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そう、そうして、ここまで来て、ようやく話は戻るのだ。


ここ最近はずっと、婚約者問題よりも、テオフィロスの口調の方が気にかかる毎日だった。

なにせつい先日の夜会までは、婚約者問題は解決していたのだから。


それがこれである。

またしても白紙に戻った婚約者問題に、ヴァイオラ本人も、エヴァランス侯爵家も、事の発端となった王家も、頭を抱えているのが実情である。


「瑕疵の身の上で嫁がず後家はエヴァランスの家門に泥を塗ることになるし、いっそ修道院に入るべきかしら? 国と婚姻を結ぶものだと考えれば、出家も婚約も似たようなものでしょう」


正直なところ、なんだかもう色々面倒になってきた。

いや解ってはいる。

誉れ高きエヴァランスの息女が言うべき台詞ではないと。

だがしかし、もう本当に面倒くさい。


どうせ次の相手などそうそう見つからないだろうし、見つかったにしてもそろそろ後添えとしてあてがわれる可能性が高い。

それも政略と考えるならば致し方ないしやぶさかでもないが、後添えとしての選択肢すら見つからない可能性が、現状を鑑みると大変大きい。


ならば、と考えるべきとして挙げられる選択肢が、修道院から神殿に進み、そこでさらに昇進を目指す道である。


閉鎖的なこの国においては神殿の権威も大きく、伴って発言権も強い。

いっそ神殿の中で上位神官を目指し、夫に頼らずとも自身の力で――――と、我ながら投げやりでありつつも建設的だと頷ける算段を考え始めた、そのときだ。


テーブルの上に投げ出していた手に、ぬくもりが重なった。


あら? とそちらを見遣れば、テオフィロスが自らの手をヴァイオラの手に重ねている。なぐさめかしら、友情の再確認かしら、何であるにしろ、どうしましょう、照れてしまうわ……と、重ねられた手とテオフィロスの顔を見比べていると、彼は唇に刷いた笑みを深めて「ビビちゃん」と彼だけが呼ぶ呼び名でヴァイオラを呼んだ。


「あんなぁ、大事な話があんねんよ」

「まあ、何かしら?」


急に改まって、何を言い出すつもりだろう。

いつもヴァイオラの話を丁寧に聞いてくれるのがテオフィロスだ。

そのテオフィロスが改まってしたい『大事な話』ならば、ヴァイオラだって丁寧に真摯に受け止めたい。


自然と姿勢を正して彼の顔を見つめ返すと、テオフィロスはいつものんびりとした楽天家の彼らしくもなく少しだけ困ったような笑みを浮かべた。


「ボク、そろそろ、帰国せなあかんくなりそうねんな」

「……!」


ばちんっと顔を大きく叩かれたような気がした。

自分の目が見開かれ、そのまままじまじとテオフィロスの顔を見つめる。


けれどいつも通りの穏やかな笑みになった彼は、ヴァイオラの望む言葉をくれはしない。

きこく、と一気に乾いてしまった口の中で音なく転がして、懸命に思考を編み上げる。

きこく。帰国だ。

彼の言う帰国は当然、隣国であり彼にとっては母国である皇国への帰還を意味することくらい馬鹿でも解る。


「そ、う。ちなみに、いつごろになるのか、もう決まっていらっしゃるの?」

「んん、詳細はまだなんやけど。早くても一月後ってとこやろ。まあ急ぎではあらへんから、調整はいくらでもできるんやけどなぁ」


一月なんてあっという間だ。

急ぎではなく調整できる、とは言っても、この口振りは、帰国することは決定事項なのだろう。


当たり前だ。

もとより彼は留学生であり、いずれは帰国の途に就かなくてはならないのは解り切った事実だった。


それでもせめてこの学園の卒業までは、と、勝手に思っていた。思い込んでいた。


ヴァイオラは十八。今年、卒業だ。

卒業すれば婚約問題について四の五のなんて言っていられない。

嫁がず後家、なんて冗談めかして話してはみたけれど、本当は解っている。

これまで侯爵家令嬢として甘受してきた恩恵に報いるために、ヴァイオラは遅かれ早かれ必ず誰かに嫁ぐことになる。


だからこそいっそ出家の道すら考え始めていた。

だってそうすれば、テオフィロスが帰国した後も、せめて手紙のやりとりくらいは許される。

有力者と結婚すれば、不貞を疑われたり、諜報活動かと疑われたりするかもしれない手紙も、神殿を介すれば、と。


それがどれだけ自分だけに都合のいい夢物語であったかを思い知らされ、無性に苦しくなる。


「お見送りは、しなくてよ」


『できない』ではなく『しない』と言ったのは、せめてもの意地だった。

そんなヴァイオラのなけなしの矜持は、テオフィロスにはきっとすっかりお見通しだったに違いない。

彼はいたずらげにくつくつと喉を鳴らし、重ねた手にきゅっと力を込めてくる。


「ん、せやな。ボクもそれよか一緒に帰国してくれたほうが嬉しいもん」

「…………え?」


何か、今、まったく思ってもみなかったトンデモ発言を言われたような。

知らず知らずにうちに垂れていたこうべを持ち上げれば、テオフィロスは今度はにんまぁりと深く深く笑った。


そのまま重ねていただけだった状態から握り締められた状態になっていたヴァイオラの手をひょいと持ち上げる。

え、え、あら? と頭の上に疑問符を飛ばしていると、彼は、ちゅ、とヴァイオラの指先に口付けた。

これくらいの触れ合いなんてお友達ならば当然だとテオフィロス本人から既に何度も教えてもらっているとはいえ、やはり気恥ずかしいものですわね……とぼんやりと思うヴァイオラの顔を覗き込んで、テオフィロスはずずいとさらに身を乗り出してきた。


「やからなぁ、ビビちゃん。ボクと一緒に、皇国に来ぃひん? それこそボクみたいな留学生としてなんて、どうやろ?」

「!!」

「皇国にはココみたいな学園で一般学を学んだら、その上の学術院に進めるんよ。もちろん入学試験はあるんやけどな。せやかてビビちゃんなら余裕やろ?」

「あっ当たり前ですわ!」

「うんうん、せやな。やから、一緒に皇国行こ?」


考えてもみなかった、思ってもみなかった、発想であり、選択肢だった。


繰り返すが、この国は閉鎖的だ。

神殿を重んじ、外交は最低限に留め、出ていく者も入ってくる者も限られた国だ。

そう、限られてはいるが、ゼロではない。

目の前のテオフィロスのように留学生という形で入ってくる者がいる。

逆に出ていく者にも、なれるのだ。

ヴァイオラにも、その“出ていく者”になる選択肢はある。


「……でも、お父様がなんておっしゃるか…………」

「エヴァランス侯爵はそりゃあかわいい一人娘を手放したがらないやろうけどなぁ。せやかていい加減婚約者問題にブチギレなんもあのお方も同様やろ。ビビちゃんを外に出して、話が落ち着くのを待ったほうがええって思われるんやないか?」


ごもっともである。

既にこの国におけるヴァイオラの選択肢はほぼほぼ出尽くした。

父であるエヴァランス侯爵は、この国においては珍しく外交にも力を入れようとしている貴族であり、だからこそその勢力を国内で増大させた実績がある。

そんな父である。

ここでヴァイオラが留学したいと申し出たとき、とやかくは言うかもしれないが、最終的に背中を押してくれる可能性のほうがよっぽど高い。


「皇国はええよぉ。この国よか地続きの国ならず島国とも交流が盛んでなぁ、文化も食生活も多種多様でおもろいんよ。この国みたいに信仰に沿っためんどい風習もないし、何より」

「…………何より?」

「ビビちゃんのとなりには、ボクがおるよ!」


瓶底眼鏡越しにでも確と解る、満面の笑み。

堂々と胸を張るその姿に、ああ、と瞳の奥が熱くなる。

けれど涙は流れることはなく、ただただつられてヴァイオラも、ふふっと噴き出してしまった。


「ふふふ、ふふっ! ええ、ええ、そうね。それはとっても素敵ね」

「せやろせやろ。やから……」


ぎゅうとテオフィロスの手を握り返し、楽しそうに、そして嬉しそうに笑ってみせると、もっと楽しそうに嬉しそうに笑い返してくれる彼は、さらに言葉を連ねようとした。


だがしかしそれを皆まで言うより先に、「ご歓談中、失礼いたします」と涼やかな声音が割り込んできた。

は、と息を呑んでそちらを見遣り、そこにあった姿に、ぱちぱちとヴァイオラは瞬きをした。


「あら」

「チッ」

「……テオ様?」

「んーん、なんもあらへんよ。それよか、ほら、ビビちゃんとこの侍女はんやろ」

「え、ええ。……何かしら?」


身分と立場上、常に自身の所在は侍女や衛兵に告げてある。

それでもテオフィロスと会う時は彼らも思うところあってか、二人きりにしてくれる。

だというのに、今この場でわざわざ侍女が来たということは、それ相応の理由があってということだろう。


繋いでいた手を放して侍女を見つめ返すと、彼女は静かに一礼してから、「ご当主様のおなりです。急ぎ、ヴァイオラ様をお呼びするようにと仰せつかっております」と告げてきた。

普段から政務で忙しく、屋敷ですらなかなかたやすく顔を合わせることは叶わない父が、わざわざ学園に来てまでヴァイオラを呼びたてる、その理由。


婚約者問題が頭をよぎったが、さすがに先日からの本日で解決したとは思えず、だからこそ思い当たる理由がない。

だが理由が思い当たらなくても、呼ばれたならば行かなくては。


「テオ様、それではごきげんよう。先ほどのお話、あの、その……ちゃんと、真剣に、前向きに考えてもよろしくて?」


どうか断らないで、という願いが、声音ににじんでしまったかもしれない。

無茶なお願いになってしまったかもしれない。

そんな自分が恥ずかしいけれど、それでも。


「僕から言い出したことやもん。前向きに考えてくれるの、嬉しいわぁ」


それでもそうやってテオフィロスは笑って手を振ってくれたから、ヴァイオラは心から安心して、侍女を従えて父であるエヴァランス侯爵が待つ学園の来賓室へと向かうのだった。

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