的には神官長を目指すならば、神殿の権威はバンバンガンガン向上させていかなくては。

その上で、神殿もまた外交に力を入れることを公言しよう。

我らが神の威光を諸外国にも知らしめるため、とでも言えば、信者達の心を掴むことは難しくない。

ここにきて聖女召喚はいい手札になった。

異世界という、諸外国よりもはるかかなたの別天地から来た少女の存在は、外の世界へ国民を導く鍵となる。

まさかここで初めて聖女の存在に感謝することになるとは思わなかった。

彼女のおかげでヴァイオラの道はつながった。

そしてこの道の先に。


――テオ様。

――屈辱を晴らす日は、そう遠くなくてよ。


そんな内心のつぶやきは、思わず笑みとなって唇からこぼれた。

嫣然と弧を描いた唇に誰もが見惚れ、そしていち早く正気を取り戻した王太子が、「だ、だが!」と声を荒げる。


「私のことを慕うがゆえに聖女リナに危害を加えようとしたその暴挙、到底許しがたいが、リナは慈悲深くも許すと言っている!」

「そ、そうです! あたし、とっても怖かったけど、でも、ヴァイオラ様が殿下のことを好きな気持ちもとってもよく解るから、だから、許してあげます!!」


おお、と周囲がまたどよめいた。

口々に王太子と聖女に賛辞を送り、同時にヴァイオラのことを当て馬だの悪女だのなんだのとこき下ろしてくれているが、まったく何一つ身に覚えがなさすぎてヴァイオラは首を傾げるしかない。


――あたくし、いつの間に殿下をお慕いしていることになっていたのかしら?

――そもそも聖女様とやらとお会いするのは今回が初めてだと思っていたのだけれど……?


記憶力には自信があるのに、と閉じた扇を唇に寄せて思案するヴァイオラに構うことなく、早くも気を取り直した王太子は、にい、と口元に笑みを履いた。

ぞわりとおぞけが立つような気色の悪い欲がにじむその笑顔に、無意識に眉をひそめると、彼はそのまま不躾にも人差し指を突き付けてくる。


「私とて鬼ではない。ヴァイオラ、お前には正妃として立つリナの支えとして、私の側妃の座をくれてやろう! 罪深きお前に対するリナの慈悲に感謝するがいい!」

「……!」


思ってもみなかった提案だった。王太子も、そのとなりの聖女も、ヴァイオラが断るなどちっとも思っていない勝ち誇った表情でこちらを見つめてくる。

ある意味ではこれもまた青天の霹靂であるけれど、ここまで屈辱と侮辱にまみれた青天の霹靂は生まれて初めてだった。

つまり、王太子と聖女は、彼ら自身にとっては面倒くさい手間である政務や公務や社交をすべてヴァイオラに押し付けて、自分達にとって都合のいい王族としての甘い蜜だけを吸うつもりなのだろう。

道理でヴァイオラが婚約破棄をあっさり受け入れたことに焦るわけだ。なにせ、厄介事を押し付ける相手がいなくなろうとしたのだから。


考えるまでもなくその結論に至ったヴァイオラは扇を持つ手が震えたし、事の次第のまずさを理解しているであろう国王と王妃は今度こそ頭を抱えているし、父であるエヴァランス侯爵はとうとう腰の剣の柄に手をあてがい、周囲の護衛から懸命に宥められている。

解っていないのは王太子と聖女、そして彼らを信奉する学園の生徒達や神殿ゆかりの貴族達ばかりだ。


そんな姿を見ていたら、一周回って冷静になってしまう。

なるほどなるほど、もういっそそれもいいかもしれない。

侯爵家令嬢が側妃風情に落とされ、体のいい馬車馬として働かされる未来。

上等ではないか。

夫となる男がポンコツであればあるほど、ヴァイオラの才覚は際立つ。

棘まみれの毒花? 当て馬令嬢?

構わない、どんとこいだ。

その分ヴァイオラだって好きにさせてもらうだけの話だ。


この王太子が国王になり、そのとなりに正妃として聖女が立ち、その裏で側妃としてヴァイオラは『国王と正妃を支える』という名目で内政に携わる、これ以上なく都合のいい理由がここで明言された。

あとはそれに乗るだけである。


こんな屈辱も侮辱も、ヴァイオラの心を傷付けるには到底及ばない。

そうだとも。本当にヴァイオラが、屈辱を感じたのは今この時ではないのだ。


――――確かにボクから言い出したことやったけどなぁ。

――――結局ボクはビビちゃんのこと、いっぺんだって友達やと思うたことはあらへんかったよ。


耳元によみがえる声。

思い返すだけではらわたが煮えくり返る。


ゆるさない。ゆるすものか。あの屈辱は必ず返してみせる。

たとえ側妃になったとしても、必ずやりとげてみせるとも。

だってそうしなくては、ヴァイオラは。



――――――――――ぽたっ。



そしてヴァイオラのまなじりから静かに流れて床に落ちた一滴のしずくに、大広間中がざわめいた。

静かに涙を流すヴァイオラの姿に、誰もが息を呑んで言葉を失った。

王太子も、聖女も、周囲の観客も、誰も彼も。


侯爵令嬢ヴァイオラ・エヴァランスがはらはらと涙を流す姿に、誰もが一枚の崇高な宗教画を前にしたような感覚を得た、とは、後に知れた事実であるが、今のヴァイオラ本人には何ひとつ響かない。

だってそうではないか。


――テオ様。

――テオ様。

――あたくし、本当は、悲しかったんですのよ。

――お友達ではないと言われて、本当に、悲しかったんですの。

――どんな婚約破棄よりも屈辱で、とんだ侮辱で、そして何より。

――ただただあたくしは、悲しかったんですの。


ハンカチを差し出されたとき、初めて他人の厚意を知った。

友達になってほしいと言われたとき、初めて心から嬉しいと思った。

どんな愚痴も文句もにこにこ笑って流してくれる彼の笑顔に幾度となく救われた。

ずっと友達でいられたら、ずっとそばにいられたら、なんて、叶わない望みを抱いて、そして手酷い裏切りという形の最後通牒を突き付けられたとき、本当に、本当に悲しかった。


そんなヴァイオラの気持ちも知らずさっさと帰国した彼に、いつか屈辱を晴らすのだという名目をつけてみたけれど、結局は。



――あたくしが、もう一度だけでもいいから、会いたかっただけ。



たとえ友人だと思ってもらえなくても、それでも彼はヴァイオラにとっては間違いなく友人だったのだ。

そう自覚してしまうともう涙はとうとう止まらなくなってしまって、こんな衆目の下でなんて情けないことかしらと理解しているのにそれでもなお涙は流れ続ける。

その姿は、さながら大輪の花の精霊か、はたまた天にまします神の使いか。

あまりの美しさの前に誰もが呼吸を忘れる中、それでも真っ先に口を開いたのは。


「わ、私とリナの慈悲深さに感極まったか! なに、案ずることはない。ヴァイオラ、側妃としてお前のことも私はちゃんとかわいがって……」


やろう、と、ねっとりと欲にまみれた視線とともに王太子が続けようとした、そのときだ。


「邪魔するでぇ」

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