政略婚の王太子に婚約破棄されたら、地味令嬢は本物の王子に見初められました
夜会の熱気に当てられ、私は静けさを求めて人のいないバルコニーに足を運んだ。煌びやかな会場の喧騒は、厚い扉の向こうで遠ざかっていく。星のまたたく夜空の下、私はようやく深く息をつけた。
「……こんなとこで何してるんだ?」
突然、背後から男の声がして、私ははっと振り返った。
バルコニーの石柱にもたれかかっていたのは、だらしない姿の男だった。黒髪は寝ぐせで跳ね、シャツは第一ボタンから開いていて、くわえ煙草からは細い煙が上っている。無精髭まで生えていて、どう見ても王宮の夜会にふさわしい人物ではなかった。
「あなたは……誰?」
彼は近づいてきて、煙草を指先でとんと弾くと、私の顎をくいっと持ち上げた。
「なかなかの別嬪さんだな。王太子の婚約者にはもったいない」
「や、やめてください!」
私は顔を赤らめてその手を振り払い、逃げるように会場へと戻った。
王太子はというと、例によって金髪縦ロールの令嬢と親しげに話していた。私という婚約者がいるというのに、まるで気にも留めていない様子だった。けれど、不思議と胸は痛まなかった。王太子との婚約が、感情ではなく政治で決まったものだからだ。
それから、夜会で私は何度もあの男——ルークと出会った。彼は決まって会場の喧騒を避け、廊下や中庭、バルコニーでひとり煙草をくゆらせていた。最初は無遠慮で掴みどころのない男だと思ったが、不思議と気を許せる相手だった。
ある晩、私は王太子への不満を漏らした。
「私という婚約者がいるのに、他の女とイチャイチャして……」
「それなら、あんな奴との婚約はやめにして、俺と結婚しないか?」
「ふふっ、冗談ばっかり」
私は笑って流したが、その言葉は心のどこかに残り続けた。
そして運命の夜会が訪れた。王太子は演奏を止め、「重大な発表」をすると告げた。
「この場を借りて、侯爵令嬢セレナとの婚約を破棄する。そして、私の真の婚約者は——」
場が凍りついた。彼が腕を取ったのは、例の金髪縦ロールの令嬢だった。
私はその場を飛び出し、王宮の庭でひとり泣いた。すると、いつものようにルークが現れた。
「……婚約、破棄されたの……」
私が泣きながら伝えると、ルークは眉をひそめ、初めて見るような真剣な顔になった。
「……あいつ、やりやがったな」
その数日後、新聞を開いて私は目を疑った。王太子の数々の悪行が白日の下にさらされていたのだ。薬物、違法取引、売春宿、権力を使った暴力行為、帳簿の操作——どれも信じ難い内容だった。
国中が激震し、民衆は怒りの声を上げた。国王はついに決断し、王太子に国外追放を言い渡した。
そして、新たな王太子が発表された。——それは、あのルークだった。
「ルーク……王子様だったの……?」
髭も寝ぐせもない、整った服装のルークが屋敷を訪れたとき、私は言葉を失った。
「遅くなったけど、正式に来た。君と結婚したい」
「え……」
私はそのまま、彼の胸に飛び込んだ。
その後、私たちの結婚は国中に祝福された。前の王太子の破滅と、新たな王子の即位、そして公爵令嬢との恋。物語として、これ以上の展開はなかったのかもしれない。
ある日、私はふと思い出して、聞いてみた。
「ねえ、前の王太子のスキャンダルって、もしかして……あなたの仕業?」
ルークは煙草に火をつけながら、私を見てふっと笑った。
「さあ、どうだろうな」
月明かりの下、彼の笑みはやっぱり意味深で、でもどこか優しかった。
終わり